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愛を感じる

2013.09.23.13:52

今に生きるためには、愛が一番です(愛が一番 Ctrl+F検索)
イヤな気分になったときは、愛不足のサインです。
愛が不足すると、そのすきにエゴが入りこんできます。
でも、そこで愛を出せば、またポジティブな気分にもどることができます。
つまり魂は、愛不足→愛を出す→愛不足→愛を出す…というリズムゲームであそんでいるのです。
これは自然法則なので「私には愛がない…」と自己嫌悪するのはナンセンスですね。

愛を出すにはコツがあります。
それはまずはじめに“愛を感じる”ことです。

なにもしてもらってないのに「感謝(=愛)してよ」といわれても、なかなかできないと思います。
なにもしてくれない人に「いつもありがとう」と言うのも、むずかしいと思います。
でも、なにかしてもらったときは、自然に感謝することができます。
プレゼントをもらったときは、カンタンに「ありがとう」ということができます。
それは魂に“愛を感じると愛が出る”システムがそなわっているからです。
これはいわゆる条件反射です。
愛を感じれば、反射で自然に愛がでます。
だから変に力まなくても、ラクラク愛に生きることができます。

「自分はひとりだ。だれからも愛されてない」
「わたしは犯罪者だ。みんなから嫌われている。守護霊もあいそつかしているだろう。だから不幸なんだ」
という人でも心配いりません。
わたしたちはみんな神の子です。
神様はだれでも等しく愛をあたえてくれます。
もっと神様を信頼して、安心してください。

太陽は「暑い」「紫外線が悪い」と文句を言われても、たえまない愛を私たちにそそいでくれています。
地球はいくらイタめつけられても、無償で豊かな資源をあたえてくれています。
今つかっているパソコンやケータイは、そうした自然霊の出す愛の波動でみちています。
こうして文字が読め、パソコンができるのは、体細胞(自然霊)の愛が、からだを動かしているからです。
自由な時間をもち、自由に物事を学べるのも、だれかの愛がそうみちびいてくれたからです。
このような状況はあたりまえではありません。
誰かの意図的な愛があってこその状況です。
それは守護霊だったり指導霊だったりご先祖様だったりします。

私たちは一分一秒あふれるような愛をそそがれています。
そのことに、まず“気づく”ことが大事です。
その愛を“感じようとする”ことが大事です。
そうすれば自分のなかから自然に愛(感謝)があふれてきます。

愛を感じる対象は何でもOKです。
思いつくかぎりのモノや状況から愛を感じます。
歩いているときウツ(=エゴ)になったら、地面から愛を感じます。
空を見上げて、大いなる愛を感じます。
胸いっぱい深呼吸して、大気にみちた愛を吸収します。

歯みがきがダルいな~と思ったら、歯ブラシから愛を感じます。
洗濯がダルいな~と思ったら、洗濯物から愛を感じます。
すると、
「ありがたいなあ」
「わたしはなんて恵まれているんだ」
「クヨクヨ波動汚染なんかしてられない」
「この愛をかえさなきゃ!」
という愛の波動がわいてきます。

愛を感じることがむずかしければ、“愛を感じようとする”だけでOKです。
まず“愛を感じようとすること”
これをやれば、24時間ラクに今に生きられます。



●鬼にの目にも愛

相対性で考えれば、どんなものにも愛を感じられます。
イジワルな人、思いやりのない人にも愛を感じることができます。
たとえば私はイジワルな人をみると、
「この人は、ずいぶんやさしくなったなぁ」
と思います。
その人の魂に愛のいぶきを感じます。
なぜならその人の前世をイメージすると、今とは比較にならないくらいのイジワルっぷりが見えるからです。

人はだれでも成長する生きものです。
どんなに愛のない人でも、昔よりは愛が育っています。
たとえば今世で言葉の暴力をふるう人なら、前世は肉体的な暴力をふるっていたはずです。
戦時中なら、部下に体罰しまくる鬼軍曹だったことでしょう。
中世ヨーロッパなら、魔女狩りで拷問殺人する鬼役人だったことでしょう。
わたしはイジワルな人をみると、そのような情景をありありとイメージします。
すると、
「この人はずいぶんやさしくなったなあ」
「むかしにくらべれば、まだ愛があるなあ」
「今世では前世ほどひどい体罰をくわえないでくれてありがとう」
と、心の底から愛(感謝)を感じることができます。
このような習慣をもつと、人生の苦しみ(=エゴ)がグッと減ります。
愛はエゴを相殺するからです(逆位の波動


●愛をめぐらす

たとえばわたしは料理中に「しんどい」「めんどくさい」とネガティブ気分がでてきたら、すぐに食材や道具から愛を感じます。
私たちのために奉仕してくれている野菜やマナ板の愛を感じます。
すると「ありがとう」という感謝(愛)のこころがわいてきます。
それを相手にかえすことで、愛の循環がうまれます。
自分とモノのあいだで愛がめぐります。
すると血のめぐりならぬ愛のめぐりが良くなります。
血のめぐりを良くすればからだが健康になるように、愛のめぐりを良くすれば心が健康になります。
心が悩んでいるときは、愛のめぐりが悪くなったときです。
そんなときは、いま触っているもの、目にみえるもの、目には見えない自然霊など、思いつくかぎりのものと愛をめぐらせてみてください。
そうすれば、だんだん心が健康になっていきます。


●愛は味覚を変える

わたしは愛を感じるようになってから、食べ物の好き嫌いがなくなりました。
前は食べられなかったものでも、その食材の愛を感じれば自然に「ありがとうございます!ぜひいただかせて頂きます!」と思えてしまいます。
吐き気をもよおしていたものですら、難なく食べられるようになっています。
愛は味覚さえも変えてしまうのです。

人と同じように、食材にも命があります。
命あるものを「これニガテ」「ちょっとおなかいっぱい」くらいの理由で捨ててよいものでしょうか?
相手の愛を感じれば、そんなことはできないと思います。


わたしは、パーティーなどで大量のザンパンを目にすると、つい怒りや罪悪感を感じます。
しかし食材の気持ちになってみれば、むげに捨てられるうえ、ネガティブな波動(罪悪感など)をあびせられては、たまったもんじゃありません。
なので私は、
「捨てることになってしまって申し訳ありません。
でもおかげで豊かで楽しいときをすごすことができました。
この世に生まれてきてくださって、ありがとうございます」
と、謝罪にくわえて、よろこびと感謝の波動をおくるようにしています。

人づきあいでは体に悪そうなものをふるまわれることもあります。
しかし、どんなものにも神の愛はあふれています。
油にも砂糖にも添加物にも神の愛がみちています。
それを感じれば
「油が悪い、砂糖が悪い、添加物が悪い」
などとネガティブな波動を出さずにすみます。
もちろんできるだけ体に悪いものを食べないことは大切です。
しかし神のシナリオで食べる運命にあるのなら、その状況を否定せず、肯定することが大事です。
だからわたしは
「おかげさまで安く手軽に食事を楽しむことができています。
豊かで楽しい人生を与えてくださってありがとうございます(^_^)」
と、愛の心でおいしくいただいています。

とはいえ、極端にカラいもの、極端にニガいもの、アルコール・アレルギー・ゲテモノなど、どうしても無理なものもあると思います。
無理をすることは、自分への愛を欠くことです。
ザンパンの愛を感じすぎて、残りものを食べすぎることも、自分への愛を欠くことです。
自己愛と他者愛のバランスゲームも忘れないでくださいね。



●体細胞の愛を感じる

わたしは体調不良にみまわれたら、すぐに体から愛を感じます。
体に痛みを感じたら、すぐに体細胞から愛を感じます。

もちろん健康なときも感じていますが、不健康なときは“愛を感じようキャンペーン”期間です。
だからより念入りに愛を感じ、愛を返し、愛のめぐりを良くしています。
そうすれば、からだに愛のエネルギーがいきわたり、回復が早くなります。

体細胞はわたしたちのために昼夜問わずはたらいてくれています。
偏食、夜更かし、ネガティブ思考などでイタめつけられても、私たちのために一生懸命はたらいてくれています。
その愛を感じれば
「ここが悪い、あそこが悪い」
「前よりマシだけど、まだここが悪い…」
「シワが…シミが…」
などの文句はなくなります。
逆に「いつもわたしのために働いてくれてありがとう」
「体細胞さんにムリさせないよう、悪い習慣をあらためよう」
と、愛をかえせるようになります。
その結果として、自然に美しく健康になれてしまいます。

体細胞はできるかぎり私たちを、美しく健康にたもとうとがんばってくれています。
だから「また髪がぬけた…」「またシワがふえた…」などと不満を思うと、自然霊の声がきこえる人には
「わたしたちは、これでも精いっぱい、からだの修復につとめています!」
といった体細胞の声がきこえるようです。

日ごろ愛を感じている人でも、愛に限界はありません。
もっともっとガンガン愛を感じまくって、ついには愛と一体化して、神様(のような人)になってしまいましょう!



●愛を感じれば掃除もラクラク

わたしはモノを粗末にしたり、分別せずにポイしたりすることができません。
こわれたモノも、神の美観のゆるすかぎり、修理して使います。
これは無理してそうしているのではありません。
モノの愛を感じると、自然にそうなってしまうのです。

愛を感じれば、モノをテキトウに扱うことができなくなります。
自然に丁寧にあつかえるようになります。
だから無理に努力しなくても、紳士淑女的な優雅な動作になってしまいます。

わたしは以前まで掃除がニガテでしたが、愛を感じることで、自然に掃除ができるようになりました。
モノをグチャグチャにしておけるのは、モノの愛を感じていないことが大きな原因だったのです。
愛を感じれば、自然に整理整頓できてしまいます。
モノが心地よくいられるように、キレイに清潔にしてあげらるようになります。
モノにも心があります。だれだって乱雑にされたり、不潔にされるのはイヤなものです。

トイレなど不潔な場所も、相手の気持ちにシンクロして愛を感じれば、
「いつもありがとうございます!」
という気持ちになって、愛のパワーでラクラクお掃除できてしまいます。
もちろん、すべてのモノにカンペキな愛をかえすことは不可能です。
逆に、カンペキに掃除しようとすることは、自分に無理させることであり、自分への愛を欠くことになります。
バランスゲームに失敗した状態です。
プロの清掃業者は限りなく100%を目指したほうが良いでしょうが、それでも病的にならないように注意が必要ですね。

食事と同じく掃除も、自己愛と他者愛のバランスゲームです。

わたしたちは同時平行でたくさんのゲームをあそんでいます。
“愛を感じるゲーム”のほかに“バランスゲーム”であそんでいることも忘れないでください。



●小我の愛と大我の愛

小さな愛を感じすぎると“小我の愛”になります。
たとえば、ひとつひとつこまごました愛を感じすぎると、モノが捨てられなくなります。
そうすると家という大きなモノがゴミやしきになってしまいます。
でもそこで“大我の愛”になって、家という大きなモノの愛を感じれば「家さんを汚くしてはもうしわけないな」
と、ほどよいバランスでモノを捨てられるようになります。
さらに大きなモノ(地球や宇宙)の愛を感じれば、
「ごみ屋敷で波動汚染してはもうしわけないな」と、さらにいさぎよくモノを捨てられるようになります。
モノのない部屋は掃除の必要がないので、自然にキレイになってしまいます。

このように、愛には“小我の愛”と“大我の愛”の2つがあります。
どちらにもかたよることなく、両者のバランスゲームを楽しむことが大切です。



●合コンのたとえ

たとえば、男10人、女2人(わたし+美人A子)で合コンしたとします。

男性たちはA子にむらがって、わたしには見むきもしません。
わたしがガッカリしていると、ひとり私に話しかけてくれるBさんが現れました。
しかしわたしは「どうせお情けでしょ」とイジケたり
「A子がうらやましい…」と嫉妬したり
「わたしはなんでブスにうまれたんだ…」と劣等感をかんじたり
「A子め、いい気になりやがって…」と憎んだり
「こんな合コンこなきゃよかった…」と後悔したりしています。
Bさんの親切心(=愛)を感じず、自分のことばかり考えています。
こんなことをしてはBさんすら私のもとを去ってしまうでしょう。

ネガティブなとき、人はだれしもこの合コンと同じことをしています。

この世のありとあらゆるモノは、一分一秒わたしたちに愛をあたえてくれています。
わたしたちのために無償で奉仕してくれています。
なのにわたしたちは、それを感じず、不安、怒り、劣等感など自分のことばかり考えています。

悩み苦しみをなくすためには、このようなエゴ状態からぬけだし、Bさんたちの愛に気づくことが大切です。







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