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法施

2013.12.28.15:11

以前のわたしは一生懸命がんばっているにもかかわらず、なかなか前に進めない状態でした。
おなじ失敗をくりかえしては、悩んだり落ちこんだりしていました。
それが地徳の足りないせいだと思った私は、知恵袋で法施をすることにしました。
法施とは仏法を教えることですが、ここでは“人間力アップ法”を教えることと解釈します。
つまり知恵袋で人間力をアップする方法を教えて、地徳をつもうと思ったのです。

もちろん私はエラそうに法施ができる人格者ではありません。
まだまだ未熟な人間です。
しかし知恵袋には、以前のわたしが悩んでいたことで、いまだに悩んでいる方いらっしゃいます。
未熟な私でも、軽くできそうな悩みがたくさんあります。
だから私は未熟ながらも法施をしていくことにしました。

仏教には、金品をほどこす“財施”
人間力を高める方法を教える“法施”
人をなぐさめる“無畏施”
…など、いろいろな徳のつみかたが紹介されています。

なかでも尊いのは法施だとされています。
それはそうですよね。
いくら財施や無畏施をしても、相手の人間力が低ければ、ほんとうの意味で幸せにすることはできません。
笑顔、ボランティア、治療…など、法施以外がもたらす幸せは、どれも一時的です。
一時的に幸せ気分にさせるだけです。

だから法施以外でつんだ徳は、それが返ってきても一時的な幸せに終わりがちです。
それは臨時収入、つかのまの名誉、ゆきずりの優しさ…などといったものです。
もちろんそれらも尊いですが、そのようなものにばかり頼るのは虚しいと思います。

いっぽう、法施のもたらす幸せは永続的です。
法施で相手の人間力を高めてあげれば、その人自身の力で幸せになれるようになります。
寄付をしなくても、その人自身の力で豊かになれるようになります。
なぐさめなくても、その人自分の力で立ち直れるようになります。
そして、その人自身が法施をして、他人を幸せにできるようになります。
そうなると、その人は自分で徳をつめるので、他人の助けがいらなくなります。
今まで他人からエネルギーをもらわなければならなかったのが、自分でエネルギーをつくれるようになります。
さらには、それを他人にあたえられるようになります。
そうなると、その人は太陽になります。
自分でエネルギーをつくり、それを他人にあたえる、自給自足の太陽になります。

だから法施でつんだ徳は、太陽のように自給自足で永続的な幸せになって返ってきます。
事実、私が特に悩みのない慢性的幸福状態になったのは、法施を日課にしてからです。

とはいえ、この世はバランスゲームです。
法施ばかりではバランスが悪いです。
たとえば餓死しそうな人に、
「もっと人間力をあげなさい…」
とか法施しているばあいではありません。
そのような人には、とりあえず物施が必要です。
または大ケガをした人に、
「あなたのケガは因果応報で…」
とか法施をしているばあいではありません。
そのような人には、とりあえず応急処置(体施、物施など)が必要です。

寄付・笑顔・はげましなど、法施以外の善行がもたらす幸せは一時的ですが、これらは人を感動させ、
「自分も何かお返しがしたい」
「わたしも、あんな人になりたい」
と感化する効果があります。
つまり法施以外の善行にも、一種の法施の効果があるのです。
だから法施以外の行為も大切です。
いろんなことをバランスよくやっていくのが良いと思います。



●先生キャラ
私は知恵袋でギブギブを教えはじめてから、さらにギブギブがうまくなりました。
それはギブギブを教えたことで、あらためてギブギブのことを強く意識できたからです。
またギブギブについての理解を、より深めることができたからです。
“教える”ことをしなければ、こうはならなかったと思います。

また、他の大きな理由に“キャラクターの法則”があります。
つまり、
「ギブギブを教えている人(キャラ)が、ギブギブできないなんてありえない」
というキャラ意識がはたらいたため、ギブギブがうまくなったのです。
もちろんギブギブだけでなく、
「“今に生きること”を教えているキャラが、今に生きられないなんてありえない」
「“波動汚染はダメだ”と教えているキャラが、波動汚染するなんてありえない」
など、どんなことにも当てはまります。

キャラクターの法則は強いです。
この法則を利用すると、かなり人生がラクになります。

わたしは以前、自分のことを“生徒キャラ”だと思っていました。
自分は人に何か教えられるような人間ではなく、エライ人から教えられる一方の未熟な生徒だと思っていました。
法施をするなんて、まだまだ先のことだと思っていました。
しかし知恵袋を日課にしたことによって、わたしは早々に“先生キャラ”になってしまいました。

わたしは先生といえるほどの人格者ではありませんが、人に何かを教えるということは、いちおう先生ということになります。
学校の先生がみんな人格者かといえば、そんなことはありません。
先生だって欠点だらけです。
それでも、いちおう先生はつとまっています。

料理の先生になると、
「料理の先生なのに、料理がヘタなんてありえない」
というキャラクター意識がはたらきます。
だから料理への意識が高くなり、自然と料理がうまくなります。
たとえば一年間、料理教室で生徒をやったばあいと、先生をやったばあい、どちらがより深く料理を体得できるでしょうか?
それはもちろん先生をやったばあいだと思います。

それと同じで“不安と悩みをなくす方法”の先生になれば、“不安と悩みをなくす方法”への意識が高くなり、“不安と悩みをなくす”のがうまくなります。
たとえば一年間、生徒として“不安と悩みをなくす方法”を読んだばあいと、先生として“不安と悩みをなくす方法”を書いたばあい、どちらがより深くそれを体得できるでしょうか?
それはもちろん先生のほうだと思います。

先生キャラになることは、悩みをなくすための必須条件だと思います。
釈迦、キリスト、守護霊、指導霊といった神に近い魂は、だいたい先生キャラです。
神様は先生キャラそのものです。
私たちの最終的な目標は神様ですから、わたしたちは最終的に先生キャラをめざしているといえます。

しかし宇宙は永遠ですから“最終”はありません。
いつでも“今が最終”です。
だから“今”先生キャラにならなければ、永遠になれる日はやってきません。

とはいえ先生なら何を教えてもよいというわけではありません。
料理がうまくなりたいのにヨガの先生になってもしょうがありません。
料理がうまくなりたいのなら料理の先生になるのが近道です。
それと同じで、悩みをなくしたいのなら、悩みをなくす方法の先生になるのが近道です。



●“今”から先生!
本やブログをいくら読んでも悩みが絶えない人には共通点があります。
それは“人の悩みをあまり解決していない”ということです。

「自分の悩みは解決したいが、人の悩みはあまり解決していない」
というキャラを、みなさんはどう思うでしょうか?
そのようなエゴキャラは、どのような運命になるでしょうか?
それはみなさんの納得するような運命になります。
たとえば、
“いくら勉強しても、なかなか悩みがなくならない”
“いくら神を拝んでも、なかなか悩みがなくならない”
…といった感じだと思います。

「自分の悩みも解決できないのに、人の悩みを解決できるはずがない」
と思われるかもしれませんが、それはカンペキ主義※におちいっています。
人の悩みをカンペキになくすことは、どんな聖人にもできません。
釈迦やキリストにもできません。
だからカンペキを求めるのはナンセンスです。
自分にできる範囲のことをしようとするのが大切です。

物理の先生は物理のことをカンペキに知っているわけではありません。
むしろほとんど知りません。
しかし先生はつとまっています。
地理の先生は、世界の地理をカンペキに知っているわけではありません。
むしろほとんど知りません。
しかし先生はつとまっています。

カンペキになる日を待っていては、永遠に先生などできません。
「もっと人間力がついてから…」
などと思っているうちは、永遠に先生はできません。
なぜなら人は永遠に未熟だからです。
だから“今”先生をやらなければ、永遠に先生はやれません。

人はいつでも、どの段階でも先生になることができます。
自分より魂年齢の幼い人は必ずいます(知恵袋を見ればわかります)
犯罪者でも自分の失敗を話すことで先生になることができます。

仮にもし、自分が人類で最も劣っていると思っても、すべての面において劣っていることはありえません。
ある部分では、そこそこ勝ってるところが必ずあります(負けん気はそこそこ強いとか)
まずはその部分の先生からはじめると良いと思います。

なかには人の悩みを解決したくても、できない人もいると思います(重病で動けないなど)
そのような人はエゴキャラではないので問題ありません。

しかし今このブログを読んでいる人で、そのような人は少ないはずです。
ほとんどの人が、やろうと思えばできると思います。



●“理解度”と“苦悩”は反比例する                 
“良いことをすれば良いことがかえってくる、悪いことをすれば悪いことがかえってくる”
というカルマの法則は、ほとんどの人が知っています。
わたしもウツのころから知っていました。
しかし当時のわたしは、グチったり、怒ったり、自己嫌悪したり、積極的に悪いことをしていました。
なぜでしょうか?
それはカルマの法則に対する理解度が低かったからです。

たとえば、ある麻薬について、
“なんか体に悪いらしい”
という理解しかなければ、目先の快楽に負けて、ついやってしまいます。

しかし理解度が上がって、
“強い発ガン性がある”
ということが分かれば、やる確率は下がります。

さらに理解度が上がって
“1年以内に100%の確率でガンになる”
ということがわかれば、やる確率はさらに下がります。

これと同じようにカルマの法則も、
“悪いことをすれば悪いことがかえってくるかも”
くらいの理解では弱いです。
このていどの理解だと、目先の快楽に負けて、つい悪いことをしてしまいます。
しかしブログでカルマの法則を読まれた方は、悪いことをする確率が下がったと思います。
それはカルマの法則の理解度が上がったからです。

悪いことをすると必ず苦悩におそわれます。
悪事と苦悩はワンセットです。
しかし神への理解度が高まると、自然に悪いことをする確率が下がります。
つまり“苦悩と理解度は反比例する”ということです。
だから神への理解度を高めることが大切なのです。

わたしは便宜上“悪いこと”と書くことがありますが、この世に“悪いこと”も“良いこと”もありません。
“悪いこと”を正確にいえば“より幸福感から遠のくこと”になります。
 


●教科書を書く
苦悩をへらすには理解度をあげることが必要です。
そして、理解度を上げるには、教科書を書くのがてっとりばやいです。

たとえば数学の教科書を一度読んだだけで理解することはできませんよね。
しかし自分で教科書を書けば、一度書いただけで、ほぼ理解できてしまいます。

教科書を読むのと書くのとでは、脳の使い方がまるでちがいます。
たとえば数学の教科書を書くには、数学を深く理解していなくてはなりません。
それには数学の資料をたくさん読むことが必要です。
そのとき、ただ生徒のように漫然と読むことはありません。
“教科書を書く”という明確な目的があるので、自然と、
「なんとしても理解しなければ!」
という気持ちになって読むことができます。
つまり自然と“理解モード”になって読むことができます。

しかし「教科書を書く(=人に教える)」という意識がないと、なかなか理解モードになれません。
どうしても漫然と読んでしまいます。
だから、なかなか理解度を上げられません。

数学の教科書を書けば、数学の理解度がアップし、数学の問題を解くのがうまくなります。
それと同じで“悩みをなくす方法”教科書を書けば、“悩みをなくす方法”の理解度がアップし、人生の問題を解くのがうまくなります。
このブログは“悩みをなくす方法”の教科書のつもりで書いています。
だから私は悩みをなくすのがうまくなったのだと思います。

とはいえ、ただ漫然と読みたいときもあると思います。
無理はしなくて大丈夫です。



●人に教えると理解度がアップする
人は、よくわからないボンヤリしたものに恐れを感じます。
オバケが怖いのは、オバケがぼんやりしていて、よくわからないからです。
しかしオバケの正体がフツーの人間だとハッキリ分かったとたん、恐れは少なくなります。

オバケ屋敷も、暗くてよくわからないから怖いのです。
明かりでハッキリ照らしてしまえば、恐怖は半減します。

つまり恐れ(不安)をなくすには“ボンヤリしたことをハッキリ”させればよいということです。
いいかえれば“よく分からないことを、もっと分かればよい”ということです。

“分かる”とは“分ける”ことです。
分けるとは、ゴチャゴチャしたものやボンヤリしたものを、ハッキリ区別することです。

たとえば恐怖のゴミ屋敷も、
「不要なもの」と「本当に必要なもの」
でハッキリ区別すれば、安心して住むことができます。

不気味なキノコの群生も、
「食用」と「毒」
でハッキリ区別すれば、安心して食べることができます。

“分かる”とは“理解する”ということです。
つまり自分がボンヤリとしか理解できていないことについて、もっと理解を深めれば、恐れが減るということです。
そのためには、いま理解できていることを、人に教えるのが近道です。

たとえば納得の法則を教えるまえ、私はこのことを今ほど理解していませんでした。
ただ“この世は自分のつくった世界だから、自分が納得いかないことは起こらないだろう…”
と、ぼんやり考えているだけでした。
“納得の法則”という名前すら分かっていませんでした。

しかし、これを人に教えるとき、
“この世は自分のつくった世界だから、自分が納得いかないことは起こらないだろう…”
などというボンヤリした説明では、なかなか納得してもらえません。
人を納得させるには、もっと“分かりやすい”説明にする必要があります。

そこでわたしは、このボンヤリした概念を、もっと分かりやすい概念にすべく、試行錯誤をくりかえしました。
そうするうちに、ボンヤリした概念に対する私自身の理解度が、だんだんアップしていきました。

理解度がアップしたということは、すなわち脳神経の回路が強化したということです。

“ボンヤリした概念”をつくっている脳神経の回路は、当然ぼんやりしています。
そのことについて、あまり考えていないため、回路が細く・少ない状態です。
そんな貧弱な回路では、早く的確に答えを出すことはできません。
カンタンなことにもグルグル悩んでしまいます。
初期のパソコンのような感じです。

では初期のパソコンを、優秀なパソコンにするにはどうしたらよいのでしょうか?
それは貧弱な回路を強化することです。
つまり、ボンヤリした回路を、ハッキリ鮮明に分かる回路に強化することです。
そのためには、ボンヤリした概念が、ハッキリ鮮明に分かる概念になるまで、よくよく考えることが必要です。

それには“他人を納得させる”つもりで考えるのが近道です。

他人を納得させるためには、理論に穴がないか、何度もチェックする必要があります。
誰にでも分かる説明にすべく、試行錯誤をかさねる必要があります。
そうすることで、脳神経の回路が太く・多くなり、強化されていきます。
そうなれば、当然、あたまの回転が早くなります。
そうすると、的確な答えを素早く出せるようになります。
だからグルグル悩むことがなくなります。

しかし“他人を納得させる”つもりで考えないと、なかなかこのような回路をつくることができません。



●ぼんやりした概念を“法則”にする
法則とは“引き寄せの法則”や“カルマの法則”のように“~の法則”とつくものだけではありません。
“納得できる概念”は、すべて法則です。
だから私にとってブログに書いたことは、すべて法則です。
“ギブギブ”も“今に生きる”も、法則です。

ブログに書いた法則は、はじめからハッキリとした法則だったわけではありません。
もとはボンヤリした概念でした。

たとえば0%の法則(Ctrl+F検索)は、
「過去を後悔するのはおかしい。だってそれ以外の行動をとっていた場合なんてありえないから」
というボンヤリした概念でした(これは子どものころ雑誌で読んだものです)
まだ“法則”とは呼べないレベルの概念です。
当然“0%の法則”という法則名も見えていませんでした。

しかし、これを人に教えようとしたとき、
「過去を後悔するのはおかしい。だってそれ以外の行動をとっていた場合なんてありえないから」
などというボンヤリした説明では、あまり納得してもらえません。
人を納得させるには、“法則”と呼べるくらいまで、説明(概念)をブラッシュアップする必要があります。

そのようにして書いたのが0%の法則(多世界解釈)です。

実をいうと、わたしは多世界解釈について書くつもりはありませんでした。
ただ、
「過去を後悔するのはおかしい。だってそれ以外の行動をとっていた場合なんてありえないから」
というボンヤリした概念を、納得のいく概念にしようとたら、結果的に多世界解釈の記事になってしまった…という感じです。
これに納得がいくかどうかは、みなさんのご判断におまかせします^_^;

なにが言いたいのかというと、つまり、
「法則をつくるには、ボンヤリした概念を“納得のできる概念”にすればよい」ということです。
ボンヤリした概念を、納得のできる概念にまでブラッシュアップすれば、それがすなわち“法則”になるということです。
なぜなら“納得できる概念=法則”だからです。

もちろん人間に、100%納得できる概念(法則)をつくることはできません。
100%納得できる概念(法則)とは、すなわち神のことだからです。
人間が分かる法則は、どんな法則でも少しは納得できないところがあります(不完全性定理/不確定性原理)

しかし、納得度は無限に高めることができます。
そして納得度を高めれば高めるほど、法則の効果も高めることができます。
たとえば「悪いことをすればバチが当たる」という法則を使うよりも、ブログの法則を使った方が悪いことをしにくくなると思います。
それはすなわちブログの法則のほうが効果が高いということです。
なぜでしょうか?
それはブログの法則のほうが、より納得できる(納得度が高い)からだと思います(エラそうにスミマセン(><)
 


●ごちゃまぜの概念を“法則”にする
もしこのブログが、ひたすらダラダラ、まとまりなく書かれていたらどうでしょうか?
今のように、タイトル(法則)ごとに分かれた構成でなかったらどうでしょうか?
文字どおり“分かりにくく”なると思います。
いざ日常でブログの内容を思い出そうとしても、思い出しづらくなると思います。

ブログの法則を実践するとき、
「ギブギブ」「今に生きる」「単語法」などのタイトル(法則名)や、
「78点」「ファジー」「言葉の力」など、タイトルの一部を思い出すこと多いと思います。
それは自分でも気づかないくらい一瞬のイメージだと思います。
言葉ともよべない、かすかな波動だと思います。
しかし、それをきっかけにして、
「見返りをもとめず、こちらから一方的に親切にしよう(=ギブギブ)」
「過去や未来はマボロシにすぎない。
 現実に存在するのは“今”だけだ。
 今できることをやるしかない(=今に生きる)」
など、そのくわしい内容を実践することができると思います。

しかしブログがタイトル(法則)ごとに分かれていなかったら、内容が分かりにくくなり、実践しづらくなると思います。

これは、ごちゃまぜの資料からモノを取り出すより、「古典」「地理」など種類ごとに分けておいたほうが取り出しやすいのと同じです。
ゴチャまぜの概念から、必要な概念(法則)を取り出すことはむずかしいです。
しかし「ギブギブ」「今に生きる」などと分けておけば、よりカンタンに取り出せるようになります。

だから私はこのブログが“法則辞典”になるように意識して書いています。
必要な法則を、より効率的に引き出せるようにと思いながら書いています。

または“呪文辞典”になるようにとも思っています。
短いタイトル(法則名)をイメージして、そのくわしい内容を引き出すのは、短い呪文をとなえて複雑な魔法の効果を引き出すのと同じです。
(たとえばドラクエでは「ホイミ」と唱えただけで“治療”という複雑な効果がえられます)

とはいえブログのすべてが法則になっているわけではありません。
タイトルのすべてが呪文になっているわけでもありません。
そのへんはファジーに考えてください^_^;


ブログの法則は、はじめからハッキリとした法則だったわけではありません。
もとはゴチャまぜの概念だったものが多いです。

今書いているこの記事は、はじめはゴチャまぜの概念をダラダラ書いたものでした。
しかし、
「みんなの悩みを減らすために、もっと“分かりやすく”説明するんだ!」
と思いながら文章を推敲していくうちに、
「先生キャラ」「今から先生」「教科書を書く」などの概念に、ハッキリ“分ける”ことができました。

だから私はブログで法施をすればするほど、あたまがハッキリ明確になっていきます。
今まで分からなかったことが、どんどん“分かる”ようになっていきます。
だからますます悩まなくなっていきます。

しかし、「みんなの悩みを減らすために」という気持ちが弱いと、
「“分かりやすく”説明するぞ!」という気持ちも弱くなります。
だから、ゴチャまぜの概念をうまく“分け”られなくなります。
そうすると、ゴチャまぜの概念をかかえたまま、自分自身が悩みつづけることになります。

やはり「みんなの悩みを減らす(=人間力をアップさせる)」という法施意識をもつことが大事ですね。



●独自法
いくら私のブログを読んでも、完全に悩みをなくすことはできません。
なぜなら人それぞれ個性や人生のストーリーが違うからです。

このブログの法則は、モモエの個性とストーリーが生み出した、モモエ独自の法則です。
多少はみなさんの参考になると思いますが、これで100%悩みをなくすのはムリだと思います。

私のブログで基本的なことを理解したら、あとはそれを応用して、自分独自の法則をつくることが必要です。
自分の個性と人生のストーリーにあった、自分独自の法則でないかぎり、100%活用することはできないからです。

ではどうすれば“独自法”をつくることができるのでしょうか?

それは、いま知っている法則を人に教えることです。

前述のように“人に教えると理解度がアップ”します。
理解度がアップすると、応用法をひらめきます。
この応用法が、すなわち独自法です。

理解度が低いうちに応用法をひらめくことはありません。
アインシュタインが相対性理論をひらめいたのは、物理の理解度が高かったからです。
物理の理解度の低い人が、相対性理論をひらめくことはありません。
たまに天啓でひらめくばあいもありますが、そればかりに頼ってはいられません。

ここでいう独自法とは、100%オリジナルな法則ではありません。
すでに知っている法則を応用したものをいいます。
たとえば私は引き寄せの法則について書きましたが、これは私のオリジナルな法則ではありません。
おなじみの法則です。
しかし私の引き寄せの法則は、他のどの本にも書かれていないと思います。
基本は同じでも、どこかちがうと思います。
それは私の個性とストーリーに合わせて、私が使いやすいように応用したものだからです。
この意味で、わたしの書いた引き寄せの法則は、わたしの独自法なのです。

引き寄せの法則の本はたくさんありますが、どれも内容がビミョーにちがいます。
それは人によって解釈がビミョーに違うからです。
つまり人の数だけ、独自の引き寄せの法則があるということです。
つまり、みなさんの中にもすでに独自の引寄せの法則(独自法)があるということです。

しかし自分の独自法が何なのか、よく分からない人も多いと思います。
それが分からないと、独自法をうまく使うことはできません。

独自法を使いこなすには、独自法の理解度を高めることが必要です。
そして、理解度を高めるには“人に教える”ことが近道です。
未熟でもいいので、いま理解している独自法を教えることが近道です。

では、いま理解している独自法とは何でしょうか?

たとえば、ブログの法則を実践するとき、100%そのまま実践することはないはずです。
自分が使いやすいように、省略したり言葉を変えたり、無意識にアレンジ(応用)していると思います。
そのアレンジが、すなわち“いま理解している独自法”です。
ささいなアレンジかもしれませんが、それはまぎれもなく、あなたの独自法です。

人に教えるときは、ぜひそのアレンジ(独自法)をメインに教えてあげてください。
ブログを思い出しながら教えるのではなく、自分が実際にやっていることを思い出しながら教えてあげてください。
他人の方法を教えるのと、自分の方法を教えるのとでは、説得力がまるでちがいます。
結果的に同じ内容になっても、言葉にやどるパワーがちがいます。
他人の受け売りだと、いくら正しい内容でも、あまり胸にひびきません。
正しいだけの教科書的な説明になりがちです。

みなさんがここまでブログを読んでこられたのは、あるていどブログに共感してくださったからだと思います。
それはこのブログが私のリアルな体験にもとづいていたからではないでしょうか?
私が実際にやっていることが具体的に書いてあったからだではないでしょうか?
私の血肉のかよった生々しい声が心にひびいたからではないでしょうか?
もし“人から聞いた良いはなし”を集めただけだったら、ここまで読まれなかったのではないでしょうか?

私はできるだけ、
“自分が実際にやっていること”
“自分が実際に使っている思想”
を書くようにしています。
しかし油断すると
“自分はやってないけど、良さげなこと”
“自分は使ってないけど、良さげな思想”
を書いてしまいます。
それは単なる“キレイごと”“模範的回答”“美辞麗句”といったものです。

そんなときはプラグマティズムを思い出して書きなおすようにしています。
いくら良いことでも、自分ができないことは、たぶん読者もできません。
いくら正しいことでも、自分が使っていない思想なら、たぶん読者も使いません。
もしかしたら使うかもしれませんが、それなら自分が実践していることを“優先”して説いたほうがよいです。
その方が、読者を幸せにできる確率が高いです。

ものごとには優先順位があります。
特に法施は優先順位を意識しないと、効果の低いことを先に説いて時間を浪費してしまいます(私のことですが…)


法則の具体的な使いかた以前に、そもそも“その法則はなにか”を教える必要があります。
たとえば引き寄せの法則なら“ありがとうを千回言う”などの具体的な方法より前に、
“そもそも引き寄せの法則とはなにか”を教えることが必要です。
そのときも、他人の解釈した引き寄せの法則ではなく、自分なりに解釈した引き寄せの法則(つまり独自法)を教えることが大事です。
そうすることで、
「あっ、なんか私の解釈はおかしい」
「この部分の理解があやふやだ」
と、理解の足りないところを自己発見することができます。
それをせず、他人の受け売りを教えつづけても、自分の理解不足に気づくことはできません。
だから、いつまでたっても理解度を上げることができません。
理解のたりない状態で、言葉たくみに説明しても、説得力がうすいです。

わたしはブログを書くとき、基本的に資料は見ません。
まずは自分の頭だけで書くようにします。
なぜなら、理解できていることしか書くつもりがないからです。

たとえば量子論なら“今のわたしが理解できている量子論”を書きます。
うまく書けなかったら、理解度が足りないということです。
そのときは、その場ですぐに勉強しなおします。
そうすると、ピンポイントで理解のたりない部分をおぎなうことができるので、効率よく理解度をアップさせられます。
これこそが法施の醍醐味です。

未熟ながらも独自法を教えていくと、より高度な独自法をひらめきます。
その高度な独自法を教えていくと、さらに高度な独自法をひらめきます。
これを繰り返すことで、どんどん神への理解度が高まっていきます。
それがすなわち、神に近づくということです。

ブログには、いろいろな法則が書いてありますが、はじめからすべてが見えていたわけではありません。
知恵袋→LESSON1→2→3……と書きながら、だんだん見えてきたことが多いです。
知恵袋を書かなければLESSON1は書けませんでしたし、LESSON1を書かなければLESSON2は書けませんでした。
書けたとしても、他人の受け売りの薄っぺらい内容になっていたと思います。

わたしはブログで独自法を教えるたびに、新たな独自法をひらめきます。
今もこうして“独自法をつくる”ということを教えながら、どんどん新たな独自法をひらめいています。
だから私の人生はどんどんラクで幸せになっています。

あまり独自法を教えない人は、あまり独自法をひらめきません。
だから、他人の法則(本やブログ)に依存しなくてはならなくなります。
しかし他人の法則で、自分の悩みを100%解決することはできません。
だからいつまでも悩み続けることになってしまいます。



●書いて教える
独自法を教えるとき、いきなり会話で教えるのはアブナイかもしれません。
なぜなら会話はテンポよく返事をしなければならないからです。
そうすると、独自法の正誤をじっくり検証することができません。
だから、まちがいの多い独自法を教えてしまう危険があります。

しかしブログなどのように“書いて教える”方法なら、事前にまちがいを修正することができます。
だから、より完成度の高い独自法を教えることができます。

“書くこと”は大切です。
なぜなら、書くことなしに理解度をアップするのは難しいからです。

たとえば、まったく書くことなしに国語や数学や化学の理解度をアップできるでしょうか?
それはムリだと思います。
カンタンなことならまだしも、あるレベル以上のことは書かないと理解が進まないと思います。

つまり、書いて教えない人は理解度が上がりにくく、独自法を見いだしにくいといえます。

とはいえ、どうしても書けない人は問題ありません。
書けなくてもよい人生が展開されます(納得の法則)

キリストやソクラテスのように、著作がなくても高度な独自法を残せる天才もいるので、自分がそうだと思ったらムリに書かなくてよいと思います。
しかし著作が残っていないだけで、ふだん勉強するときは色々書いていたのかもしれません。



●法施を日課にする
わたしは知恵袋をやるまえから、チョコチョコ法施※的なことをしていました。
それは気まぐれに、たまにやるていどでした。
そして当時のわたしは、自分の成長の遅さにイライラしていました。
いくらがんばっても人間力の上がらない自分に自己嫌悪していました。

しかし法施を“日課”にしてからは、そのようなことはありません。
なぜなら自分が納得できるくらいに、成長のスピードが早まったからです。
それは10年が1年に圧縮したような感じです。

たまに先生をやるのと、日課で先生をやるのとでは、
“自分は先生だ”
というキャラ意識の強さがちがいます。
たまにでは、それほど強いキャラ意識はもてません。
しかし毎日やれば、自然と強いキャラ意識をもつことができます。
学校の先生が先生らしくふるまえるのは、毎日先生をしているからだと思います。


魂年齢と法施の時間は、比例する傾向があります。
釈迦やキリストなど魂年齢の高そうな人たちは、人生の多くの時間を法施についやしています。
守護霊や指導霊なども、多くの時間わたしたちを教え導いてくれています。
神様はすべての先生ですから、もはや24時間法施状態だといえます。
つまり私たちも遅かれ早かれ、いつかはそのような状態になるということです。

しかし宇宙は永遠ですから、遅いも早いもありません。
だから、
「わたしにはまだ法施は早い。
 いつか人間力が上がったら法施をしよう」
などと思っていては、永遠に法施はできません。
“今”法施をはじめないと、永遠にはじまることはありません。

「わたしは魂年齢が低いから法施はまだムリ」
という理由もありえません。
なぜなら人には正確な魂年齢などわからないからです。
それに人間なら、どの段階でも法施をすることはできます。
犯罪者でも失敗を話すことで法施することはできます。

「余裕がなくて法施ができない」
ということも、まずないと思います。
1日1分でも法施はできます。
1日1行でも法施はできます。
無理なくできるところまでハードル調整することが大事です。

実際やりはじめると、予想よりも多くのことがやれるものです。
それは慣性の法則がはたらくからです。

それでも、どうしてもできないという人は、
「法施をライフワークにして、みんなを幸せにしよう」
と、毎日思ってみてください。
そうすれば、いずれそういう運命になります。
それはキャラクターの法則(納得の法則)がはたらくからです。
毎日そんなことを思っているキャラが、永遠に法施ができず、悩みつづけるなんて納得いきません。
つまりそのようなことはありえません。

しかし今ブログを読まれている方で、どうしてもできない人は少ないと思います。
ほとんどの人は、やろうと思えばできると思います。



●法施をすると成長が早い
前述のように、苦悩をへらすには理解度(応用力)を上げることが必要です。
理解度(応用力)を上げるには、本などを読むことも大切ですが、それだけでは足りません。
積極的に問題(悩み)を解くことも大切です。

いくら数学の教科書を読んでも、“なにが理解できていないのか”は分かりません。
実際に問題を解いてみて、はじめて、
「ここが理解でていなかったのか」
「この法則がうろ覚えだったのか」
ということが分かります。
実際に問題を解かないと“なにが理解できていないのか”は分からないものです。

それと同じで、いくら本やブログを読んでも“なにが理解できていないのか”は、分かりません。
実際に問題(悩み)を解いてみて、はじめて、
「ここが理解でていなかったのか」
「この法則がうろ覚えだったのか」
ということが分かるものです。

しかし限られた問題ばかり解いても、なかなか理解度(応用力)は上がりません。
たとえば一冊の問題集をカンペキに解けるようになっても、東大に合格することはできませんよね。
合格するためには、もっといろいろな種類の問題を解くことが必要です。

それと同じで自分の問題(悩み)ばかり解いていても、なかなか理解度(応用力)は上がりません。
男・女・主婦・サラリーマン……
など、他人のいろいろな問題を解くことで、理解度(応用力)をジャンプアップさせることができます。

自分の問題を解いているだけでも、理解度は少しずつアップします。
しかしそれは本当に少しずつです。
あまりに少しづつなので、成長の遅さにイライラするかもしれません。

老人になってもほどんど成長していない人、
前世が短気で今世でもまだ短気な人、
前々世で心配性で今世でもまだ心配性な人……
などの例を見ると、自然に、
「人って、なかなか成長しないな~(-_-;)イライラ」
と思ってしまうのではないでしょうか?

しかしここでポイントなのは、彼には、
“法施をライフワークにしている”
イメージがないということです。
彼らがいつも、
「法施をライフワークにしよう!」
と唱えていたとは思えません。
むしろ
「自分はダメ人間だ」
「自分は法施なんてできる人間じゃない」
「自分のことで手一杯だ」
といったネガティブな波動がイメージできます。

逆にいえば、
“法施をライフワークにしていたキャラが、老人になってもまったく成長していない”
というイメージは見えません。
毎日、
「法施をライフワークにして、みんなを幸せにしよう」
と思っているキャラが、いつまでたってもライフワークにできず、ずっと悩みつづけている……
というイメージも見えません。
ムリに見ようとすると、嫌な気分になるはずです。
それは魂が納得していないということです。
この世は自分の納得のいかないことはおこりません(納得の法則)

わたしはよく、
「モモエさんはどのくらいでウツが治りましたか?」
「どのくらいで苦しみから抜けだせましたか」
という質問を受けます。
このような質問をされる方は
「“はやく”人間力を上げて、“はやく”苦しみから抜け出したい」
という気持ちが強いのだと思います。
だから私がどのくらいの“はやさ”で苦しみから抜け出せたのか気になるのだと思います。
このタイプの人は、ぜひ法施を日課にしてみてください。
自分が納得できる速さで成長できると思います。

とはいえ法施を日課にしているのに、あまり成長しない先生もいます(どこかのセミナーや宗教の先生とか…)
そのような人を見ると「法施なんてムダだ」と思われるかもしれません。
しかしそれは早計です。

なぜ彼らがあまり成長しないのかというと、法施の効果が低いからです。

法施とは“人間力をアップする方法を教えること”です。
どんな法施にも人間力をアップさせる効果はあります。
しかしその効果が低いほど、先生の成長度も低くなるのはもちろんです。
生徒の人間力が大してアップしなければ、先生の人間力も大してアップしないのは当然です。
つまり法施がムダなのではなく、法施の効果が低いことが問題なのです。
…などと書いている私自身、人をとやかく言えません。
もっと効果的な法施ができるようにがんばります^_^;

このように書くと、
「わたしには効果の大きい法施をするなんて無理だ。
 だから法施をしても大して成長できないだろう」
と思われるかもしれません。
しかしみなさんはすでにこのブログを読まれていますから、このブログに書いてあるていどのことは教えられます。
だからモモエていどのスピードで徳をつむことは可能です。
だからモモエていどのスピードで成長することも可能です。
それでは遅い!という方も、想造力しだいで、もっと早く成長できると思います。



●まちがいは計算のうち
人はカンペキではありません。
だから間違いを教えてしまうこともあります。
そのとき、
「まちがいを教えてしまった!
 やっぱりわたしには法施なんてムリだ!」
などと思っていては、永遠に法施はできません。
というか、そもそもこの世に“まちがい”はありません。

まちがいとは“より真実から遠い”ということです。
正しいとは“より真実に近い”ということです。

いくら正しいことを教えても、それは今の時点で正しいだけです。
成長すれば、より正しいことをひらめきます。
そうすると過去に教えたことは“まちがい”になります。

だから、まちがうことを恐れていては永遠に法施はできません。
今もっとも正しいと思うことを教えていれば、それでよいと思います。

まちがったときは、
「そのぶん100倍くらい正しいことを教えよう!」
とエネルギーに変えてしまうのがコツです。

まちがいは、より正しいことをひらめくために必要なステップです。
まちがうこともひっくるめて、すべては神の計算のうちです。



●相手に合わせて自分を変える
法施は、相手の性格や魂年齢に合わせると効果的です。
プライドが高い人ならプライドを傷つけないように、
魂年齢が幼そうな人なら、特別にやさしくていねいに…、
といった感じで、相手に合わせるのがよいと思います。

私のばあい、相手がチャラければ、こちらもチャラい部分を出したり、
相手がマジメなら、こちらもマジメな部分を出したり、
相手がオットリしていれば、こちらもオットリした部分を出したり……
と、自分の性質(波調)を相手に合わせるように意識しています。
これは自分にウソをついているわけではなく、もともと私のなかにある性質を出しているだけです。

わたしたちはワンネスですから、他人のなかにある性質は、かならず自分のなかにもあります。
だれにでもチャラい部分、マジメな部分、オットリした部分した部分はあるはずです。

自分の性質(波調)を相手に合わせると、
「コイツは仲間だ」
「この人は自分のことをわかってくれている」
と相手の共感をよんで(波調が共鳴して)、意見に同調してもらいやすくなります。

逆にそれをしないと、いくら正しいことを言っても、
「こいつはオレと人種がちがう」
「わたしの気持ちなんか分かるわけない」
と、心を閉ざされてしまいます。
それは波調が合っていないからです。

観音様は、聖観音・千手観音・十一面観音など、さまざまな姿に変化します。
これは相手の性質(波調)に合わせて法施をするため、自分を変えているのです。
わたしたちも観音様をみならって、臨機応変に変化することが大事だと思います。

もちろん100%別人になる必要はありません。
自然に変われる範囲で変わることが大切です。

「そんなにコロコロ自分を変えたら、変に思われないだろうか」
と心配になるかもしれませんが、その必要はありません。
自分では、かなり変わっているように思っても、他人から見れば大した変化ではないからです。
ただ、
「この人は誰とでも話ができる、コミュ力の高い人だな」
と思われるくらいだと思います。
これは実際、実験※してみればわかると思います。

というか、まわりに違和感を与えるほどの変化は“やりすぎ”です。
バランスゲームに失敗しています。
そこまで変わる必要はありません。

名司会者といわれる人は、相手に合わせて上手に自分を変えています。
チャラい芸人、おとなしい女優、マジメな知識人…などなど、相手の波調に合わせて、自分の波調をビミョーに変えています。
彼らはバランス感覚が良いので、まわりに違和感を感じさせません。
むしろ見ていて心地よさを感じます。

しかしバランス感覚の悪い人は、変に変わりすぎて違和感を感じさせます。
逆に変えなさすぎて“頑固おやじ”“意固地な子ども”“コミュ力のない人間”になってしまいます。


人に合わせて自分を変えない人は、逆に、
“人によって態度を変えるイヤなやつ”
と思われがちです。
それは、自分と波調の合う人には調子よく対応して、合わない人にはそうしないからです。
相手からしたら、
「アイツとは楽しそうに話すのに、自分には無愛想にする。
 こいつは人によって態度を変えるイヤなやつだ」
などということになります。

逆に、相手に合わせて自分を変えられる人は、、
“誰に対しても態度を変えない人”
“みんなに平等に対応する人”
に思われやすいです。
それは、誰に対しても波調を合わせて、うまく対応することができるからです。

実際、わたしはこの方法で、
「モモエは誰にたいしても態度が変わらない。感じが良い」
と言われるようになりました。

しかし、
「人に合わせて自分を変えるなんて八方美人だ!
 自分にウソはつきたくない!
 自分に正直に、ありのままの素の自分でいるんだ!」
と思っていたころは、自分でもわかるくらい
“人によって態度を変えるイヤなやつ”
になっていました。
波調の合う人には調子よく対応するくせに、合わない人には無愛想にしていたからです。
当然、そのころは人間関係がうまくいかず、敵も多かったです(だからウツでした)
しかし今の私の人生には、敵が一人もいません。
だから天国のような毎日です。

“相手に合わせて自分を変えない人は、相手によって態度が変わる”
“相手に合わせて自分を変える人は、誰に対しても態度が変わらない”
神はこのようなトリックが大好きです。



●演技力をつける
この世は演劇ごっこです。
私たちの本性は神で、それが山田太郎とか鈴木花子とかの役をやっています。

うまく自分を変えられない人は、この事実に対する自覚が低いといえます。
つまり、
「今、自分は演技中だ」
という自覚が低いため、自分をうまく演出することができないのです。
むしろ、
「演技することは悪いことだ。
 それは人をダマすことであり、自分をいつわることだ」
とカンちがいしています。

もちろん、悪意で人をだます演技はNGです(サギとか)
しかしそうでなければ積極的に“演じる”べきだと思います。

なぜならそもそも、この世は演劇ごっこだからです。

だから人間力が高いほど、言動が自然で、洗練する傾向があります(名優のように)
人間力の低いほど、言動が不自然で、挙動不審で、やぼったくなる傾向があります(だいこん役者のように)
みなさんの知っている人を思い浮かべれば、思い当たるフシがあると思います。

とはいえ、あくまで傾向ですので、一概にはいえません。
タレントや講師など、日ごろから人前に立つことの多い人は、人間力が低くても、言動が洗練されることがあります。
俳優やサギ師など、普段から演じることの多い人も同様です。

ともあれ、挙動不審にならず、自然に変化するためには、
「今、人生ドラマで演技中なんだ」
という意識をもつことが大切です。
この意識の低い人は、まるでドラマの撮影にまぎれこんだ一般人のように、不自然でヤボったい言動になってしまいます。

しかし「この世は演劇ごっこである」という自覚をもっていても、不自然な言動になることがあります。
それは“演技力”が不足しているからです。
つまりは“ダイコン役者”だからです。
ダイコン役者は、うまく自分を変えることができません。
名優のように、洗練した言動をとることができません。

しかし心配ご無用です。
どんなダイコン役者でも、日々練習していけば、だんだん名優になっていきます。
俳優が演技の稽古をするように、私たちも意識的に演技の稽古をすることが必要なのです。


ここで言う“演技”とは“自分をいつわる”という意味ではありません。
“自分を洗練させる”という意味です。
つまり、演技の練習とは、より洗練された身なりや言動を練習するということです。
ここをカンちがいすると、
「演技することは自分をいつわることだ。だから悪いことだ」
というトラップにハマってしまいます。
そうすると、自分をうまく変えられず、観音様のような法施もできません。



●わたしの目標
わたしは以前まで知恵袋を日課にしていました。
そこで法施をするうちに、いろいろな独自法を見いだすことができました。
それを知恵袋に書ききれなくなったため、ブログにまとめることにしました。

ブログを読むとわかると思いますが、根本的に悩みをなくすには、たくさんの知恵が必要です。
しかしそれらを、ひとりひとりに教えていくのは時間がかかりすぎます。

そこで私は“これさえ読めば悩みをなくせるブログ”をつくろうと思いました。
完全に悩みをなくすことはムリでも、なるべくそれに近いものをつくりたいと思いました。
そうすれば、より短時間で多くの人を幸せにすることができます。
私が死んだあとも、無限の幸福を生み出しつづけることができます。

私は生きているうちに、できるだけ多くの知恵を書き残し、ブログを完成に近づけたいと思っています。



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