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この世はバーチャルゲーム

2012.02.08.22:00

●私たちの意識がこの世界を創っている

引き寄せの法則や因果の法則や生まれ変わりの法則を知っても、人生の苦しみは消えません。
なぜなら、
「そもそも、何で私はこんな苦しい思いをしてまで生きなきゃならないの?」
「因果の法則とか、波動の法則とか、こんなしんどいシステム誰がつくったの(怒)」
「もうこんな辛い世界からはドロップアウトしたい」
と思うようになるからです。

「誰がこの世界を創ったのか」といえば、パッと頭に浮かぶのは“神様”です。

「人は神によって生かされている」
「神からもらった命を粗末にしてはいけない」
「神様は誰も苦しめようとしていない。すべての苦しみは人間を成長させるために神様が与えた試練だ」
というような言葉はしばしば耳にするところです。

このような言葉で「そうか。じゃあ頑張って生きよう」と、素直に納得できる人もいるかもしれませんが、私はこれらの言葉に、まったくもって納得がいきませんでした。

「生かされている? 誰が生かしてくれなんて頼んだ?」
「この世は神様が作ったんだったら、何で人間をこんなにバカに作ったの?
初めから賢く作ってくれたら、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに」
「戦争とか犯罪とか、こんな酷い世界を勝手に作っておいて、試練もへったくれもあるもんか!」

と、むしろ神に対して激しい怒りを覚えることもありました。

そんなある日、私はとある遊園地でジェットコースターに乗る機会がありました。
私はジェットコースターが苦手なので本当は乗りたくなかったのですが、周りがみんな乗るから仕方なしに乗ることにしました。
そこで、少しでも恐怖心を和らげようと、ジェットコースター好きの友人に、
「どうすればジェットコースターが怖くなくなるの?」
と訪ねて見ました。
 すると彼は、
「自分が操縦していると思ったら怖くなくなる」
と言いました。

…その時、私はハッとしました。

ジェットコースターに限らず、大抵のことは“自分がやっている”と思ったら、痛さや怖さが半減します。
例えば、他人が額にデコピンするのと、自分でデコピンするのとでは、なぜか自分でやったほうが痛みが少なくなります。
かさぶたを剥がすのでも、人に剥がされるより、自分で剥がしたほうが痛みが少ないです(私だけ?)

なぜそのような現象が起こるのかといえば
“自分で物事をコントロールしている”という意識が恐怖を少なくするからです。
“恐怖”はあらゆるネガティブな感情を増幅、増強します。
痛みを激痛に、不安を絶望にふくらませてしまいます。

そして実際、私たちは自分の世界を自分の意志でにコントロールすることができます(因果の法則・波動の法則を参照)
世界をコントロールできるのは、いわゆる“神様”ですよね。
神様といえば、世界の創造主です。

そこで私はふと思いました。

「この世界を創ったのは“私”じゃないか?」と。

波動の法則で書いたように、“人の意識が物質を作っている”ということは、物理学では常識になっています。

その時、それまで私が聞いてきた色々な言葉、
「心はひとつ」「人は繋がっている」「自分の中に答えがある」「人は神の分身である」「アカシックレコード」「集合的無意識」………
などの意味が初めてわかったような気がしました。

“この世界は、自分の意識が創りだしたものだ“
と考えれば、この世に起こるすべてのことに納得ができます。

「こんな酷い世界を作りやがって! 神はなんて残酷なんだ!」
「この世に神も仏もあるもんか!」
という怒りはなくなります。
自分が作ったんだったら、誰を責めようもありませんものね^^;

例えばゲームで遊んでいて、クリア直前でバグったとします。
普通なら「なんだこのクソゲー! 開発者出てこい!」と怒り心頭ですが、
もし自分が開発者だったらどうでしょうか?
どこに怒りをぶつけることもできません。
むしろ、「どうしてバグったのだろう?」とバグの原因について考え始めます。
そしてバグを修正し、より良い作品に仕上げようとします。

あなたが誰かから嫌な目に合わされたとして、普通なら、怒りや悲しみなどで苦しい思いをすると思います。しかしそこで、
「待てよ。この世界は私が創ったんだった。なんで私は自分にこんな体験をさせているのだろう?」
と考えてみてください。
すると必ず、直感的に浮かんでくる答えがあるはずです。
「そういえば、私も誰かを傷つけてしまったことがあるな」
「これは自分を成長させるために自分で仕組んだイベントだな」
…などなど。

私は、自分が世界の創造主であるという考えに至った時から、理不尽な神への怒りに苦しむことがなくなりました。
それと同時に絶対的な安心感に包まれました。
自分が作った世界だったら、自分の力で完全にコントロールできるはずだからです。

だから私は、何か嫌なことがあった時でも、取り乱すことがありません。
なぜそのようなことが起こったのか、自分の心に問いただせば、直感的に答えが浮かんでくるからです。



●この世はバーチャルゲーム

この世の全ては“原子”からできていることはご存知ですよね。
原子をさらにこまかく分解していくと、それはもはや“物質”ではなくなってしまいます。
では何になるのかというと、それは、“概念”です。
概念とは、「これはこういう物質である」というイメージのことです。

つまり、私たちの体や、この世にありとしあらゆる物質はすべて、“イメージ”という目に見えないものでできているのです。

このことを分かりやすく言うと、、“バーチャルゲーム”のようなものです。
ゲームのなかのモノはすべて、現実の物質ではなく、開発者が考えだした“概念”ですよね。
たとえばゲームの登場人物は、
“性別:男  身長:170cm 特技:白魔法”などの情報から成り立っている空虚な存在です。
そしてそれは開発者が考えだした概念です。
ゲームのなかに出てくる、山も川も建物も、すべて人が考えだした“概念”にすぎません。

そして、それはゲームのなかの話だけではなく、私たちが住んでいるこの現実世界も同じように“概念”から創りだされた世界なのです。
このことは物理学的にも証明されていますし、「人間の意識(概念)が物質を作っている」という記事をお読みいただいてもわかると思います。


つまり、私たちが見ているこの世界は、立体映像のようなものだということです。
実際に固い物質が存在するわけではありません。
まさに映画“マトリックス”のような世界なのです。


このように考えると、人生のさまざまな苦しみから解放されてしまいます。

誰しも、後から考えれば「何であんな事であれほどムキになっていたんだろう」と思うことがあると思います。
些細なことで激怒したり、ちょっとした事でこの世の終わりみたいに落ち込んでみたり……
でも、もしこの世界がバーチャルゲームだとしたらどうでしょうか?
ゲームに、それほどムキになることはないですよね。
ゲームはあくまで楽しむためのものです。
たかがゲームにムキになって怒ったり、この世の終わりみたいに落ち込んだりするなんてバカらしいですよね。
でも幼い子供は、ゲームにのめり込むあまり、友だちと大げんかしたり、ふさぎこんだりしてしまいます。
もし人生という名のゲームにムキになって怒ったり落ち込んだりしている人がいたら、その人はまだ精神年齢が幼いということです。

この世がバーチャルゲームだと確信できれば、お金や地位や外見に執着することもなくなります。
確かにそれらがあれば、よりゲームを楽しむことはできますが、しょせんはゲームの中のことです。
苦しみもがいてまで求めることはありません。

私は心が苦しくなってきたら、「どうせこの世はバーチャルゲームだ」と心のなかでつぶやきます。
すると、“ああそうだった”と思い出せるので、心がとてもラクになります。

このように、世界がバーチャルゲームであることを認識すると、とたんに人生の苦しみが消えてしまうようになっているのです。

しかしバーチャルゲームだからといって、何をしてもよいというわけではありません。
カルマの法則や波動の法則は厳然として働いています。
人に嫌な思いをさせれば、100%の確率でフィードバックしてきますし、ネガティブ思考すれば、またネガティブな気持ちになるような出来事を引き寄せることに変わりありません。



●私たちが“神”である

“概念”とは、それを考える人がいないと成り立たないものですよね。
考える人がいない概念というものはありえません。
考える人(想像者)と概念は、つねにセットなのです。

この世界のものはすべて概念によって出来ているということを書かせて頂きました。
つまりこの世界には、この世界を考えだした人(想像者)がいるということになります。
それは一般的に、“神”と呼ばれていたりします。

この世は私たちの意識が創り出しています。
つまり、この世界はどこかの偉い神様が創ったものではなく、私たち自身が創ったということになります。
つまり、私たちがこの世界の創造者なのです。
そう考えることで、あらゆる苦しみが消えてしまうのは、前述したとおりです。



●なぜ人は生きているのか

ではなぜ私たち(神)はこのような世界を作ったのでしょうか?

それはズバリ、「幸せを感じたいから」だと思います。

私たちが服を着たり、食事をしたりするのは、すべて“幸せ”を感じたいからです。
つらい仕事に行くのも、お給料をもらって幸せな生活をしたいからです。
働かない人は、“働く”ことより、“働かない”ことのほうがまだ幸せだと感じるからです。
自殺すら、“不幸”な生活から逃れるための行動です。
魂年齢の幼い人は、まだ経験が浅いので、ついつい目先の幸福感に惑わされてて、後に痛い目を見ることになります(暴飲暴食、麻薬など)。
しかしそのように何度もイタイ目を見ることで魂が学習し、だんだんと賢くなっていくのです。

幸せとは“快”を感じることです。
どんな動物もエサに一心に群がってきますが、それは“快”を感じたいからです。
虫は攻撃されると逃げますが、それは“不快”を避けるためです。
つまりこの世にありとしあらゆる生命はすべて“幸せ”を感じるために生きているということです。



●なぜ人生は苦しいのか

幸せを感じるためにこの世界をつくったのならなぜ、この世はこんなに苦しみにあふれているのでしょうか?

それは、“より大きな幸せを感じるため”だと思います。

例えば、ある健康な人が、とつぜん目が見えなくなってしまったとします。
その人は深く落ち込み、人生に絶望します。
しかしその何十年か後に、突如として視力が回復したとしたらどうでしょうか?
おそらく、そのことがとてつもなく“幸せ”に感じられるはずです。
“目が見えること”は、その人にとって別に特別なことではなかったはずです。
その人は以前まで普通に見えていたのですから。
しかし“目が見えなくなる”という不幸があったがために、その人は“目が見える”という当たり前のことにたいして圧倒的な“幸せ”を感じることができたのです。

このように、すべての不幸は“より大きな幸福感を味わうため””に存在しているのです。
そう考えれば、人生に不幸や苦しみがなくなってしまいます。


映画で主人公がさまざまな困難にぶつかるのは、ラストをより感動的にするためです。
何の苦労もなく、サクッとエンディングを迎えられても、何のおもしろ味もありません。
そんな映画をわざわざ見に行く人はまずいないでしょう。

主人公がさまざまな困難にぶちあたってそれを乗り越えることで映画はおもしろくなるのです。
困難が大きければ大きいほど、それを乗り越えた満足感はひとしおです。


私たちの人生もこれと同じことです。
私たちはこの人生という映画の監督であり主人公なのです。
だから、なにか苦しいことがあった時、
「私はなんでこの世界を作ったんだっけ?」
と、自分に問いかけてみてください。
「ああそうだ、より深く“幸せ”を味わうためだった」
と思い出せればしめたものです。
その瞬間に、苦しみの半分以上が消えてなくなるはずです。


人間には生まれつき、物欲、性欲、自己顕示欲などの欲があります。
人生の苦しみは、これら“欲”が原因になっています。
だから私はよく「神様が人間を完璧に作ってくれていたら、こんな苦しい思いをしなくてすんだのに!」と一人で怒っていました。

しかし欲がまったくなく、完全無欠な状態で生まれるということは、買った瞬間、主人公のレベルがMAXに設定されているゲームをプレイするようなものです。
そんなゲーム、つまらなくて誰もやりたいと思いませんよね。


私たちがこの世界を創ったのは、会社で売上を伸ばすためではありません。
家族のだらしない性格を直すためでもありません。
自分を成長させるためでもありません。
正しいことをするためでもありません。
世界を平和にするためでもありません。

それらはすべて、“幸せ”を味わうための手段に過ぎないのです。
そのことを忘れていると、手段が目的にすりかわって、いつのまにか不幸になるという、本末転倒なことになってしまいます。



●人の幸せ=自分の幸せ

「より大きな幸せを感じる」ことが人生の目的だとすると、人がいきるうえでの最も優先すべきことが自然に決まってしまいます。
それは、 「人を幸せにすること」です。
なぜなら「人の幸せ」を優先しないと、まちがいなく不幸になるからです。

例えば“人生の成功者になる”ことを最優先に考えている人は、自分の仕事を成功させるため、他人に対して手厳しい態度をとります。
自分の成功を少しでも阻害されると、烈火のごとく怒ります。
そのようにして周りの人間を苦しめていると、カルマでそれが返ってきて、自分も同じような苦しみを味わうことになります。

“幸せな結婚生活”を最優先に考えている人は、パートナーがわがままだったり、子供がだらしなかったりして、自分の理想とする結婚生活像にそぐわないと、それに対してイライラし、怒ります。
しかし怒ることで他人を変えられるわけばありませんので、当然家庭内は不和になり、幸せからは遠ざかってしまいます。

つまり、人生の成功や、幸せな結婚生活よりも何よりも「人の幸せ」を最優先に考えて生きない限り、幸せは永遠に手に入らないということです。



●自己犠牲はNG

「人を幸せにすること」の「人」には、“自分”も含まれます。
なぜなら、自分が幸せじゃないと、他人も大して幸せにはできないからです。

「自分は不幸になってもいいから、人のために尽くすんだ!」と言う人もいますが、このような人は、自分を大切にしませんので、“貧乏・体調不良・家庭不和”などになりやすいです。

例えば、貧乏で50円しか持ってない人は50円分しか人を助けられません。
しかしお金持ちになって100万円持っていれば100万円分助けられます。

自己犠牲の人は自分の体をおざなりにするところがありますので、体を壊しやすい傾向にあります。
これでは“人のため”どころか、逆に人のお世話になってしまいます。
「早く死んで天国でラクに暮らしたい」と無意識のうちに思っている部分もあるかもしれません。

また、自己犠牲を良しとする人は、どこか波動がネガティブです。
完全にハッピーになりきれていません。
だから無意識のうちにネガティブな波動をまきちらす“波動の公害人間”になってしまっています。
本人は自分の自己犠牲に酔っていますが、実は周囲に迷惑をかけているのです。

それに、もし自己犠牲が正しいのなら、この世の理想形は、自己犠牲者だらけの地獄のような世界になってしまいます。


つまり「自分は不幸になってもいいから、人のために尽くそう!」というのはNGなのです。
自分も神様の子どもです。
自分を不幸にするなんて、神様に失礼すぎます。
それよりも、「自分と他人を同時に幸せにする」道を模索することが大事です。
この道を突き詰めていくことが、ゲームのミッションでもあります。



● この世は謎解きゲーム

私たちは、“謎解き”が大好きです。
推理ものだけでなく、すべての映画やドラマには、多かれ少なかれ“謎解き”要素が含まれています。
クイズ、パズル、入試も“謎解き”ですし、科学の進歩、考古学の発見など、人類の歴史そのものも壮大な“謎解き”だといえます。

ところで、私たちの作ったバーチャルゲームの最終目標は、「最高の幸福感を味わう」ことでした。
このゲームも、やはり“謎解きゲーム”になっています。

私たちはこのゲームの製作者にしてプレーヤーです。
製作者である以上、ゲームの攻略法はすべて知っていますが、あえてすべて忘れた状態で、スタートします。
だって、すべてを知った状態でプレイしても、なんにもおもしろくないですよね。

このゲームは、
「真実に近づけば幸せになる」
「真実から遠ざかれば不幸になる」
という単純なルールで成り立っています。

例えば、「万有引力の法則」「因果の法則」「この世はバーチャルゲーム」などの“真実”を知れば知るほど、心が楽になり、人生は幸せになっていきますよね。

逆に「心配、恐れ、怒り、不満、嫉妬、自己嫌悪、」などは心を苦しめ、人生を不幸にしてしまいますが、それはこれらが真実から遠いということを暗示しています。

「麻薬、暴飲暴食、優越感、イジメ、犯罪」などは一時的に幸福感を感じることはあるかもしれませんが、後から怒涛の不幸が襲ってくるので、真実からは遠いということになります。

人生がうまくいかないときは、ゲームのルールを思い出し、
「自分は何が間違っているんだろう」
と自問してみてください。
すると直感的に“真実”の答えが浮かんでくるはずです。

例えば私の場合は、人から誤解されてしまったときに、「なぜこんなことに?」と自問してみました。
すると、「あ、私もあの人を誤解していたかも…」と思い当たることが色々と浮かんできました。

このゲームを創ったのは自分なのですから、潜在意識の中に答えは潜んでいます。
あとはそれを素直に受け入れられるかどうかだけの問題です。

このブログで紹介している「ギブ&ギブ」「ユダヤの法則」「今に生きる」などは、私がこれまでに発見してきた“真実”です。
なにか落ち込むことがあったときは、これらの真実に近づいてみてください。
また、読書や日々の経験を通して、自分なりに真実を見つけてみてください。
そのぶんだけ幸福感が増していくはずです。



●人生は自作自演のドラマにすぎない

この世界を作ったのは私たち自身ですから、この世で起こるすべてのことは、事前に自分で仕組んだものです。
貧乏な家に生まれるのも、大きな病気にかかるのも、自分で書いたストーリーにすぎません。
いわば自作自演のドラマを演じているようなものです。
この世には“父、母、子ども、社長、部下”など、さまざまな肩書きがありますが、それらはバーチャルドラマの役がらにすぎないのです。
私たちはそのような役を演じているだけで、“父・母・子ども”などは真実の姿ではありません。
私たちの正体は、この世界を創造した完全無欠の“神”なのです。

例えば、“人間失格”を演じていた生田斗真さんが役にのめり込みすぎて、「自分は本当に人間失格なんだ!」と思ってしまったら大変ですよね。
ダースベイダーの役者さんが、「自分は本当にダースベイダーなんだ!」「下半身がないんだ!」「宇宙で戦争してるんだ!」「ダークサイドに落ちたんだ!」などと思ったら、人生つらくて仕方がありません。

これと同じで、私たちは自分がどんなに人間失格でダークサイドに落ちたように思えても、それは真実の姿ではありません。
ただ神様が、たわむれにママゴトをしているだけなのです。

そのことを思い出した瞬間、誰もが心が楽になるのを感じると思います。
すなわちそれが真実だということではないでしょうか。

私は今でも、ついドラマにのめりこんで、「私はダメ人間だ」「あいつめ!生かしちゃおけん(怒)」などと思ってしまうことがあります。
しかしそのつど、「あ、そういう役を演じているだけだった」と思い出すことで、すぐに苦しみから脱出することができています(デトックスタイム0は無理ですが^^;)




●人生のストーリーは自分で書いている

人生は自作自演のドラマにすぎません。
つまり私たちは、人生のストーリーを自分で描いてから生まれて来ているということです。

私たちは幸せを求めて生きていますが、より多くの幸せを感じるためには人間力のアップが必要です。
なぜなら人間力と幸福感は比例するからです。
人間力のある人ほど幸せで、ない人ほど不幸なのは誰でもわかりますよね。

しかし、ただそのひぐらしでダラダラ生きていてもなかなか人間力をアップすることはできません。
効率的に人間力をアップするためには、あるていどの計画性が必要です。
そのため私たちは、あの世で人間力をアップのためのカリキュラム(ストーリー)を作ってきます。
それはおおまかに言って、
・長所をのばして短所をなくす
・良いカルマを味わい、悪いカルマを返済する
という2本の柱でできています。

例えばワガママという短所を直したい場合、何でも言うことをきいてくれる甘い家庭に生まれてもあまり意味がありません。
だからそのような人は、あえて自分と似た性格のワガママな親や兄弟のいる家に生まれてくることがあります。
彼らを反面教師にして、自分のワガママをなくすためです。
またそのような人は、前世、ワガママで人を苦しめ、悪いカルマを作っていることがあります。
だから家族のワガママで苦しむことによって、悪いカルマを返済しているという面もあります。

似たようなケースで、思いやりの足りない人が、会社や学校で思いやりの足りない人たちに囲まれることもあります。

また、前世でいがみ合っていた者どうしが、今世では夫婦になることもあります。
もう一度近しい関係になることで、今度は争わないような人間力をつけるためです。

また、前世でお金持ちだったのに、そのお金を大切に使えなかった人は、今世で貧乏になることでお金の大切さを学ぶということもあります。

また、「なんで自分はもっと美人(イケメン)に生まれて来なかったのだろう」という人は、前世で美人(イケメン)だったために、そのような体験には飽々している場合があります。
なぜなら外見が恵まれていると、人間力がなくてもチヤホヤされることが多く、人間力が磨かれにくいということがあるからです。
外見に頼らなくても幸せな人生をおくれる人間力をつけるため、あえて美人(イケメン)に生まれてこないという人は多いと思います。

人生とは、いわば自分で作った“人間力向上プログラム”なのです。



●運命は変えられる

私たちには生れつき計画的な人、大ざっぱな人などさまざまな個性があります。
だから、その人の個性よって人生設計の仕方もさまざまなようです。
職業や結婚相手など、細かいところまで決めてくる人もいれば、それらのことは大まかにしか決めていない人もいます。
どっちが良い悪いではなく、その人の好みの問題です。
人生は、自分の好みに最も合ったものになっているのです。

だから、「自分の天職は…」とか「運命の赤い糸は…」と思い悩む必要はありません。
細かく決めているタイプの人はその時期がくれば自然とそのような状況になりますし、大ざっぱな人はそもそも「絶対決まった天職」「運命の赤い糸」などないのですから思い切ってノビノビ行動すればよいと思います。
※正確には、大ざっぱタイプの人は、決まった天職や赤い糸が“ない”のではなく、“たくさんある”ということです。
このタイプの人は、自分の可能性を狭めず、選択の幅に余裕を持たせています。

細かいタイプ、大ざっぱタイプ、どちらにしても、人生に起こるイベントで“絶対に変更できない!”というものはあまりありません。
ほとんどのことは本人の生き方しだいで変えてしまうことができます。

試しに「どんなに頑張っても、運命は絶対に変えられない」と思ってみてください。
心に嫌な波動を感じるはずです。
逆に「自分次第で運命は変えることができる」と思ってみてください。
すると心が軽くなり、良い波動を感じることができると思います。
これは、後者がより真実に近いことを暗示しています。


例えば“寿命”に関しては、産まれる前にだいたい決まっていますが、これも本人の努力次第で伸ばすことができます。
だから、医者や霊能者や天のお告げで“あなたの寿命はいつまで”と言われたからといって、恐れることはありません。
そんなものはどうとでもなるものだからです。
(ときにはどうにもならないケースもありますが、それにしたって恐れる必要はありません。人間力が高まれば、そもそも“恐れる”ことがなくなるからです)


よく当たる占いなどに書かれてあるのは、「普通に生きていたら、だいたいこういう“運命”ですよ」という内容です。
“運命”とは、自分で決めてきた大まかな人生のストーリーのことですが、前述のとおり、ストーリーは変更することができるものです。
だから占いの内容を恐れたり、自分の不幸を「私はこういう運命なんだ」と嘆くのはナンセンスです。

占いが当たるのは、人間に確かに“運命”というものがあるからです。
それは生年月日や霊感などであるていど知ることができます。
しかしそれらを知ることができるのは、それが“変えられるから”です。

この世界は私たちが作ったものです。
だからすべて自分たちの納得のいくシステムになっています。
占いや霊感は、謎解きゲームのヒントとして私たちが作ったシステムに過ぎません。
自分の運命をきりひらくヒントとして、私たちは手相や星占いやなどのシステムを世界にちりばめてあるのです。
絶対に変えられない悪い運命を知らせて、自分で自分を絶望におとしいれるような、無意味なことはしません。

運命を変える一番の方法は“今に生きる”ことです。
そしてもう一つ、重要な方法が“徳を積む”ことです。
徳については後に書いていますので、ぜひそこまで順に読み進めてください(^^)



●神はシステムである

この世のすべては、“より大きな幸せを感じるため”に私たち(神)がつくったシステムです。
ではなぜ、私たち(神)は幸せを感じたいのでしょうか?
これは、これより遡及できない問題だと思います。
つまり神とはそもそも、そういう“システム”だということです。
「幸せを感じるためにバーチャルゲームを作り、遊んでいるシステム」そのものが“神”の定義だということです。

宗教の指導者のことを法王といいますが、法とは“法則”のことです。
万有引力の法則、質量保存の法則、因果の法則、波動の法則など、この世には“法則”があふれています。
あふれているというか、宇宙そのものが法則といえます。

“宇宙=法則” です。

数学も物理も音楽も人体も、すべてが法則に支配されています。

何かの目的のために、法則が集まったものを“システム”といいます。
神は、“幸せ”という目的のために、さまざまな法則が集まってできた、1個のシステムなのです。

ギリシャ神話に出てくるような人格を持った神は、神の一面をとらえているにすぎません。



● 謎解きゲームの攻略法

この世界は謎解きゲームのようなシステムになっているということを、先ほど書かせていただきました。
だから私たちはいつも頭の中で、
「なぜ…」
「どうして…」
と頭を悩ませています。
そこで、皆さんがこの謎解きゲームをもっと楽しめるように、私が今までに体得したゲームの攻略法をご紹介させていただきたいと思います。


①神様の立場になる
人は誰しも自分の中に、2人の自分がいます。
ゲームのプレイヤーとしての自分と、ゲームの創造者としての自分です。

この世界は私たちの意識がつくったものですから、私たちは何が正しくて何が間違っているのかをすでに知っています。
しかし、プレイヤー目線で物事をながめていても、なかなか謎を解くことはできません。
謎を解くためには、創造者(神)目線で見ることが必要です。

例えば、以前の私は性格が悪く、人から嫌われやすい人間でした。
そんなとき、
「何で私だけこんな目にあわなきゃいけないの!?」
「悪いのは向こうなのに、何で私が悪者になってるの!?」
などと、「なんでなんで……」と、壊れたCDのようにグルグル考えるだけで、一向に答えは見つかりませんでした。
それは私がプレイヤーの立場からものをながめていたからです。
しかし今は、即座に神様の立場からものをながめていますので、すぐに答えがわかります。

例えば人から嫌われた時には、
「私の言葉がキツかったからだ」
「相手の立場にたって考えていなかった」
「悪いカルマが返ってきたんだ」
などなど。
直感的に答えが浮かんできます。

   
②心が軽くなる方を選ぶ
 何かに迷った時、それぞれの選択を実行したところを想像してください。

すると直感的に
1、心が軽くなる方
2、心が重くなる方

の2つにわかれると思います。
苦労性の人は、ともすれば「2、心が重くなる方」を選んでしまいがちです。
特に、過去世で修行僧などをしていた方は、率先して“苦しい方”を選びたがるようです。
それは「心が軽くなる方」を選ぶと、自分は怠け者、ダメ人間になってしまうのではないかという恐れがあるからだと思います。

 しかし、この“心が重くなる方を選ぶ”という行為はあまり真実に近いとはいえません。
 なぜなら、もし“心が重くなる方を選ぶ”のが真実だとすれば、この世はまさに地獄のようになってしまうからです(いつもいつも気の進まないことをイヤイヤやらなければならないなんて、地獄そのものですよね)
  
 この世は私たちの集合意識が作ったものですから、私たちが納得できるような世界になっています。
 私は“心が重くなることをするのが正解”などという地獄のような世界にはとうてい納得できません。
 ということはすなわち、そのような選択をすることは、私にとって“誤り”だということができます。
 
※ただし、人それぞれ個性がありますので、難行苦行が好きな人は、そういった選択をすることが正しいと言えます。でも自分の魂がそういう傾向にないのなら、わざわざ苦しい思いをするのは誤りです。

 
「心が重くなる方」を選んではいけないのには、もう一つの理由があります。
それは、“波動を汚す”からです。
人の体からは常に“波動”が出ていますが(波動については後ほど詳述します)、気が重くなる選択をすると、その人の体からは、“苦しい波動”が出るようになります。
波動は周囲の人々や環境に影響をあたえるので、そのような波動を出している人は、それだけで周囲に悪影響を与えているということになります。
つまりその人は“波動の公害人間”になってしまっているというわけです。
        楽しいことを選ぶ 波動公害       
因果応報で、自分の出した波動は自分に返ってきます。
つまり、苦しんで頑張って成功しても、その後には反動で、苦しみの運命が返ってきます。

そのことを知らなかった頃の私は“苦しんで努力することが尊いことだ”と思っていたため、修行僧のように自分を痛めつけて、必死になって努力していました。
その結果、たしかにあるていど成功はできましたが、でも心のやすらぎは全く得られませんでした。
朝から晩まで何かに追い立てられ、胸がしめつけられるような每日でした。

今はそのようなことはなく、「心の軽くなる方」を選べるようになりましたが、だからといって自分の成長が止まったり、出世競争に乗り遅れるなどということはありません。
むしろ、苦しみの波動を出さなくなったお陰で急激に運が良くなり、かえって出世のスピードが早まったくらいです。
 
他に選択肢のない場合は別として、極力「心の重くなる選択」をしないように気をつけてください。


※“心が軽くなる行為”といっても、その後あきらかに“心が重くなる”展開が待っている場合はダメですよ!
例 買い物しすぎる、暴力をふるう、会社をさぼる、暴飲暴食、
まったく勉強しない、上司からの誘い・家族行事を断り続けるetc……

※現実的には“どっちをえらんでも心が重い。あえて選ぶならこっちが軽い”というがシチュエーションが多いのではないかと思います。
 そんな微妙な差でもおろそかにせず、心が軽くなる方を積極的にチョイスしていってください。

※どっちが重いのか軽いのか、グルグル考えていると、わからなくなってしまいます。
 なるべく初めの第一印象、“直感”で選ぶようにしてください。
 
※カルマの解消を急ぐあまり、どうしても“心の重くなる選択”を選んでしまう人もいます。
そういう方は、心の軽くなる方を選ぶと、かえって心が重くなってしまいますので、ご自分の思うままに生きられるのが良いと思います。

※因果応報で、否応なく“心の重くなる選択”をしなければならない時もあります。
しかし、そのような場合でも諦めず、“心が軽くなる選択”を模索するように心がけてください。
そうすることで少しでも事態を好転させることができます。

※“中道”で考えるのも、とても有効です。


③弁証法
 弁証法とは、2つの意見を対立させて、それらを超える“第3のアイデア”が生み出す方法のことです。

私たちの作った謎解きバーチャルゲームは、よりゲームを面白くするため、巧妙な仕掛けが施されています。
一見すると二択のように見える問題でも、ほぼ必ずといっていいほど、より良い“第三の選択肢”が裏に潜んでいます。
Aを選んでもBを選んでも心が重くなる場合は、知恵をしぼって考えれば、思いがけないもう一つの選択肢が見つかりますよ!

例)イジメに合っていて学校に行きたくない。でも学校を休むのも辛い……という状況の時は、第三の選択肢として、“学校を休んで、図書館で人間関係について勉強する”ということなどが考えられます。

※第三の選択肢が見いだせず、どの選択肢を選んでも心が重くなるような場合は、その人に“徳”が不足しています。
徳を積めば、自然と、心がワクワクするような選択肢が見えてくるようになります。
(徳については後ほど詳述します)

 
④閻魔大王の裁判
色々な文献を読む限り、やはり死んだ後には“閻魔大王の裁判”的なものがあるようです。
 裁判の様式は、国や時代、当人の魂の傾向などによって異なりますが、生前の行いを走馬灯の様にまざまざと見せつけられる、という一連の流れは、どの裁判においても共通しています。
 何か悪事をおこなった人は、被害者の立場からその映像を味わうことになるそうです。
 そのとき感じる苦痛や羞恥心や良心の呵責は筆舌に尽くしがたいほどで、文字通り“死ぬほど”後悔することになります。
  
 閻魔大王は、何も私たちをムチで打ったり槍で刺したりしているわけではありません。
ただ、生前私たちがしたことを、客観的な視点で見せているだけです。
 それなのに私たちが悶絶するほど苦しむということは、私たちはすでに“何が正しくて何が間違っているのか”を知っているということになります。
しかし、現実世界に生きているうちは、ついついエゴに惑わされて真実が見えなくなってしまうのです。

 そのようなときには、霊界裁判を脳内でシュミレーションすることをお勧めします。
そうすればエゴの雲が晴れ、一瞬で“取るべき行動”が見えてきます。

 人は何かに迷ったとき、「閻魔大王の前で後悔しないようにしよう」と思うだけで、直感的に“正しい”答えが浮かぶようになっています。
 それに従って行動すれば、まず間違いはありません。
例え結果が良くなかったとしても、それはその時点で取れた最善の選択なので、自分の中で納得が行きます。
 死んでからも後悔することがありません。

※そのとき注意したいのが、あれこれ考えすぎないことです。
直感的に浮かんだことが気に入らず、後づけで色々考えだすと、それはだいたい“エゴ”になっています。
そしてアレコレ考えているうちに、“霊界裁判”のことなど忘れてしまい、いつものように結局エゴにまみれた選択をしてしまうことになります。



おすすめ図書
あの世に聞いた、この世の仕組み 雲 黒斎
このよがバーチャルゲームであるということを、映画やドラマの例えを用いて分かりやすく解説してくださっています。
文体も軽くて、とても読みやすいです。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法
この世界は私たちの意識が創りだしたものである、ということを“お金”という視点から上手に説明してくれている本です。
お金に対する心配がなくなり、だいぶ心が楽になります。

空(くう) 舞い降りた神秘の暗号 MANA
 「すべての現実を夢とみなし、深刻にならずに楽しんでいく!」というスタンスで貫かれた本です。
 これを読めば、“この世界はどうせ夢なんだから、もっと生きることを楽しんじゃおう!”という気持ちになれると思います。

投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
物理学者マイケル タルボット氏が“この宇宙は、ホログラムのようなものである”
という大胆な宇宙観を、様々な論証を元にして解説してくれています(ホログラムとは、スターウォーズなどで出てくる立体映像のことですね)
これを読めば“この世界はほんとにバーチャルゲームみたいなものなんだな”ということが理解できるので、心がとても楽になると思います。



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