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100%ゲーム感覚

2014.03.15.17:43

「人生はゲームみたいに軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
「人生をゲーム(あそび)感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった考えは正しいように思えますが、これもトラップ意識です。
なぜなら、この世はそもそも神のゲーム(あそび)だからです。
100%ゲーム(あそび)感覚になれば苦悩することはありません(あたりまえですが)
100%ゲーム(あそび)感覚とは、神の感覚そのものです。

しかし、
「人生はゲームのように軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
と思っている人は、まちがいなく苦悩します。
人生を大げさにとらえて深刻になるからです。

また、
「人生をゲーム感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった考えはオトナな考えに思えますが、じつは幼い考えです。

幼い魂は、
「人生はゲームだ」
などと言われれば、それこそゲーム感覚で罪をおかし命を粗末にするおそれがあります。
また彼らは、
「人生はゲームなんだ! じゃあゲーム感覚で好きにあそんで生きてやる!」
と思っても、なかなか思うようにあそべません。
なぜなら彼らがあそぶと悪いカルマをつくりやすいからです(怠慢、自堕落、人に迷惑をかける…etc)
それらが返ってくるので彼らは苦悩しがちです。
外面はあそんでいるようでも内面はあそべてないことが多いです。

だから幼い魂には、
「人生はゲームのように軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
「人生をゲーム感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった理論も必要だといえます。
小、中、高校生…と、成長度によって必要な学びがちがうのと同じです。

だから魂が幼そうな人に“人生はゲームだ論”を説くのはおひかえください。

しかしブログに書いてあるようなことを理解している人が、いつまでも幼い理論にとどまる必要はありません。
“人生はゲーム(あそび)である”
といった次の理論に進むことをオススメします。
あるていど神の法則を理解すれば、そのような理論が自殺や犯罪につながることはありません。

幼児がナイフを使うのは危険ですが、オトナが、
「ナイフは危険だから使わない」
では情けないです。

同じように、幼い魂に、
「人生は100%ゲーム(あそび)だ」
といった思想は危険ですが、あるていど成長した魂が、
「そんな考えは危険だ」
というのは、たんなる臆病です。
もしくは意固地か、意識改革をめんどくさがる怠慢です。

「ワ~イ♪ 人生はあそび(ゲーム)なんだ♪ じゃあ気楽に生きていこう(^^)v」
…とコドモのような意識でいる人は、人生に深刻になりません。
なにが起こっても、
「たかがアソビ(ゲーム)だ(・∀・)♪」
と余裕のよっちゃんでいられるからです。

余裕とは車のハンドルでいうところの“あそび”です。
“余裕=あそび”です。
心に余裕(あそび)のある人は、小さなことでイライラしません。
つねに悠然としたオトナな態度でいられます。

かたや、
「人生はあそび(ゲーム)じゃない。もっと重大なものだ」
といった未熟なオトナ理論の人は、人生に深刻になりがちです。
いつも心がふさがっていて余裕がありません。
だから小さなことでイライラするコドモのようになってしまいます。

未熟なオトナ理論は、あくまで未熟な魂むけの方便です。
あるていど成熟した魂にとってはトラップ意識になります。

つまり、
「人生はゲームじゃない。もっと重大なものだ(-"-)」
といったオトナな考えが、じつはコドモな考えで、
「ワ~イ♪ 人生はたんなるゲームなんだ(^^)♪
 じゃあとことんゲーム感覚で生きちゃおう♪」
といったコドモな考えが、じつはオトナな考えだった…
という逆転劇ですね。


●あそべばあそぶほどマジメになる
わたしは以前まで、
「もっとマジメに生きたい」
と思っていましたが、なかなかそうできませんでした。

たとえばマジメに働きたいのに、ふらふら離席したりネットサーフィンしたりして、なかなかマジメ働くことができませんでした。
ときにそのような休息も必要ですが、わたしのばあい、
「もっとマジメに働けるはずだ」
と自分に納得できていませんでした。
しかし今はあるていど納得できるマジメさで働けるようになっています。

今のわたしを外から見れば“かなりマジメ”に見えると思います。
しかしそれはトラップです( ̄ー ̄)ニヤリ
なぜなら私はマジメどころか、ほとんどゲーム(あそび)感覚で働いているからです。
外から見たらマジメでも、中はある意味、チョー不まじめです。

わたしは働きながら頭のなかで、
「これはマラソンゲームだ♪
 ランナーズ・ハイがくるまで止まらず走りつづけよう♪」
「これは集中ゲームだ♪
 集中モードに入って時間がたつのを忘れよう♪」
「これは“仕事を楽しむゲーム”だ♪」
 あの手この手で仕事を楽しむぞ♪」
など、いろんなゲームであそびまくっています。

また、
「キャッホー! ノッてきた♪」
「メチャおもしろい♪」
「ランナーズハイきたキタ━(゚∀゚)━!」
などフザけたコトバを連発しまくっています(もちろん頭のなかで)

わたしが不まじめだったころは、、
「仕事はアソビじゃない!」
「もっとマジメにやれ!」
などの“いわゆるマジメな意識”で自分を調教していました。
しかしそのような意識では、なかなかマジメになれませんでした。
なぜなら“いわゆるマジメな意識”からはキビしくツラい波動が出ているからです。
キビしくツラい波動をあびると、
「つらい、しんどい、もうイヤだ…」
といったキビしくツラい波動(気分)になってしまいます。
これではマジメどころかネガティブな波動をまきちらす不良です。

ネガティブな気分(波動)のまま、最高のパフォーマンスで働きつづけるのはムズカシイです。
一時ならともかく、毎日、長時間にわたって高いパフォーマンスを持続するのはムリだと思います。
(たとえできたとして、それはツライものだと思います)
わたしなど15分ももちません。
「つらい、しんどい、もうイヤだ…」
と、すぐに低パフォーマンス(不まじめ)になってしまいます。

そんなわたしでもゲームとなればハナシは別です。
ゲームなら毎日長時間まじめにプレイすることができます。
集中して高いパフォーマンスでプレイし続けることができます。

仕事だと30分も集中していられないのに、ゲームなら何時間も集中できる人は多いと思います。
チョー自堕落な人が、パチンコ、競馬、釣り、モバゲーなどには、長時間マジメに取りくんでいるのをよく見かけます。
人間的にはイマイチでも、芸術やスポーツなら真剣にとりくめる人も多いと思います。

というかぶっちゃけ、
“どんな不マジメな人でもアソビやゲームならマジメになれる”
といえます。
もっといえば、
“100%ゲーム感覚にならないかぎり100%マジメにはなれない”
とすらいえます。

人は心があそぶと体感時間が速くなります。
好きなテレビを見ているとき、好きな本を読んでいるときなどは、だれしも時のながれが速くなると思います。
逆に心があそんでないと体感時間がニブくなります。
イヤイヤ仕事しているとき、拷問を受けているときなどは、10分が1時間にも感じられるはずです。
これはアインシュタインの相対性理論のたとえでも有名です。

わたしは絵を描くのが好きなので、いったん描きはじめるとスグに数時間たってしまいます。
なので私は仕事をするときこの感覚を思いだすようにしています。
まったく同じ感覚はムリでも、
「あのお絵かきアソビの感覚になろう♪」
と思うだけで、あるていど体感時間を速められます。
だから、
「えっ、もう○時間たったの?」
という感じでアッというまに退社時間になってしまいます。

そんなわたしを表面的にみれば、
“長時間マジメに集中して働ける人”だと思います。
しかしその内実は、
“短時間ゲームに夢中であそんでいる人”なのです(逆転劇)

これは仕事だけでなく、あらゆることにあてはまります。
わたしは健康・金銭・人間関係など、いろんな面でマジメ(当社比)に生きていますが、それはわたしの意志が強いからではありません。
生まれつきマジメだからでもありません。
「すべてのこと100%ゲーム感覚でとりくもう♪」
と思っているからです。
それは、
「なにごともゲーム感覚でとりくんだほうがいいよね」
という中途半端なものではありません。
「すべてのことに100%ゲーム感覚でとりくむべきだ!」
と思っています。
気やすめに、
「なにごともアソビだと思ったほうがいいよね」
というのではありません。
宇宙はそもそも神のアソビです。
「アソビと思ったほうが良い」
のではなく、そもそもがアソビなのです。
だから、
「100%アソビと思うべき!」
と思っています。

なかなかゲーム(あそび)感覚になれない人は、
「人間関係をゲーム感覚でとらえるなんて不謹慎だ!」
「金銭をあそび感覚であつかうなんて不謹慎だ!」
などのトラップ意識(罪悪感)が強いのかもしれません。
しかし不謹慎なのは、
「人間関係なんてしょせんゲームでしょ(-o-)
 だから真剣になるのはバカらしい(-o-)
 テキトーにゲーム感覚であそべばいい(-o-)」
「カネなんてしょせんマボロシだ(-o-)
 マネーゲームの道具にすぎない(-o-)
 だからゲーム感覚でテキトーにつかってかまわない(-o-)」
…とネガティブな波動(ネガティブキャラ)になっているときだけです。
逆に、
「人間関係なんてしょせんゲームでしょ(^^♪
 だから深刻になるなんてバカらしい(^^♪
 テキトーにゲーム感覚であそべばいい(^^♪」
「お金はしょせんマボロシだ(^^♪
 マネーゲームの道具にすぎない(^^♪
 だからゲーム感覚でたのしくつかってかまわない(^^♪」
…とポジティブな波動(ポジティブキャラ)になっているときは大丈夫です。
同じことを思っても、ネガティブキャラ(不幸になりそうなキャラ)か、ポジティブキャラ(幸せになりそうなキャラ)かで、運命はまったく異なります。
不幸になりそうなキャラは、どんなに正しいことをしても不幸になります。
幸せになりそうなキャラは、なにをやっても幸せになります。
“正しいこと”を“不幸になりそうなキャラ”でやらないように注意しましょう。
納得の法則・キャラクターの法則

また、なかなかゲーム(あそび)感覚になれない理由として、
「100%ゲーム感覚になったらダメ人間になってしまうのではないか…」
といったトラップ意識もあると思います。
しかしダメ人間になるおそれのあるのは、神への理解が低い人だけです。
ブログに書いてあるような法則を理解している人に、そのようなおそれはありません。

もちろんゲーム(あそび)感覚になればオールOKというわけではありません。
総合的な人間力のアップは必要です。

またここでは便宜上“完全・100%”といった表現をつかっていますが、そのような状態はありえません(ユダヤの法則/ファジーの法則)
だから、
「どうしても100%ゲーム感覚になれない~(T_T)」
というのはナンセンスです。
「100%ゲーム感覚をめざそう!」
と思うこと大切です。



●すべてゲーム
人はカンペキではないので、100%ゲーム(あそび)感覚になるのは不可能です。
100%ゲーム感覚になるということは、神そのものになるということです。
人間であるかぎり、どうしてもゲーム感覚になれない部分は残ります。
そしてその部分はどうしても苦悩することになります。
…といっても大丈夫です。

みなさんストレスという言葉をご存知だと思いますが、ストレスには“快いストレス”と“不快なストレス”があります。
快(こころよ)いストレスとは、ゲームを楽しんでいるときに感じるようなストレスです。

人はゲームで遊びながら、不安・焦り・恐怖・迷い・悩み・イライラなど、さまざまなストレスを感じています。
敵を倒せるか不安になったり、制限時間に焦ったり、ジェットコースターで恐怖したり、迷路で迷ったり、クイズで悩んだり……
といった感じです。
これらのストレスは不快なものではなく、快いものだと思います。
だから人はお金を払ってでもゲームをしたがるのです(程度や種類に個人差はありますが)

ストレスのないゲームはゲームとしてなりたちません。
(快い)ストレスがあるからこそゲームはおもしろいのです。
トラップ意識もいわばストレスです。
それを快くするか不快にするかは、その人しだいです。

不快なストレスとは、いわば“苦悩”のことです。
ただ苦しいだけで一刻も早くなくしたいタイプのストレスです。

不快なストレス(苦悩)をカンペキになくすことはできません。
だから、
「悩み苦しみをなくしたい(T_T)」
などと不可能なことを思わないことが大切です。

わたしへのメールで、
「ネガティブ思考(=苦悩)をなくしたい」
「どうしたら悩み苦しみをなくせますか?」
といった不可能なご要望・ご質問をされる方がいらっしゃいますが、このタイプの人は、
“苦悩をなくす or なくせない”
といった2進法からぬけだす必要があります。
かわりに弁証法で考える練習をすることが大切です。
弁証法Ctrl+F検索

今回の例を弁証法で考えると、
・不快なストレスを“なくす or なくせない”という2進法から
             ↓
・不快なストレスを“快いストレスに変える”という第3の方法が見いだせます。

ではどうすれば、不快なストレスを快いストレスに変えられるのでしょうか?
そのコツは、
“すべてゲーム”
だという真理を思いだすことです。

人生・ことば・数・リズム・バランス・時間……
などなど、この世には無数の概念がありますが、それらはすべてゲーム(あそび)です。
人生ゲーム・ことばあそび・数あそび・リズムゲーム・バランスゲーム・時間ゲーム……
といった感じです。
このブログの記事も、
ギブギブゲーム、今に生きるゲーム、人を思いやることに意識を集中するゲーム…
といった感じで、すべてゲームになっています。

木・石・怒り・悲しみ・立つ・座る…
といったゲーム(あそび)になりそうもない概念も、それぞれ深く掘りさげれば、それだけで書籍になるほど“おもしろい”世界が広が

っています。
“おもしろい”と感じた時点でそれはもうアソビです。

つまり、この世のすべてが神のアソビでありゲームなのです。

「どうしてもネガティブ思考してしまう(T_T)」
と苦悩する人は、モンスターハンターをしながら、
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
と苦悩するのと同じです。
実際モンハンをしながら
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
などと苦悩する人はいません。
なぜなら、
「そもそも自分はモンスターを狩るゲームをしているんだ」
ということを自覚しているからです。

「自分はモンスターを狩るゲームをしているんだ」
と自覚している人が、
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
などと苦悩することはありません。

それと同じで、
「そもそも自分はネガティブ思考を刈るゲームをしているんだ」
と自覚すれば、
「どうしてもネガティブ思考が出てきてしまう(T_T)」
などとトンチンカンなことで悩まなくなります。
むしろ次から次にわいてくるネガティブ思考を、ゲーム感覚で刈りとっていくことができます。

他にも、
「どうしても今に生きられない(T_T)」
と苦悩しているときは、そもそも“今に生きるゲーム”をしていることを忘れています。
そのときは、
「そもそも自分は“今に生きるゲーム”をしているんだ」
と自覚すればOKです。
そうすれば、
「今に生きられない(T_T)」
という苦悩(不快なストレス)が、快いゲームストレスに変わります。

「快いゲームストレスに変えられない(T_T)」
と苦悩しているときは、そもそも“快いゲームストレスに変えるゲーム”の最中だということを忘れています。
そのときは、
「そもそも自分は“快いゲームストレスに変えるゲーム”をしているんだ」
と自覚すればOKです。

「なかなかゲームをしていると自覚できない(T_T)」
という苦悩なら、そもそも“ゲームしていることを自覚するゲーム”の最中だということを忘れています。

「どうしても苦悩からぬけだせない(T_T)」
という苦悩なら、そもそも“苦悩からぬけだすゲーム”の最中だということを忘れています。

それらのことに気づいたら、自分がゲーム中だということを自覚すればOKです。

“すべてゲーム”
だということを思いだせば、悩み苦しみが少なくなります。
なぜなら神はゲームそのものだからです。

「これはゲームだ(><)」
とムリヤリ思いこむのではありません。
「あっ、これはゲームだった( ゚∀゚ )」
と、思いだせばOKです。



●「これはトラップ意識だ!」と自覚する

以前のわたしは、
「この世はバーチャルゲームだ」
と思っているにもかかわらず、
「人間関係でゲーム感覚になるのはイケないことだ」
というトラップ意識にハマっていました。
それは自分にそんな意識があると気づいていなかったからです。
ぼんやり気づいたとしても、
「これはトラップ意識だ!」
「これはトラップゲームだ!」
と自覚していなかったからです。
だからトラップを解くことなく 無意識に放置していました。

当然そのころの私は人間関係に苦悩していました。
たとえば、
・変なプライド(くやしい・はずかしいなど)で ギブギブできないことがある
・感情(怒り・不安・優越感・変なプライドなど)をおさえられず 人にイヤな思いをさせることがある
…といった感じです。
つまり感情にあやつられて自分をコントロールできない状態でした。

少々の感情なら気力でどうにかなりますが、強い感情を気力でコントロールするのは不可能です。
たまにコントロールできても精神的にかなり疲れると思います。

以前のわたしは感情を気力だけでおさえようとしていたため、なかなかうまくいきませんでした。
いつも気を張っていたため人間関係に気疲れていました。
しかし、
「人間関係でゲーム感覚になるのはイケないことだ」
という意識に気づき、
「これはトラップ意識だ!」
と自覚してからは ちがいます。
自覚してからは それをトラップゲームとして解除できたため、
「人間関係も たかがゲームだ(^^♪」
と気楽に とらえられるようになりました。
だから変に気を入れることがなくなり、気疲れが激減しました。



●自分をコントロールするコツ

同時にネガティブな感情も激減しました。
なぜならゲームのキャラクターに本気でネガティブな感情(憎しみ・変なプライドなど)をもつことはないからです。
多少もったとしても大したことはありません。

たとえばモバゲーで、
1:キライなキャラA子に笑顔ではなしかける
2:くやしいからムシする
という選択肢があったらカンタンに1をえらべるからです。
「キライな人にも笑顔で話しかけるんだ!!がんばれ自分(><)」
などと気力をふりしぼることはありません。
ラクに自分をコントロールできます。
これがすなわち“ゲーム感覚”です。

自分をコントロールするには この“ゲーム感覚”になることが必須です。
逆にゲーム感覚にならない限り自分をコントロールするのは不可能だといえます。



●ゆらぎのゲーム

ゲーム感覚は永遠にはつづきません。
いちどゲーム感覚になってもまた いつもの感覚に戻ります。
(正確には“いつもの感覚=幻惑感覚”です。
 “いつもの感覚”は、ゲーム感覚(=神本来の感覚)を忘れて幻惑した状態です)

ゲーム感覚が続かないのは宇宙の法則(リズムや波動など)によるものです。
波動がゆらぐように わたしたちの意識も、
通常感覚~ゲーム感覚~通常感覚~ゲーム感覚……
と つねにゆらいでいます。
だから、
「ゲーム感覚がつづかない(><)」
という悩みはありえません。
幻惑(いつもの感覚)を楽しみつつ、
“幻惑する~我に返る~幻惑する~我に返る~”
というゲームシステムを楽しむのが良いと思います。

わたしは これを“催眠術ゲーム”としても楽しんでいます。
たとえば一度ゲーム感覚に目覚めても、神の催眠術で幻惑におちいります。
そのことに気づいたら、
( ゚д゚)ハッ!
と催眠術をといてゲーム感覚に目覚めます。
そうしてゲーム感覚に目覚めても神の催眠術で ふたたび幻惑におちいります。
そのことに気づいたら、
( ゚д゚)ハッ!
と催眠術をといてゲーム感覚に目覚め……
といった感じです。

幻惑は楽しむことが大事ですが、どうしても あるていどの苦しみ(ゲームストレス)を感じます。
だから「もうこんなゲームはいやだ!」と思うこともあるかもしれません。
しかし その苦しみは永遠ではありません。
ゲーム感覚になればなるほどゲーム感覚%は上がり、幻惑%は下がっていきます。
以前のわたしはゲーム感覚1%くらいでしたが、今は80%くらいになっていると思います(当社比)
そのぶん幻惑%が下がっているので、今は大して苦しくありません。
むしろ幻惑を「おもしろい♪」と思えています。

ゲーム感覚を高めれば高めるほど自制心も高くなります。
感情をおさえ自分を自由にコントロールできるようになります。
それは神がゲームそのものだからです。
ゲーム感覚を高めるということは神に近づくことです。
100%ゲーム感覚とは神の感覚そのものです。



●具体的にゲームをやる

ゲーム感覚になる呪文は「ゲーム感覚」です。

「ゲーム感覚」
と思えば なんとなくゲーム感覚になれると思います。

しかしそれではゲーム感覚になれないときもあります。
たとえば強烈に憎い人を前にすると、
「ゲーム感覚、ゲーム感覚…」
と思っても、
「憎い!殺したい(|||゚Д゚)!!!」
とネガティブな波動が強すぎて とてもゲーム感覚になれないかもしれません。

その原因に“ゲーム感覚”というコトバ(呪文)の弱さがあります。
“ゲーム感覚”
という概念が わりとボンヤリしているため、呪文としての効果が弱い面があるのです。

たとえば、
「ゲーム感覚になってください」
といわれても、人によっては、
「それってどんな感覚?
 具体的にどうすればいいの?」
と、なかなかゲーム感覚になれないと思います。

そのようなときは“ゲーム感覚”という概念を、もっと具体的にすればOKです。
たとえば、
“演劇ゲーム感覚”
にすれば、
・幸せキャラを演じる
・幸せキャラの思いそうなことを思う
・カメラ(神の目)を意識して行動する
といった具体的な行動がとれるようになります。
そうすれば憎い相手にもゲーム感覚になりやすくなります。
ゲーム感覚で自分をコントロールして、ギブギブしたり優しくしたりしやすくなります。
これが呪文を強めるということです。

とはいえ“ゲーム感覚”などのボンヤリしたコトバが適したシチュエーションもあります。
とくにネガティブな感情のない平常時などは、
「ゲーム感覚ゲーム感覚…」
と ぼんやり思っているほうが疲れなくて良いかもしれません。

固定観念にしばられず臨機応変に対処してくださいね。


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