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正負の法則

2012.10.17.20:50

この世は正負の法則でできています。
正負の法則とは、簡単に言えば
“得れば失う、失えば得る”
ということです。

たとえば会社でお給料を得るためには、“労働”という代償を払わなくてはなりません。
何かモノを買うときにも、お金という代償を支払わなくてはなりません。
例え盗んだところで、こんどは“牢屋入り”という代償を支払わなくてはなりません。
仮に上手く逃げおおせたとしても、いつか必ず、何らかの方法で、盗みの代償を支払う運命になってしまいます(カルマの法則)
このように、何かを得るためにはそれ相応の代償を払わなくてはならない、というのが正負の法則です。
そしてこれは絶対的な物理学の法則でもあります。

それなのに私たちはつい得ることばかりを求めて代償を払うことを忘れがちです。
そうするとまさに盗人と同じで、獄中さながらの苦しい人生をおくるハメになってしまいます。

例えば、恋人や家族から“安心”や“幸せ”を得るためには、
“気遣い、思いやり”という代償を支払わなくてはなりません。
しかしそれを大して払いもせずに、
「もっと愛して!」
「もっと優しくして!」
「もっと思いやりを持って!」
などという盗人たけだけしい人が多いように思います。

そうかといって、
「私はこれだけ尽くしてるんだから、あの人も私に尽くすべき」
「私は優しくしてるのに、あの人は私に優しくしてくれない」
「これだけ働いているんだから、このくらいの給料はもらって当然」
「給料以上に働きたくない」
などという“ギブ&テイク”の考え方では、絶対に幸せになることはできません。
ギブ&テイクは、正負の法則にはのっとっていますが、“カルマの法則”や“波動の法則”からは外れています。

ギブ&テイクで生きている人は、まず間違いなく他人に不快感を与えています(胸に手を当てて考えてみてください)
だからカルマの法則で、自分も人から不快にさせられる出来事が起こってしまいます。

また、ギブ&テイクで生きていると、人間関係がうまくいかないので、嫌な気分になりやすいです。
だから引き寄せの法則で、嫌なできごとを引き寄せてしまいます。

そうならないためには、見返りを求めない“ギブ&ギブ”の精神で生きていくことが絶対に必要です。

しかし世の中には、“いくら代償を払っても見返りがない”かわいそうな状況におちいっている人がいます。
このような人は表面的には“良い人”に見えますが、内面的は決して良い人ではありません。
だからいつまでたっても幸せになれないのです。
例えば男女関係の場合、そのような人の心の中をのぞいてみると
「この人と別れたら、自分にはもう恋人(結婚)ができないかもしれない」という“恐怖心”
「この人と別れたら経済的に困る」「この人と別れたら独りぼっちになってしまう。独りは寂しい」という“依存心”。
「この人といればリッチな生活が出来る」という“打算”
「自分は専業主婦がいい。働きたくない」という“怠惰”
「恋人(旦那)がいないなんてかっこ悪い」「離婚なんてかっこ悪い」という“見栄”
「イケメン・美人・社会的地位の高い恋人を手放したくない」という“虚栄心”
「自分のような人間は、こうやって生きるしかないんだ」という“自己卑下”
…などのネガティブな動機が潜んでいるはずです。
つまり彼らは一方的に相手に尽くしているように見せながら、実は上記のような心のスキマを埋めてもらっているということです。
自分では気づいていないかもしれませんが、報酬はしっかり得ているということですね。

しかしながら、ネガティブな奉仕からは、ネガティブな報酬しか得ることができません。
自分の醜い下心から目を背け、“これは愛なんだ”と偽っているうちは、本当の幸せを手に入れることはできないのです。
いくら人のために尽くしても、その動機が“純粋な愛”でなければ、決して報われることはありません。


また、正負の法則というと、
“悪いことがあったら、次は良いことがある”
という前向きな考え方に使われることが多いですが、以前の私にとっては、
“いいことがあったから、次は悪いことがある”
という恐怖の材料になってしまっていました。
それは私が、
「正負の法則とは、“いいことがあったら悪いことがあるという法則”のこと」
だと勘違いしていたからです。

しかし正負の法則とはそのようなものではではなく、ただ単に“バランスの法則”のことです。
この世の全ては“波動”でできていますが、波動の形といえば“~”のようなユラユラした波形が思い浮かぶと思います。
つまり波動とは、“上へ行けば下に戻る”“左へ行けば右に戻る”というようにユラユラとバランスを取っている状態のことをいうのです。
上に行ったら上に行きっぱなし、左に行ったら左に行きっぱなし、ということにはなりません。
この世のすべては波動からできていますから、すべての物事に“バランスの法則”が当てはまるということになります。

“得る~失う~得る~失う”
“上がる~下がる~上がる~下がる”
といった“正負の法則”といわれる現象は、とどのつまり“バランスの法則”なのです。

注意したいのは、正負の法則の中に
“良いことがあったから悪いことが起こる”
という方程式はないということです。
悪いことが起こるのは、良いことがあったからではありません。
ただ単に、悪いことをしたから悪いことが起こるのです(カルマの法則)
良いことが起こるのは、悪いことがあったからではありません。
良いことをしたから良いことが起こるのです。
良いカルマと悪いカルマの現れる時期が、バランスの法則によって交互に繰り返されているだけです。
つまり過去に悪いことをしていなければ、別に悪いことは起こらないということです。

しかし人間は完璧ではありませんので、どんなに気をつけても悪いことをしてしまうものです。
だから結果的に、“良いことの次には悪いことが起こる”という法則があるように見えてしまうんですね。

だからといって、私は正負の法則を恐れることはありません。
それは、私が“時間ゲーム”に没頭しているからです。
「良いことがあったから、次は悪いことが起こるかも…」などと考えていると、身体からネガティブな波動が出て、周囲の環境に悪影響を与えます。
つまり正負の法則を恐れること自体が“悪いカルマ”を作っていることになるのです。
だから私は恐れる代わりに「そんなこと考えるヒマがあったら、一分一秒ポジティブ思考をしよう!」と思うようにしています。
ネガティブ思考するかわりにポジティブ思考すれば、逆に良いカルマを作ることができるからです。


この世は私達の意識が創りだしたバーチャルゲームです。
そして正負の法則は、その中の“ルール”にすぎません。
ルールはゲームを面白くするためのもので、プレイヤーを苦しめるためのものではありません。
ゲームはルールがあるから面白いのです。
サッカーは“手を使ってはいけない”というルールがあるから面白いのです。
ボクシングは“足を使ってはいけない”というルールがあるから面白いのです。
ルールのないゲームなんて、ゲームとして成り立ちません。
このことが分かると、もはや正負の法則は恐れの対象ではなく、人生をおもしろくするための道具にすぎなくなってしまいます。

「自分は人生という深刻な物語を生きているのではなく、ただ単にゲームで遊んでいるだけなんだ」
と気づけば、どんなに悪いことが起こっても、それを深刻に受け止めることがなくなります。
ゲームで宝物を得るためには、危険なダンジョンに入らなければならないこともあります。
そのときモンスターに襲われたり、穴に落ちて怪我をすることもあります。
しかしそのことでいちいち深刻になる人はいません。
むしろ、そうした苦労や障害があるからこそ、ハラハラドキドキ、ゲームを楽むことができるのです。
なんの障害もなく宝物が手に入っては、ゲームが全然おもしろくありません。

そして私たちは現実問題、自分たちで創りだしたバーチャルゲームで遊んでいるにすぎないのです。

●“ラブマシーン”になる!

正負の法則は、
“何かを得るためには、それ相応の代償を払わなければならない”
という法則ですから、それを言い換えると
“何かを生み出すためには、必ずエネルギー源が必要だ”
ということになります。
さらにそれを言い換えると、
“無から有は生まれない”
ということになります。
そしてこの事実は絶対的な物理法則のようにも思えます。
確かに万事にわたってこの法則は当てはまるのですが、一つだけこの法則に当てはまらないものがあります。

それは“愛”です。

この宇宙に無から生まれるものは何一つありません。
しかし愛だけは違います。
愛は何もないところから無限に湧いて出てきます。
それは、この世界を作っている私達の集合意識(=神)が、自家発電型の愛製造機だからです。

誰しもピンチにおちいった時、とっさに「神様!」「助けて!」などと第三者に祈ってしまうことがあると思います。
そのとき第三者(神様)には“無条件に自分を助けてくれる愛にあふれた存在”を期待しているのではないでしょうか?
このような人間の本能は、国や土地に関わらず、あらゆる人間に共通していると思います。
このことはつまり、神の性質が愛製造機(ラブマシーン)であることを物語っています。
※宗教家が頭でこねくりまわして作った神に祈るのとは違います。 あくまで直感的(瞬間的)にイメージする神のことです。


人は愛がないと生きられないとよくいいますが、一面これは真実です。
しかし人は他人の愛に頼らなくても、自力で愛を生み出すことができます。
それは人間が神のミニチュア版だからです。
例えば誰からも愛を受け取っていない(ように見える)犯罪者でも、ふとした瞬間に誰かを愛してしまうことがあると思います。
人間も愛せない人でも、動物、草花、海、空、自然の風景には愛おしさを感じることがあると思います。
自然や生命に愛がわかない人でも、音楽、芸術、スポーツ、釣り、ゲーム、漫画、食事、睡眠、武器、道具、空想世界など、必ず何かしらに愛を感じることができるはずです。
どこまでいっても“愛”は私たちについてまわります。
それは取りも直さず、この宇宙が無限愛製造機だからです。

私たちは宇宙から常に“無償の愛”を受け取っています。
火、水、土、空気、目、鼻、口など、千億の価値にも変えられない貴重なものを私たちはタダで与えられています。
太陽は何の見返りも求めず、私たちに光と熱を降り注いでくれています。
地球は何の見返りも求めず(むしろ痛めつけられながら)、豊かな大地の恵みを与えてくれています。
これらのものは元を正せば、宇宙という愛製造機から生み出されているのです。

私たちの魂は、最終的には“ラブマシーン=愛そのもの”になることを目指しています。
人類でもっとも尊敬される人物は、“愛そのもの”のような人たちばかりです(キリスト・釈迦・マザーテレサなど)
それは私たちが潜在的に彼らのような魂に憧れをいだいているからだと思います。

“愛そのもの”とは、
“他者に愛を与えることを何よりの喜びと感じる状態”のことです。
この状態になると、無理して人に親切にしたり、不幸になりたくない恐れから善行をすることがなくなります(なにせ愛を与えることが三度の飯より楽しいのですから)
愛そのものになってしまえば、全ての苦しみから解放されます。
人に騙されても、相手を恨むことなく、慈悲の目を向けられるようになります。
人より自分が劣っていたとしても、相手に嫉妬することなく、むしろその人に重要感を与えられたことを喜べるようになります。
24時間、他者のために生きることが何よりの生きがいになるので、“人々が飢餓や貧困で苦しんでいる中、自分はこんな生活をしていていいのだろうか”と自己嫌悪することもなくなります。
愛そのものになれば、自分の弱さや醜さに苦しまずに済むようになるのです。

もちろん私たちがそのような状態になるはまだまだ先のことだと思います。
ですが、“愛そのもの”という目標さえ見えていれば、人生に迷いがなくなり、とても心穏やかに生きられるようになります。


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