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自己嫌悪をやめる方法

2021.01.23.19:01

自己嫌悪を簡単にやめられる方法をお話させていただきました!

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自己肯定感が爆上がりする方法!

2021.01.23.18:58

自己肯定感ゼロだった私が、自己肯定感の塊になれた方法をお話しています。
自己肯定感はだれでも簡単に上げることができますよ(*^^*)♪


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「やる気が出ない」を「やる気が出る」に変える方法

2021.01.20.15:46

「ヤル気を出す」のも、単なる技術です!
スポーツと同じで、だれでも練習すればヤル気を出せるようになります(^^)♪

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行動力が上がる!行動できる人間になる方法

2021.01.20.15:44

行動力は単なる「技術」です
コツをつかめば、だれでも行動できる人間になります(^^)♪

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一分以内に悩みを止める方法

2021.01.20.15:41

悩みは一分以内に、簡単に止められます(^^)
ぜひ試してみて下さい♪


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完ぺき主義をやめたら鬱と苦悩が消えた話

2021.01.20.15:39

完ぺき主義をやめたら、鬱や悩みが消えてしまったお話をしています
ぜひご覧ください(^^)

 
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10秒で怒りを消す方法

2021.01.17.16:37

怒りは10秒以内に収めることができます!
練習すればだれでも簡単にできるようになりますよ(^^)♪

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お問い合わせ

2021.01.17.12:56

ご意見ご質問は、ブログの記事“すべて”をお読み、“ご理解”いただいたうえでお願いします。
ブログの読み方”を、今一度ご参照くださいませ。

なお、携帯やスマホには わたしからの返信が届かないことがあります。
(パソコンからのメールを拒否する設定になっていると思われます)
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神も悪霊もギャグドラマの登場人物

2017.01.16.14:27

霊的なことが好きな人は、以下のように考えがちです。

◎この世・人間・物質
 →幻

◎あの世・神・霊魂
 →本物

例えば、
「この世は仮の世だ。あの世が本当の世界だ。だから死ぬことを“往生”と言うんだ」
…という感じです。

このような考えは真実ですが、あくまで“演劇ゲームの中の真実”です。
“真の真実”は、「すべて幻」です。
神も魂も霊界も、すべて幻です。

すべては、じぶんの意識が想像した幻影です。
この“真の真実”を忘れると、霊的なことにシリアスになってしまいます。
例えば…

・神(天罰)、悪霊、祟りなどを恐れる。
・占い、厄年、方位などを気に病む。
・先祖供養に神経質になる。
・宗教のルールにヒステリックになる。
・霊的知識が多いことに優越感を感じ、霊的知識が少ない人を軽く見る。
・“霊能力者=スゴイ人”と思い、盲信する。  

 神様(人格神)・ご先祖様・悪霊などは、すへて演劇ゲームのキャラクターにすぎません。
霊界も地獄も、演劇ゲームのセットにすぎません。
しかもジャンルはギャグドラマですw
なのに、これらを本気で恐れるのは おかしな話です(まさにギャグドラマです)

恐れるときは、ギャグモードで恐れましょう。
例えば、私が悪霊に憑依されたら、
「モモエ憑依にあうの巻( ̄∀ ̄)」
と、ギャグ視点になります。
そして憑依されるエピソードを、ギャグモードで乗り越えます。


私は、霊的なことをバカにしろと言っているのではありません。
神や先祖を敬うことは大事です。
しかし、本気で恐れたり、気に病むのは不幸キャラです。

どんなにエラい神様も、幸せキャラにバチを与えることはできません。
どんなに強い悪霊も、幸せキャラを不幸にすることはできません。
だから安心して、演劇ゲームを楽しんでください♪


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ギャグモードで生きる

2017.01.10.16:15

●この世はお笑い劇

この世は、自作自演の演劇ゲームです。

・脚本:自分 
・演出:自分
・出演:自分
   :
   :
という感じです。


私たちは、自分で苦境をつくって、自分で演じて、一人てんやわんやしています。
そのようすを 客観的に見れば、とんだお笑い劇です。



…そうです。




この世は、とんだお笑い劇なのです\(゚∀゚)/ドーン!!



●コント自作自演

私は苦悩したとき、“原稿用紙に逆転劇を書く自分”をイメージすることがあります。
それは、苦悩からの逆転劇をワクワクしながら書いている自分です。
それを自分で演じて、苦悩している自分を、客観的に眺めます。

なんともマヌケな光景です。
しかし、これが創造神の姿です。

私たちは創造神です。
すべては、自分が創ったシナリオです。

何もかもすべて、自作自演です。
本気で苦悩しているようで、それも自作自演です。

そのようすは、まるでコントです。
人生は、いわば“コント自作自演”なのです。



●メタ意識

この世は、自分の意識が創りだしたマボロシです。
いわば“仮想世界”です。

しかし人間は、「これは現実世界だ!」と錯覚しています。
だから本気で悩んだり苦しんだりするのです。

「これは現実世界だ」
と、錯覚した意識は、普通の人間的な意識です。

「これは仮想世界だ」
と、自覚した意識は、高次元の創造神的な意識です。

“高次元の~”という意味で、“メタ~”ということがあります。
つまり、“高次元の意識”は、“メタ意識”です。

「これは仮想世界だ」と自覚した意識は、“高次元な意識”です。
つまり、“これは仮想世界だと自覚した意識”は、“メタ意識”です。


メタ意識による発言を、“メタ発言”といいます。

例えば、
「これは演劇だから、ホントは死んでないよ」
「続きはCMの後!」
などと演劇中に言えば、それはメタ発言です。
これらの発言には、“これは演劇(仮想世界)だ”というメタ意識があります。



●ギャグとシリアス

演劇には、“ギャグドラマ”と“シリアスドラマ”があります。
(このブログでは、コント・コメディ・喜劇・ギャグマンガなどをひっくるめて“ギャグドラマ”とします)

シリアスドラマでは、メタ意識を持てません。
もし、ロミオとジュリエットが、「これは演劇だから ホントは死んでないよ」と思ったら、シリアスドラマじゃなくなります。
家なき子が、「続きはCMのあと!」などとメタ発言したら、シリアスドラマじゃなくなります。
逆に、ギャグドラマになってしまいます。

一方、ギャグドラマでは メタ意識を持つことができます。
だから、コメディや喜劇では、
「続きはCMのあと!」
「これは演劇だから ホントは死んでないよ」
などと、メタ発言できます。

その意味では、シリアスドラマよりギャグドラマのほうが、高次元です。


ギャグドラマの登場人物は、本気で深刻になれません。
「どうせこれは演劇ごっごだ」
という余裕(メタ意識)が、どこかにあるからです。

一方、シリアスドラマの登場人物には、メタ意識がありません。
だから、本気で深刻になってしまいます。
(“シリアス”には、“本気・深刻”という意味があります)


人生は 見方しだいでギャグドラマにも シリアスドラマにもなります。
だから“意識的に”、ギャグドラマとして見ることが大事です。

無意識だと、シリアスな現実に見えてしまいます。
無意識とは、いわば“メタ意識が無い”状態だからです。


人生を、ギャグドラマとして見る視点を、“ギャグ視点”とします。
シリアスな現実として見る視点を、“シリアス視点”とします。

ギャグ視点になれば、人生に深刻(シリアス)にならずにすみます。
気楽に、ギャグモードで生きられます。

たかが人生ドラマに 本気で苦悩しているときは、シリアス視点になっています。
意識して、ギャグ視点に切り替えましょう。



●ギャグモードとシリアスモード

人の波動には、“ギャグモード”と“シリアスモード”があります。

シリアスモードとは、“シリアスドラマのような状態”です。
つまり、「これは現実だ!」と錯覚している状態です。
だから シリアスモードになると、本気(ムキ)になったり深刻になったりして、苦しくなります。

かたや ギャグモードとは、“ギャグドラマのような状態”です。
それは、「この世は演劇ごっこ(ギャグドラマ)だ」と自覚している状態です。

ギャグモードになると、本気(シリアスモード)で苦悩せずにすみます。
あくまで、ギャグモードで苦悩できます。

“ギャグモード”という言葉がピンとこなければ、“お笑いモード”でも“コメディモード”でもOKです。



●ギャグモード=創造神意識  シリアスモード=役意識

どんなにシリアスモードになっても、いずれギャグモードに返ります。
それは、寄せては返す、波動のリズム(法則)です。

シリアスモードからギャグモードに返るときは、“我に返る”感覚です。
「ハッ! これは演劇ごっこだった(´∀`*)ホッ」
と、我に返って 安心する感じです。

「我に返る」の“我”は、“創造神意識”です。
だから、我に返る(ギャグモードに返る)と、創造神意識のような安心感・至福感を得られます。
つまり、創造神意識はギャグモードだといえます。


私はモモエですが、本性は創造神です。
“モモエ”は、演劇ゲームの役にすぎません。

しかし 役意識が強くなると、「私はモモエだ!これは現実だ!」という錯覚が強くなります。
そうなると、たかが演劇ゲームに 本気(ムキ)になったり、深刻になったりします。
つまり、役意識はシリアスモードだといえます。


※「シリアス」には色々な意味がありますが、このブログでは「深刻(本気)」という意味で使っています。
 それは、「シリアスドラマのように深刻(本気)」という意味です。


ギャグモードとは、「この世はギャグドラマだ」という意識のある状態です。
それはつまり、創造神意識のある状態です。
端的にいえば、“ギャグモード=創造神意識”です。

シリアスモードとは、「この世はギャグドラマだ」という“意識が無い”状態です。
それは創造神意識が無い……つまり、“無意識”の状態です。
端的にいえば、“シリアスモード=無意識”です。

だから、「シリアスモードになりたくない」と思っても、“無意識のうちに”シリアスモードになってしまいます。

人間には無意識の部分もあります。
だから、シリアスモードになるのは当然です。

シリアスモードになったら、“意識”して、ギャグモードに返りましょう。



●ギャグモードをクセにする

何ごとも練習すると上手くなります。
ギャグモードの練習をすれば、ギャグモードになるのが上手くなります。

それは“クセづけ”とも言えます。
何ごとも、クセにすれば、カンタンになります。

例えば、タイピングの初心者は、強く意識しないとタイピングできません。
しかし 練習(=クセづけ)すれば、ほぼ無意識でもタイピングできます。

同じように、ギャグモードをクセにしましょう。
そうすれば、大して労することなく、ギャグモードになることができます。

理想は、呼吸するようにギャグモードになることです。



●ネガティブ=シリアス

このブログでは、“ネガティブ”と“シリアス”を、ほぼ同義語とします。
なぜなら、この2つは同調するからです。

ネガティブモードが強いときは、シリアスモードも強くなっています。
端的にいえば、「ネガティブ=シリアス」です。



●0.1%ギャグモード

ブログには、
「ギャグモードになる」
「ギャグモードに切り替える」
といった表現がありますが、これは便宜上の表現です。

正確には、
「ギャグモードを強める」
「シリアスモードが弱くなる」
といった表現になります。

人であるかぎり、100%ギャグモード(創造神意識)には なれません。
できることは、ギャグモードを強めることです。

だから、
「100%ギャグモードになりきれない。どこかシリアスモードの自分がいる」
という悩みはマトハズレです。
ギャグモードでワイワイ騒いでいるときでも、どこかシリアスな部分があって当然です。

逆にいえば、超シリアスモードのときでも、ギャグモードの部分はあるということです。
たとえ葬式中でも、0.1%くらいならギャグモードを感じられるはずです。


ひとりの人間の中で、ギャグモードとシリアスモードは混在しています。
例えば…

○深刻なとき
  シリアスモード99% ギャグモード1% 

○深刻だけど 余裕があるとき
  シリアスモード80% ギャグモード20% 
 
○余裕のよっちゃん
  シリアスモード5% ギャグモード95%


1%でもギャグモードが優勢なときは、ギャグモードとします。
例えば、ギャグモード51% シリアスモード49%なら、それはギャグモードです。


ひとつのドラマのなかでも、ギャグモードとシリアスモードは混在しています。
例えば、“男はつらいよ”は、基本的にギャグ(コメディ)モードです。
しかし、このドラマにはメタ意識がありません。
だから、登場人物は、ややシリアスモードで、泣いたり怒ったりします。
しかし、基本は あくまでギャグモードです。

人生ドラマも、シリアスモードの部分はあります。
しかし、基本は あくまでギャグモードでお願いします。

とはいえ、ギャグドラマとは思えない人生もあります。
しかし、このブログを読める あなたの人生は、ギャグドラマになりうるはずです。
そして、この世には、あなた一人しかいないのです。


「わたしは根暗だから、ギャグモードになれない」
「ギャグモードになるのは疲れる。だからギャグモードになれない」
…というのは、ヒャクゼロ思考です。

なにも100%ギャグモードになる必要はありません。
1%でも0.1%でも、できる範囲でギャグモードになればOKです。
0.1%くらいなら、どんなに根暗な人でもギャグモードになれます。

しかし、根暗な人など存在しません。
人はみな根明(ネアカ)です。
なぜなら、人の本性は創造神意識だからです。

あなたの本性は、シリアスモードよりギャグモードを好むはずです。
あなたは根っからお笑い好きなはずです。


1%でもギャグモードになるのと、全くならないのとでは、雲泥の差です。
ネガティブなときは、0.1%でもいいので、ギャグモードになりましょう。
その0.1%から、光が見えてきます。

落ち込むときは、0.1%でも ギャグモードで落ち込みましょう。
深刻なときは、0.1%でも ギャグモードで深刻になりましょうw



●シリアスモードの逆位はギャグモード

シリアスモードを弱めるコツは、ギャグモードを強めることです。
なぜなら両者は、逆位の関係にあるからです。
いわば、シーソーの関係です。

ギャグモードを強めると、シリアスモードは弱まります。
シリアスモードが強まれば、ギャグモードが弱まります。

この関係を、うまく利用することが大事です。

シリアスモードで、「シリアスモードになるのを止めよう…」と思うのは、ナンセンスです。
“ギャグモードを強めて、シリアスモードを弱める”のがスマートです。



●ギャグモードは苦しみを弱める

以前の私は、かなり打たれ弱い人間でした。
少しの苦しみで、大ダメージを受けていました。

それは、シリアスモードが強かったからです。
何ごとも、シリアスにとらえていたからです。

シリアスモードには、苦悩を強める働きがあるのです。


今の私は、かなり打たれ強くなっています。
それは、ギャグモードが強くなったからです。
何ごとも、ギャグモードでとらえるようになったからです。

ギャグモードには、苦悩を弱める働きがあるのです。


ギャグモードと同じく、“ポジティブモード”にも、苦悩を弱める働きがあります。
ポジティブ思考すれば、苦悩が小さくなりますよね。

ということは、“ギャグモードでポジティブ思考”すれば効果倍増です。


以前の私は注射が大のニガテでした。
注射の数日前から、かなりの精神的苦痛を感じていました。

しかし今は 注射する直前でも、大した苦痛を感じません。
それは、“ギャグモードでポジティブ思考”しているからです。
例)
「大したことないわwww」
「注射ありがたい!先進国バンザーイ\(;∀;)/!!」


注射の最中も、以前ほど肉体的苦痛を感じません。
やはり、ギャグモードでポジティブ思考しているからです。
例)
「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます( ;∀;)!!」

余裕がなければ、ギャグモードだけでもOKです。
例)
「ギャーーー―\(◎o◎)/!!」
「なんじゃこりゃーーー(;゚д゚)!!」


ギャグモード&ポジティブモードで、苦しみを無くしましょう♪



●内語でメタ発言

志村けんのバカ殿様も、苦悩することはあります。
しかし、本気(シリアスモード)ではありません。
あくまで、ギャグモードで苦悩しています。
それは 志村けんに「これは現実じゃない。コントだ」という、強いメタ意識があるからです。

苦悩を弱めるコツは、メタ意識を強めることです。
メタ意識を強めれば、本気(シリアスモード)で苦悩せずにすみます。

メタ意識を強めるには、“メタ発言”が必要です。
そもそも、メタ意識にはハッキリした形がありません。
しかし、「これは演劇ゲームだ!」とメタ発言すれば、“言葉”というハッキリした形になります。
そうすることで、メタ意識をハッキリ強めることができます。

言葉にするといっても、外言語にする必要はありません。
内語でOKです
(内語とは心の中で言う言葉のことです)
 むしろ、人前でメタ発言するときは、内語で言いましょう。
外言語だと不信感をあたえてしまいます(^_^;)

このブログに書いてあるメタ発言の例は、基本的に内語だと思ってください。



●メタ発言で催眠術を解く

この世は、自分の意識が創造した、仮想世界(バーチャルゲーム)です。
しかし、私たちは「これは現実だ!」と、自己催眠をかけています。
だから、この世は“催眠術ゲーム”だと解釈できます。

シリアスモードのときは、「この世は現実だ!」という催眠状態にあります。
つまり、“シリアスモード=催眠状態”です。

テレビで催眠術のショーをやっていますが、それは催眠術が おもしろいからです。
催眠術は、ショーになるくらい おもしろいエンターテイメントなのです。
だから 催眠状態(シリアスモード)で、焦ったり怒ったりしている自分を、おもしろがりましょう。

とはいえ、催眠状態になると、自分をコントロールできなくなります。
そうすると、不幸キャラになってしまいます。
だから、一刻も早く催眠状態を解きたいところです。

“催眠術を解く”という行為も、催眠術ゲームの面白みです。
ゲーム感覚で、催眠状態を解きましょう。

催眠術を解くときには、“合図”があります。
それは、「パチン」と指を鳴らす音だったり、「ハイ目覚めます」という声だったりします。

神の催眠術を解く合図は、「ギャグモード」と「メタ発言」です。

例えば、苦悩しているとき、
「これは自作自演の演劇ゲームじゃ!」
「どうせ幸せキャラ演じとったら大丈夫や\(^o^)/!!」
などと、“ギャグモードでメタ発言”をすれば、苦悩が弱まると思います。
それは、催眠状態(シリアスモード)が弱まったからです。


催眠状態を、100%解くことはできません。
催眠状態を100%解くと、創造神意識そのものになります。
人である限り、そのような状態はありえません。

神が自己催眠をかける目的は、催眠術ゲームのためというより、演劇ゲームのためです。
人は、いくらか催眠状態だからこそ、演劇ゲームにエキサイトできるのです。
催眠状態から完全に醒めると、人生に冷(さ)めてしまいます。



●ギャグモードでメタ発言

メタ発言は大事です。
しかし、“シリアスモードでメタ発言”しても、効果半減です。
シリアスモードには、メタ意識が無いからです。

逆に、ギャグモードでメタ発言すると、効果倍増です。
ギャグモードには、メタ意識があるからです。

例えば、シリアスモードで「この世は演劇ゲームだ…」と思うのと、
ギャグモードで「この世は演劇ゲームじゃ(゚∀゚)!!」と思うのでは、どちらが効果的でしょうか?
もちろん、ギャグモードだと思います。

とはいえ メタ発言の多くは、シリアスモードから生まれます。
そもそも、シリアスモードを止めるために、メタ発言するからです。
我に返ったら、ギャグモードに切り替えましょう。



●色々なメタ発言

メタ発言の単純な例として、
「これは演劇ゲームだ」
「この世はバーチャルゲームだ」
といったものを あげていますが、もちろんこれだけでは足りません。

シリアスモードが強いとき、
「これは演劇ゲームだ」と思うくらいでは、足りないと思います。
もっと色々なメタ発言が必要です。
例えば…

「すべて、神のシナリオどおりだ!
 だから後悔はありえない!」
 失敗はすべて、逆転劇の前フリだ(゚∀゚)ワクワク♪」

「私は創造神だ! 
 だから、自分の納得いかないことは起こらない!!
 できることを精一杯やれば、ゼッタイ大丈夫だ( ゚д゚)/!!」

…このように、色々な視点からメタ発言することで、我に返りやすくなります。



●メタイメージ

“自分”は、創造神です。
“他人”は、自分が創造したバーチャルロボットです。

私は、他人に怒りを感じたら、以下のようにメタ発言することがあります。

「このロボットつくったん 誰や(#゚д゚)!?」
「ワシじゃ(゚д゚;)!!」
「そうやった!! ぜんぶ自作自演やった(;>д<)!!」

さらにギャグ視点で、“ロボットをつくる自分”を、イメージします。
他人というロボットを、喜々としてつくっている自分(創造神)の姿です。

このようなイメージを、“メタイメージ”とします。


苦境に立ったときは、“苦境からの逆転劇を、ワクワクしながら原稿用紙に書く自分(創造神)”をイメージします。
これもメタイメージです。

メタイメージは、我に返るのに効果的です。



●ネガティブ要素はギャグ要素

ギャグドラマは“ネガティブ要素”から成り立っています。
不幸・トラブル・ダメ人間などの、ネガティブ要素が、ギャグドラマのおもしろみになっています。

例えば、釣りバカの おもしろみは、登場人物のダメっぷりや、様々なトラブル(不幸)です。
もし彼らがカンペキな人間で、何のトラブルもなかったら、ギャグドラマになりません。

ドラえもんでも、出来杉くんより、ダメなノビ太の方が ギャグになりやすいです。


普通の感覚だと、“ネガティブ要素=苦しみ”のように感じます。
しかし、これはトラップです。

“ネガティブ要素=おもしろみ”

という感覚が、真理に近いです。
なぜなら、そう解釈したほうが、幸福感が増すからです。


人間力が上がるほど、人生がおもしろくなります。
それは、ネガティブ要素が無くなるからではありません。
ネガティブ要素を、“おもしろみ”にしているからです。



●ギャグ視点

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」
というチャップリンの言葉があります。

例えば、漫画ドラえもんを、ノビ太視点(クローズアップ)で見れば、不幸だらけで悲劇です。
しかし、客観視点(ロングショット)で見れば、かえって それが喜劇になります。

人生ドラマを、人間視点(クローズアップ)で見れば、苦悩だらけで悲劇です。
しかし、創造神視点(ロングショット)で見れば、かえって それが喜劇になります。

しかし実際のところ、ロングショットだけでは足りません。
ギャグモードも必要です。

“ギャグモードでロングショット”にならないと、喜劇(ギャグドラマ)には見えません。
“シリアスモードでロングショット”になっても、シリアスな現実に見えるだけです。


“ギャグモードでロングショット”なることは、つまり“ギャグ視点”になることです。

“ギャグ視点”になると、自動的にロングショットになります。
ギャグドラマは、ロングショット(客観視点)からじゃないと、見られないからです。
クローズアップ(役視点)だと、「これはドラマだ」と自覚できません。


お笑い芸人は、よく笑い話をしますが、そのネタの ほとんどがネガティブ要素です。
不幸・トラブル・ダメ人間などの ネガティブ要素が、笑いのネタになっています。

それは、ギャグ視点になっているからです。
ネガティブ要素を、ギャグ視点で見ているから、笑い話になるのです。
同じことを、シリアス視点で見れば、“シリアスな話”になります。

例えば、つらかった極貧体験を、笑い話にしている人がいます。
それができるのは、ギャグ視点になっているからです。
シリアス視点で話せば、笑えないシリアスな話になります。

吉本新喜劇も、ほとんどネガティブ要素で成り立っています(失敗、争い、侮辱など)
普通に見れば、これは悲劇です。
しかし、ギャグ視点で演出しているので、喜劇になっています。


友だちとフザケているときに、テレビでシリアスドラマが流れても、シリアスに見えません。
むしろ、
「大げさw」
「深刻になりすぎやろw」
「悲しい話や(TωT)ウルウル」
などと、ギャグモードで見ることができます。
それは、ギャグ視点になっているからです。

人生ドラマも、このような視点で見ることが大切です。


逆に、シリアス視点になれば、他愛ないことでもシリアスに見えます。
小さなことで、大げさに騒ぐ人っていますよね。
それは、シリアス視点だからです。


人生に、本気で苦悩しているときは、シリアス視点になっています。
そのときは、ギャグ視点に切り替えましょう。



●シリアスなギャグ視点

「シリアスな気分のときは、ギャグ視点になれない」
…というときは、想像力を広げましょう。

ギャグドラマは、ギャグシーンばかりではありません。
シリアスなシーンもあります。

シリアスな状況は、“ギャグドラマのシリアスなシーン”として眺めましょう。


「ギャグドラマで、シリアスなシーンなんてイメージできない」
という人は、“人情喜劇”や“泣けるコメディ”など、言葉を変えてみてください。

“人情喜劇のシリアスなシーン”
“泣けるコメディの深刻なシーン”

なら、イメージしやすいと思います。

例えば、深刻になっている自分を、“泣けるコメディ視点”で見てください。
すると、“泣けるコメディの深刻なシーン”に見えてきます。


どうしてもギャグ視点になれないときは、無理しなくて大丈夫です。
他の視点に切り替えましょう。
視点は無限にあります。



●ギャグ態度

ギャグモードになるためには、ギャグ視点が必要です。
しかし、それだけでは足りません。
“ギャグ態度”も必要です。

“ギャグ視点”と“ギャグ態度”がそろって、はじめてギャグモードになれます。


この世は演劇ゲームです。
演劇は、“見ること”と“演じること”で成り立っています。
見るだけの演劇や、演じるだけの演劇は ありえません。

だから、“ギャグ視点で見る”ことに加え、“ギャグ態度で演じる”ことも必要です。


“視点”は、“意識”とも言いかえられます。
例えば、「ギャグ視点になる」と「ギャグ意識になる」は、似た意味になりますよね。

宇宙は、“内面と外面”で成り立っています。
木も石も人も、すべて“内面と外面”で成り立っています。

例えば人間は、以下のように表せます。

・内面……意識(視点)
・外面……態度

内面と外面、どちらが欠けても不完全です。
ギャグ意識とギャグ態度、どちらが欠けても不完全です。


以下、ギャグ態度になるコツを、いくつか書かせていただきます。



●ギャグ態度になるコツ 

◎ギャグ言葉

“ギャグな言葉づかい”を、略して“ギャグ言葉”とします。

私は 内語で、以下のようなギャグ言葉を使っています。

☆ギャグ語尾
  普段つかわない語尾。「~じゃ」「~だべ」など

☆ギャグ方言
  普段つかわない方言。関西弁・東北弁・博多弁など

☆ギャグ感嘆詞
  「ガ゛━━ン(゜Д゜;)」
  「グハッ(;゜∀゜)・∵.」

☆その他
  2ちゃんねる用語や、コント、ギャグマンガなどの言葉づかい


私は 落ち込んだら、あえて「大丈夫ぢゃ!」と思ったり、
嫉妬したら、あえて「うらやましすな~」と思ったりします。
そうすると、本気(シリアスモード)でネガティブにならずにすみます。

私は関東在住なので、外言語は標準語です。
しかし内語は、ほぼ変な関西弁です(生い立ちの関係で^_^;)

例えばガッカリしたとき、普通に「仕方がない…」と思うより、
「これはしゃーない(゜A゜;)!」と思うほうが、ギャグモードが強まります。

落ち込んだとき、「またやってしまった…」と思うより、
「またやってもーた(゜A゜;)!!」と思うほうが、ギャグモードが強まります。

皆さんも、自分なりのギャグ言葉を開発してみてください♪

※外言語でギャグ言葉になると、他人を不快にすることがあります。
 基本的には、内語でギャグ言葉になりましょう^_^;



●ギャグ態度になるコツ 

◎ギャグ感嘆詞

ギャグ言葉の中でも、“ギャグ感嘆詞”をピックアップします。

ネガティブな感情は、“ギャグ感嘆詞”に変えられます。
例えば…

・絶望→ ガ゛━━ン(゜Д゜;)

・恐怖→ ギャーーー\(;◎o◎)/

・肉体的苦痛→ ピギャ(+д+)

・精神的苦痛→ グハッ(;゜∀゜)・∵.

…このようにすれば、ネガティブモードを“瞬時”に弱められます。
感嘆詞には、“瞬発力”があるからです。


私は、ネガティブになった瞬間、ギャグ感嘆詞を言うクセがあります(人前では内語)

例えば、イヤなことがあった瞬間、「ギャオース(;゜Д゜)!!」と思ったり、
イタい目にあった瞬間、「ピギャ(+д+)!!」と思ったりします。

そうすると、瞬時にギャグモードが強まり、苦しみが弱まります。


私は、ギャグマンガを読むことが多かったため、このような方法が合っているようです^_^;



●ギャグ態度になるコツ

◎ギャグ語感

ギャグ言葉は重宝ですが、すべてをギャグ言葉にするのは無理があります。
もちろん、普通の言葉も使ってください。

普通の言葉でも ギャグモードになることができます。
そのコツは、“語感”です。

例えば、「申し訳ございません」は普通の言葉ですが、
「申し訳ございません」はシリアスモードで、
「申し訳ございませんm(_ _;)m」はギャグモードです。
両者の違いは“語感”です(末尾の記号で表現しています^_^;)

関西人にとって「どーでもええわ」は普通の言葉ですが、
「どーでもええわ」はシリアスモードで、
「どーでもええわ(;゜д゜)/!」はギャグモードです。
後者は、語感がギャグモードです。


ギャグドラマは、ギャグ言葉だけではありません。
普通の言葉も出てきます。
むしろ、普通の言葉のほうが多いです。

吉本新喜劇ですら、ギャグ言葉は一部だけです。
大体は、普通の言葉です。
しかし 普通の言葉でも、どこかギャグモードです。
それは、語感がギャグモードなのです。


「ギャグ語感が分からない」ということはありえません。
語感とは主観的なものです。
自分がギャグ語感だと感じれば、それはギャグ語感です。



●ギャグ態度になるコツ

◎深刻なギャグ語感

「今は落ち込んでいるから、ギャグ語感になれない」
「今は深刻な気分だから、ギャグ語感になれない」
…というときは、想像力を広げましょう。

ギャグ語感というと、
「ありがとうございま~すヽ(^o^)丿♪」
「どうもスミマセン(*ノω・*)テヘ☆」
といった、“明るい語感”を連想しがちですが、それだけではありません。

暗いギャグ語感”や、“深刻なギャグ語感”も、あります。
それは、“ギャグドラマで 暗い口調になる”感覚です。
または、“人情喜劇で 深刻な口調になる”感覚です。
または、“泣けるコメディでシリアスな口調になる”感覚です。
例えば…
「なんということだ…(;゜д゜)」
「もっとがんばろう…(T_T)」
「誠に申し訳ございません…m(_ _;)m」


もちろん 暗いギャグ語感より、明るいギャグ語感のほうが良いです。
しかし、ときには明るくなれないこともあります。
そのときは、“暗いギャグ語感”から入りましょう。
そうして 余裕が出てきたら、“明るいギャグ語感”に移りましょう。



●ギャグ態度になるコツ 

◎内語を使う

むやみにギャグ態度になると、人を不快にすることがあります。
時と場合を考えましょう。

しかし、内語なら、いつでもギャグ態度になれます。
授業中でも仕事中でも、ギャグ態度になれます。
人にバレる心配はありません。

内語は、意識と態度の中間にあります。
内語は意識であり、“態度”でもあるのです。

内語を使って、いつでもどこでもギャグ態度になりましょう♪



●ギャグ態度になるコツ

◎笑う

“笑うこと”も、ギャグ態度です。
そもそも“ギャグ”には、“笑わせる言動”という意味があります。

ギャグを見聞きすると、笑ってしまいますよね。
ギャグモードが高まると、自然に笑いが生まれるのです。
ヒトは、そのようにプログラムされています。

このプログラムは、逆に利用することが大事です。
つまり、“笑うことでギャグモードを強める”ことが大事です。

私は、過去の失敗を思い出した瞬間、「フッ(^ε^:)」と笑います。
そうすると、失敗がギャグドラマに見えてきます。
だから、シリアスモードに落ちずにすみます。

“おもしろいことがないと、笑えない”という消極的な考えでは、おもしろい人生にはなりません。
“笑うことで、おもしろくする”という、積極性が大事です。


人生、心から笑えないときもあります。
しかし、“形”だけ笑うのはカンタンです。
ただ機械的に“笑筋”を動かせばいいだけです。

※笑筋とは……笑うときに使う筋肉のこと(表情筋・呼吸器・腹筋など)
       モモエの造語

体(形)が笑えば、心も笑った状態になりやすいです。
笑筋の神経が刺激されて、脳が笑った状態になるからです。
体と心は、つながっているのです。

笑筋の中でも、特に笑顔の筋肉を、 “笑顔筋(えがおきん)”とします。
笑顔筋は、特に強力です。
わたしは笑顔筋を使って、シリアスモードから抜け出すことが多いです。

ネガティブモードになると、口角が下がって、“へ”の字になります。
への字口になると、不幸キャラっぽいです(`へ')

笑顔筋を動かすと、口角が上がって幸せキャラっぽくなります(´∀`)
この差は大きいです。



●ギャグ態度になるコツ

◎極微笑(ごくびしょう)

笑うときは、周囲に配慮しましょう。
むやみに笑うと、他人を不快にすることがあります。

しかし 私は、いつでもどこでも笑えます。
不快感を与えることはありません。

そのコツは、“極微笑”です。
極微笑とは、他人に違和感を与えないくらい、微小な笑顔のことです(モモエ造語)

極微笑だと、客観的には笑顔に見えないこともあります。
しかし、自分の中では笑っています。
だから、笑いの効果は 充分あります。

極微笑なら、いつでもどこでも笑えます。
だから、いつでもどこでもギャグモードになれます。


「うまく笑えない」という人は、0か100かの発想になっています。
いつも100%の笑顔になる必要はありません。
“1%の極微笑”でも、笑ったことになります。

1ミリでも笑顔筋を動かすのと、全く動かさないのとでは、雲泥の差です。


極微笑は、ごく少ないエネルギーで笑えます。
だから、笑う気力がないときでも、笑いやすいです。
落ち込んでいるときでも、極微笑なら笑いやすいです。



●ギャグ態度になるコツ

◎半笑い

人生には、笑えないときもあります。
そんなときでも“半笑い”なら、できたりします。
例えば…

・泣き笑い( ;∀;)
・怒り笑い(#・`∀・´)
・痛笑い(;>∀<)
・ニガ笑い(; ̄▽ ̄)

↑コントやギャグマンガで、よく見る表情です。
ネガティブなのに、本気でネガティブになっていない感じがします。

例えば、“泣き笑い”は、本気(シリアスモード)で泣いてない感じがします。
泣いているのに、どこか余裕(ギャグモード)を感じます。


半笑いは、“顔の上半分がシリアスモード、下半分がギャグモード”です。
それは、“目元はネガティブなのに、口元は笑っている”状態です。
例えば…

・怒り笑い→目元は怒っているのに、口角は上がっている(#・`∀・´)
・イタ笑い→目元はイタそうなのに、口元は笑っている(;>∇<)
・ニガ笑い→目元は死んでいるのに、口端が上がっている(; ̄∀ ̄)

人前では、バレないように“極微半笑い(ごくびはんわらい)”でお願いします(; ̄∀ ̄)



●ギャグ態度になるコツ

◎ギャグモードでネガティブ顔

ネガティブな気分になると、“ネガティブ顔”になりやすいです。
それは、イタい顔、ガッカリした顔、怒った顔などです。

私はネガティブになったとき、あえて“ギャグモードでネガティブ顔”になることがあります。
そうすれば、“シリアスモードでネガティブ”にならずにすむからです。
例えば…

落ち込んだとき 「ズーン(;ー_ー)」
失敗したとき 「やってもうた(TдT)」
イタいとき 「イタっ(>皿<;)!」
失望しとき 「ゲ~~(;´Д`)」

↑コントやギャグマンガで、よく見る表情です。
ネガティブなのに、どこかギャグモードです。

もちろん、積極的にネガティブ顔になるのはNGです。
あくまで、本気(シリアスモード)でネガティブにならないための手段とお考えください。
または、シリアスモードからギャグモードへ移る手段とお考えください。

人前でやると、他人を不快にすることがあるので注意しましょう^_^;



●ギャグ態度になるコツ

◎無表情でもギャグ態度

極微笑、半笑いなど、“表情”のコツを書いてきました。
しかし、ずっと表情を作るのは無理があります。
ときには無表情になることもあります。

無表情だと、“仏頂面”なって、ネガティブモードになりやすいです。
そうならないためには、無表情でもギャグ態度になることが大切です。

その方法は、“内語”でギャグ態度になることです。

表情をつくる気力がなくても、内語でしゃべることはできます。
内語は、体を使わないため、消費エネルギーが少ないからです。

たとえ仏頂面でも、内語はギャグ態度でいきましょう。
死んだ魚のような目をしていても、内語はギャグ態度でいきましょうw



●ギャグ態度になるコツ

◎形から入る

シリアスモードが強いときは、ギャグ態度になりにくいです。
そんなときは、“形から”ギャグ態度になりましょう。

心からギャグ態度になれなくても、形だけならギャグ態度になれます。
“形から入れ”と言いますよね。

無理やり、心からギャグ態度になろうとするのはナンセンスです。
とりあえず、形(表面)からギャグ態度になりましょう。

コツは、“無心”でギャグ態度になることです。
ロボットのように、余計な感情を“無”にすることです。

例えば、ネガティブモードになったら、無心で「めちゃオモロイww」と言いましょう。
変なプライドで謝れないときは、無心で「誠に申し訳ございませんm(_ _;)m!!」と思いましょう。
心は後からついてきます。

※もちろん内語でOKです。



●シリアスモードを短くする

シリアスモードには、“悪い快感”があります。
それは、麻薬的な快感です。

だから、普通の人は わざとシリアスモードになります。
シリアスモードの快感に溺れたいからです。

しかし、ここまでブログを読まれた あなたは違います。
あなたが、わざとシリアスモードになることはありません。

わざとシリアスモードになっているようでも、本心ではなりたくないはずです。
なぜなら、それがシリアス(ネガティブ)な事態を引き寄せると、知っているからです。

貴方がシリアスモードになるときは、ほぼ無意識です。
無意識のうちに、いつのまにかシリアスモードになってしまう…
または、自分の意に反して、どうしてもシリアスモードになってしまう……という感じです。

「これは演劇ゲームだ」という“意識が無い”状態が、シリアスモードです。
だから“無意識”の部分では、どうしてもシリアスモードになってしまいます。

シリアスモードから抜け出すには、“意識的に”ギャグモードになることです。
しかし、意識的にギャグモードになっても、無意識のうちにシリアスモードに戻ります。
そうしたら、また意識的にギャグモードになります。

シリアスモード(無意識)
  ↓
ギャグモード(創造神意識)
  ↓
シリアスモード(無意識)
  ↓
ギャグモード(創造神意識)
  :
  :
これは、寄せては返す波動のリズムです。
気分(モード)に波があるのは、波動の法則です。
だから、「ギャグモードになっても、シリアスモードに戻ってしまう」と嘆くのはマトハズレです。

それは、必ずシリアスモードで苦しまなければならないということではありません。
なぜなら、シリアスモードはいくらでも短くなるからです。
ギャグモードを長くしたぶん、シリアスモードは短くなります。

人の心は、ギャグモードとシリアスモードが混在しています。
0.1%でもギャグモードが強くなれば、それはギャグモードです。
50.1%ギャグモード 49.9%シリアスモード……という状態でも、それはギャグモードです。
だから長時間ギャグモードでいることは、わりとカンタンなのです。



●ツッコミを入れる

“漫才”も、ギャグドラマのひとつです。
人生は“ひとり漫才”だといえます。


人の意識には “ボケ意識”と“ツッコミ意識”があります。

ボケ意識は“役意識”です。
ツッコミ意識は“創造神意識”です。

ボケ意識は、「この世は現実だ…深刻だ…」とボケています。
そこに ツッコミ意識が、「何でやねん!これ お前が創ったバーチャルゲームやで(;゜д゜)/!?」と、ツッコみます。

ボケ意識を覚醒させるにはどうしたらよいでしょうか?
方法は色々ありますが、一つは“ツッコミ”を入れることです。

漫才で、ボケにツッコむと 笑いが起きますよね。
ツッコみには、“これはギャグドラマだ”と自覚させる働きがあるからです。

例えば、ボケ意識が「この世は現実だ…深刻だ…」と、シリアスモードになっているとき、
「なんでやねん!これ お前が作ったバーチャルゲームやで(;゜д゜)/!?」
と、ツッコめば、この世が“コント自作自演”であることを思い出せます。

ツッこむときは、もちろんギャグモードでお願いします。
シリアスモードでツッコむのは、ツッコミではありません。
単なる自責です^_^;


ひとり漫才の例

・ボケ意識……「あの野郎、許せない……」
・ツッコミ意識……「許すも許さんもあるか! アレ、お前の創ったロボットやないか(;゜д゜)/ビシッ!!」

・ボケ意識……「ヤバイ…どうしよう……困った…」
・ツッコミ意識……「困ることなんかあるか!お前、創造神やないか(;゜∀゜)/ビシッ!」


もちろん 人前では内語で お願いします^_^;



●過去も未来もギャグドラマ

昔は深刻になったことでも、今は笑い話になったりします。
それは、視点がロングショットになったからです。
過去を、ロングショット(ギャグ視点)で、見られるようになったからです。

ロングショットになるまで、一年も二年も待つ必要はありません。
1秒前のことも“過去”です。
だから 1秒前のことでも、ロングショット(ギャグ視点)で見ることができます。

私は失敗した直後に、それをギャグ視点で笑っていたりします。
激怒した直後に、ギャグ視点で自分にツッコミをいれたりします。

長い時間が経たないと、ロングショット(ギャグ視点)になれない……というのはカン違いなのです。


過去だけでなく、未来もギャグ視点で見られます。
未来をギャグ視点で見れば、未来もギャグドラマになります。

例えば、“不安”なときは、必ず未来を見ています。
失敗が不安なときは、未来の失敗を 不安がっています。
災難が不安なときは、未来の災難を 不安がっています。

そのようなときは、以下の方法で不安が軽くなります。

①悪い未来を受け入れる
②悪い未来を避けるべく行動する

例えば、テストが不安なら、悪い未来は“テストで失敗すること”です。
その場合、テストで失敗することを受け入れられれば、不安は軽くなります。

「それができたら苦労しねーよ!」
「悪い未来なんか、受け入れられない!」
…と思われた人は、シリアス視点になっています。
シリアス視点だから、受け入れられないのです。
ギャグ視点になれば、大抵のことは受け入れられます。

厳密には、“ギャグ視点+ギャグ態度”になれば、大抵のことは受け入れられます。

例えば、失敗が不安なら、失敗する自分をギャグドラマでイメージします(←ギャグ視点)
そして、それを笑います(←ギャグ態度)

破産が不安なら、破産した自分を、ギャグマンガでイメージします(←ギャグ視点)
そして、「そうなったら、一から出直しじゃっ! トランプは4回破産しとるわ(;゜д゜)!!}と、内語で言います(←ギャグ態度)

このようにすると、悪い未来も 受け入れやすいです。

「悪い未来をイメージしたら、悪い未来をを引き寄せてしまう」
と不安になる人は、引き寄せの法則の理解が浅いようです。

もちろん、良い未来を引き寄せるには、良い未来をイメージするのが基本です。
しかし、良い未来をイメージしても、不安が弱まらないときがあります。
それは、悪い未来への恐怖が強いからです。

そんなときは、“ギャグ視点&ギャグ態度”で、悪い未来をギャグにしましょう。
そうすれば、悪い未来が、大して恐くなくなります。
すると、不安の波動が弱まって、良い未来を引き寄せやすくなります。


“ギャグ視点&ギャグ態度”でも受け入れられないことは、無理に受け入れなくて構いません。
他の視点から解決できます。



●ギャグモードでポジティブ思考

私たちは、“シリアスモードでポジティブ思考”することが多いです。
例えば、
「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます……」
「申し訳ございません。次から気をつけます」
などと、シリアスモードで思ったりします。
それは、ネガティブ(シリアス)モードを止めるために、ポジティブ思考を始めるからです。
もちろん、それは良いのですが、いつまでもシリアスモードだと、ポジティブ思考の効果が半減します。
シリアスモードは、波動がネガティブだからです。

我に返ったら、“ギャグモードでポジティブ思考”に切り替えましょう。
ギャグモードは、波動がポジティブです。
だから、“ギャグモードでポジティブ思考”すれば、効果倍増です。

シリアスモードで「もっと頑張ろう…」と思うより、
ギャグモードで、「もっと頑張ろう(;^ω^)」と思うほうが、明るい気分になるはずです。

それが分かっていても、シリアスモードでポジティブ思考するときがあります。
それは、“油断”しているからです。
「自分は、良いこと(ポジティブ思考)をしているんだから、ちょっとくらい悪い波動(シリアスモード)になってもいいだろう」
と、無意識に“油断”しているからです。

この油断は、“奢り(おごり)”とも言えます。
ポジティブ思考している自分に奢っているのです。
奢りを捨てて、謙虚にギャグモードになることが大切ですw


「ギャグモードでは、真剣にポジティブ思考できない」
「シリアスにならないと、真面目にポジティブ思考できない」
…という人は、想像力を広げましょう。

ギャグモードでも、真剣にポジティブ思考することはできます。
それは、人情喜劇で真剣にポジティブ思考する感覚です。
または、泣けるコメディで真面目にポジティブ思考する感覚です。



●先にギャグモード

ネガティブモードが強いときは、ポジティブになりにくいです。
そんなとき、ポジティブになるコツは、“先にギャグモードになる”ことです。
やみくもにポジティブになろうとするより、“先にギャグモードになる”ほうがカンタンです。

ギャグには、“楽しい・おもしろい”など、ポジティブな要素がある一方で、“失敗・ダメ人間”など、ネガティブな要素もあります。
つまりギャグモードは、“ネガティブ”と“ポジティブ”、どちらにも通じているのです。
だから、ネガティブモードからギャグモードへ移りやすく、ギャグモードからポジティブモードへも移りやすいのです。

ギャグモードは、“ネガティブモードからポジティブモードへの架け橋”です。
それは、このようなイメージです。

①ネガティブモード
   ↓
②ギャグモード
   ↓
③ポジティブモード


具体例をあげると…

①失敗して落ち込む(ネガティブモード)
    ↓
②それをギャグ視点で笑う(ギャグモード)
    ↓
③気が楽になって、ポジティブな気分になる(ポジティブモード)

…普通、①から③に移るのは時間がかかります。
しかし、②を通れば、より早く③に移れます。


怒りを弱めるコツも、先にギャグモードになることです。
無理に怒りを弱めるより、ギャグモードを強めるほうがカンタンです。

怒りを弱めるには、“反省”と“感謝”が必要です。
しかし 変なプライドが強いと、反省も感謝もできません。

変なプライド(=シリアスモード)を弱めるコツは、ギャグモードを強めることです。
ギャグモードを強めれば、カンタンに反省と感謝ができます。
例えば…

①シリアスモードで他人に怒る。
    ↓
②ギャグモードで反省・感謝する
 「なんでお前が怒っとんねん! 自業自得やないか(;゚д゚)!!」
 「そうやった!ぜんぶカルマの法則やった!!
  「ほんまスンマセン! 私こそ、もっとイイ人間になりますっっm(_ _;)m!!」
 「私の悪いところに気づかせていただいて、ありがとうございますm(_ _;)m!」
 「反面教師になっていただいて、ありがとうございますm(_ _;)m!」
 「悪いカルマを取っていただいて、ありがとうございますm(_ _;)m!」
  ↓
③すでにポジティブモードになっている


…普通だと、他人への怒りから反省・感謝に至るには、時間がかかります。
しかし ギャグモードになれば、すぐに到達できます。


お笑い芸人は、変なプライドを捨てて、何でもやっていますが、それはギャグモードだからです。
彼らも、プライベートでシリアスモードになれば、できないことが多くなります。



●ネガティブモードからギャグモードに移るコツ

ネガティブモードからポジティブモードへ移るコツは、“先にギャグモードに移る”ことです。
しかし、ギャグモードにすら移れないときもあります。
そのため、
“ネガティブモードからギャグモードに移るコツ”を、復習させて頂きます。


◎ギャグ視点

ネガティブモードからギャグモードに移るコツは、“ギャグ視点”です。
それは、“ネガティブな状況を ギャグとして見る”ことです。

人情喜劇には、ネガティブなシーンもあります。
泣けるコメディには、シリアスなシーンもあります。

そのような視点で、ネガティブな状況を眺めましょう。



◎ギャグ態度

ギャグ視点だけでは足りません。
ギャグ態度も必要です。

“ギャグ視点+ギャグ態度”で、はじめてギャグモードに移れます。



◎内語

ネガティブモードからギャグモードに移るコツは、“内語”です。

内語なら、心が弱っていてもギャグモードになりやすいです。
体を動かさないぶん、消費エネルギーが少ないため、カンタンにギャグモードになれます。



◎形から入る

ネガティブモードからギャグモードに移るコツは、“形から”入ることです。

ギャグモードになれないときは、“心から”ギャグモードになろうとしています。
そのようなときは、“形から”入ることが大切です。

心はネガティブモードのままで、とりあえず形(態度)だけギャグモードになりましょう。
内語を使えばカンタンです。



◎0.1%ギャグモード

ギャグモードになれないときは、100%ギャグモードになろうとしています。
そうではなく、0.1%でもギャグモードになることが大切です。



●善いマジメ、悪いマジメ

“マジメ”という言葉には、善い意味と悪い意味があります。
善い意味は、“誠実”です。
悪い意味は、“シリアス”です。

悪い意味でマジメにならないようにしましょう。

とはいえ、“善い意味でマジメ”なっても、自動的に“悪い意味でマジメ”になってしまいます。
例えば、マジメ(誠実)に反省しているうちに シリアスモードで落ちこんだり、
マジメ(誠実)に仕事しているうちに シリアスモードで怒ったり……

これは、逆転劇のシステムです。
“善人のつもりが、いつのまにか悪人になっている”という逆転劇です。
“幸せキャラのつもりが、いつのまにか不幸キャラになっている”という逆転劇です。
演劇で、よくあるパターンです。

不幸キャラに堕ちたら、次は、幸せキャラへの逆転劇を演じましょう。

“シリアスモードでマジメ”なキャラから、逆転するにはどうしたらよいでしょうか?
それはもちろん、““ギャグモードでマジメ”なキャラになることです。



●ギャグモードでマジメな態度

人生ドラマには“マジメなシーン”があります。
例えば…

・マジメに会話するシーン
・マジメに謝罪するシーン
・マジメに反省するシーン

このようなシーンで、あからさまにギャグ態度になるのは、“場違い”です。
場違いな演技は、監督(創造神意識)がNGを出します。

例えば、マジメに謝罪すべき人が、あからさまにギャグ言葉だったらNGですよね。
(ギャグマンガの中ならOKですが、人生ドラマの中ではNGです^_^;)

演劇には、“その場にふさわしい”態度があります。
マジメなシーンでは、マジメな態度がふさわしいです。

しかし、マジメな態度になると、シリアスモードになりがちです。
シリアスモードになると、不幸キャラになります。

では、どうすればいいのでしょうか?

それはもちろん、“ギャグモードでマジメな態度”になればいいのです。

それは、ギャグドラマのなかでマジメになっている感覚です。
それは マジメになっている自分を、ギャグ視点で見ている感覚です。



●ギャグモードでマジメに生きる

ギャグモードになれない人は、、
「ギャグモードで生きたら、ダメ人間になるのでは…」
と、“恐れ”ている場合があります。
もちろん、それはトラップです。

逆に、ギャグモードで生きない方が、ダメ人間になります。
なぜなら、シリアスモードになるからです。
シリアスモードは、波動がダメ(ネガティブ)な状態です。

私はマジメに生きていますが、同時にギャグモードで生きています。
“ギャグモードでマジメ”に生きています∠(゜д゜)ビシッ
ギャグモードとマジメは両立するのです。


「世の中には、ギャグにできないこともある。なのにギャグモードで生きるなんて不謹慎だ」
というのは、0か100かの発想です。

すべて100%ギャグにする必要はありません。
ギャグにできることだけ、ギャグにすればOKです。

といっても、このブログを読める人の人生なら、概ねギャグにできるはずです。
戦争ですらコメディ映画になっています。

「戦争をコメディにしたら、戦争の恐ろしさを忘れて、戦争を繰り返してしまうのでは…」
「マジメな問題をギャグにしたら、世の中がダメになってしまうのでは…」
と、心配になるかもしれませんが、それは神の理解が足りない人のばあいです。
ここまでブログを読まれるような方に、その心配は入りません。

魂の成長に応じて、やるべきことは変わります。
幼児がハサミを使うのは危険ですが、大人は使わねばなりません。

ギャグモードは、いわばハサミです。
大人の魂が使うべきツールです。

ハサミを恐れる臆病な大人にならないで下さい。
大人の魂は、勇気を持ってギャグモードで生きてください。
そうしないと、延々とシリアスモードで苦しむハメになります。

マジメな問題を、マジメな視点で見ることは大事です。
それと同時に、ギャグ視点で見ることも大事です。
どちらか一方でしか見られないというのは、0か100かの発想です。

※マジメな問題を、表立ってギャグにしないようにしましょう。
 ヒンシュクを買ってしまいます^_^;



●愛すべきダメキャラ

ギャグドラマには、ダメキャラが付きものです。
釣りバカ、おそ松、吉本新喜劇など、ダメキャラのオンパレードです。

しかし、彼らを本気で嫌悪することはない思います。
むしろ、愛すべきダメキャラとして、愛でていると思います。

人生はギャグドラマです。
だから自分のことも、愛すべきダメキャラとして愛でてやってください。
そのダメっぷりを、暖かく笑ってやってください(^^;



●ギャグエッセイ視点

実体験や実感を書いたものを“エッセイ”といいます。
枕草子や徒然草が有名です。

エッセイのなかで、わりとギャグモードなものを、“ギャグエッセイ”と呼ばせて頂きます。
ギャグエッセイの作家は、ギャグエッセイストです。

ギャグエッセイストは、わりとポジティブな人が多いと思います。
それは、ネガティブなことがあっても、“ギャグエッセイのネタ”に見えてしまうからです。
これは良い職業病です。

私はギャグエッセイストではありませんが、“ギャグエッセイ視点”で生きています。
ネガティブなことは、ギャグエッセイ視点で見ています。

人が“ギャグ視点”になるときは、厳密にいうと“ギャグエッセイ視点”になっています。
なぜなら、ギャグ視点になるときは、かならず自分の“実感・実体験”をギャグ化しているからです。
エッセイとは、実感・実体験を著したものです。


最近は、マンガで描いたエッセイも たくさんあります。
私は“ギャグマンガエッセイ視点”になることも多いです。

例えば、何かに失敗したら、
「ズコーッ!!c⌒っ゜Д゜)っ」
と、ギャグマンガエッセイ的にイメージします。

イタい目にあったら、
「ギャーッ\(||゜Д゜)/」
と、ギャグマンガエッセイ的にイメージします。

素直に感謝できないときは、
「誠にありがとうございますぅぅ!! _| ̄|○ ハハ~ッ」
と、マンガで土下座する自分をイメージします。
そうすると、変なプライドが消えて、感謝しやすくなります(あくまで私の例ですが^_^;)


ギャグ(マンガ)エッセイを たくさん読むと、ギャグ視点になるのが上手くなります。
“こんな不幸な状況でも、ギャグにできるのか”
“こんな深刻な状態でも、ギャグにできるのか”
と、ギャグ視点の可能性が広がるからです。

参考図書
・ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!(←超オススメ!!)
・そういうふうにできている
・生きるコント
・板谷バカ三代
・毎日かあさん カニ母編
・オンリー・ミー―私だけを
・ずっと健康だと思ってた。34歳脳こうそく克服記
・ツレがうつになりまして。
・大泉エッセイ 僕が綴った16年
・超魔球スッポぬけ!
・海馬が耳から駆けてゆく


ギャグエッセイとは、“100%ギャグモードのエッセイ”という意味ではありません。
参考図書の中にも、シリアスな部分はあります。
しかし、ギャグモードの方が強いのです。

※マンガのエッセイは、一般的にはコミックエッセイと呼ばれています。



●笑い話視点

笑い話のネタは、ほとんどネガティブ要素です。
不幸・失敗・ダメ人間などのネガティブ要素が、笑いのネタになっています。

だから、一流の お笑い芸人は、深刻になりにくいと思います。
何かあっても、「これを笑い話のネタになるw」と思えるからです。

このような視点を、“笑い話視点”とさせて頂きます。

ギャグエッセイは読んだことがなくても、笑い話なら聞いたことがあるはずです。
だから、誰でも“笑い話視点”になることができます。

実際に話さなくてもOKです。
“笑い話視点になるだけ”で効果があります。

実際に話しても良いのですが、他人に話すときは注意が必要です。
他人が聞いても、大しておもしろくないからです。
だから、他人に聞かせる必要はありません。
聞かせる必要があるのは、自分だけです。

要は、自分が笑い話視点になれればよいのです。
だから、きちんと話す必要もありません。
自分だけ分かるように、内語でテキトーに話せばOKです。

私は、脳内で知人に話したり、脳内のバラエティ番組に出演して話したりしていますw


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2017.01.10.16:08

以前
「かならずしも
心からプラス思考
しなくてもいい」

「無心で感謝の言葉を
唱えてもいい」

といったことを
お話しました

「ゼッタイ心をこめなきゃダメだ!」

となると、なかなか
感謝のことばが
言えないからです

プラスのことばが
言えないからですね

とはいえ、心をこめるに
越したことはありません

無心で
「アリガトウゴザイマス」
と言うより

心をこめて
「有り難うございます!」
と言ったほうが
効果は高いです

だから私は
「無心で心をこめる」
というテクニックを
よく使っています

実は
「無心で心をこめる」
というミラクルな方法が
あるんです

それは「演劇調」
という方法です

演劇調とは
「演劇的な調子」
の略ですね

たとえば
「アリガトウゴザイマス」
…これはボー読みです

逆に
「有り難うございます♪」
…これが演劇調です

たとえば
「スバラシイワ」
…これはボー読み

逆に
「素晴らしいわ(*^▽^*)」
…これが演劇調

演劇って
日常とは違った
独特の調子がありますよね

舞台とかテレビドラマの
調子で普段しゃべったら
変な人になりますよね

「おおロミオ
あなたはどうして
ロミオなの(;∀;)!」

みたいにしゃべったら
かなり変です(^_^;)

あの演劇独特の調子が
「演劇調」です

わたしは良い内語を
言うとき
演劇調で言うことが
多いです

演劇調だと
心がこもりやすいから
ですね

じゃあ試しにボー読みで
「アリガトウゴザイマス」
と言ってみてください

次に、演劇調で
「有り難うございます!!」
と言ってみてください

どうでしょう?
演劇調のほうが
心をこめやすい
のではないでしょうか?

では またボー読みで
「ホントニシアワセ」
と言ってみてください

では次に演劇調で
「本っ当に幸せ♪」
と言ってみてください

どうでしょう?
やっぱり演劇調のほうが
心をこめやすいですよね

演劇調になるとき
ムリに心をこめる
必要はありません

無心で言っても
演劇調になれるんです

無心で
「ああ、しあわせ〜(^^)」

「神様ありがとう
ございます\(^o^)/!」

とか演劇調で
言えるんですね

ロボットが演劇調で
しゃべってる感じです

それでも
ボー読みよりは
心がこもります

もちろん
ムリはしないでください

ずっと演劇調になるのは
ムリがありま

無心でボー読みでも
ぜんぜんOKです

ムリのない範囲で
演劇調を
やってみて下さいね

あなたは本気で悩んでない

2015.05.08.13:02

●麻薬だと自覚する

不快と快感は紙一重です。
“苦しみ”は、ゲーム的に見れば“面白み”です

私たちが苦悩しているとき、自から進んで苦悩している部分があります。
それは、苦悩に ある種の快感があるからです。

たとえば、ウツな気分に浸っているときは、太宰治的な快感を得ています。

「どうせ俺はバカだから(ToT)」
「どうせ私は嫌われ者だ(-_-;)」
「私のことなんかどうでもいいんだ(>_<)」
「俺が死んでも誰も悲しまない(-_-;)」
などと自虐的な気分になっているときは、自虐的な快感を得ています。

「私はみじめだ」
「俺は不幸な星の元に産まれてきたんだ」
などと自己憐憫に浸っているときは、悲劇の主人公的な快感を得ています。

その他、
「アイツは俺にあんなことを言った」
「私はあんなヒドいことをされた」
と、過去の侮辱をわざわざ思い出しているときも、ネガティブな快感を得ています。

「私がこう言ったら、アイツはこう言い返すだろう… 私がこうしたら、アイツはこうするだろう…(-_-;)ムカムカ」
「あの人は、こんな風に私の悪口を言っているだろう…(`へ')ムカムカ」
などと、被害妄想しているときも、ネガティブな快感を得ています。

ネガティブな気分(モード)は、いわば麻薬です。
ネガティブモードに溺れるのは、麻薬に溺れるのと同じです。

私は以前まで、このことをハッキリ自覚していませんでした。
よもや苦悩している自分が、快感を得ているとは思っていませんでした。
だから、知らず知らずネガティブモードの快感にハマってしまっていました。

しかし今は、“これは麻薬だ”と、ハッキリ自覚するようにしています。
だから、知らず知らずハマることはなくなりました。


しかし、知りながらハマってしまうことはあります。
そのときは、
「私は本気で苦悩してない。本当は面白がっているんだ」
「その気になればネガティブモードから抜け出せるけど、あえてハマってるんだ」
ということを思い出すようにしています。



●本気になれば止められる

本気になれば苦悩(ネガティブ思考)は止められます。
“5秒以上ネガティブ思考したら、頭にトンカチが落ちてくる”
となれば、何とかして止められるはずです。
笑顔でポジティブな言葉を唱えまくるなり、論理的に思考しまくるなりすれば何とかできるはずです。
しかし実際にトンカチが落ちてこない限り、何とかする気になりません。
それは苦悩することの快感に惹かれているからです。
それが全てではありませんが、そういう部分もあると思います。

世の中には、本気になればどうにか出来ることと、出来ないことがあります。

月までジャンプする、太陽を飲み込む…などは、本気になっても出来ないことです。

しかし“苦悩(ネガティブ思考)を五秒以内に止める”のは、本気になれば出来ることです。
頭にトンカチが落ちそうになったら止められます。

しかし本気になってネガティブ思考を止めようとすると、
「何だか物足りない。もっとネガティブな気分に浸っていたい」
「ポジティブ思考するより、ネガティブな気分に浸るほうが楽だ」
と、感じる部分があるはずです。
だから本気で止める気になりません。


特にブログ読者様の場合、論理的に思考すれば、悩みはあっさり解決してしまいます。
しかし、それでは物足りません。
だから あえて問題を複雑に考えて、悩み続けようとします。
すでに解決していることを蒸し返して、苦悩し続けようとします。
それは、そうすることが ある種の快感だからです。

私たちは潜在意識(創造神意識)で、苦悩することを面白がっています。
創造神は、自分の創ったゲームで、悩んだり苦しんだり、エキサイトしたいのです。
なぜなら、悩みや苦しみこそがゲームの面白みだからです。



●本気じゃないことを思い出す

私たちは本気で苦悩していません。
あくまでゲーム感覚で、苦悩することを面白がっています。

苦悩しているのは役意識です。
本心(創造神意識)では、面白がっています。
このことを、折に触れて思い出すことが大事です。

「私は本気で苦しんでいるわけじゃない。本当は面白がっているんだな(^^;」
と自覚すれば、気楽に生きられます。


前に「人生楽しかありゃしない」と書かせていただきました。
たしかに人間力を上げるほど、人生は楽になります。
しかし100%楽にはなりません。
どうしても苦の部分は残ります(ユダヤの法則)

ではどうして“楽しかありゃしない”なのかというと、
「本気で苦悩していない」
「本心(創造神意識)は面白がっている」
ということです。
この事実を自覚するということです。

「人生から苦悩を無くしたい…(でも無くせない…)」
というジレンマに陥ったら、
“本気で苦悩していない”
という第三の発想に飛びましょう(弁証法)     



●“本気になればできる”ことを思い出す。

月までジャンプするなど、本気になっても出来ないことはあります
しかし私たちは、本気になれば出来ることを、できないと錯覚していることが多いです。
たとえば、友達ができない、結婚ができない、就職できない、などの苦悩がそれです。
「一年以内に上記のことができなければ、火だるまの刑」
となれば、大概は何とかできると思います。
ようは本気になっていないだけなのです。

そもそも苦悩(ネガティブ思考)そのものが、“本気になれば何とかできる”ことです。
「一分以内に苦悩を止めないと火だるまの刑」
となれば、何とかできるはずです。

実際に何とかしなくても、“本気になれば何とかできる”ことを思い出すだけで、心が楽になります。

その気になれば足を伸ばせる状況で正座するのと、絶対に伸ばせない状況で正座するのとでは、精神的負担がまるで違います。
“自分はいつでも足を伸ばせるのだ”と、
自覚することが大切です。


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自律神経のバランスを整える

2015.04.07.12:59

神経には、意識で直接動かせる神経と、動かせない神経があります。
直接動かせる神経は、腕や足などの神経です。
これらは「動かそう」と思えば動かせますよね。
一方、直接動かせない神経を自律神経といいます。
これは血管・汗腺や、心臓・腸など内臓の神経です。
「汗を止めよう」
「心臓を止めよう」
と思っても止められませんよね。

自律神経は無意識に働きます。
寝ている間も呼吸できたり、心臓が動いたりするのは自律神経のおかげです。

自律神経はさらに、交感神経と副交感神経に分かれます。
緊張するときは交感神経、リラックスするときは副交感神経が働きます。
緊張すると交感神経の働きにより、体がこわばったり血管がギュッと収縮したり、呼吸が浅く短くなったりします。
これは身体を臨戦態勢にするために必要な作用です。
日頃から緊張感を持つことは大事ですが“緊張しすぎ”はNGです。
緊張しすぎると、交感神経が過剰に働きます。
その結果、体がこわばりすぎて神経痛になったり、血管が収縮しすぎて血のめぐりが悪くなったり、色々と不具合が起きてきます。
また緊張しすぎると心が苦しくなります。
つまりネガティブな気分になります。
逆にいえばネガティブな気分のときは緊張しすぎています。
「ヤバい(>_<)」
「困ったことになるかも(>_<)」
と、必要以上に危機感を持っています。
「ネガティブな気分のときは、ダラダラしがちだから、別に緊張してないのでは?」
と思われるかもしれませんが“ネガティブな気分でリラックス”はできません。
体はダラダラ休んでいても、心は休まっておらず、不安や怒りなどで緊張しすぎています。
人は心と体でできています。
どちらもリラックスしないと、真のリラックスとはいえません。

緊張しすぎず、ダラけすぎず。交感神経と副交感神経のバランスが大切です。
「神経のバランス」と「創造神意識」は連動しています。
神経のバランスが良いほど、創造神意識は高くなります。
バランスが悪いときーー緊張しすぎているときは、
「ヤバいことが起きた(>_<)」
「困ったことになるかも(>_<)」
と、あまり神(創造神)を信用していません。
神を信じていたら安心(リラックス)するはずです。

逆に副交感神経に偏りすぎると、リラックスしすぎてダラダラします。
ダラダラしすぎると、憂鬱や自己嫌悪によってネガティブな気分になります。
そうするとリラックスできずに、交感神経が強くなります。

このように人は何かと交感神経に偏りがちです。
病人の多くは交感神経過剰というデータもあります。
だからここでは交感神経を鎮めることで、バランスを取る方法を書かせていただきます。

交感神経(自律神経)は、意識で直接コントロールすることができません。
しかし間接的にならできます。たとえば、
・ポジティブ思考で心を安心させる。
・立ったり座ったりなど、日常の動作をスローにする
・適度に休憩を取りつつ、イキイキと活動する。
…これらは間接的に交感神経を鎮めているといえます。
その中でも特にお勧めしたいのが“深呼吸法”です。
自律神経は直接コントロールできませんが、呼吸器を使えば ほぼ直接的にコントロールすることができます。
それは肺の下にある横隔膜に自律神経が密集しているからです。

誰しも緊張すると呼吸が浅く短くなります。
ネガティブな気分のときも、そうなっているはずです。
いわば“息が詰まった”状態です。
そのとき呼吸を深くスローにしてみてください。
深呼吸の要領です。
それだけで、いくらか緊張がやわらぎ、安心(リラックス)できると思います。
息を“吸う”のは交感神経、“吐く”のは副交感神経の担当です。
だから特に“吐く”方を意識すると効果的です。
吐くというよりも“吹く”方が、ゆっくり吐けると思います。
口笛のように口をすぼめて吹く感じです。

鼻には大気の汚れを遮断するフィルター機能があります。
だから息を吸うときはできるだけ鼻から吸うようにしましょう。
口呼吸がよくないと言われるのは、大気の汚れをダイレクトに吸ってしまうからです。
鼻から深く息を吸い、口からゆっくり息を吐く、という感じです。

呼吸を深くするためには、胸式呼吸よりも腹式呼吸が効果的です。
胸式呼吸とは、胸が膨らむタイプの呼吸です。
いつも無意識にやっている呼吸は胸式呼吸です。
一方、腹式呼吸とは、腹を膨らませるタイプの呼吸です。
といっても、腹に空気を入れるわけではありません。
あくまで空気は肺で出し入れします(あたりまえですが)
腹をふくらませると、肺の下の横隔膜が下がります(実際にイメージしてみて下さい)
すると、肺がより大きくふくらむので、より深く呼吸することができます。
難しく考えなくても、腹筋を使って、膨らませたり引っ込めたりすればOKです。

呼吸器は、ほぼ意識的に自律神経をコントロールできる唯一の器官です。
不安、怒りなどネガティブな気分が沸いたとき、私は即座に深呼吸法を行います。
そうすると自然に心がリラックスして、我(創造神意識)を取り戻すことができます。

私も含め普通の人は、慢性的な酸素不足の状態にあります。
リラックスが足りないのに加え、姿勢が悪いからです。
姿勢が悪いと、必要十分な酸素を取り込むことができません。
その結果、心身ともに様々な不具合が生じてきます。
なぜなら“酸素不足は万病の元”だからです。
気づいたときやスキマ時間は、きるだけ深呼吸するのがオススメです。
特にネガティブじゃなくても普段から深呼吸していると、目に見えて体調が良くなってくると思います。

参考図書:なぜ、「これ」は健康にいいのか?

他にも自律神経を操作しやすいスイッチに“笑顔”があります。
笑顔になると自動的に自律神経が整いやすいです。
その証拠に、笑顔になるだけで、ネガティブな気分が緩和すると思います。
実際に笑うようなことがなくても、笑顔の形を作るだけでOKです。
表情筋のツボが刺激されて、自動的に自律神経が整います。

交感神経と副交感神経は、どちか一方しか働かないということはありません。
つねに同時に働いています。
意識して両者のバランスを取ることが大事ですね。


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演劇ゲーム

2015.04.07.12:50

●演劇ゲームを優先する

この世は一種の
「演劇ゲーム」
だと解釈できます

「私たちの本性は、この世界をつくった創造神である」
というお話をしましたよね

私たちの本性は創造神ですが
それが山田太郎やモモエなどの役を演じています

演劇とは、役(キャラクター)を演じることです。
だから演劇ゲームは、キャラクターゲーム(キャラクターの法則)とも言えます。

神の演劇ゲームでは“納得”のいくストーリーが展開されます
(納得の法則)

幸せになりそうなキャラの人には、誰もが納得のいく、幸せなストーリーが展開されます。
不幸になりそうなキャラの人には、誰もが納得のいく、不幸なストーリーが展開されます。
(今は納得のいかない人も、あるていど宇宙の法則を理解すれば納得がいくようになります)

宇宙には無数のゲームがありますが、神が最も遊びたいのは演劇ゲームのようです。
なぜならこの世は、納得の法則(=演劇ゲーム)が基礎になっているからです。

カルマゲーム、波動ゲーム、ナゾときゲームなど、この世には無数のゲームがあります。
しかし、それらは全て演劇ゲームの1要素にすぎません。
演劇ゲームという大枠のなかに、他のミニゲームが含まれるイメージです。
これは納得の法則という大枠のなかに、他の小さな法則が含まれるのと同じ原理です。

私たちはあくまで“演劇ゲームの中で、他のミニゲームをプレイしている”のです。
折にふれ、このイメージを思いだすことが大切です。
さもないとミニゲームを優先して、大元の演劇ゲームを おざなりにしてしまいます。

演劇ゲームを おざなりにすると、不幸キャラになります。
例)
・ナゾときゲームを優先すると…
 →「どっちが正しいんだ…」「いったいどうすればいいんだ…」と苦悩する不幸キャラになる

・カルマゲームを優先すると…
 →自分のカルマを気に病んだり、無理に良いカルマ(徳)を積もうとする不幸キャラになる

・マネーゲームを優先すると…
 →モノに執着したり、損することを気に病んだり、節約しすぎてケチな不幸キャラになる

不幸キャラは、何をどう頑張っても不幸になります。
だから優先すべきは、演劇ゲーム(で幸せキャラになること)なのです。



●幸せキャラを演じる

幸せキャラになるコツは、幸せキャラを“演じる”ことです。
逆に、“演じなければ幸せキャラになれない”とさえ言えます。

素の状態で幸せキャラになれる人はいません。
もし、いたとしたら、その人はすでに神様です。


先に書いたように、ゲームはすべてポイント制です。
だから演劇ゲームもポイント制です。
幸せキャラを上手く演じて、演技点をガンガン稼ぎましょう。



●心の中でも演技する

表面的には幸せキャラでも、心の中が不幸キャラでは不幸になります。
だから心の中でも、幸せキャラを演じることが必要です。
それは、“幸せキャラが言いそうなセリフを、心の中で言うということです。

その際、演技点を稼ぐコツは、“演劇調”になることです。
ボー読みよりも演劇調のほうが、演技点(幸せキャラ点)が高いのは自明の理です。

例)
ボー読み「アリガトウゴザイマス」
演劇調「有り難うございます(≧∇≦)!!」

もちろん、全ての思考を演劇調にするのは無理なので、ボー読みでも全然OKです!



●体の演技

心の中で演技することは大事ですが、体で演技することも大事です。

ためしに、暗い顔でうつむいて「楽しい」と思ってみてください。
次に、満面の笑みで姿勢を正して「楽しい」と思ってみてください。
後者のほうが、より楽しい気分になれたはずです。

私はネガティブになったとき、ニヤリと笑って「おもしろい( ̄ー+ ̄)ニヤリ」と思います。
そうすると、無表情のときよりも、ずっと面白い気分になれます。
逆境を楽しむヒーローのような気分になれます(ドラゴンボールの悟空のような)

人は心と体でできています。
だから演技も“心と体”がそろうと効果倍増です。

いくら心で「私は幸せだ」と思っても、態度が不幸そうだと演技点は低いです。
幸せキャラの役なのに、不幸そうな態度で「私は幸せだ(-"-)」などと言う役者がいたら、とんだ大根役者です。
そこで幸せそうな態度を取れば、演技点がUPするのはもちろんです。

ポジティブな態度を心がけるの良いですが、それに甘んじて周囲への配慮を怠たらないようにしましょう。
ひとりでニヤニヤしたり、ポジティブな独り言を言ったり、気合を入れるような声を発したり、ワイワイ賑やかに騒いだり……
本人は幸せキャラのつもりでも、周囲に迷惑や不信感を与えていることがあるので、ご注意ください。



●逆転劇

不幸を完全に無くすことはできません。
どんなに人間力を高めても、不幸なことは起こります。
なぜでしょうか?

それは、この世がゲームだからです。

ゲームにおいて、障害は欠かせません。
障害があるからこそ、ゲームは面白いのです。

演劇ゲームにおける障害が、いわゆる“不幸”です。

不幸には色々な楽しみ方があります(笑い話にする、ギャグ目線で笑うetc…)
中でも、ここでご紹介したいのが“逆転劇”という楽しみ方です。

演劇ゲームに“逆転劇”は欠かせません。
“不幸から逆転して幸せになる”というのは、演劇の常套手段です。

例)
・敗北から逆転して勝利する
・失敗から一転して成功する
・苦悩を乗り越えて成長する

たいていの演劇には、逆転劇の要素が含まれます。
それは私たちが、本質的に逆転劇を好むからです。

すべての不幸は、逆転劇を盛り上げるための前フリです。
だから、
「また嫌なことがあった(T_T)」
「どうしてもネガティブ思考してしまう(T_T)」
「どうしても同じ失敗を繰り返してしまう(T_T)」
といった悩みはナンセンスです。
それらは逆転劇に欠かせない前フリ(不幸パート)です。
そこからの逆転劇にエキサイトするのが、演劇ゲームです!


苦境に立たされた時は、さまざまな視点で逆転劇を楽しんでください。

観客視点になって、
「ここから逆転劇の始まりだ((*゚∀゚*))」
と、ワクワクしてください。

作家(創造神)視点になって、
「ここから、どうやって盛り返そうか((*゚∀゚*))ワクワク」
「このドン底から、どうやって逆転劇に持って行こうか((*゚∀゚*))ワクワク」
と、想像(創像)してください。

そして、役者視点になって逆転劇を演じてください。
例)
「また同じ失敗を繰り返してしまった…m(__)m」からの
 →「取り戻せない失敗はない! 何度でもやりなおせる( *゚∇)/!!」

「俺はダメ人間だ…m(__)m」からの
 →「焦る必要はない。ちょっとづつ成長していくぞ( *゚∇)/!!」

これらは、ハッキリ内言語(心の声)にすることが大事です。
ぼんやり思っているだけでは、効果が薄いです。


どんな状況からでも逆転劇は起こせます。
状況が悪ければ悪いほど、逆転劇の快感は大きくなります。
これから起こる逆転劇にワクワクしながら、前フリ部分を演じてください!



●役意識と創造神意識

人の意識には“役意識”と“創造神意識”があります。

私たちの本性は創造神ですが、それが“モモエ”や“山田太郎”などの役を演じています。
役意識とは、この“モモエ”“山田太郎”といった意識のことです。

“モモエ”や“山田太郎”は、あくまで演劇ゲームの役であって、本性ではありません。
私たちの本性は創造神です。

しかし役意識が強くなると、
「私(モモエ)はダメ人間だ…」
「オレ(山田太郎)は侮辱された!!」
と、自分を役だと思いこみ、本気で苦悩してしまいます。
または、
「私は美人!ホホホ!!」
「オレは勝ち組!フハハ!!」
などと、本気で優越感にひたってしまいます。
または、
「ギャーー\(@Д@;)/大変だー!!」
「ウッヒョ~~ヽ(゚∀゚)ノ 楽すぃ~~☆♪♪」
と、“我”を忘れて取り乱したり、浮かれすぎたりしてしまいます。

この“我を忘れる”の“我”が、すなわち創造神意識です。

創造神意識が強くなると、
「本当の自分は創造神だ。ダメ人間でも勝ち組でもない」
と、我に返ることができます。
そして、
「これは自分が創った演劇ゲームだ。だから何も心配することはない。」
と、神のように泰然自若としていられるようになります。

もちろん人であるかぎり、100%創造神意識になることはできません。
どんな聖人にも、人としての意識(役意識)はあります。

神は創造することが好きですが、役になることも好きです。
役になってこその演劇ゲームです。
だから役意識と創造神意識は交互に強くなります。
例)
●我を忘れて取り乱す……役意識強
  ↓
○我に返って冷静になる……創造神意識強
  ↓
●我を忘れてネガティブ思考にふける……役意識強
  ↓
○我に返ってポジティブ思考する……創造神意識強
  :
  :
皆さんの意識は、このような感じだと思います。

意識は波動です。
波動がユラユラ揺れるリズムで、2つの意識は交互に強くなります(波動の法則/リズムの法則)

大我・小我といった言葉がありますが、
・大我=創造神意識
・小我=役意識
と解釈すれば分かりやすいです。

チャップリンの言葉に「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というものがありますが、
・クローズアップ = 役意識
・ロングショット = 創造神意識
と解釈すれば分かりやすいです。



●コントロールできる意識とコントロールできない意識

この世に、すすんで苦悩したがる人はいません。
もし“苦悩するスイッチ”と“苦悩しないスイッチ”があったら、どんな天邪鬼でも後者を押したいのが本音だと思います。
なのに、どうして苦悩してしまうのでしょうか?

その理由の一つは“知識”が足りないためです。
カルマ・波動・納得の法則などの知識が足りないため、やむなく苦悩してしまいます。

もう一つは“練習”が足りないためです。
たとえば、水泳の知識があるだけでは、上手く泳げません。
実際にその知識を使った演習を積むことで、徐々に上手くなっていきます。
それと同じで、“苦悩しない方法”の知識があるだけでは足りません。
実際のその知識を使った練習を積むことで、徐々に苦悩しなくなっていきます。

さらに、もう一つの理由は“自己コントロールできないから”です。

私たちが苦悩するとき、
・自己コントロールできず、反射的に怒ってしまう
・自己コントロールできず、どうしても悪いことをしてしまう
・自分の意志とは関係なく、無意識にネガティブ思考してしまう
…といった感じだと思います。

なぜ、このようなことになるのでしょうか?

それは意識に“コントロールできる部分”と“コントロールできない部分”があるからです。

コントロールできる部分は“創造神意識”
コントロールできない部分は“役意識”です。

たとえば藤子不二雄先生は、のび太というキャラ(役)の創造神です。
創造神である藤子先生は、のび太(役)をコントロールすることができます。
しかし のび太(役)は自分をコントロールすることができません。
のび太(役)をコントロールできるのは、藤子先生(創造神)です。

自分自身もこれと同じで、創造神意識が強まれば、自分をコントロールしやすくなります。
役意識が強まれば、自分をコントロールしにくくなります。

表現を変えれば、
・自己コントロールしやすい……創造神意識が強い
・自己コントロールしづらい……創造神意識が弱い
とも言えます。

創造神意識が完全に無くなると、“無意識”になります。
だから無意識になると、全く自分をコントロールできなくなります。
“無意識=役意識”とも言えます。

実際は、「今は創造神意識がある」「今は創造神意識が無い」と二分化することはできません。
「今は創造神意識10%くらい」「今は創造神意識50%くらい」という感じで、強弱の問題です。

意識は波動で出来ています。
だから創造神意識も、波が揺れるリズムで強弱を繰り返します。

・創造神意識弱…自己コントロールしづらくなる
        ↓
・創造神意識強…自己コントロールしやすくなる
        ↓
・創造神意識弱…自己コントロールしづらくなる
        ↓
・創造神意識強…自己コントロールしやすくなる
        :
        :
皆さんの意識は、このようになっていると思います。


創造神は、すべてを完璧にコントロールできます。
しかし人間は、創造神そのものではありません。
自分に制限をかけた創造神です。
“制限”とは、“コントロールできない部分”のことです。

すべてを完璧にコントロールできる創造神が、何故わざわざ制限(コントロールできない部分)を創ったのでしょうか?

それは、神がゲームそのものだからです。
神=ゲーム”だからです。

ゲームとは「制限(ルール)のあるアソビ」です。
制限なきゲームはゲームではありません。
カオスです。

制限があるからこそ ゲームはおもしろいのです。
なんでもアリになったとたんゲームはつまらなくなります。

すべてをコントロールできる神が、あえてコントロールできない部分を創って遊んでいる、…というのが宇宙の実体です。
私たちが自分をコントロールできず、悪いことをしたり苦悩したりしてしまうのは、宇宙のルールなのです。

だから、
「自分を完璧にコントロールできるようになりたい!!
 苦悩したくない! 悪いことはしたくない!」
というのは無理な相談です。

苦悩や悪事は、ゲームの制限部分(ルール)に当たります。
だから完璧に無くすことはできません(減らすことはできます)

「どうせ無くせないのなら、とことんゲーム感覚で攻略してやる!!」
という、意識の切りかえが大切です。
完全にゲームモードに切りかえて、徹底的にプレイしてやりましょう!


いくら自己コントロールできないからといって、
「人に嫌な思いをさせたけど、あれは自己コントロールできない部分でやったことだ。
 だから私は悪くない。反省も謝罪も必要ない(-"-)」
いうのは不幸キャラだと思います。
たしかに あなたは悪くはありませんが、これはそもそも演劇ゲームです。
不幸キャラになれば不幸になります。


動物は、自己コントロール力が弱いです。
ほとんど自我(創造神意識)がありません。
ほぼ役意識(本能)で動いています。

役意識とは、いわば神の創ったプログラムです。
猫なら猫というプログラム(役)どおりに動いています。
それは、ロボットに近いものがあります。
動物は“神の使い”といわれますが、言いかえれば“神の操り人形(ロボット)”です。

もちろんヒトも、神の操り人形です。
ただ、ヒトは動物より創造神意識が強いです。
神に操られるだけでなく、神として自分を操ることにも長けています。
しかし、ヒトでも創造神意識が弱まれば、動物に近い状態になってしまいます。



●演劇意識=創造神意識=自己コントロール力

自分を上手くコントロールできない時があります。
例)
・ギブギブしたくてもギブギブできない
・優しくしたいのにキツく当たってしまう
・泰然自若としていたいのにアタフタしてしまう

これは自己コントロール力が弱いからです。
もし自分を100%コントロールできたら、上のようなことはありません。

では、どうすれば自己コントロール力が強まるのでしょうか?
それは“演劇意識”を強めることです。
演劇意識とは、「これは演劇だ」という意識のことです。

例えば、モモエが舞台でシンデレラを演じているとき、“演劇意識”になっています。
その際、モモエの意識は、
①コントロールする意識……モモエ
②コントロールされる意識…シンデレラ
という二重構造になっています。

このとき、モモエが“現実意識”になって、
「これは現実だ! 演劇なんかじゃない! 私は正真正銘のシンデレラだ!」
と思い込むと、“モモエ”という意識が無くなります。
つまり、①コントロールする意識(モモエ) が無くなり、
②コントロールされる意識(シンデレラ) のみになります。

そこでまた“演劇意識”になって、
「ハッ! これは演劇だ! 本当の自分はモモエだ! シンデレラは役にすぎない!」
と我に返ると、“モモエ”という意識が発生します。
つまり、“①コントロールする意識(モモエ)”が発生します。

端的に書くと、「演劇意識になると“コントロールする意識”が発生する」ということです。

これを人生ドラマに当てはめると、
①コントロールする意識=創造神
②コントロールされる意識=モモエ
ということになります。

つまり「演劇意識になると“コントロールする意識(創造神意識)”が発生する」ということです。

まとめると、「演劇意識=自己コントロール力=創造神意識」ということです。

実際には、「今は演劇意識」「今は演劇意識じゃない」と二分化することはできません。
「今は演劇意識が弱い」「今は演劇意識が強い」という、強弱の問題です。

つまり、「演劇意識を強めると、自己コントロール力も強まる」ということです。

あなたがプロの役者として、即興劇を演じているところを想像してください。
そのとき、あなたの自己コントロール力は、ほぼ100%になっています。
神様の役だとすれば、相手がどんなに嫌いな人でも、神様のように優しくできると思います。
変なプライドで、ギブギブできないということはありません。
本当は優しくしたいのに、キツく当たってしまうということもありません。
ほぼ100%自分をコントロールして、神様のように振る舞うことができるはずです。

劇中で、イジメられようが破産しようが病気になろうが、あたふたすることはありません。
つねに神のごとく泰然自若としていられます。
なぜなら、あなたはそのとき「これは演劇だ」と100%確信しているからです。
つまり100%演劇意識になっているからです。
だから100%自己コントロールできるのです。


演劇ゲームは、大きく言えば“バーチャルゲーム”です。
だから「バーチャルゲーム意識を強めると、自己コントロール力も強まる」とも言えます。
“これはバーチャルゲームだ”と100%確信していれば、我(自己コントロール力)を失って取り乱すことはありませんよね。

※ネットゲームの中で本気でケンカしたり、取り乱している人は、“ネットゲームの外は現実だ”と思っています。



●うっすら演劇意識

「なかなか演劇意識になれない(T_T)」
と悩む人は、“0か100か”の発想になっています。
24時間、つねに演劇意識になるのは不可能です。
それは創造神そのものです。
気づいたときだけ、演劇意識になればOKです。
というか、気づいた時にしかなれません。

「演劇意識は疲れる…(-_-;)」
という人も、0か100かで考えています。
つねに100%フルパワーで意識する必要はありません。
0.1%くらい、うっすら意識するだけでもOKです。
できる範囲で意識すれば大丈夫です。
まったく意識しないのと、0.1%でも意識するのとでは、雲泥の差があります。
とことんハードルを落として、わずかでも意識することが大切です。

かくいう私も、気づいた時だけ、ほんのわずかに意識する程度です。
特に必要を感じたときだけ、意識を強めています。
私が特に演劇意識の必要を感じる時は、
・人とコミュニケーションをとるとき
・ネガティブな気分を払拭したいとき
などです。



●自然な演技

以前の私は挙動不審でした。
動作が不自然でオドオドしていました。
どう振る舞えばいいか分からなかったからです。

しかし今は“演劇を意識すればいい”と分かっているので、動作に魔酔いがありません。
TVドラマのように、スムーズに振る舞えるようになっています。

人と一緒にいるとき、どうしていいか分からずドギマギすることがあると思います。
そんなとき、その場を“演劇”として見ると、自分の取るべき言動が見えてきます。
今 何をすべきか、何を言うべきかが、直感的に浮かんでくるようになります。

逆に“すべきでないこと”も見えてきます。
「このセリフは場違いだ」
「今はタイミングが悪い」
「これをやるとイタいキャラだ」
というのが、客観的に見えるようになります。

何も言うことが浮かばないときは、“何も言わない”のが正解です。
演劇にも沈黙する場面はあります。

“何も言わない”ということは、“何もしない”ということではではありません。
沈黙中は“沈黙を演じる”ということです。


今、私たちは人生ドラマを演じている真っ最中です。
だから演技しないと、かえって不自然になります。
TVドラマの中で演技してない人がいたら、「あの人なんで演技してないの?」と、不自然に思うはずです。

演劇の中では“演技するのが自然”“演技しないのが不自然”なのです。

演劇意識が薄いと、その場面にふさわしくない、場違い(不自然)なことをしてしまいます。
いわゆる“空気の読めないヤツ”になってしまいます。
演劇意識を強めると、その場面にふさわしい、自然な行動が取りやすくなります。

私が自然に振る舞えているのは、自然にしているからではありません。
“自然な演技”をしているからです。
キムタクはドラマの中で“自然体の演技”をしているのであって、100%自然体なわけではありません。


人間失格(by太宰治)の主人公は、人前で道化を演じていたところ、「ワザとだ」と指摘されてしまいます。
彼はそれにショックを受け、深刻になってしまいます。
しかし、この世は演劇ゲームです。
演劇においては、すべてが“ワザと”です。
私が主人公の立場なら、「こいつ何アタリマエのこと言ってんだwww」と、気にせず演技続行です。
そして、「ちょっと演技が下手だったか~。もっと自然な演技を研究しよう!」と、演技力に磨きをかけます。
もちろん、私が演じるのは道化キャラではなく、幸せキャラです!


演技することは大事ですが、演技しすぎると不自然になります(そういう人いますよね^_^;)
何ごとも過ぎたるは及ばざるが如し。バランスが大事です。

また、演技しすぎると疲れます。
疲れることは続きません。

しかし、適度に自然体の部分がありば疲れません。
コンスタントに演技し続けられます。

これは“演技”と“自然”のバランスゲームです。



●自然な演出

自然に振る舞うコツは、意識してそのように演出することです。

たとえば、人と一緒にいるとき、気まずげにオドオドするのは不自然です。
しかし“さり気なく相手に話しかける”“さり気なくスマホをいじる”などの演出をすれば、自然に見えます。
(もちろん、不自然に見えないよう、上手く演技することが大切です)

これらは、いわば“場つなぎ”“場を保たせる”といった行為です。
演劇において、このような演出は欠かせません。

「用もないのに、場つなぎで話しかけるなんて不自然だ」
「場を保たせるために、わざとスマホをいじるなんて不自然だ」
といったトンチンカンなトラップ意識にはご注意ください。

映画初主演のホイットニー・ヒューストンに対し、ケビン・コスナーが、
「セリフを言う時は、ブラシやコップを持てば緊張しない」
といったアドバイスをしています。
これは手ぶらよりも、ブラシやコップを持った方が、様になりやすいからです。
つまり“ブラシやコップを持つ”という演出をしたほうが、場が保ちやすいからです。
だから、深い意味もなくブラシやコップを持つのです。
わざとスマホをいじるのは、これと同じことです。

演劇で“何もしない”のは、場が保ちにくいです。観客が退屈します。
しかし、話しかけるなりスマホをイジるなり、何かしらの演出をすれば、場が保ちやすいです。

ときには、“何もしない”という演出もあります。
24時間、ずっと何かし続けるのも不自然です。
動と静のバランスです。



●ポジティブな演出

演出にはポジティブなものとネガティブなものがあります。

たとえば、
汚い・暗い・寒い・暑いetc……といった演出(状況・服装)だとネガティブな気分になりやすく、
キレイ・明るい・温かい・涼しいetc……といった演出(状況・服装)だとポジティブな気分になりやすいです。

ポジティブになろうとしても なれないとき、特に深い理由はなく、単に演出のせいだったりします。
涼しい(暖かい)場所に移ったり、心地よい服装に替えたり、キチンと食事を摂ったとたん、ポジティブになれたりします。

どうしてもネガティブな演出にならざるを得ないなら問題ありません。
問題のない人生ストーリーが展開されます。
しかし単なる怠慢で演出を怠っているのなら、改善の余地ありです。

「何ものにも左右されない、強い精神力を持たねば!」
という思想から、ネガティブな演出を放置するのはナンセンスです。
強い精神力を持つことは大事ですが、それと同時にポジティブな演出をすることも大切です。

ネガティブな演出は地獄的です。
神様は、この世が天国になることを望んでいます。
ポジティブな演出をすることは、この世を天国にすることなのです。



●人生ドラマ調

「演劇意識が大事なのは分かったけど、日常で演技なんてしたら、変に思われるんじゃ…」
という人は、おそらくTVドラマや舞台劇のような演技をイメージしています。
もちろん、日常でそんな演技をしたら変に思われます。

TVドラマ・舞台劇・アニメ・人生ドラマetc……
演劇には色々な種類があります。
そして、それぞれ演じ方が異なります。
TVドラマにはTVドラマ、舞台劇には舞台劇、アニメにはアニメ、それぞれ独自の演じ方があります。

TVドラマで舞台劇のような演じ方は不自然です。
舞台劇でアニメのような演じ方も不自然です。
同じように、人生ドラマで舞台劇のような演じ方も不自然です。

歌舞伎的な演技を“歌舞伎調”というように、人生ドラマ的な演技を“人生ドラマ調”と呼ぶことにします。

いくら笑顔が大事でも、ただ笑えばいいというものではありません。
人生ドラマでは、人生ドラマ調で笑うのが自然です。
舞台劇調で笑うのは不自然です。

「人生ドラマ調が分からない」ということはありません。
なぜなら演技(芸術)をカンペキに解せる人などいないからです。

芸術には正解も不正解もありません。
今の自分に分かることを精一杯やれば、それが現時点での正解です。

人生ドラマ調を、あえて説明すると、
“演技と自然の中間”といった感じです。
完全に演技するのではなく、かといって完全に自然体でもない…という、独特の芸術性です。


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自分一人のゲーム

2015.01.27.13:00

●この世には自分一人しかいない

“存在”という言葉には2つの意味があります。
“実際の存在”と“想像上の存在”です。

この世で“実際の存在”だと確信できるのは『自分の意識』だけです。
もしかしたら、この世はすべて夢かもしれません。
未来のバーチャルゲームの中で遊んでいるのかもしれません。
宇宙人の人体実験で幻覚を見せられているのかもしれません。
その可能性は低いですがゼロではありません。

しかしすべて夢だとしても、それを見ている“自分の意識”は確実に存在します。
すべて幻覚だとしても、それを認識している“自分の意識”は確実に存在します。
もし自分の意識が無かったら、夢や幻覚じたい認識できないからです。

わたしは子どものころから、
「この世界は全て私の夢じゃないか?
みんな私の意識が生み出した幻で、実際には存在しないんじゃないか?」
と妄想することがありました。
今思えば真を突いた妄想です。

宇宙は自分(創造神)の意識が創り出した幻影です。
立体映像のようなもので、実際には存在しません。

この世に実在するのは自分だけです。
他者はみな自分が想像した、想像上の存在です。

あなたは自分の想像の中で、ひとり遊んでいるのです。



●自分のゲームに集中する

他人を本気で心配したり腹を立てたりすることがあります。
「子どものことが心配だ…」
「親の介護が不安だ…」
「アイツは思いやりがない!」
「アイツは怠けてばかりだ!」

このようなとき、
“他人は実在しない”
ということを忘れています。
この世には“自分ひとりしかいない”ということを忘れています。
いもしないバーチャルキャラのことを、とやかく思う前に、ネガティブな波動を出している自分自身をどうにかすべきです。
なぜならこれは、あなたの為だけのゲームだからです。

あなたが幸せキャラになれば、万事すべて解決します。
子どもの素行、妻の思いやりのなさ、夫の低賃金、親の介護、、同僚の怠慢…etcすべてどうにかなります。

他人を思いやることは大事です。
しかし心配する必要はありません。
他人を分析することは大事です。
しかし、とやかく思う必要はありません。

他人のことよりも、自分のゲームに集中しましょう。



●全ては、あなたの為だけに存在する

「この世には自分ひとりしかいない」
ということを思い出せば、本気で他人にイラつくことはありません。
すべては自業自得(自作自演)だからです。
それでもイラついてしまうときは、そこから一歩進んで、
「なぜ自分(創造神)は他者を想造したのか」
を思い出して下さい。

それは言わずもがな“自分の幸福感のため”です。
私たちは他者との関わりを通して人間力(=幸福感)をアップさせます。
苦楽悲喜こもごも人生ドラマに感動できるのは、他者がいるからこそです。
それらのことを思い出せば、
「人間力を高めてくれてありがとうございます」
「私の欠点に気づかせてくれてありがとうございます(他人は鏡)
「悪いカルマを吸収して下さってありがとうございます」」
と他者に感謝したり、
「あの人を反面教師にして、自分の欠点を直せばいいんだな」
「アイツはムカつくけど見習うべき部分もある。変なプライドを捨てて、良い部分は見習おう」
と効率的に人間力を上げたり、

「ああ!あの人は自分が遊ぶために作ったゲームキャラだった!いや~人生ゲームはおもしろいな~」
とエキサイトすることができます。

人間だけでなく、ありとあらゆるモノは、あなた一人だけの為に存在しています。
この真理を思い出せば、木、空、虫…など、他愛ないモノから、目ざとく幸福のヒントを得られます。
どんなものにも、
「私のために存在してくれてありがとう」
と感謝できるようになります。

人や物質だけでなく“現象・出来事・感覚…”といったものも同様です。
どんな抽象的なものも、あなた一人の為だけに存在します。
このことを思い出せば、見るもの、聞くもの、感じるもの、思い浮かぶもの、すべてから幸福のヒントを得られます。
ありとあらゆる事象に感謝できるようになります。

ちなみにモモエも、あなた一人の為だけに存在する、バーチャルキャラです。
実際には存在しません。

「この世には自分一人しかいない。他のものは実在しない」
と思おうとすると、
「そんなこと思ったら、他人やモノを粗末にする冷淡な人間になるのではないか」
と不安になるかもしれませんが、それはトラップです。
ここまでブログを読めるような段階の人に、その心配はいりません。
勇気をもって次の段階に進んでください!


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普通はつらいよ

2014.09.30.12:56

このタイトルは斎藤一人さんの御著書から拝借しました(普通はつらいよ


美しく生きる”を読むと、かなりストイックに感じるかもしれません。
「普通そこまでしないだろ!」
と思われるかもしれません。

たしかに“普通”は国の財政のことなど考えずに病院へ行きます。
“普通”は企業理念よりも利率を優先して株を買います。

親が子どもの心配をする……普通です。
契約の範囲内で仕事をする……普通です。
動物の気持ちなど考えずに肉や卵や牛乳を買う……普通です。
買う気もないのに試食する……普通です。
店の備品や試供品を遠慮なく使う……普通です

ですが、いわゆる“普通の人”は普通に苦しい人生をおくっています。
「人生とは苦しいものだ」
というのが普通の人の感覚だと思います。
「人生楽しかありゃしない♪」
は、ちょっと普通じゃないと思います。

普通とは、いわば“中間”です。
“悪いー普通ー良い”
という感じで、悪くはありませんが、良くもありません。
テストで言えば50点です。
それほど良い点ではありません。
競技でいえば、100人中50位です。
それほど良い順位ではありません。

ブログに書いてあることを実践するのは“普通”じゃないように思えます。
私自身、
「普通ここまでやらないでしょ」
と思います。
だからこそ、わたしは普通より良い人生がおくれているのだと思います(あくまで当社比です^^;)

普通から抜け出せない人は、普通を“正常”という意味でとらえがちです。
つまり“異常”の対義語で考えていることが多いです。
“異常”にはネガティブな意味があります。
だから普通以上のことをしようとすると、
「そこまでするのは異常者だ。
なにごとも普通が一番だ」
というトラップ意識が働いて、より良いおこないができなくなります。

ここでいう普通とは、良い・悪いの関連語で、
“悪いー普通ー良い”

という意味です。
異常の対義語、
“普通←→異常”
の意味ではありません。
この点をハッキリ区別してください。

しかし、いくら良いことでも無理にやり過ぎると“異常”になります。

なにごとも
「過ぎたるは及ばざるが如し」
ですね

“普通”の基準は人によって異なります。
他人が普通にできることでも自分はできないことがあります。
だから今の自分にできる範囲で、普通以上のことにチャレンジしてみてください(^_^)v

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美しく生きる

2014.09.20.21:49

ものごとを“正しいか正しくないか”で判断することは大事です。
しかしそれだけだと不幸キャラになることがあります。

たとえば、
「同じ保険料払ってるんだから使わなきゃ損だ」
と、軽々しく病院に行く人がいますが、医療費が国の財政を圧迫する中、そのような考えはいかがなものでしょうか?

「別に法律には違反していない。
国で決められた制度を利用しているだけだ。
国民として当然の権利だ」
と思われるかもしれません。
たしかにこの主張は“正しい”です。
間違いはありません。
ですがどことなく不幸キャラな感じがするのはナゼでしょうか?

それは“美”という視点が抜けているからです。
私ならこのばあい、
「安易に病院に行くのはやめよう。
医療費は本当に深刻な病状の人に使ってもらいたい」
と思います。
なぜなら、その方が“美しい”と感じるからです。

幸せキャラになるコツは“正しいか正しくないか”
という判断基準に加えて、
“美しいか美しくないか”
という判断基準を加えることです。

「同じ保険料払ってるんだから使わなきゃ損だ」
という意識と、
「安易に病院に行くのはやめよう。
医療費は本当に深刻な病状の人に使ってもらいたい」
という意識ではどちらの方が美しく感じるでしょうか?
個人的には後者がより美しいと感じます。
※もちろん本当に困っている方は遠慮なく病院に行ってくださいね(^o^)/

規則や法律を守ることは正しいです。
だからこそ、それに甘えて美しくないことをしがちです。

「法律には違反していない」
「○○してはダメだ、というルールはない」
と、いった意識のときは要注意です。
“正しいけど美しくない不幸キャラ”
になっていることがあります。

他に例をあげると、
・「契約時間・内容以外の仕事をする必要はない」
という意識よりも、
「私を雇って頂いて感謝します。感謝の意を込めて、ちょっと余分に働かせて頂きます」
という意識の方が美しいと感じます。

・「ここは優先席じゃないから別に譲らなくてもいい」
という意識よりも、
「そんなの関係なく譲ろう」
という意識のほうが美しいと感じます。

・「どうせキャンセルすればいいや」
という意識よりも、
「キャンセルされたらお店の人が困るから、なるべくキャンセルしないようにしよう」
という意識の方が美しいと感じます
これは私が店側の人間なので特にそう思います(^^;)

その他…
・特に応援してもいない会社の株や社債を、お金もうけのために買う
・買う気もないのに試食したり試供品を使ったりする
・あまり注文せず、飲食店で長時間いすわる
・無料の備品を度を越えてもらったり使ったりする
(スーパーのビニール袋、飲食店の調味料やトッピング・化粧品のテスターなど)
・「こっちは客だ。お金を払っているのだからサービスを受けて当然だ」
と、飲食店やホテルなどを散らかした状態で出る

…などなど“ルール違反はしていないが、美しくない”行為は色々あります。

人それぞれ美意識は違うので、自分なり基準で判断すれば大丈夫です。
わたしの美意識に振り回されることはありません。

「何が美しいのか分からない」
という苦悩は的はずれです。
カンペキな美が解せるのは神だけです。
今の自分に分かる範囲でOKです。
悩むなら謎解きゲームとして悩むことを楽しみましょう♪

また、カンペキな美を追及することもナンセンスです。
人間である以上、醜い部分は欠かせません。
サザエさんもちびまるこちゃんも、ダメなところがあるからおもしろいのだと思います。
それがあるからこそ愛されるのだと思います。
完全無欠のキャラはつまりません。
醜い自分は“愛すべきキャラクター”として愛でてくださいね。


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とりあえずやること

2014.06.25.20:12

「ブログを読んだけど、さしあたって何をすればいいのか分からない」
という方がいらっしゃいます。
そのような方は、とりあえず、
“ブログを100回読む”
ということをやられてみてください。

読むのは ただ読むのではなくブログの読みかたをご参照ください。
自分とは関係ないと思われる内容もあると思いますが、飛ばし読みせず 全てに目を通していただきたいと思います。

これをやれば“人生に悩む”ということがなくなるはずです(断言!)
千里の道も一歩からと思って、気楽にチャレンジしてみてください♪

ファッションセンスを良くするコツ

2014.05.02.22:25

イケメンや美人のファッションはあまり参考になりません。
彼らが着ると、どんなダサい服でも髪型でもそれなりにかっこよく見えてしまうからです。

ファッションを参考にするときは、自分と同レベルの人をお手本にするのがおすすめです。
彼らの中には、ファッションのおかげで、元々のポテンシャルよりずいぶん良く見える人がいます。
自分に似合ったファッションがわかるまでは、彼らのスタイルをそのまま真似すれば、手っ取り早くおしゃれになれます。

そのとき気を付けたいのが「髪型」「服」などと、単品を取り出して真似しないことです。
バランスが悪くなってダサくなる恐れがあります。
「髪型+髪色+ファッション」のトータルでコーディネートを真似するのがポイントです☆


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“正しいこと”は二の次

2014.04.26.16:29

「こういう場合はどうすればいいですか?」
「このようなケースはどう考えたらいいですか?」
といった質問を多くいただきます。
しかし このような考えかたでは、なかなか苦悩から抜け出せません。
このタイプの人は、私が質問にお答えしても また新たに“わからないこと”を作って悩みはじめます。

たしかに、
「なにが正しいのか」
「どうすれば良いのか」
と考えることは大事です。
しかしそれで“悩む”のは本末転倒です。
「なにが正しいのか(-_-;)」
と考えながら“悩む”という間違いを犯すのは、ミイラとりがミイラになるようなものです。

「なにが正しいのか(-_-;)」
「どうすれば良いのか(-_-;)」
と悩む人は、カルマや波動の法則をアレコレ考えているのかもしれません。
しかし肝心のキャラクターの法則を忘れています。
つまり自分が悩みキャラ(不幸キャラ)になっていることを忘れています。

ものごとには優先順位があります。
火曜よりも月曜、月曜よりも日曜が先にくるように、なにごとにも順列があります。

宇宙の根本はキャラクターの法則です。
これを後にして他のことを考えても しょうがありません。

不幸キャラがいくら知恵しぼったところで、待っているのは不幸なストーリーです。
不幸キャラがいくら“正しいこと”をしても、待っているのは不幸なストーリーです。

「私はどうすべきか?」
と考えてサクッと答えがでるばあいはOKです。
しかし一分以上グルグル考えているときは、たいがいウジウジ波動が出ています。
ウジウジ波動を出すのは不幸キャラです。

一分考えて分からないことは、それ以上考える必要はありませんそのばあいは、
「ああすべきか、こうすべきか、そうすべきか…」
「アッチが正しいのか、コッチが正しいのか、ソッチが正しいのか…」
という○進法思考をやめて、別次元の発想に飛ぶことが大事です(ファジー思考)

今回のばあいは、
「あ、幸せキャラになればいいんだった(・∀・)」
という発想に飛べぶということです。

宇宙の基本はキャラクターゲーム(=演劇ゲーム)です。
だから幸せキャラを演じてさえいれば、なにをどうやっても幸せになれます。
ああしようが、こうしようが、そうしようが幸せになれます。
アレコレ考える必要はありません。
じつにシンプルです。

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ポイントゲーム

2014.04.19.21:19

わたしはゲーム感覚を高めるために、
“ポイントゲーム”
をしています。

基本的にゲームは すべて“ポイントゲーム”です。
“ゲーム=ポイントをかせぐこと”
だといえます。

テニスやサッカーのようなポイント制のゲームじゃなくても、
“ジャンケンに1回勝てば1ポイント”
“3人のスゴロクで 1番にあがれば3ポイント”
“パチンコで5000円勝てば5000ポイント”
…という感じがすると思います。
ジャンケンもすごろくもパチンコも ある意味すべてポイントゲームなのです。

ブログに書いてある法則も すべてポイントゲームです。
ギブギブ・キャラクターの法則など、すべてポイントゲームです。
(1ギブギブで 1ポイントとか)



●キャラクターゲームを優先する

わたしは優先的にキャラクターゲームのポイントをかせいでいます。
なぜなら宇宙の基本はキャラクターの法則納得の法則)だからです。
だからキャラクターゲームを優先しないと いろいろ不具合がおきてきます。

たとえばマネーゲームを優先すると、
「給料が安い(-_-;)ウジウジ」
「あっちの店の方が安かった(-_-;)ウジウジ」
「買ったばかりの○○が壊れた(-_-;)ウジウジ」
「もったいない(-_-;)ウジウジ」
「将来が不安だ…。
 日本は どんどん高齢化が進んで 年金も少なくなるし…。
 病気になったらどうしよう(-_-;)ウジウジ」
…といった感じでネガティブな不幸キャラになってしまいます。
自分ではそのつもりはなくても、お金やモノについてアレコレ考えているときはマネーゲームを優先していることが多いです。
そして不幸キャラになっていることが多いです。
しかし いくら給料をかせいでも(=マネーポイントをかせいでも)不幸キャラは不幸になります。
しかし いくら安く買い物しても(=マネーポイントをかせいでも)不幸キャラは不幸になります。
いくら もったいない精神(=マネーポイント大切に精神)をもっていても、不幸キャラは不幸になります。
いくら 年金をもらえても(=マネーポイントをもらえても)不幸キャラは不幸になります。

また カルマゲームを優先して、良いカルマポイントをつもうとすると、
“ムリして善行キャラ”
“親切の押し売りキャラ”
などの不幸キャラになりがちです。
または、
「わたしは マジメに生きてるのに、あいつらは悪いことばかりしている(-_-;)イライラ」
「わたしは募金やボランティアして(徳ポイントをつんでいる)のに、あの人たちは何もしていない(-_-;)イライラ」
「わたしは ちゃんと徳(ポイント)をつんでいるのに、あいつらはゼンゼン徳をつめていない( ̄ー ̄)ニヤリ(優越感)」
…といった不幸キャラにも なりがちです。
不幸キャラは悪いカルマ(マイナスポイント)をつくるので うまく徳がつめません。

しかしキャラクターゲームを優先すれば当然ながら不幸キャラになりにくいです。
キャラクターゲームを優先するということは“幸せキャラ”になることを優先するということです。
言いかえれば“幸せキャラポイント”を優先して かせぐということです。
幸せキャラでありさえすれば、なにをどうやっても幸せになれます。
マネーポイントをかせごうが かせぐまいが幸せになれます。

つまり幸せキャラポイントを優先することが、結果的に最も効率よく徳ポイントをつむ方法になるのです。



●幸せになりそうなキャラを演じる

「幸せキャラとはなんなのか(-_-;)」
「どうすれば幸せキャラになれるのか(-_-;)」
などと悩む必要はありません。
悩んだ時点で不幸キャラです。

今の自分に分かる範囲で、
“幸せになりそうなキャラ”
を演じればOKです。
神様はムリを言いません。



●欲のエネルギーを利用する

わたしたちには、
「欲をみたしたい=ポイントをかせぎたい」
という本質があります。

たとえば金欲をみたすことはマネーポイントをかせぐことであり、
名誉欲をみたすことは名誉ポイントをかせぐことであり、
知識欲をみたすことは知識ポイントをかせぐことである……
といった感じです。

欲には強いエネルギーがあります。
名誉欲をみたすために血のにじむような特訓をしたり、
食欲をみたすためにラーメン店の行列に何時間もならんだり、
100円安い(100マネーポイントかせげる)からと わざわざ遠いスーパーまで出かけたり……etc
欲のエネルギーがなければ、そんな しんどいことはできないと思います。

欲のエネルギーは強いです。
それに支配されると食べすぎて病気になったり、買いすぎて破産したり、あげく犯罪をおかしたり…
と自分をコントロールできなくなります。

しかし欲を支配すれば そのエネルギーを利用して逆に自分をコントロールできるようになります。

たとえば普段 感情的で自分をコントロールできない人でも、仕事なら あるていどコントロールできます。
接客業の人が、
「恥ずかしい(変なプライド)」
「ムカつく客だ(怒)」
といった感情をおさえて客にギブギブできるのは、金欲・名誉欲などがあるからです。
「お給料をもらいたい(金欲)」
「ヘタな仕事をして人から見下されたくない。
 イイ仕事をして良く見られたい(名誉欲)」
「プライドなんか一銭にもならん!
 そんなもの捨てて営業スマイルでゼニをかせぐんや!(金欲)」
といった欲のエネルギーがあるからです。
それだけではないと思いますが欲のエネルギーが貢献しているのはたしかです。

わたしは仕事のときだけでなく普段からこの方法をつかっています。
いつもなら、
「こいつムカつく(怒)」
「なんでこっちから挨拶しなきゃいけないんだ(変なプライド)」
などの感情でギブギブできないシチュエーションでも、
「幸せキャラになって、幸せキャラポイントをかせぐぞ┗(¥∀¥)┛♪」
と思えば だんぜんギブギブしやすくなります。

いつもなら、
「恥ずかしい(変なプライド)」
「嫌われてるかも(恐れ)」
「変に思われたくない(変なプライド)」
などの感情でオドオド挙動不審になってしまうシチュエーションでも、
「幸せキャラを演じて、ポイントをガンガンかせぐぞ┗(¥∀¥)┛♪」
と思えば幸せキャラのように洗練された行動がとれるようになります。

実際は、
「幸せキャラになって、幸せキャラポイントをかせぐぞ┗(¥∀¥)┛♪」
といった長い呪文ではなく、
「ポイント」
などと一瞬 思うくらいです。
それだけで ここに書いたことを あらかた思いだすことができます。
そしてポイントゲーム感覚になることができます。

欲のエネルギーを利用すれば 自我のコントロールがラクになります。
逆に利用しなればコントロールはムズカシイと言えます。

欲のエネルギーを利用するには、
「欲は悪いものだ」
「欲は汚いものだ」
といったトラップ意識をはずす必要があります。
欲は おカネと同じで それじたい悪くも汚くもありません。
使い方しだいで害にも益にもなるエネルギーです。
そのことをハッキリ理解しましょう。

といっても ポイント欲に目がくらんで不幸キャラ(親切の押し売りキャラなど)にならないように気をつけてください。
相手の気持ちにシンクロするシンクロゲームも大事ですね。


欲のエネルギーをつかっても やりたくないことをムリにやる必要はありません。
「これをやらなければマイナスポイント(悪いカルマ)になるかも(=o=;)
 でもやりたくない(=o=;)
 でもやらなければマイナスポイント(悪いカルマ)になるかも(=o=;)ウジウジ」
…などと不幸キャラにならないように注意です。
わたしは このようなとき、
「ムリなく できることを精一杯やれば大丈夫(^O^)/」
「できる限りのことを精一杯やろう(^O^)/」
などのセリフで幸せキャラを演じています。
そうすればムリをせず、しかし精一杯 生きる、というバランスのとれた幸せキャラになることができます。

幸せキャラのイメージは人それぞれ違います。
みなさん自分なりの幸せキャラを演じてくださいね♪



●徳をつもうと思わない

いざポイントゲームをやりはじめると、
「ポイントかせぎでイイことするなんてイヤなやつ(不幸キャラ)じゃないの?」
というトラップ意識が わくかもしれません。
なので解除しておきましょう。

たしかに神への理解がたりないと、
「ポイントをかせいだら あとでイイことがあるぞ(`∀´)イヒヒ」
というアコギな不幸キャラになります。
その後、
「そんな動機でイイことするなんて、私は汚い人間だ…(-_-;)」
と罪悪感におちいって さらに不幸キャラになります。
しかし理解が足りていれば そうなることはありません。

こうした不幸キャラになるときはキャラクターゲームよりも徳ゲームを優先しています。
なぜならキャラクターゲームをしていれば不幸キャラにはならないからです。

徳ゲームを優先すると不幸キャラになりがちです。
「わたしは悪いことをして(徳ポイントを失って)しまった(-_-;)ウジウジ」
「わたしが不幸なのは前世であまり徳(ポイント)をつんでないからだ(-_-;)ウジウジ」
「もっと善行しないと(徳ポイントをつまないと)幸せになれない(-_-;)ウジウジ」
「ポイントかせぎでイイことするなんて、わたしは汚い人間だ(-_-;)ウジウジ」
…といった感じです。

そのことに気づいてから わたしはあえて、
「徳をつもう」
と思わなくなりました。
代わりに、
「幸せキャラになろう(幸せキャラポイントをつもう)」
と思うようになりました。
そうすると不幸キャラにならずにすむので効率よく徳をつむことができます。


厳密には“幸せキャラになること”も“徳をつむこと”に入ります。
しかし概念的に“徳をつむこと”を優先するとうまくいかず、
“幸せキャラになること”を優先するとうまくいきます。
それは徳の法則よりもキャラクターの法則(納得の法則)の方が階層的に上だからです。



●ポイントかせぎは神の本望

幸せキャラを演じるときですら、
「ポイントかせぎでイイ人を演じるなんて 汚いことだ(-_-;)」
という罪悪感(トラップ意識)におちいるかもしれません。

このトラップ意識をなくすには、
“神=ゲームそのもの”
“ゲーム=ポイントをかせぐもの”
という真理を思いだすことが大切です。

つまり、
「ポイントをかせぐこと(=ゲームであそぶこと)は汚いことでもなんでもなく神の本望である」
という真理を思いだすのです。

わたしは そのために、
「(神のゲームは)おもしろいな~♪」
「(ポイントゲームは)めちゃ楽しい♪」
などといったコトバを思います。
すると、
「わたしはアコギな理由でポイントかせぎしているのではなく、純粋にポイントゲーム(=宇宙そのもの)を楽しんでいるんだ」
という真理を思いだせます。
そうすれば純粋に無邪気に神のゲームを楽しむ幸せキャラになれます。

だから わたしはポイントかせぎに まったく罪悪感を感じません。
むしろ、
「わたしは神の心にかなっている(^^)v」
という充足感をおぼえます。
それはゲーム(=ポイントゲーム)であそぶことが神の本望だと理解しているからです。



●一点集中ゲーム

わたしたちは無意識でいるとアレコレ余計なことを考えてしまいます。
しかし意識を一点に集中すれば、余計なことを考えずにすむと思います。

“ポイント”とは“点”のことです。
だからポイントゲームは、
“意識を一点に集中するゲーム”
ともいえます。
いわば“一点集中ゲーム”です。

この「一点集中」というコトバは使えます。
たとえば、
「今に一点集中」
「幸せキャラに一点集中」
と思えば雑念を消して それのみに一点集中することができます。
そうすればアレコレ余計なことを考えて苦しまずにすみます。
もちろんカンペキな一点集中はムリですが、このコトバを意識するだけで ずいぶん違うと思います。


いちど一点集中しても永遠にはつづきません。
やがて意識は拡散してアレコレ考えはじめます。
それは宇宙に“集中と拡散の法則”があるからです。

たとえば呼吸は、吸う(集中)と 吐く(拡散)のくりかえしです。
物質は、生成(集中)と解体(拡散)のくりかえしです。
学校も、登校(集中)と下校(拡散)のくりかえしです。

同じように意識も、集中と拡散のくりかえしです。
・今に一点集中
  ↓
・意識が拡散して雑念がふえる
  ↓
・今に一点集中
  ↓
・意識が拡散して雑念がふえる……
といった感じです。

これは自然法則なので、
「なかなか今に集中できません(><)」
「アレコレ余計なことを考えてしまいます(><)」
といった悩みはありえません。
それ自体をゲームと解釈して、
「おもしろい( ̄ー ̄)ニヤリ」
と思うことが大切です。

“点”とはカンペキな正円です。
しかし ●(←正円)だけではつまりません。
★や❁など いろいろな型に拡散して いろいろな型を楽しむのが神の本望だと思います。

100%ゲーム感覚

2014.03.15.17:43

「人生はゲームみたいに軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
「人生をゲーム(あそび)感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった考えは正しいように思えますが、これもトラップ意識です。
なぜなら、この世はそもそも神のゲーム(あそび)だからです。
100%ゲーム(あそび)感覚になれば苦悩することはありません(あたりまえですが)
100%ゲーム(あそび)感覚とは、神の感覚そのものです。

しかし、
「人生はゲームのように軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
と思っている人は、まちがいなく苦悩します。
人生を大げさにとらえて深刻になるからです。

また、
「人生をゲーム感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった考えはオトナな考えに思えますが、じつは幼い考えです。

幼い魂は、
「人生はゲームだ」
などと言われれば、それこそゲーム感覚で罪をおかし命を粗末にするおそれがあります。
また彼らは、
「人生はゲームなんだ! じゃあゲーム感覚で好きにあそんで生きてやる!」
と思っても、なかなか思うようにあそべません。
なぜなら彼らがあそぶと悪いカルマをつくりやすいからです(怠慢、自堕落、人に迷惑をかける…etc)
それらが返ってくるので彼らは苦悩しがちです。
外面はあそんでいるようでも内面はあそべてないことが多いです。

だから幼い魂には、
「人生はゲームのように軽々しいものじゃない。
 もっと重大なものだ」
「人生をゲーム感覚で生きるのは不謹慎だ。
 そんな考えは犯罪や自殺・殺人を助長する」
といった理論も必要だといえます。
小、中、高校生…と、成長度によって必要な学びがちがうのと同じです。

だから魂が幼そうな人に“人生はゲームだ論”を説くのはおひかえください。

しかしブログに書いてあるようなことを理解している人が、いつまでも幼い理論にとどまる必要はありません。
“人生はゲーム(あそび)である”
といった次の理論に進むことをオススメします。
あるていど神の法則を理解すれば、そのような理論が自殺や犯罪につながることはありません。

幼児がナイフを使うのは危険ですが、オトナが、
「ナイフは危険だから使わない」
では情けないです。

同じように、幼い魂に、
「人生は100%ゲーム(あそび)だ」
といった思想は危険ですが、あるていど成長した魂が、
「そんな考えは危険だ」
というのは、たんなる臆病です。
もしくは意固地か、意識改革をめんどくさがる怠慢です。

「ワ~イ♪ 人生はあそび(ゲーム)なんだ♪ じゃあ気楽に生きていこう(^^)v」
…とコドモのような意識でいる人は、人生に深刻になりません。
なにが起こっても、
「たかがアソビ(ゲーム)だ(・∀・)♪」
と余裕のよっちゃんでいられるからです。

余裕とは車のハンドルでいうところの“あそび”です。
“余裕=あそび”です。
心に余裕(あそび)のある人は、小さなことでイライラしません。
つねに悠然としたオトナな態度でいられます。

かたや、
「人生はあそび(ゲーム)じゃない。もっと重大なものだ」
といった未熟なオトナ理論の人は、人生に深刻になりがちです。
いつも心がふさがっていて余裕がありません。
だから小さなことでイライラするコドモのようになってしまいます。

未熟なオトナ理論は、あくまで未熟な魂むけの方便です。
あるていど成熟した魂にとってはトラップ意識になります。

つまり、
「人生はゲームじゃない。もっと重大なものだ(-"-)」
といったオトナな考えが、じつはコドモな考えで、
「ワ~イ♪ 人生はたんなるゲームなんだ(^^)♪
 じゃあとことんゲーム感覚で生きちゃおう♪」
といったコドモな考えが、じつはオトナな考えだった…
という逆転劇ですね。


●あそべばあそぶほどマジメになる
わたしは以前まで、
「もっとマジメに生きたい」
と思っていましたが、なかなかそうできませんでした。

たとえばマジメに働きたいのに、ふらふら離席したりネットサーフィンしたりして、なかなかマジメ働くことができませんでした。
ときにそのような休息も必要ですが、わたしのばあい、
「もっとマジメに働けるはずだ」
と自分に納得できていませんでした。
しかし今はあるていど納得できるマジメさで働けるようになっています。

今のわたしを外から見れば“かなりマジメ”に見えると思います。
しかしそれはトラップです( ̄ー ̄)ニヤリ
なぜなら私はマジメどころか、ほとんどゲーム(あそび)感覚で働いているからです。
外から見たらマジメでも、中はある意味、チョー不まじめです。

わたしは働きながら頭のなかで、
「これはマラソンゲームだ♪
 ランナーズ・ハイがくるまで止まらず走りつづけよう♪」
「これは集中ゲームだ♪
 集中モードに入って時間がたつのを忘れよう♪」
「これは“仕事を楽しむゲーム”だ♪」
 あの手この手で仕事を楽しむぞ♪」
など、いろんなゲームであそびまくっています。

また、
「キャッホー! ノッてきた♪」
「メチャおもしろい♪」
「ランナーズハイきたキタ━(゚∀゚)━!」
などフザけたコトバを連発しまくっています(もちろん頭のなかで)

わたしが不まじめだったころは、、
「仕事はアソビじゃない!」
「もっとマジメにやれ!」
などの“いわゆるマジメな意識”で自分を調教していました。
しかしそのような意識では、なかなかマジメになれませんでした。
なぜなら“いわゆるマジメな意識”からはキビしくツラい波動が出ているからです。
キビしくツラい波動をあびると、
「つらい、しんどい、もうイヤだ…」
といったキビしくツラい波動(気分)になってしまいます。
これではマジメどころかネガティブな波動をまきちらす不良です。

ネガティブな気分(波動)のまま、最高のパフォーマンスで働きつづけるのはムズカシイです。
一時ならともかく、毎日、長時間にわたって高いパフォーマンスを持続するのはムリだと思います。
(たとえできたとして、それはツライものだと思います)
わたしなど15分ももちません。
「つらい、しんどい、もうイヤだ…」
と、すぐに低パフォーマンス(不まじめ)になってしまいます。

そんなわたしでもゲームとなればハナシは別です。
ゲームなら毎日長時間まじめにプレイすることができます。
集中して高いパフォーマンスでプレイし続けることができます。

仕事だと30分も集中していられないのに、ゲームなら何時間も集中できる人は多いと思います。
チョー自堕落な人が、パチンコ、競馬、釣り、モバゲーなどには、長時間マジメに取りくんでいるのをよく見かけます。
人間的にはイマイチでも、芸術やスポーツなら真剣にとりくめる人も多いと思います。

というかぶっちゃけ、
“どんな不マジメな人でもアソビやゲームならマジメになれる”
といえます。
もっといえば、
“100%ゲーム感覚にならないかぎり100%マジメにはなれない”
とすらいえます。

人は心があそぶと体感時間が速くなります。
好きなテレビを見ているとき、好きな本を読んでいるときなどは、だれしも時のながれが速くなると思います。
逆に心があそんでないと体感時間がニブくなります。
イヤイヤ仕事しているとき、拷問を受けているときなどは、10分が1時間にも感じられるはずです。
これはアインシュタインの相対性理論のたとえでも有名です。

わたしは絵を描くのが好きなので、いったん描きはじめるとスグに数時間たってしまいます。
なので私は仕事をするときこの感覚を思いだすようにしています。
まったく同じ感覚はムリでも、
「あのお絵かきアソビの感覚になろう♪」
と思うだけで、あるていど体感時間を速められます。
だから、
「えっ、もう○時間たったの?」
という感じでアッというまに退社時間になってしまいます。

そんなわたしを表面的にみれば、
“長時間マジメに集中して働ける人”だと思います。
しかしその内実は、
“短時間ゲームに夢中であそんでいる人”なのです(逆転劇)

これは仕事だけでなく、あらゆることにあてはまります。
わたしは健康・金銭・人間関係など、いろんな面でマジメ(当社比)に生きていますが、それはわたしの意志が強いからではありません。
生まれつきマジメだからでもありません。
「すべてのこと100%ゲーム感覚でとりくもう♪」
と思っているからです。
それは、
「なにごともゲーム感覚でとりくんだほうがいいよね」
という中途半端なものではありません。
「すべてのことに100%ゲーム感覚でとりくむべきだ!」
と思っています。
気やすめに、
「なにごともアソビだと思ったほうがいいよね」
というのではありません。
宇宙はそもそも神のアソビです。
「アソビと思ったほうが良い」
のではなく、そもそもがアソビなのです。
だから、
「100%アソビと思うべき!」
と思っています。

なかなかゲーム(あそび)感覚になれない人は、
「人間関係をゲーム感覚でとらえるなんて不謹慎だ!」
「金銭をあそび感覚であつかうなんて不謹慎だ!」
などのトラップ意識(罪悪感)が強いのかもしれません。
しかし不謹慎なのは、
「人間関係なんてしょせんゲームでしょ(-o-)
 だから真剣になるのはバカらしい(-o-)
 テキトーにゲーム感覚であそべばいい(-o-)」
「カネなんてしょせんマボロシだ(-o-)
 マネーゲームの道具にすぎない(-o-)
 だからゲーム感覚でテキトーにつかってかまわない(-o-)」
…とネガティブな波動(ネガティブキャラ)になっているときだけです。
逆に、
「人間関係なんてしょせんゲームでしょ(^^♪
 だから深刻になるなんてバカらしい(^^♪
 テキトーにゲーム感覚であそべばいい(^^♪」
「お金はしょせんマボロシだ(^^♪
 マネーゲームの道具にすぎない(^^♪
 だからゲーム感覚でたのしくつかってかまわない(^^♪」
…とポジティブな波動(ポジティブキャラ)になっているときは大丈夫です。
同じことを思っても、ネガティブキャラ(不幸になりそうなキャラ)か、ポジティブキャラ(幸せになりそうなキャラ)かで、運命はまったく異なります。
不幸になりそうなキャラは、どんなに正しいことをしても不幸になります。
幸せになりそうなキャラは、なにをやっても幸せになります。
“正しいこと”を“不幸になりそうなキャラ”でやらないように注意しましょう。
納得の法則・キャラクターの法則

また、なかなかゲーム(あそび)感覚になれない理由として、
「100%ゲーム感覚になったらダメ人間になってしまうのではないか…」
といったトラップ意識もあると思います。
しかしダメ人間になるおそれのあるのは、神への理解が低い人だけです。
ブログに書いてあるような法則を理解している人に、そのようなおそれはありません。

もちろんゲーム(あそび)感覚になればオールOKというわけではありません。
総合的な人間力のアップは必要です。

またここでは便宜上“完全・100%”といった表現をつかっていますが、そのような状態はありえません
だから、
「どうしても100%ゲーム感覚になれない~(T_T)」
というのはナンセンスです。
「100%ゲーム感覚をめざそう!」
と思うこと大切です。



●すべてゲーム
人はカンペキではないので、100%ゲーム(あそび)感覚になるのは不可能です。
100%ゲーム感覚になるということは、神そのものになるということです。
人間であるかぎり、どうしてもゲーム感覚になれない部分は残ります。
そしてその部分はどうしても苦悩することになります。
…といっても大丈夫です。

みなさんストレスという言葉をご存知だと思いますが、ストレスには“快いストレス”と“不快なストレス”があります。
快(こころよ)いストレスとは、ゲームを楽しんでいるときに感じるようなストレスです。

人はゲームで遊びながら、不安・焦り・恐怖・迷い・悩み・イライラなど、さまざまなストレスを感じています。
敵を倒せるか不安になったり、制限時間に焦ったり、ジェットコースターで恐怖したり、迷路で迷ったり、クイズで悩んだり……
といった感じです。
これらのストレスは不快なものではなく、快いものだと思います。
だから人はお金を払ってでもゲームをしたがるのです(程度や種類に個人差はありますが)

ストレスのないゲームはゲームとしてなりたちません。
(快い)ストレスがあるからこそゲームはおもしろいのです。
トラップ意識もいわばストレスです。
それを快くするか不快にするかは、その人しだいです。

不快なストレスとは、いわば“苦悩”のことです。
ただ苦しいだけで一刻も早くなくしたいタイプのストレスです。

不快なストレス(苦悩)をカンペキになくすことはできません。
だから、
「悩み苦しみをなくしたい(T_T)」
などと不可能なことを思わないことが大切です。

わたしへのメールで、
「ネガティブ思考(=苦悩)をなくしたい」
「どうしたら悩み苦しみをなくせますか?」
といった不可能なご要望・ご質問をされる方がいらっしゃいますが、このタイプの人は、
“苦悩をなくす or なくせない”
といったヒャクゼロ思考からぬけだす必要があります。
かわりにファジー思考で考える練習をすることが大切です
今回の例で考えると

・不快なストレスを“なくす or なくせない”というヒャクゼロ思考から
             ↓
・不快なストレスを“快いストレスに変える”という第3の方法が見いだせます。

ではどうすれば、不快なストレスを快いストレスに変えられるのでしょうか?
そのコツは、
“すべてゲーム”
だという真理を思いだすことです。

人生・ことば・数・リズム・バランス・時間……
などなど、この世には無数の概念がありますが、それらはすべてゲーム(あそび)です。
人生ゲーム・ことばあそび・数あそび・リズムゲーム・バランスゲーム・時間ゲーム……
といった感じです。
このブログの記事も、
ギブギブゲーム、今に生きるゲーム、人を思いやることに意識を集中するゲーム…
といった感じで、すべてゲームになっています。

木・石・怒り・悲しみ・立つ・座る…
といったゲーム(あそび)になりそうもない概念も、それぞれ深く掘りさげれば、それだけで書籍になるほど“おもしろい”世界が広が

っています。
“おもしろい”と感じた時点でそれはもうアソビです。

つまり、この世のすべてが神のアソビでありゲームなのです。

「どうしてもネガティブ思考してしまう(T_T)」
と苦悩する人は、モンスターハンターをしながら、
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
と苦悩するのと同じです。
実際モンハンをしながら
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
などと苦悩する人はいません。
なぜなら、
「そもそも自分はモンスターを狩るゲームをしているんだ」
ということを自覚しているからです。

「自分はモンスターを狩るゲームをしているんだ」
と自覚している人が、
「どうしてもモンスターが出てきてしまう(T_T)」
などと苦悩することはありません。

それと同じで、
「そもそも自分はネガティブ思考を刈るゲームをしているんだ」
と自覚すれば、
「どうしてもネガティブ思考が出てきてしまう(T_T)」
などとトンチンカンなことで悩まなくなります。
むしろ次から次にわいてくるネガティブ思考を、ゲーム感覚で刈りとっていくことができます。

他にも、
「どうしても今に生きられない(T_T)」
と苦悩しているときは、そもそも“今に生きるゲーム”をしていることを忘れています。
そのときは、
「そもそも自分は“今に生きるゲーム”をしているんだ」
と自覚すればOKです。
そうすれば、
「今に生きられない(T_T)」
という苦悩(不快なストレス)が、快いゲームストレスに変わります。

「快いゲームストレスに変えられない(T_T)」
と苦悩しているときは、そもそも“快いゲームストレスに変えるゲーム”の最中だということを忘れています。
そのときは、
「そもそも自分は“快いゲームストレスに変えるゲーム”をしているんだ」
と自覚すればOKです。

「なかなかゲームをしていると自覚できない(T_T)」
という苦悩なら、そもそも“ゲームしていることを自覚するゲーム”の最中だということを忘れています。

「どうしても苦悩からぬけだせない(T_T)」
という苦悩なら、そもそも“苦悩からぬけだすゲーム”の最中だということを忘れています。

それらのことに気づいたら、自分がゲーム中だということを自覚すればOKです。

“すべてゲーム”
だということを思いだせば、悩み苦しみが少なくなります。
なぜなら神はゲームそのものだからです。

「これはゲームだ(><)」
とムリヤリ思いこむのではありません。
「あっ、これはゲームだった( ゚∀゚ )」
と、思いだせばOKです。



●「これはトラップ意識だ!」と自覚する

以前のわたしは、
「この世はバーチャルゲームだ」
と思っているにもかかわらず、
「人間関係でゲーム感覚になるのはイケないことだ」
というトラップ意識にハマっていました。
それは自分にそんな意識があると気づいていなかったからです。
ぼんやり気づいたとしても、
「これはトラップ意識だ!」
「これはトラップゲームだ!」
と自覚していなかったからです。
だからトラップを解くことなく 無意識に放置していました。

当然そのころの私は人間関係に苦悩していました。
たとえば、
・変なプライド(くやしい・はずかしいなど)で ギブギブできないことがある
・感情(怒り・不安・優越感・変なプライドなど)をおさえられず 人にイヤな思いをさせることがある
…といった感じです。
つまり感情にあやつられて自分をコントロールできない状態でした。

少々の感情なら気力でどうにかなりますが、強い感情を気力でコントロールするのは不可能です。
たまにコントロールできても精神的にかなり疲れると思います。

以前のわたしは感情を気力だけでおさえようとしていたため、なかなかうまくいきませんでした。
いつも気を張っていたため人間関係に気疲れていました。
しかし、
「人間関係でゲーム感覚になるのはイケないことだ」
という意識に気づき、
「これはトラップ意識だ!」
と自覚してからは ちがいます。
自覚してからは それをトラップゲームとして解除できたため、
「人間関係も たかがゲームだ(^^♪」
と気楽に とらえられるようになりました。
だから変に気を入れることがなくなり、気疲れが激減しました。



●自分をコントロールするコツ

同時にネガティブな感情も激減しました。
なぜならゲームのキャラクターに本気でネガティブな感情(憎しみ・変なプライドなど)をもつことはないからです。
多少もったとしても大したことはありません。

たとえばモバゲーで、
1:キライなキャラA子に笑顔ではなしかける
2:くやしいからムシする
という選択肢があったらカンタンに1をえらべるからです。
「キライな人にも笑顔で話しかけるんだ!!がんばれ自分(><)」
などと気力をふりしぼることはありません。
ラクに自分をコントロールできます。
これがすなわち“ゲーム感覚”です。

自分をコントロールするには この“ゲーム感覚”になることが必須です。
逆にゲーム感覚にならない限り自分をコントロールするのは不可能だといえます。



●ゆらぎのゲーム

ゲーム感覚は永遠にはつづきません。
いちどゲーム感覚になってもまた いつもの感覚に戻ります。
(正確には“いつもの感覚=幻惑感覚”です。
 “いつもの感覚”は、ゲーム感覚(=神本来の感覚)を忘れて幻惑した状態です)

ゲーム感覚が続かないのは宇宙の法則(リズムや波動など)によるものです。
波動がゆらぐように わたしたちの意識も、
通常感覚~ゲーム感覚~通常感覚~ゲーム感覚……
と つねにゆらいでいます。
だから、
「ゲーム感覚がつづかない(><)」
という悩みはありえません。
幻惑(いつもの感覚)を楽しみつつ、
“幻惑する~我に返る~幻惑する~我に返る~”
というゲームシステムを楽しむのが良いと思います。

わたしは これを“催眠術ゲーム”としても楽しんでいます。
たとえば一度ゲーム感覚に目覚めても、神の催眠術で幻惑におちいります。
そのことに気づいたら、
( ゚д゚)ハッ!
と催眠術をといてゲーム感覚に目覚めます。
そうしてゲーム感覚に目覚めても神の催眠術で ふたたび幻惑におちいります。
そのことに気づいたら、
( ゚д゚)ハッ!
と催眠術をといてゲーム感覚に目覚め……
といった感じです。

幻惑は楽しむことが大事ですが、どうしても あるていどの苦しみ(ゲームストレス)を感じます。
だから「もうこんなゲームはいやだ!」と思うこともあるかもしれません。
しかし その苦しみは永遠ではありません。
ゲーム感覚になればなるほどゲーム感覚%は上がり、幻惑%は下がっていきます。
以前のわたしはゲーム感覚1%くらいでしたが、今は80%くらいになっていると思います(当社比)
そのぶん幻惑%が下がっているので、今は大して苦しくありません。
むしろ幻惑を「おもしろい♪」と思えています。

ゲーム感覚を高めれば高めるほど自制心も高くなります。
感情をおさえ自分を自由にコントロールできるようになります。
それは神がゲームそのものだからです。
ゲーム感覚を高めるということは神に近づくことです。
100%ゲーム感覚とは神の感覚そのものです。



●具体的にゲームをやる

ゲーム感覚になる呪文は「ゲーム感覚」です。

「ゲーム感覚」
と思えば なんとなくゲーム感覚になれると思います。

しかしそれではゲーム感覚になれないときもあります。
たとえば強烈に憎い人を前にすると、
「ゲーム感覚、ゲーム感覚…」
と思っても、
「憎い!殺したい(|||゚Д゚)!!!」
とネガティブな波動が強すぎて とてもゲーム感覚になれないかもしれません。

その原因に“ゲーム感覚”というコトバ(呪文)の弱さがあります。
“ゲーム感覚”
という概念が わりとボンヤリしているため、呪文としての効果が弱い面があるのです。

たとえば、
「ゲーム感覚になってください」
といわれても、人によっては、
「それってどんな感覚?
 具体的にどうすればいいの?」
と、なかなかゲーム感覚になれないと思います。

そのようなときは“ゲーム感覚”という概念を、もっと具体的にすればOKです。
たとえば、
“演劇ゲーム感覚”
にすれば、
・幸せキャラを演じる
・幸せキャラの思いそうなことを思う
・カメラ(神の目)を意識して行動する
といった具体的な行動がとれるようになります。
そうすれば憎い相手にもゲーム感覚になりやすくなります。
ゲーム感覚で自分をコントロールして、ギブギブしたり優しくしたりしやすくなります。
これが呪文を強めるということです。

とはいえ“ゲーム感覚”などのボンヤリしたコトバが適したシチュエーションもあります。
とくにネガティブな感情のない平常時などは、
「ゲーム感覚ゲーム感覚…」
と ぼんやり思っているほうが疲れなくて良いかもしれません。

固定観念にしばられず臨機応変に対処してくださいね。


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トラップゲーム

2014.02.21.20:54

ほとんどの苦悩は、
「この世は現実だ」
という思いからきています。

たとえば遊園地のアトラクションで海賊におそわれても、
「怖いいい!どうしよう(~o~;)!」
と本気で苦悩することはありません。
むしろそれを、
「おもしろい♪」
と思えます。
それは私たちが、
「これは現実じゃない。
 アトラクションだ」
と思っているからです。

また映画でダメ人間の役でも、
「自分はダメ人間だ…」
と本気で苦悩することはありません。
むしろそのような役を「おもしろい」と思えます。
それは私たちが、
「これは現実じゃない。
 空想のはなしを演じているだけだ」
と思っているからです。

ドラクエのなかで病気になっても、
「ヤバイ…病気だ…どうしよう…(T_T)」
と本気で苦悩することはありません。
むしろ、
「この病気の攻略法はなんだろう(?∀?)」
と、そのイベントをおもしろがることができます。
それは私たちが、
「ドラクエは現実じゃない。
 ファンタジー(幻想)だ」
と思っているからです。

人はファンタジー(幻想・空想)にたいして、
“おもしろい”
と感じるようになっています。
私たちが映画・小説・ドラマなどを好むのはそのためです。

しかしそれを、
「現実だ」
と思ったとたん、“おもしろい”が“苦しい”に変わります。
幻想ならおもしろい映画も、それが現実になると、
「ギャー!ゴジラだー ((( ;゚Д゚))ガクルブル 」
「ギャー!怖いいいいい!((( ;゚Д゚))ガクルブル 」
と本気で苦悩することになります。

ひごろ私たちが感じている苦悩もこれと同じです。
人生という映画を、
「現実だ」
と思うから苦しいのです。

前述のとおり宇宙は神の意識がつくりだしたマボロシです。
実体はありません。
このことを思いだせば、
「この世は現実だ」
という錯覚に苦しまずにすみます。

しかしともすれば私たちはこの真理を忘れがちです。
だからわたしはいろいろな法則をつかって忘れないようにつとめています。
“法則をつかう”というよりも、
“ゲーム(=法則)であそぶ”
という感覚です。

わたしがよくあそんでいるゲームに、
“トラップゲーム”
があります。
このゲームはトラップ(ワナ・ナゾ)を解きながら真実(ゴール・クリア)をめざすゲームです。
一般的なトラップゲームにナゾときゲーム・ダンジョンゲーム・探偵ゲームなどがあります。
インディージョーンズや名探偵コナンはトラップを解きながら真実をめざしますよね。

宇宙は巨大なトラップゲームです。
わたしたちの意識には真実をはばむトラップが無数にしかけられています。
それらを解くことで、だんだん真実(神)に近づけるようになっています。

たとえば、
“この世は幻想(バーチャルゲーム)だ”
という真実をはばむトラップに、
「この世は幻想なんかじゃない。現実逃避するな!」
「人生はバーチャルゲームなんかじゃない。もっと神聖なものだ」
「“この世はバーチャルゲームだ!”とか本気で思っている自分が恥ずかしい。
 あたまがオカシイのかもしれない」
…などの意識(固定観念)があります。

また、
「この世がバーチャルゲームだとしたら、人間はたんなるプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)になってしまう。
 人間はそんな軽々しいものではない」
「人間がプログラムだ、などという考えは不謹慎だ。
 そのような考えは神への冒涜だ」
「人間がプログラムだ、などという考えには愛がない。
 人間はちゃんと実体がある現実の存在なんだ!」
…などの意識(固定観念)もあります。

冷静にブログなどを読んでいるときは、このような意識にひっかかることはないと思います。
しかしいざ日常生活になると、とたんにひっかかってしまいます。

たとえばいざ親しい人を目の前にして、
「お母さんはプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ」
などと思おうとすると、
「そんな考えは不謹慎だ!
 そんな考えには愛がない!」
といった罪悪感(トラップ意識)や、
「お母さんはプログラムなんかじゃないっ
 ちゃんと実体がある現実の存在なんだ!」
といった固定観念(トラップ意識)がおそってくると思います。
その結果、
“この世は幻想(バーチャルゲーム)である”
という真実が見えなくなってしまい、母親という立体映像にたいして本気で怒ったり心配したりして苦悩する…
というのがいつものパターンだと思います。

もし、
「この世はバーチャルゲームだ=人間は実体のない架空の存在だ」
と100%確信できたら人間関係の苦悩は100%なくなります。
架空の人格(ロボットやゲームキャラなど)に悪口を言われたからといって、本気で怒ったり苦しんだりすることはありません。

トラップ意識とは、いわば“固定観念”です。
自分のなかにある固定観念に気づいたら、
「トラップ意識かも」
と疑ってみてください。
トラップ意識を解けば、とたんに人生が楽になります。



●トラップ意識の解きかた
トラップ意識を解くのはカンタンです。
「この考えはトラップだ」
と自覚すればいいだけです。

たとえば人に対して本気で腹が立っているときは、
「コイツはプログラム(立体映像)なんかじゃない。
 実体をもった現実の存在だ!」
というトラップ意識にひっかかっています。
そのときは、
「自分はトラップ意識にひっかかっている。
 この世はバーチャルゲームで、人間はプログラム(立体映像)だ」
と“自覚”すればいいだけです。

自覚とは“自分に目覚める”と書きます。
つまり自分本来の意識(神の意識)に目覚めるということです。
それはつまり真実に目覚めるということです。

とはいえ、いくら自覚してもトラップ意識を完全に解くことはできません。
トラップ意識は無限によみがえってきます。
いくら、
「この世は幻想だ!」
と自覚しても、
「いや、この世は現実だ!」
という思いがわいてきて、本気で苦悩してしまうと思います。
このせめぎあいは永遠につづきます。

しかしトラップ意識は解けば解くほど弱くなります。
つまりトラップゲームであそべばあそぶほど苦悩は小さくなります。
ゲームがヘタなうちは苦痛ですが、上手くなるほど楽しくなるのと同じです。

なぜトラップ意識を完全に消せないのかというと、この世がそもそもゲームだからです。
人生がそもそもゲームだからです。
時間・バランス・リズム……などなど、この世のありとあらゆる概念は神のゲーム(あそび)です。

“ゲーム”と“トラップ”は一心同体です。
トラップ(障害)のないゲームはゲームとしてなりたちません。
どんなゲームにもトラップ(障害)の要素がふくまれています。

ドラクエなら、モンスターがトラップ(障害)です。
だれかと競うゲームなら、相手がトラップ(障害)です。
一人でやるゲームなら、ルールがトラップ(障害)です。
なんのルール(障害)もなく好き勝手にやっていいということになれば、それはゲームではありません。
カオスです。
モンスター・対戦相手・ルールなどの障害(トラップ)があるからこそゲームはおもしろいのです。
トラップこそ“おもしろさ”の正体なのです。

神が人生ゲームをしているのは、おもしろみ(幸福感)を味わうためです。
だからトラップ意識(おもしろみ)が完全に消えることはありません。

しかし、
「今、自分はゲームをしている」
という自覚が弱いとトラップが“おもしろみ”だと気づけません。
たんなる苦しみだと解釈してしまいます。

だからまずは、
「自分は人生というゲームであそんでいるんだ」
という自覚を強くすることが大事です。


トラップ意識がなかなか弱まらないときは、トラップ意識のどこがまちがっているのか、あまり理解できていないのだと思います。
今回の例なら、
「この世は幻想なんかじゃない。現実逃避するな」
「人生はバーチャルゲームなんかじゃない。そんな考えは不謹慎だ」
といったトラップ意識のどこがまちがっているのか、よく分かっていないということです。
そのときは3徳をつんで神への理解度を上げればOKです。

ご参考までに、いくつかトラップ意識のまちがいを見ていこうと思います。

たとえば、
「この世は幻想なんかじゃない。現実逃避するな」
というトラップ意識ですが、これは真実がアベコベになっていますよね。
「この世は現実である」という考えが幻想で、
「この世は幻想である」という考えが真実だったはずです。
もちろん真実はだれにもわかりませんが、
信じたらより幸せなることを真実にする
ということを以前かかせていただきました。
「この世は現実である」
と解釈するより、
「この世は幻想である」
と解釈したほうが幸せになれるのは前述のとおりです。

また、
「人生はバーチャルゲームなんかじゃない。そんな考えは不謹慎だ」
というトラップ意識ですが、これも真実がアベコベになっています。
「人生はバーチャルゲームじゃない=人生は現実だ」
と思うから人生に本気で苦悩してしまうのです。
苦悩することはネガティブな波動をまきちらす不謹慎な行為です。
つまり、
「人生はバーチャルゲームなんかじゃない。そんな考えは不謹慎だ」
という意識こそ逆に不謹慎なのです。



●逆転劇
わたしたち(神)は、
「今まで真実だと思っていたことが、じつは誤りだった!」
「今まで正義だと思っていたものが、じつは悪だった!」
といった“逆転劇”が大好きです。

たいていのドラマ(映画・小説など)には、多かれ少なかれ逆転劇が入っています。
歴史をみても、
「地球のまわりを太陽がまわっていると思っていたら、地球が太陽のまわりをまわっていた!」
「天災は神の怒りだと思っていたら、たんなる物理現象だった!」
「この世のすべては物理現象だ! 神は死んだ! …と思っていたら、じつは自分が神だった!」
…など逆転劇に満ちています。

「この世は幻想なんかじゃない。現実逃避するな」
という考えが、じつは幻想的な考えで、
「この世は幻想にすぎない」
という考えが、じつは現実的な考えだった、
…というのも逆転劇です。

「人生はバーチャルゲームなんかじゃない。そんな考えは不謹慎だ」」
という考えが、じつは不謹慎な考えで、
「人生はたんなるバーチャルゲームだ♪」
という考えが、じつは神聖な考えだった、
…というのも逆転劇です。



●人間はプログラムである
「人間がプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ、などという考えは愛がない」
という考えは正論のように思えますが、これもトラップ意識です。
なぜならこの考えでは、真に人を愛することはできないからです。

この考えの裏には、
「人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)のような空虚な存在ではない。
 実体のある現実の存在だ」
という思いがあります。

しかし前述のように苦悩は、
「この世は現実だ=人間は実体のある現実の存在だ」
という思いから生まれます。

架空の人格(ロボットやゲームキャラなど)を本気で憎んだり、うらやんだりすることはありません。
多少しても、苦悩でウツ病なるほどではないと思います。
なぜなら、
「あれはホンモノの人間じゃない。
 架空のキャラクターだ。
 本気で憎むなんてバカらしい」
という思いがわいてくるからです。

つまり、
「人間がプログラムだ、などという考えには愛がない」
という考えこそ人を苦悩させる愛のない考えなのです。

逆に、
「人間はプログラムだ」
と100%確信しないかぎり100%の愛は発揮できないともいえます。

しかしはじめのうちは、
「人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ!」
と確信するのはムズカシイと思います。
その理由に、
「“人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ”
 などと思ったら、本気で人を愛せなくなるのではないか?」
 といった恐れ(トラップ意識)があると思います。

このトラップ意識を要約すると、
・物質・実体・現実的なもの → 愛する価値がある
・実体のないもの・バーチャルなもの → 愛する価値がない
ということになります。

しかしこれはおかしな理論です。
なぜなら宇宙にはそもそも実体がないからです。
すべては神の意識がつくったマボロシです。
人間は神の意識がつくったプログラム(作品)です。
わたしたちは超神聖なバーチャルロボットです。

このことを思いだせば、
“実体のないもの・バーチャルなもの → 愛する価値がない”
などというトラップ意識にひっかかることは少なくなります。

その他、
「人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ」
と確信しきれない理由に、
「“人間はプログラムだ”
 などと思うと、カンタンに人を傷つけたり自殺や殺人を犯してしまうのではないか?」
といった心配(トラップ意識)もあると思います。

しかしブログ読者のかたにそのような心配は不要です。
ブログに書いてあるような法則(カルマ・波動・納得など)をあるていど理解していれば、
「人はプログラムだから傷つけても平気♪」
「わたしは立体映像だから自殺しても平気♪」
などとはとても思えないはずです。

しかしそれらをあまり理解していない人が、
「人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ」
などと教えられたら、それこそカンタンに命を粗末にするおそれがあります。
なのでそのような人には、
「この世はバーチャルゲームだ(人間はプログラムだ)」
といったこと安易に教えないようにしてください。

法則をあるていど理解しているのに、怖くてトラップ意識が解けないときは、実験精神をもつのがオススメです。
たとえば実験的に、
「人間はプログラム(立体映像・バーチャルキャラ)だ」
と思って生きてみるのです。

みなさんこれまで、
「人間は実体のある現実の存在だ。
 プログラムなんかじゃないっ」
という考えをさんざん実験してきたと思います。
しかし結果は100%失敗(苦悩)だったはずです。

それなら今回の人生は、
「人間は実体のないプログラムだ」
という考えを実験してみてはどうでしょうか?

どうせこれまでの考えでは100%うまくいかないのです。
ダメで元々。
うまくいったらもうけものです。
ぜひ新たな実験にチャレンジしてみてください。
そうしないと失敗率100%の実験をえんえんくりかえすハメになってしまいます。

「どうせ人は何度も生まれ変わるんだ。
 一度の人生くらい棒にふってもかまわない!」
くらいの気概をもつと新たな実験にいどみやすくなります。

※このブログでは
“悪・まちがい・あやまり…”
といった表現をつかうことがありますが、あくまで便宜上の表現です。
厳密にはそのようなものはありません。


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永遠のサザエさん役

2013.12.31.23:48

あるていど人間力がついてくると、自然と“デキる人間”になってしまいます。
それは仕事だったり、人間関係だったり、ありとあらゆる場面で“あの人すごいね”と言われるような状態になります。
しかし、それを“自分のキャラ”にしてはいけません。
人から尊敬されたり、“あの人はスゴイ”と思われるようになると、自分でも無意識のうちに“デキる人”“すごい人”を演じてしまいがちです。
しかしユダヤの法則により、人は永遠に完璧にはなれませんので、どんなに自分に人間力がついたと思っても、やっぱり時には失敗してしまうこともあります。
失敗ならまだしも“大失態”をしてしまうことも往々にしてあります。
そんなとき、日頃から“デキるキャラ”を演じていると、受ける精神的ダメージがとても大きくなってしまいます。
しかし日頃から“自分は皆と同じ。普通の凡人だ”ということをちゃんと自覚していると、人前で恥をかいたところで大して恥ずかしい思いをせずにすみます。

人は完全に平等です。
自分だけが特別に賢いということはありえません。
ニュースでは、犯罪者が毎日のように大失態を繰り広げていますが、ぶっちゃけて言えば私たちもそのような犯罪者と大差ないのです。
神の目から見たらどんぐりの背比べだと思います。

自分がデキるキャラだと思うと、テストの点が悪かった時にかなりのショックを受けてしまいますが、“自分はどこまでいってもサザエさんなんだ”とわかっていれば、大してショックを受けずに済みます。
自分のキャラを勘違いしないように注意しましょう(私がです。スミマセン^^;)


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法施

2013.12.28.15:11

人生の苦悩から
抜け出す方法に
「法施」
というものがあります

これは、ざっくり言うと
「幸せになる方法」
を教えることです

仏教用語ですね

仏教には
いろんな善行があります

たとえば困ってる人に
お金をあげる「財施」とか

肉体労働で人を助ける
「身施」などがあります

なかでも
特に尊いとされているのが
「法施」です

なぜ法施が
尊いんでしょうか?
それは
相手の「幸せ力」を
アップできるからです

幸せ力とは
自分で自分を幸せにする力
のことですね

イヤなことがあっても
自力で立ち上がったり
落ち込んでも
すぐに復活したり
自分で自分を幸せにする力
のことです

いくら
相手にお金をあげても
相手の幸せ力が低いと
不幸なままですよね

いくらお金があっても
幸せ力が低い人は
不幸になります

いくら
ボランティアしてあげても
相手の幸せ力が低いと
不幸なままです

一時的には助かるかも
しれませんが
長い目で見たら
やっぱり不幸なままです

では法施をして
相手の幸せ力を
アップしたら
どうなるでしょうか?

そうすると
相手を永遠に
幸せにできます

一時的な幸せじゃなくて
永遠の幸せを
プレゼントできます

相手の幸せ力が高くなれば
その人は助けてもらう側
じゃなくて
逆に助ける側になります

今度はその人が
法施をして
他人を幸せにする側に
まわります

幸せの連鎖が起きるんです
雪だるま式に
幸せな人が
増えていくんですね

だから法施は
尊いとされているんです

もちろん募金とか
その他のボランティアが
ダメなわけじゃないですよ

それも
すごく大事なことです

たとえば
今にも餓死しそうな人に
法施してる場合じゃ
ないですよね

災害で
家も着るものもない人に
法施してる場合じゃ
ないですよね

そんなときは
募金、その他の
ボランティアが必要です

つまり財施も身施も法施も
バランス良くやるのが大事
なんですね

もし、あなたが
なにかに悩んでるなら
まずは法施から
始めてみてください

はじめから
法施するつもりで
いろいろ勉強して下さい

はじめから
法施するつもりで
本を読んだり
動画で勉強するんです

そうすると
ものすごく記憶に
残るんですね

これは
「教えるつもり勉強法」
といって
科学的に効果が
実証されている勉強法です

「え~、私はバカだから
法施なんてできない」

「私は、まだ未熟だから
法施なんて絶対ムリ!」

と思うでしょうか?
それはカンペキ主義の
ゼロヒャク思考です

100%カンペキな人に
ならないと
法施できないと
思ってるんですね

でも人は
永遠にカンペキに
なれません

だから今、法施を
始めないと
永遠に始められないんです

逆に言えば、だれでも
今すぐ法施できるんですね

たとえ犯罪者でも
じぶんの失敗談を話せば
法施になります

たとえば この動画を聴いて役に立ったことを
教えるだけでも
法施になります

もちろんカンペキに
教えられなくてもOKです

多少間違えても
かまいません

カンペキに正しいことを
教えるなんて
ムリですからね

つまり
カンペキ主義をやめれば
だれでも今すぐ
法施できるんです

たとえばヤフー知恵袋で
いろいろ悩みを
質問してる人がいますよね

その悩みに、ひとこと
答えるくらいなら
できると思います

完ぺきに解決できなくてもいいんです

じぶんなりに答えたらOK
なんですね

たとえば、ツイッターで
一日ひとこと法施する
のでもかまいません

それだったら
カンタンですよね

わたしがブログや動画で
やっていることは
法施です

わたしは法施のつもりで
これをやってるんですね

わたしのブログや動画は
幸せ力をアップする目的で
やってるんです

わたしは法施を
やりはじめてから
自分の幸せ力が
ジャンプアップしました

法施をはじめてから
爆発的に
幸せになったんです

法施をすると
自分の幸せ力が
爆上がりするんですね

たとえば、どっちの方が
幸せ力が高くなる
でしょうか?

1:じぶんの幸せ力を
上げるためだけに
ブログや動画で勉強する人

2:はじめから
人に教えるつもりで
勉強する人

もちろん「2」ですよね

「教えるつもり勉強法」
です

はじめから
法施するつもりで
勉強したほうが
だんぜん記憶に
残るんです

だんぜん自分の幸せ力が
アップするんですね

もちろん2ですよね

人間は
他者を幸せにすると
自分が幸せを感じるように
できています

じぶんが法施をして
それで
その人が幸せになって

「本当に助かりました!
救われました!」

とか言われたら
どうでしょうか?

しあわせですよね
自分がしあわせを
感じますよね

つまり法施で他者を
しあわせにすると
自分が癒やされるんですね

自分の苦悩が
癒やされるんです

私が爆発的に
幸せになったのは
法施をはじめてからです

それまでの幸福度を
1とすると
法施をはじめてからの
幸福度は100くらいです

もっと高いと思います
これは大げさじゃなくて
実際そうなんですね

地獄から天国に
いっきにジャンプアップ
したイメージです

そのくらい
法施はすごい効果が
あるんですね

ここでいう法施とは
仏教を教えることじゃ
ないですよ

「幸せになる方法」
「幸せ力を上げる方法」
を教えることです

ぜひあなたも今から
法施をはじめてみて下さい

知恵袋でひとこと
解答するくらいなら
今からできますよね

超スモールステップで
今から始めて
みてくださいね



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実験する

2013.12.13.12:49

正しいと分かっていても、なかなか実行できないことがあります。
たとえば“無理はいけない”とわかっていながら、無理して勉強したり、仕事したり、節約したり…
なかなか無理がやめられないことがあると思います。

このとき、
「無理して頑張らないと、困ったことになるかもしれない」
と無意識に“恐れ”ていることが多いです。

そんなとき私は
「じゃあ困ったことになるか実験してみよう」
と思います。
実験的に無理することをやめるのです。
もしそれで困ったことにならなかったら、もうけものです。
今後の人生、無理にがんばる必要がなくなります。

この実験は、やる前から結果がわかっています。
ブログ読者の方なら、無理することが宇宙の理に反していることは分かっていると思います。
しかし「困ったことになるかも…」という“恐れ”から、なかなか無理がやめられません。
この恐れをなくすには“実験”という言葉が有効です。
なにごとも“実験”だと思えば、失敗を恐れずやりたいことがやりやすくなります。

たとえば「怒ってはいけない」とわかっていながら、つい怒ってしまうとき、
「怒って相手にダメージを与えないと、相手はいつまでたっても成長できず、困ったことになるかもしれない」
「怒りを見せつけてやらないと、相手はまた同じ失敗をくりかえして、こちらに迷惑をかけてくるかもしれない」
と恐れていることがあります。
そんなとき、
「じゃあ本当に困ったことになるか実験してみよう」
「怒らず、もっと上手い対応をし続けたらたらどうなるか、人生をかけて実験してみよう」
と思うと、怒らずスマートな対応をしやすくなります。

また余計な買い物をしそうなとき、
「これがないと困ったことになるかも」
と恐れていることがあります。
そのときも、
「じゃあ困ったことになるか実験してみよう」
と思い、買うのをやめると、たいてい困ったことにはなりません。

余計なモノが捨てられず、家がゴミゴミしている人も、
「これを捨てたら困ったことになるかも」
と恐れていることがあります。
そのとき、
「じゃあ困ったことになるか実験してみよう」
「今世はこの実験で棒にふってもかまわない」
と思って捨てると、たいてい困ったことにはなりません。


また、あれこれ心配してしまうとき、
「こうやってあれこれ考えないと、困ったことになるかも」
と恐れていることがあります。
そのとき、
「じゃあ、あれこれ考えるのをやめて、“今”に一点集中したらどうなるか実験してみよう」
と思うと、心配をやめて今に生きやすくなります。

また、この世は単なるバーチャルゲームですが、なかなかそうは思えないときがあります。
その裏には、
「そんなこと思ったら現実逃避になってヤバいんじゃないか」
「この世がバーチャルだなんて自分は頭がおかしいんじゃないか」
という恐れのあることがあります。
そのときは、
「じゃあ本当にヤバいことになるか実験してみよう」
「今までさんざん“この世は現実だ”と思い続けて、うまくいかなかったんだから、ためにしに“この世はバーチャルゲームだ”と思って生きてみよう」
などと思うと、人生をバーチャルゲームとして楽しみやすくなります。


不安、焦り、嫉妬、劣等感など、ほとんどの苦しみの裏には、
「困ったことになるかもしれない」
という“恐れ”があります。

心が苦しいとき、上の例を参考に“実験”という言葉を応用してみてください。
人生が楽になると思います。


また、なかには正しいと確信できず、実行できないこともあると思います。
たとえばブログの法則が実行できないとき、
「ブログが正しいとは限らない。このとおりにやって困ったことになったらどうしよう」
と“恐れ”ていることがあります。
そのときも、魔法のことば「実験してみよう」をとなえてみてください。
そうすると恐れをなくしやすくなります。

私も新しいアイデアをひらめいたとき、怖くてなかなか実行できないことがあります。
そのとき、
「ダメでもともと。とりあえず実験してみよう」
「うまくいったらもうけもの」
と思うと、勇気を出して実行しやすくなります。

これからブログの内容が深くなってきて(もしくは私の独自性が強くなってきて)、にわかに信じがたくなるかもしれません。
そのときは、それを信じたらどうなるか、ぜひ“実験”してみてください。



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ブログの読みかた ~ご質問の前に~

2013.11.16.15:02

ブログ読者のかたから、よくご質問のメールをいただきます。
しかしそのほとんどは、ブログを応用すれば解決できてしまうものです。

人の悩みは千差万別です。
人の数だけ悩みがあります。
同じ人でも、シチュエーションによって、悩みは細かく分かれていきます。
それら全てに、個別にお答えすることはできません。
ブログを読んで、あるていど自分で応用していただくことが必要です。

なにか悩みにぶつかるたびに、
「このばあいはどうすれば…」「このばあいはどうすれば…」と、ご質問されているようでは、永遠に悩みから抜けだせません。
そのようにならないためには“応用力”つけることが大切です。

多くの人が“自分の悩みだけは特別だ”“ブログを読んでも解決できない”と思われているようです。
しかしそのような悩みは、まずありません。
99%以上はブログを応用すれば解決できてしまう問題です。
この“応用”ができないかぎり、いつまでも人生に悩み続けることになります。

応用できるようになるためには、基本をしっかり“理解”していなければなりません。
教科書でもなんでもそうですが、一度読んだだけで、その内容を理解することはできません。
だから「ブログは何度も繰り返し読んでください」と書かせていただいています。
にもかかわらず、あまり読まずにご質問されるツワモノがたくさんいらっしゃいます(^_^;)
彼らの質問は、ちょっとブログを応用すれば解けるものばかりです。
しかしブログにたいする“理解”が足りないため、ブログに書いてあるそのままのことしか実行できず、ちょっとシチュエーションが変わると、とたんに「どうすれば…」ということになるようです。

理解とは“理解する・しない”の2択ではなく、バーセンテージの問題です(参考:ファジーの法則
ご質問されるかたも、ブログをまったく理解していないわけではありません。
ただ理解度(%)が低いだけです。
算数でも国語でも、基本の理解度が低いうちは、応用問題を解くことができません。
人生の問題もそれと同じです。

ではどうすれば理解度を上げ、応用力をつけることができるのでしょうか?
それにはブログの読みかたを知っていただく必要があります。

“読む”ことと“理解する”ことはちがいます。
読むとは文字どおり“ただ読む”ことです。
理解するとは“他人に空で説明できるようになるまで読みこむ”ことです。
ブログはぜひ後者の読みかたで読んでいただきたいと思います。

先生は参考書をよく理解していますが、それは“他人に教えるつもり”で読んでいるからです。
他人に教えるためには、自分がその内容をよく理解していなくてはなりません。
だから先生は参考書を読みながら、自然とあたまが“理解モード”になっています。
ただ読むのと理解モードで読むのとはまったく違います。
理解モードで読まない限り、その内容を“理解する”ことはできません。

ブログをただ“読む”のでは、理解度は上がりません。
「これをみんなに教えよう(そしてみんなを幸せにしよう)」というつもりで読まければ、理解度も応用力も上がらないのです。

テスト勉強するとき“ただ教科書を読むだけ”ということはないはずです。
「テストの質問に答えられるようになろう」というつもりで読むはずです。
質問に答えるということは、教科書の内容を説明する(教える)ということです。
きちんと説明する(教える)ためには、教科書の内容をきちんと理解しておかなくてはなりません。
だからテスト勉強するときは、自然とあたまが理解モードになっています。
ただ教科書を読んでいてもサッパリおぼえられませんが、テスト勉強として読むと、とたんに覚えやすくなるのはそのためです。
「ただ読む」のも「教えるつもりで読む」のも“読む”という行為は同じです。
しかしテストの結果は天地ほどの差がでます。

ブログを読むときは、ブログ試験があるとして、それで100点をとるつもりで読まれてみてください。
またはブログ講座があるとして、そこで先生をするつもりで読まれてみてください。
そうすれば自然と理解モードになって、理解度が急上昇するはずです。
それに比例して応用力も急上昇するはずです。
そうするとブログを応用して、どんな悩みも解決できるようになります。
だから人生に“悩む”ことがなくなります。

ブログには、いまの自分のと直接関係のない記事もあると思います。
しかし食わず嫌いせず、すべての記事に繰りかえし目を通していただきたいと思います。
なにとぞよろしくお願いいたします。


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愛を感じる

2013.09.23.13:52

今に生きるためには、愛が一番です(愛が一番 Ctrl+F検索)
イヤな気分になったときは、愛不足のサインです。
愛が不足すると、そのすきにエゴが入りこんできます。
でも、そこで愛を出せば、またポジティブな気分にもどることができます。
つまり魂は、愛不足→愛を出す→愛不足→愛を出す…というリズムゲームであそんでいるのです。
これは自然法則なので「私には愛がない…」と自己嫌悪するのはナンセンスですね。

愛を出すにはコツがあります。
それはまずはじめに“愛を感じる”ことです。

なにもしてもらってないのに「感謝(=愛)してよ」といわれても、なかなかできないと思います。
なにもしてくれない人に「いつもありがとう」と言うのも、むずかしいと思います。
でも、なにかしてもらったときは、自然に感謝することができます。
プレゼントをもらったときは、カンタンに「ありがとう」ということができます。
それは魂に“愛を感じると愛が出る”システムがそなわっているからです。
これはいわゆる条件反射です。
愛を感じれば、反射で自然に愛がでます。
だから変に力まなくても、ラクラク愛に生きることができます。

「自分はひとりだ。だれからも愛されてない」
「わたしは犯罪者だ。みんなから嫌われている。守護霊もあいそつかしているだろう。だから不幸なんだ」
という人でも心配いりません。
わたしたちはみんな神の子です。
神様はだれでも等しく愛をあたえてくれます。
もっと神様を信頼して、安心してください。

太陽は「暑い」「紫外線が悪い」と文句を言われても、たえまない愛を私たちにそそいでくれています。
地球はいくらイタめつけられても、無償で豊かな資源をあたえてくれています。
今つかっているパソコンやケータイは、そうした自然霊の出す愛の波動でみちています。
こうして文字が読め、パソコンができるのは、体細胞(自然霊)の愛が、からだを動かしているからです。
自由な時間をもち、自由に物事を学べるのも、だれかの愛がそうみちびいてくれたからです。
このような状況はあたりまえではありません。
誰かの意図的な愛があってこその状況です。
それは守護霊だったり指導霊だったりご先祖様だったりします。

私たちは一分一秒あふれるような愛をそそがれています。
そのことに、まず“気づく”ことが大事です。
その愛を“感じようとする”ことが大事です。
そうすれば自分のなかから自然に愛(感謝)があふれてきます。

愛を感じる対象は何でもOKです。
思いつくかぎりのモノや状況から愛を感じます。
歩いているときウツ(=エゴ)になったら、地面から愛を感じます。
空を見上げて、大いなる愛を感じます。
胸いっぱい深呼吸して、大気にみちた愛を吸収します。

歯みがきがダルいな~と思ったら、歯ブラシから愛を感じます。
洗濯がダルいな~と思ったら、洗濯物から愛を感じます。
すると、
「ありがたいなあ」
「わたしはなんて恵まれているんだ」
「クヨクヨ波動汚染なんかしてられない」
「この愛をかえさなきゃ!」
という愛の波動がわいてきます。

愛を感じることがむずかしければ、“愛を感じようとする”だけでOKです。
まず“愛を感じようとすること”
これをやれば、24時間ラクに今に生きられます。



●鬼にの目にも愛

相対性で考えれば、どんなものにも愛を感じられます。
イジワルな人、思いやりのない人にも愛を感じることができます。
たとえば私はイジワルな人をみると、
「この人は、ずいぶんやさしくなったなぁ」
と思います。
その人の魂に愛のいぶきを感じます。
なぜならその人の前世をイメージすると、今とは比較にならないくらいのイジワルっぷりが見えるからです。

人はだれでも成長する生きものです。
どんなに愛のない人でも、昔よりは愛が育っています。
たとえば今世で言葉の暴力をふるう人なら、前世は肉体的な暴力をふるっていたはずです。
戦時中なら、部下に体罰しまくる鬼軍曹だったことでしょう。
中世ヨーロッパなら、魔女狩りで拷問殺人する鬼役人だったことでしょう。
わたしはイジワルな人をみると、そのような情景をありありとイメージします。
すると、
「この人はずいぶんやさしくなったなあ」
「むかしにくらべれば、まだ愛があるなあ」
「今世では前世ほどひどい体罰をくわえないでくれてありがとう」
と、心の底から愛(感謝)を感じることができます。
このような習慣をもつと、人生の苦しみ(=エゴ)がグッと減ります。
愛はエゴを相殺するからです(逆位の波動


●愛をめぐらす

たとえばわたしは料理中に「しんどい」「めんどくさい」とネガティブ気分がでてきたら、すぐに食材や道具から愛を感じます。
私たちのために奉仕してくれている野菜やマナ板の愛を感じます。
すると「ありがとう」という感謝(愛)のこころがわいてきます。
それを相手にかえすことで、愛の循環がうまれます。
自分とモノのあいだで愛がめぐります。
すると血のめぐりならぬ愛のめぐりが良くなります。
血のめぐりを良くすればからだが健康になるように、愛のめぐりを良くすれば心が健康になります。
心が悩んでいるときは、愛のめぐりが悪くなったときです。
そんなときは、いま触っているもの、目にみえるもの、目には見えない自然霊など、思いつくかぎりのものと愛をめぐらせてみてください。
そうすれば、だんだん心が健康になっていきます。


●愛は味覚を変える

わたしは愛を感じるようになってから、食べ物の好き嫌いがなくなりました。
前は食べられなかったものでも、その食材の愛を感じれば自然に「ありがとうございます!ぜひいただかせて頂きます!」と思えてしまいます。
吐き気をもよおしていたものですら、難なく食べられるようになっています。
愛は味覚さえも変えてしまうのです。

人と同じように、食材にも命があります。
命あるものを「これニガテ」「ちょっとおなかいっぱい」くらいの理由で捨ててよいものでしょうか?
相手の愛を感じれば、そんなことはできないと思います。


わたしは、パーティーなどで大量のザンパンを目にすると、つい怒りや罪悪感を感じます。
しかし食材の気持ちになってみれば、むげに捨てられるうえ、ネガティブな波動(罪悪感など)をあびせられては、たまったもんじゃありません。
なので私は、
「捨てることになってしまって申し訳ありません。
でもおかげで豊かで楽しいときをすごすことができました。
この世に生まれてきてくださって、ありがとうございます」
と、謝罪にくわえて、よろこびと感謝の波動をおくるようにしています。

人づきあいでは体に悪そうなものをふるまわれることもあります。
しかし、どんなものにも神の愛はあふれています。
油にも砂糖にも添加物にも神の愛がみちています。
それを感じれば
「油が悪い、砂糖が悪い、添加物が悪い」
などとネガティブな波動を出さずにすみます。
もちろんできるだけ体に悪いものを食べないことは大切です。
しかし神のシナリオで食べる運命にあるのなら、その状況を否定せず、肯定することが大事です。
だからわたしは
「おかげさまで安く手軽に食事を楽しむことができています。
豊かで楽しい人生を与えてくださってありがとうございます(^_^)」
と、愛の心でおいしくいただいています。

とはいえ、極端にカラいもの、極端にニガいもの、アルコール・アレルギー・ゲテモノなど、どうしても無理なものもあると思います。
無理をすることは、自分への愛を欠くことです。
ザンパンの愛を感じすぎて、残りものを食べすぎることも、自分への愛を欠くことです。
自己愛と他者愛のバランスゲームも忘れないでくださいね。



●体細胞の愛を感じる

わたしは体調不良にみまわれたら、すぐに体から愛を感じます。
体に痛みを感じたら、すぐに体細胞から愛を感じます。

もちろん健康なときも感じていますが、不健康なときは“愛を感じようキャンペーン”期間です。
だからより念入りに愛を感じ、愛を返し、愛のめぐりを良くしています。
そうすれば、からだに愛のエネルギーがいきわたり、回復が早くなります。

体細胞はわたしたちのために昼夜問わずはたらいてくれています。
偏食、夜更かし、ネガティブ思考などでイタめつけられても、私たちのために一生懸命はたらいてくれています。
その愛を感じれば
「ここが悪い、あそこが悪い」
「前よりマシだけど、まだここが悪い…」
「シワが…シミが…」
などの文句はなくなります。
逆に「いつもわたしのために働いてくれてありがとう」
「体細胞さんにムリさせないよう、悪い習慣をあらためよう」
と、愛をかえせるようになります。
その結果として、自然に美しく健康になれてしまいます。

体細胞はできるかぎり私たちを、美しく健康にたもとうとがんばってくれています。
だから「また髪がぬけた…」「またシワがふえた…」などと不満を思うと、自然霊の声がきこえる人には
「わたしたちは、これでも精いっぱい、からだの修復につとめています!」
といった体細胞の声がきこえるようです。

日ごろ愛を感じている人でも、愛に限界はありません。
もっともっとガンガン愛を感じまくって、ついには愛と一体化して、神様(のような人)になってしまいましょう!



●愛を感じれば掃除もラクラク

わたしはモノを粗末にしたり、分別せずにポイしたりすることができません。
こわれたモノも、神の美観のゆるすかぎり、修理して使います。
これは無理してそうしているのではありません。
モノの愛を感じると、自然にそうなってしまうのです。

愛を感じれば、モノをテキトウに扱うことができなくなります。
自然に丁寧にあつかえるようになります。
だから無理に努力しなくても、紳士淑女的な優雅な動作になってしまいます。

わたしは以前まで掃除がニガテでしたが、愛を感じることで、自然に掃除ができるようになりました。
モノをグチャグチャにしておけるのは、モノの愛を感じていないことが大きな原因だったのです。
愛を感じれば、自然に整理整頓できてしまいます。
モノが心地よくいられるように、キレイに清潔にしてあげらるようになります。
モノにも心があります。だれだって乱雑にされたり、不潔にされるのはイヤなものです。

トイレなど不潔な場所も、相手の気持ちにシンクロして愛を感じれば、
「いつもありがとうございます!」
という気持ちになって、愛のパワーでラクラクお掃除できてしまいます。
もちろん、すべてのモノにカンペキな愛をかえすことは不可能です。
逆に、カンペキに掃除しようとすることは、自分に無理させることであり、自分への愛を欠くことになります。
バランスゲームに失敗した状態です。
プロの清掃業者は限りなく100%を目指したほうが良いでしょうが、それでも病的にならないように注意が必要ですね。

食事と同じく掃除も、自己愛と他者愛のバランスゲームです。

わたしたちは同時平行でたくさんのゲームをあそんでいます。
“愛を感じるゲーム”のほかに“バランスゲーム”であそんでいることも忘れないでください。



●小我の愛と大我の愛

小さな愛を感じすぎると“小我の愛”になります。
たとえば、ひとつひとつこまごました愛を感じすぎると、モノが捨てられなくなります。
そうすると家という大きなモノがゴミやしきになってしまいます。
でもそこで“大我の愛”になって、家という大きなモノの愛を感じれば「家さんを汚くしてはもうしわけないな」
と、ほどよいバランスでモノを捨てられるようになります。
さらに大きなモノ(地球や宇宙)の愛を感じれば、
「ごみ屋敷で波動汚染してはもうしわけないな」と、さらにいさぎよくモノを捨てられるようになります。
モノのない部屋は掃除の必要がないので、自然にキレイになってしまいます。

このように、愛には“小我の愛”と“大我の愛”の2つがあります。
どちらにもかたよることなく、両者のバランスゲームを楽しむことが大切です。



●合コンのたとえ

たとえば、男10人、女2人(わたし+美人A子)で合コンしたとします。

男性たちはA子にむらがって、わたしには見むきもしません。
わたしがガッカリしていると、ひとり私に話しかけてくれるBさんが現れました。
しかしわたしは「どうせお情けでしょ」とイジケたり
「A子がうらやましい…」と嫉妬したり
「わたしはなんでブスにうまれたんだ…」と劣等感をかんじたり
「A子め、いい気になりやがって…」と憎んだり
「こんな合コンこなきゃよかった…」と後悔したりしています。
Bさんの親切心(=愛)を感じず、自分のことばかり考えています。
こんなことをしてはBさんすら私のもとを去ってしまうでしょう。

ネガティブなとき、人はだれしもこの合コンと同じことをしています。

この世のありとあらゆるモノは、一分一秒わたしたちに愛をあたえてくれています。
わたしたちのために無償で奉仕してくれています。
なのにわたしたちは、それを感じず、不安、怒り、劣等感など自分のことばかり考えています。

悩み苦しみをなくすためには、このようなエゴ状態からぬけだし、Bさんたちの愛に気づくことが大切です。







表面的しあわせと“実際の”しあわせ

2013.09.06.20:40

●反射で止まらない

しあわせには2種類あります。
“表面的しあわせ”と“実際のしあわせ”です。
表面的しあわせとは、財産・地位・美貌など、反射的に「幸せそうだ」と感じることです。
実際のしあわせとは、現実に、リアルに、実感として感じる幸福感のことです。

ヒトは反射的に、
“金もち→しあわせ”
“有名人→しあわせ”
“イケメン・美人→しあわせ”
“社会的成功→しあわせ”
と感じるしくみになっています。
だから、表面的に幸せな人をみると、
「わたしは毎日ポジティブ思考して、こんなにがんばってるのに、なかなか幸せになれない。
 なのにあの人たちは人間力が低そうなのに、しあわせそうだ……ウジウジ」
と、嫉妬したりネガティブになったりしてしまいます。
もちろん、あたまでは「金持ちイコールしあわせじゃない」「有名人イコールしあわせじゃない」と分かっています。
でもウジウジ嫉妬しているうちは“社会的成功者→しあわせ”という反射的感情にとらわれています。
なぜなら、不幸な人をうらやむ人はいないからです。


またこのブログについて、
「ブログが正しいなら、モモエはもっと有名になって、億万長者になっているのでは?」
と思ったり、
「Aさんという社会的成功者は、モモエとちがうことを言っている。
 Aさんの言ってることはちょっと納得できないけど、モモエより有名だし億万長者だ。
 どっちが正しいんだろう…」
と魔酔う人もいると思います。


また、長く成功している有名人が、宇宙の真理から外れたことを言っているのを見て、
「なんであの人はあんな考えかたで成功しているんだろう」
「そのうち不幸になるんだろうか」
「前世でよっぽど良いことをしたんだろうか」
「それとも、実はあの人の考えかたが正しくて、自分の考えのほうがまちがっているんだろうか……」
と疑念をいだく人もいると思います。

またばくぜんと
「イケメン人気アイドルの○○は、ブサイクで無名のオレより幸せだ」
「一流企業で高所得の同級生は、中卒で低所得のオレより幸せだ」
「マイホームがあって、子どもが東大のおとなりさんは、オンボロアパートで、大学に落ちたウチより幸せだ」
と思っている人もいると思います。

これらの人は、
“表面的しあわせ=本当のしあわせ=うらやましい!”
という反射の段階で止まってしまっています。
謎解きゲームの第一問でつまずいている状態です。
だから心が苦しくなります。

反射は動物でもできる、原始的な行為です。
しかし人間はそこから一歩すすんで、深く考えることができます。

財産・地位・美貌など、表面的なしあわせに恵まれていても、“実際の感覚”ではしあわせでないことはよくあります。
心理調査でも、
・アメリカ人の所得は50年で2.5倍になったが、実際の幸福感はかわっていない
・高所得者リストの40%が、平均的アメリカ人よりも幸福感が低い
などなど、表面的しあわせと実際のしあわせがあまり関係ないことは数多く報告されています。
(極度の貧困や虐待など、極端な状況はのぞきます)

この世には正負の法則がありますから、タダで良い思いはできません。
それなりの代償をはらう必要があります。
タダで手に入るものはないのです。
たとえば、地位、財産、美貌など表面的しあわせが大きくなればなるほど、それを失う恐怖、失ったときの落胆も大きくなります。
逆になにも持っていなければ、失うものがなにもないので、恐れも恐怖もありません。

表面的しあわせにともなう幸福感は、
「わたしは一流企業の社員だ! エッヘン!」
「わたしは美人よ! ホホホ!」
「わたしはスゴイ仕事をしているんだ! ヘヘン!」
というように“優越感”というネガティブな波動まじることがあります。
優越感にひたるキャラは、じきにイタイめをみると相場が決まっています(キャラクター(納得)の法則)
優越感は麻薬的な快感です。
そのような快感にたよって生きていると、いざそれを失ったとき、ウツになったり自殺してしまうおそれがあります。
これも、“表面的しあわせ”につきまとう代償だといえるでしょう。

※「以前の記事で正負の法則はないと書いていたのに…、いったいどっちなんだ!」と疑問に思われた方は、納得の法則とファジーの法則をいまいちどお読みください。



●“実際の幸福量”を計算する

しあわせについて考えるときは“実際の幸福量”を計算することが大事です。
実際の幸福量とは「実際の幸福感から不快感を引いた量」です。

反射では“フリーター”よりも“大会社の社長”や“総理大臣”のほうがしあわせだと感じます。
しかし、よくよく考えると必ずしもそうでないことがわかります。
フリーターなら、重い責任もなく、自分のことだけ考えて、悠々自適に生きていけます。
しかし大会社の社長となれば、子会社、孫会社、社員とその家族……と、多くの責任を負わねばなりません。
わずかな判断ミスで、みなを路頭に迷わすことになります。
クレーム、裁判など、イヤなトラブルも一手にひきうけねばなりません。
かなりのストレスだと思います。

“社会的成功→しあわせ”というなら、日本で一番しあわせなのは総理大臣ということになりますが、そんなことはありませんよね^^;
たしかに「自分は総理大臣なんだ。エッヘン」という幸福感はあると思いますが、それ匹敵するするくらいの不快感もあると思います。
まず総理にはプライベートらしいプライベートがほとんどありません。
24時間ほぼ観視状態で、行動は分きざみで新聞にのってしまします。
国民は政治や経済のことなどろくに勉強もせず、選挙にもいかないくせに、なにをやっても文句をいいます。
たとえ正しいことをやろうとしても、みんな自分の利益ばかり主張するので、なかなか思うとおりにできません。
実際、リアルに、総理の心にシンクロしてみると、その不快感はハンパないと思います。
福田さんがキレ気味でやめたり、安倍さんが病気になってしまったのもうなずけます。
総理であることの幸福感から、それら不快感をさし引けば、人によってはマイナスになることもあると思います。
その意味では、実際の幸福量が総理より多い派遣社員やフリーターの方はたくさんいらっしゃると思います。

またスポーツ選手をうらやむ声もよく聞かれます。
テレビのなかのメダリストやヒーローインタビューを見て、
「才能のあるやつはいいよな~」
「年俸○億円とか、しあわせだよな~」
とうらやんだり、
「オレには才能がなかった…」
とネガティブになる人もいると思います。
たしかに「オレはチャンピオンだ」「メダリストだ」という幸福感はあると思います。
しかし彼らがしあわせを感じられるのは、一時的なことです。
あとの時間のほとんどは辛く厳しい特訓です。
逆に負けたときはドン底気分で、生活費すらこと欠くこともあります(実際は負け率がダンゼン高い)
それに、ケガや病気は100%自己責任です。
なぐさめられるどころか責められることもあります(泣きツラにハチです)
休むときも学生やサラリーマンのように「やったー、休める、ラッキー」などという感覚はありえません。
「うかうかしてたら席がなくなる」「ライバルに抜かれる」「はやく復帰しないと…」と、つねに戦々恐々です。
スポーツ選手としての幸福感から、これらの不快感をさし引けば、いったいどれほど残るでしょうか。
むしろ趣味でスポーツを楽しんでいる人のほうが、実際の幸福感が多いこともあると思います。

皇帝ナポレオンは誰もが知る英雄ですが、当人は
「わたしの人生で本当にしあわせだったのは数日しかなかった」と言っています。
ナポレオンの人生を知り、彼の心に深くシンクロして、“実際の幸福量”を計算すれば、
「オレはダメ人間だ……。オレもナポレオンのような英雄になりたかった」
などとは思えないはずです。

反射の魔酔いから抜けだして、論理的に考える(実際の幸福量を計算する)と、表面的なしあわせをうらやむことがなくなります。
だから他人をうらやんでネガティブになることがなくなります。

実際の幸福量では、
トップアイドルより しあわせな主婦
東大卒より しあわせな中卒
社長より しあわせなアルバイト
億万長者より しあわせな生活保護者
など、ザラにいると思います。

いくら表面的にしあわせに見えても、その人が“実際”どれだけ幸せを感じているかは誰にもわかりません。
自分がそうであるように、だれしも見えないところで、けんか、トラブル、病気などを抱えているものです。
世にいうカリスマ成功者や聖人のような人でも、“実際”には色々と不快な思いをしていたりします。
ガンばりすぎの成功者が、若くしてガンなどにかかるのを見かけますが、この点でもしあわせいついて考えることが大切です。



●人によって人生の難易度がちがう

魂年齢の幼い人は、わりとカンタンに成功できてしまうことがあります。
たとえば小学生に大学生の勉強をあたえても、むずかしすぎて勉強になりませんよね。
小学生には小学生なりの、カンタンなカリキュラムが必要です。
つらすぎて潰れてしまわないよう、人生の難易度をカンタンにしてあげる必要があります。
だから人間力が低くても、表面的な幸せをゲットしやすくなっています。
幼い子には、てきどに甘いおかし(表面的しあわせ)をあげなければなりません。
じゃないと、グズって泣きだしてしまいます。

魂年齢の幼い人は、人間力がありません。
だから少しのことでもネガティブになって苦しんでしまいます。
だから、いくら表面的しあわせに恵まれていても、実際的なしあわせは少なかったりします。
かたや人間力の高い人は、表面的には平々凡々でも、とてつもなく幸せを感じていたりします。
粗衣粗食の聖人が、豪華絢爛の愚者よりも、実際的な幸福感が多いのは、かんたんに想像できると思います。

こう見ると、人はどこまでいっても平等だということがわかります。

もちろん、すべてがこのケースにあてはまるわけではありません。
魂年齢の高い人がカンタンな人生をおくるケースもあります。
表面的しあわせに恵まれつつ、実際的なしあわせにも恵まれている人もいます。
わたしたち(神)は色んなバリエーションで人生ドラマを楽しみたいようです。



●なにが君のしあわせ?

わたしは以前まで一部上場の有名企業につとめていましたが、“実際の”しあわせを求めた結果、辞める流れになってしまいました。
だから今は、
「わたしは一流企業のデザイナーよ!」
「わたしは年収○○円よ!」
といった、表面的しあわせはありません。
しかし、実際のしあわせでいえば、今は昔の百倍以上はしあわせだと思います。
よもや、このような幸福感が存在するとは想像もできなかったほどです。

私は表面的に見ると、ごくごく普通の一般人です。
大会社の社長でも、億万長者の有名人でもありません。
だから、
「わたしはベンツを10台も持っている!」
「途上国に○億円の寄付をした!」
「わたしの発明が世界を変えた!」
といった、爆発的な幸福感はないと思います。
そのかわり、これといった不快感もありません。
ケンカ、もめごと一切なし。
たいした責任も負ってないので、いつもリラックスしていられます。
有名人のように叩かれたり、嫉妬されることもありません。
まさにストレスフリーの生活です。
まさに“今が天国!”といった感じです。
実際の幸福量は、ヘタな大成功者よりも多いと思います(ちょっとゴーマンでした…スミマセン(^_^;))

とはいえ、人それぞれ個性があります。
わたしのような、おだやかで平凡な人生を望まない人もいるでしょう。
表面的なしあわせを追い求めて、エキサイティングに生きたい人もいるでしょう。

また、私はたまたま会社をやめるストーリーになりましたが、
“実際のしあわせを求めた結果、一流企業に入社した”
“実際のしあわせを求めた結果、有名人になってしまった”
という人もいらっしゃると思います。

どちらにせよ、“実際の”しあわせは、おろそかにしないことが大事だと思います。
そのためには「なにが君のしあわせ? なにをして喜ぶ? byアンパンマンのうた」
と、自分の魂のに問いかけ、つねに内観しつづけることが必要だと思います。


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プラグマティズム

2013.08.15.12:43

●解釈問題

昔の科学の主な目的は“真実の追求”でした。
「なぜ雨がふるのか」
「なぜ太陽はおちないのか」
「宇宙はどんな構造になっているのか」
などなど、真実を追い求めていました。
なぜなら昔は、
「研究をつみかさねれば、いつか真実にたどりつける」
と思われていたからです。
しかし近代では、不確定性原理、不完全性定理、カオス理論などの発見により、
「人がカンペキに真実を知ることは不可能だ」
という結論にいたっています。

そこで科学の主眼は“真実の追求”から“実用性の追求”へとシフトしていきました。
つまり“ニワトリが先かタマゴが先か”よりも“ニワトリに効率よくタマゴをうませる方法”を優先して追求するようになったのです。
このような発想をプラグマティズム(実用主義、道具主義)といいます。
科学や教義は、“実用的な道具”であるという考え方です。

いくら高度な理論を説いても、それが実際の役に立たなければ、あまり意味がありませんよね。
たとえば、“ニワトリが先だ”とわかったところで、実生活ではあまり役にたちません。
それよりも“ニワトリに効率よくタマゴをうませる方法”がわかったほうが実用性が高いです。

プラグマティズム的にいえば、科学や教義の目的は“人の役に立つこと=人を幸せにすること”です。
“真実の追求”は、そのための手段であって、目的ではありません。

“信じたらより幸せになれること”を真実にする」は、プラグマティズムから発想をえています。

量子力学の学説には、コペンハーゲン解釈や、多世界解釈などがありますが、いずれも末尾に“解釈”とあります。
それは、真実を知るのが不可能だからです。
“真実は解釈次第”というわけです。
それなら、“人をもっとも幸せにする解釈”を、“とりあえずの真実”にするのが賢明だと思います。



●真実の追求にとりつかれない

ともすれば人は本来の目的を忘れて“真実の追求”を第一に考えてしてしまいます。
例えば……
・答えの出ないことをグルグル考えてウツになる
・「私のほうが正しい。あっちが間違っている!」とグルグル考えて苦しむ。
・心ない方法で人のまちがいを指摘して、相手に嫌な思いをさせる

これらはすべて“真実の追求”を第一目的にした結果です。
そうならないよう、わたしはつねにプラグマティズムを意識しています。
たとえばブログを書いていると、いつのまにか真実の追求(正しい文章を書くこと、より上手い文章を書くことなど)に意識がいってしまいます。
そうすると、
“書いてあることは正しいが、実際にはあまり役に立たない”
“良いことは書いてあるが、”実行するのはむずかしい”
“りっぱなことが書いてありそうだが、難しくてよくわからない”
…ということになってしまいます(すでにそうなってるかもしれません……スミマセン)
しかし、プラグマティズムを意識すると、
“実生活で役にたつ内容”や“実際に理解しやすい表現”をひらめきやすくなります。

このブログには、わたしが実際に実行できていることしか書いていません。
机上の空論は書いていません。
自分が実践していて、かつ、他人が実行できそうなことを載せるようにしています
(それでも実行しにくいことがあると思います……スミマセン)

健康本や啓発本などを読んでいると、「著者はこれを自分で実行しているのだろうか?」と疑問に思うことがあります。
「出版社に依頼されて、ただ自分の頭のなかだけで考えた“机上の空論”を書いたのではないだろうか」と思うこともあります。

みなさんが人になにかを教えるときは、ぜひプラグマティズムで教えてあげてください(^^)



●まずしいプラグマティストにならない

プラグマティズム(実用主義)で気をつけなければならないことがあります。
それは“まずしいプラズティスト(実用主義者)”にならないことです。
“実用”という言葉にとらわれると、
「アニメやドラマなんて実用性のとぼしいものを見るのは時間のムダだ」
「遊んでいるヒマがあったら、もっと実用的なことをしたらどうだ」
「井戸端会議なんて時間のムダだ。そんなヒマがあったらもっと実用的なことしろ」
「デザインなんてどうでもいい。実用性が第一だ。使えたら何でもいいんだ」
「味なんてどうでもいい。口に入れば同じだ」
「芸術なんて金持ちの道楽だ。芸術品を買うなんて金のムダだ。実用品を買おう」
…という風に、“心のまずしい不幸キャラ”になってしまいます。

さきほど“実用性のとぼしい理論や研究は意味がない”と書きましたが、
「人はムダな知識が増えることに快感を感じる動物である」byアイザック アシモフ意訳
ということばにもあるように、人は知ることや考えることそのものに幸せを感じる性質があります。
その意味では、“実用性のとぼしい理論をぐるぐる考えること”や“役に立たない研究をチクチクやること”そのものに実用性があるのです。
それらの行為じたいが娯楽になり、幸福感をうみだすからです。
だから「実用的なことしかしちゃだめだ!」「ムダなことはしちゃだめだ!」と自分を縛ることはありあません。

なにごとにも、あそび(ムダ・余裕)は必要です。
それはユダヤの法則※でいうところの“22%”にあたります。

たしかに装飾や芸術はムダです。
それらがなくても生きてはいけます。
戦争や飢饉など、切羽つまって余裕のないときは、芸術などにかまってはおれません。
しかし人はいつもいつもそのような状況下には置かれていないはずです。
日本人に比べ、過酷な生活をおくっておられる原始民族の人々ですら、カラフルにおしゃれをする余裕があります。

装飾や芸術のないようすを“殺風景”と書きます。
そのような空間にいると、心が“殺伐”としてくるからです(どちらにも“殺”の文字が入りますね)

「武士は剣に強いだけでは能がない。
 歌心(あそびごころ)がなければ本物ではない。
 最後に勝つのはムダを楽しむ余裕のあるほうだ」
このような考えは、古来より“剣魂歌心(けんこんかしん)”という言葉に集約されています。

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の信長よりも、
「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」の家康のほうが大成しそうだ……と、だれもが直感すると思います。


ムダは宇宙の法則です。
ムダは宇宙のシステムそのものです。
カンペキな神が、人という不完全な姿になって遊んでいること自体が大いなるムダです。
つまりムダを否定すると、宇宙そのものを否定してしまいます。
その意味で「人生にムダは一つもない」という言葉が理解できると思います。

以前のわたしは、まずしいプラグマティストでした。
だから、
「またムダなことをしてしまった」
「またムダ遣いしてしまった」
「ムダな遠まわりをしてしまった」
と、後悔&自己嫌悪しっぱなしでした。

「あそんでいるヒマがあったら、勉強しろ」
「寝てる時間がもったいない。起きてはたらけ」
「ボーっとしている時間があったら本を読め」
と、つねに自分をせきたてていました。

他者に対しても、
「役人のしごとはムダばかりだ」
「あのひとは余計なことばかりする」
「あの人はあそんでばかりで、ちっとも社会貢献していない」
と、イライラしてばかりでした。

社会悪やムダを無くすことは大事ですが、別にイライラすることはありません。
それこそ“ムダな行為”です。
ムダどころか波動汚染という“公害”です。
つまり、まずしいプラズティストは
「他人の目のなかにチリを見つけるが、自分の目のなかののハリには気がつかない(聖書意訳)」
という状態になっているのです。



●優れたプラグマティズムとは

さきほどプラグマティズムの例に“ニワトリに効率よくタマゴをうませること”をあげました。
しかしそのために、ニワトリをせまい鶏舎におしこめて薬漬けにするのは、優れたプラグマティズムとはいえません。
未熟なプラグマティズムです。
なぜならそのような行為は悪いカルマとなって、人間にかえってくるからです(だから私は放し飼いたまごしか買いません)

多くの家畜たちは、ペットにしたらありえないような非人道的な環境におかれています。
乳しぼりにジャマだからとシッポをきられ、一日中ヒモでつながれ、ろくに身動きもとれません。
これは未熟なプラグマティズムです。
わたしは基本、魚以外の肉や乳製品を食べませんが、買う必要のあるときは人道的に飼育された放牧のものを買います。
ちょっと高いですが、動物のきもちになってみると、まったく高いと感じません。

人はカンペキではありませんから、カンペキなプラグマティズムは不可能です。
しかしできるかぎり優れたプラグマティストになれるよう、こころがけることが大事だと思います。

多世界解釈

2013.08.10.11:30

以前、量子力学について書かせていただきました。
量子力学は20世紀になってできた新しい学問です。
量子力学ができるまえの力学を、古典力学といいます。
古典力学とは、私たちが普通にイメージする物理法則のことです。
古典力学では、モノを1コ2コとかぞえられる“形のあるもの”として考えます。
しかし時代が進むにつれ、原子などのミクロなものは古典力学では計算できないことが分かってきました。
そこで、ミクロなものを“形のあるもの”ではなく、“形のない波動”だと仮定すると、うまく計算できることがわかりました。
うしてうまれたのが量子力学です。

前回に説明したように、量子力学には“不確定性原理”というものがあります。
カンタンにいえば“量子を正確に観測することはできない”という原理です。

ものを観測するには、ものに波動をあてる必要があります。
目で石を見られるのは、石にあたった光(波動)が反射して、目を刺激するからです。
手で石をかんじられるのは、石にあてた皮膚の原子(波動)が跳ね返って、手のひらを刺激するからです。

石のような大きなものは、光や原子をあてても動きません。
しかし量子のような小さなものは、光や原子をあてると動きます。
量子が小さすぎて、はねとばされてしまうのです。
だから量子の正確な状態を知ることはできません。
「写真とるから止まって!」
といっても、フラッシュにびっくりして動いてしまうハエのようなものです。
動かれては、正確な状態を撮ることはできません。
なんだかよくわからない、ぼんやりした残像がうつるのみです。

では、はねとばさなくらい弱い光をあてたらどうでしょうか?
そうすると、今度は光(光子という粒)のすきまをすりぬけてしまいます。

つまり量子を正確に観測するのは、原理的に不可能なのです。

量子のことを100%正確に観測することはできませんが、確率でなら分かります。
波動関数という式をつかえば、“A点にいる確率は10%、B点にいる確率は50%”と確率で知ることはできます(確率解釈)

とはいえ、100%正確な状態がわからない以上、量子について断定的な意見をいうことはできません。
だから量子についての意見は“解釈”といいます。
解釈とは“自分なりの考え”という意味です。
量子について意見をいうときは、どんなエライ学者も、
「この意見は正しいかどうかわかりません。自分なりの考え(=解釈)なのでかんべんしてね」
というスタンスをとります。

そのなかでメジャーな解釈に“コペンハーゲン解釈(以下C解釈)”があります。
その内容は、

・人が観測していないとき、量子は波動になっている。
 ボヤ~ンとしているので、正確な状態はわからない。
 “A点にある量子、B点にある量子、C点にある量子”など、さまざまな状態が重ねあっている(重ね合わせ)

・人が観測したとたん、量子の波は一点に収縮して粒になる。
 ここではじめて「A点にある」と確定できる(波の収縮)

…などというものです。

量子を研究していくと、まずはじめにC解釈にたどりつきます。
C解釈は、量子研究の過程で、しぜんにでてくる考えかたです。
だからこのブログも、まずはじめにC解釈についてかかせていただきました(波動の法則
しかしC解釈は初期の考えかたですので、今みるといろいろ問題があります。



●問題1:波の収縮

C解釈では、
「人が観測したとたん、量子の波は収縮して粒になる。
 なぜそうなるのかわからないが、とにかくそうなる!(波の収縮)」
と考えます。
しかしながら、この考えに納得している学者はあまりいません。
多くは、
「なんで観測したら収縮するの? だるまさんが転んだじゃあるまいし」
と思っているようです。

科学では“例外”が少ないほど真実に近いとされています。
たとえば、
「Aさんはいつもふさぎこんでいる。だからうつ病だ」
という理論と、
「Bさんはいつもふさぎこんでいる(例外として土日祝日はのぞく)。だからうつ病だ」
という理論では、前者のほうが真実に近いのはもちろんです。
量子力学における“収縮”は、まさにこの例外にあたります。

今まで科学的に計算していたのに、いきなり
「人が観測したら粒になります!」
と魔法のような例外をもちだすC解釈に、多くの学者は納得できないでいます。



●問題2:焦り

科学的な面だけでなく、日常的な面でもC解釈には問題があります。

人生をC解釈で生きていると、
「未来にはいろいろな可能性がある。
 わたしが観測するまで、さまざまな可能性が重なりあっている。
 どんな未来になるかのは自分しだいだ。
 すべては自分の一挙手一投足にかかっている。
 ヘタをすればとんでもない未来になってしまう。
 ぜったいに失敗はゆるされない。
 やばい、手がふるえてきた…」
というふうに、焦りやプレッシャーを感じやすくなります。



●問題3:後悔

そして失敗などしようものなら、
「もしあのとき、○○しなければ失敗しなかったのに…」
「もしあのとき、あっちを選んでいれば上手くいっていたのに…」
と、過去を後悔しやすくなります。

C解釈では“未来のことは決まっておらず、いろんな可能性がありうる”と考えます。
いいかえると“過去には別の可能性もあった”ということになります。
だからいちいち過去をふりかえっては、
「もっとまじめに勉強していれば、もっと良い仕事につけてたかも…」
「もっと健康に気をつけていれば、病気にならずにすんだかも…」
「この人と結婚しなければ、もっと幸せな人生をおくれたかも…」
と“別の可能性”に思いをはせて後悔しやすくなるのです。

これらの後悔をまとめると
「過去にもっと人間力があったら、不幸にならずにすんだのに」
ということになります。
しかし人間力はだんだん成長していくものです。
はじめから人間力MAXなヒトは、ヒトではありません。
神です。
だからそもそも“後悔”という概念はありえないのです。
この点からも、C解釈に不備のあることがわかります。



●問題4:怒り

怒りという感情は、
「他の可能性もあった」
という考えからきています。

人のあやまちに怒りを感じるのは、
「コイツはあやまちをおかさない可能性もあった。
 もっとがんばっていれば、あやまちはおかさなかった」
と思っているからです。



●問題5:自己嫌悪

自己嫌悪も「他の可能性があった」という考えからきています。
失敗したとき自己嫌悪するのは、
「わたしは失敗しない可能性もあった。
 もっと気をつけていれば失敗しなかった」
と思っているからです。

不正をおかして自己嫌悪するのは、
「わたしは不正をおかさない可能性もあった。
 もっと人間力があれば不正はおかさなかった」
と思っているからです。




●シュレディンガーの猫

量子力学の空想実験に、“シュレディンガーの猫”というものがあります。
まず「猫・毒ガスマシン・放射性元素」の3つを箱のなかに入れます。
外から観測できないように、箱にはフタをします。
放射性元素とは、粒子を放つ性質をもつ原子のことです。
原子が粒子を放射すると、毒ガスが出るしかけにします。
毒ガスが出るとネコは死にます。
原子が粒子を放射する確率は50%です。

C解釈ではこの状態を、
「箱をあけて観測するまで、“放射した状態”と“放射しない状態”が、それぞれ50%の確率で重なりあっている」
と考えます。
そうすると、“毒ガスが出てネコが死んだ状態”と“毒ガスが出ずネコが生きている状態”も、それぞれ50%で重なり合っていることになります。

…このような状態は、日常的な感覚では想像しづらいのではないでしょうか?
「死んだネコと、生きたネコが重なっている」といわれても、普通の人はピンとこないと思います。

また、このことをC解釈で説明すると、
“人観測がしたとたん、粒子が放射するかしないか、どちらかに決まる”
ということになります。
これを押しすすめて考えると、
“人が観測したとたん、ネコが死ぬか生きるかの、どちらかに決まる”
ということになります。
つまり、
“人の観測が、ネコの生死を決める”
…ということになります。
これはますます受け入れがたい感覚ではないではないでしょうか?

この実験を考えたシュレーディンガーは、これらの奇妙さを指摘して「だから量子力学はまちがっている」と言いたかったのです。



●問題5、ミクロとマクロ

このように、C解釈にはさまざまな問題があります。
ということは、C解釈のどこかに真理からズレたところがあるはずです。
それはC解釈が、

・量子(ミクロなもの)は波動力学であつかう
・観測者自身(マクロなもの)は古典力学であつかう

と分けている点にあると思います。

波動力学ではモノを“観測するまでは波動、観測すると粒になる”と考えます。
だから観測以前の量子はボヤ~ンとした波動のイメージになります。
ボヤ~ンとしているので、ひとつの状態に決められません。
いろんな可能性が重なっているようにみえます。

いっぽう、古典力学ではモノを“形のある粒”としてあつかいます。
だから観測者自身は、しっかり形のある物質的なイメージになります。
粒は、波が一点に収縮した状態ですよね。
つまり、観測者はすでにひとつの可能性(運命)に収縮(確定)していると考えられます。

まとめるとC解では、
「ひとつの運命に確定した観察者」が「いろいろな運命が重なった量子」を観測していると考えています。

しかしこれは不自然な考えではないでしょうか?
観測者はもとより、ネコ・月・宇宙など、どんなマクロなものでも、それはミクロな量子が集まったものです。
ミクロとマクロのさかいめはどこにあるのでしょうか?
どこまでがミクロで、どこからがマクロなのでしょうか?
この答えは科学では出ていません。
そもそもなぜ観測者と量子をちがう力学であつかうのでしょうか?
なんだか納得できません。
こんな区別をするから、“人が観測したとたん量子が収縮する”という、変な例外がとびだしてしまいます。
ひいては“観測がネコの生死を決める”という納得しづらい感覚におちいってしまいます。

そこでC解釈を見直し、
「ミクロとマクロ、どっちも波動力学でかんがえよう」
という言いだしたのが、エヴェレットという大学生でした。
そうしてうまれたのが多世界解釈です。



●多世界解釈

多世界解釈では、ミクロとマクロをわけません。
マクロなものにも波動力学をあてはめます。
観測者のみならず、宇宙全体にも波動力学をあてはめます。

普通に考えると、こちらのほうが納得できるのではないでしょうか?
ミクロもマクロも、同じ量子の集まりです。
波動力学、古典力学などと分けずに、同じ力学で計算するのが自然だと思います。

なぜC解釈では、2つをわけていたのかというと、それまでの“モノ=形がある”という固定観念にとらわれていたからです。
“波動と粒の、2つのすがたがある”なんて幽霊みたいな性質があるのは量子だけで、よもや学者自身にもそのような性質があるとは思ってもみなかったのです。
しかし、ひとりの学生が「自分自身にも量子力学をあてはめるべきなんじゃ…、ていうか宇宙全体にもあてはめるべきなんじゃ…」
と言いだしたところから、みんな(゚д゚)ハッ!となり、多世界解釈がうまれることになりました。

多世界解釈で考えると、C解釈のさまざまな問題が解決できます。

解決1:波の収束
解決5:ミクロとマクロ

C解釈では、観測者を古典力学であつかいます。
そうすると、観測者は形のある粒になります。
粒は、波動が一点に集まった状態です。
つまり観測者は、ひとつの可能性(運命)に確定していることになります。

しかし多世界解釈では、量子も観測者もひっくるめて量子力学で考えます。
だから観測者も量子と同じように、ボヤーンとした波動になります。
つまり、観測者もいろんな可能性が重なっていることになります。

ネコの例でいうと、
“ネコが死ぬ世界の観測者”と“猫が死なない世界の観測者”が、同時に存在するということです。
観測したとたん、ネコが生きたり死んだりするのではありません。
はじめから“ネコが死ぬ世界にいる観測者”と“ネコが死なない世界にいる観測者”が同時に存在しているのです。
それらはどちらの世界にも収縮することもありません。
2つの世界は永遠に両立しつづけます。

このように考えると“波の収縮”という例外が発生しなくなります。




解決2:焦りがなくなる

C解釈で生きていると、
「未来のことは何も決まっていない。
 だから自分の一挙手一投足にすべてがかかっている!
 ぜったいに失敗は許されない!」
と、焦りやプレッシャーを感じやすくなります。

いっぽう多世界解釈で生きていると、
「すべては初めから決まっている。
 だから焦ってもしょうがない。
 なるようになる」
と、つねに安心していられます。

かといって、
「すべて決まっているなら努力なんてムダだ。一日中寝ていよう」
ということにはなりません。
なぜなら自分がどの世界にいるかを知ることは不可能だからです。
それは“自分がどの世界にいるかは決まっていない”ということとイコールになります(運命論を理解する※Ctrl+F検索)



解決3:後悔がなくなる ★0%の法則★

多世界解釈では、どのような失敗も
「これはすでに決まっていたことだ」
「すべて神(自分)のシナリオどおりだ」
ということになります。
だから後悔という概念がありません。

「もっと勉強しておけばよかった」
「あんなこと言わなければよかった」
「健康に気をつけておけばよかった」
などととウジウジすることもありません。
なぜならそのような可能性は“0%”だからです。

わたしは過去を悔やみそうになったとき、
「わたしがこれ以外の行動をとっていた可能性は0%だ」
「すべて私のシナリオどおりだ(-ω☆)ニヤリ」
「わたしはシナリオどおりに芝居している人形にすぎない」
と思っています。
そうすると、すぐに苦しみがなくなります。
なぜならそれが真実だからだと思います。



解決4:怒りがなくなる

怒りは、
「コイツは不正をしない可能性もあった。
 もっとがんばっていれば不正をしなかったはずだ」
という思いからきています。

しかし多世界解釈では、そのような可能性は0%です。
だから怒りという概念は存在しません。
決まったプログラムどおりにうごくロボットに、怒りを感じる人はいないと思います。




解決5:自己嫌悪がなくなる

同じく自己嫌悪も、
「わたしは失敗しない可能性もあった。
 もっと賢ければ失敗しなかった」
というカン違いからきています。

多世界解釈ではそのような可能性は0%ですので、自己嫌悪という概念もありません。






●C解釈の奥に多世界解釈がある

普通に考えると、C解釈はまちがいで、多世界解釈が正しいように思えます。
しかし世の中ではC解釈のほうがメジャーです。
その理由はいろいろありますが、一番はC解釈のほうが計算がカンタンだからだと思います。
力学的には、C解釈・多世界解釈、どちらで計算しても結果は同じです。
しかし多世界解釈で計算すると、計算がややこしくなります。
量子だけでなく、観察者にも波動関数をつかわなければならないからです。
だから多世界派の人も、実際の計算はC解釈でやることが多いようです。

これは日常生活にもあてはまります。
わたしは多世界派ですが、実生活では
「未来は決まっていない。自分しだいでどうにでもなる!」
と、単純にC解釈で考えることが多いです。

「宇宙は多世界構造になっている。
 しかし私がどの世界にいるのかはわからない。
 それはどの世界にいるのか決まっていないのとイコールである。
 つまり、未来は決まっておらず、自分しだいでどうにでもなるということだ!」
…と長々、多世界解釈でかんがえることは少ないです。

C解釈はまちがった理論ではありません(というか、この世にまちがいはありません)
ただ多世界解釈より考えが浅いだけです。

多世界解釈はC解釈よりも、視野が広く、考えが深いです。
ゆえに上のような、長く深い思考になってしまいます。

日常的につかうのはC解釈ですが、その奥には多世界解釈がある、ということを知っておくとよいと思います。

とはいえ、多世界解釈が最奥の解釈ではありません。
解釈は無限に深まっていきます。
そのうち、多世界解釈よりも、さらに納得できる解釈が出てくることでしょう。



●常識にとらわれない

多世界解釈を否定する人は。
「そんなSFみたいな世界は納得できない」
「そんなマンガみたいな解釈は納得できない」
と思っていることが多いようです。
つまり論理的な理由はなく、ただ感情的に否定しているということです。
それは地動説を否定した前世紀人のような思考回路だと思います。
むかしの人に、
「太陽が地球のまわりをまわっているんじゃない。地球が太陽のまわりをまわっているんだよ」
といっても、なかなか納得できないと思います。
普通の感覚では、太陽が地球のまわりをまわっているように思えるからです。
しかしそれは真実ではありませんよね。
つまり直感的に正しいと思うことが、必ずしも真実とは限らないのです。
逆にいえば、普通ではとうていありえない非常識なことが、実は真実だということも、ままあります(神はサプライズが大好きです)

「地球が太陽のまわりをまわっているなんてありえない」
「前世なんてありえない」
「多世界なんてありえない」
…など、常識や固定観念にとらわれず、心をつねにオープンにしておく姿勢が、謎解きゲーム※には必須です。




●解釈問題

量子を正確に観測をすることは不可能です。
だから量子について正確な意見をいうことはできません。
だから量子についての意見は“解釈の問題である”とされています。
これを解釈問題といいます。

この解釈問題は量子力学にかぎったことではありません。
この世はすべて解釈問題です。

「人生は苦行だ」
「人生は遊行だ」

どちらが正しいとはいえません。
ようは解釈しだいです。

「人生は修行だ。私たちは人間力を高めるために修行しているのだ」
「人生はエンターテイメントだ。私たちは人生を楽しむために生きているのだ」

どちらが真理ということもありません。
その人の解釈しだいです。

ちなみに私は以前まで「人生は修行だ」と解釈していました。
そうすることで、つらい状況をのりこえやすかったからです。
しかし今のわたしは、そのように解釈をすると、かえってつらくなります。
たしかに「人生は修行だ」と解釈することで、多少ラクになることはあると思います。
しかしそのような解釈では、“ウキウキ超ハッピー♪”にはなりにくいと思います。
なぜなら“修行”ということばには、“つらい”“くるしい”といったイメージがあるからです。
つまり「人生は修行だ」と解釈する限り、人生はつらいものでありつづけてしまうのです。

わたしはいま「人生はエンターテイメント(ゲーム・ドラマ・あそび)である」と解釈しています。
そうするとつらい状況でも、それを真に受けて深刻になることがありません。
すべて“あそび”になるからです。
だから何がおきてもゲーム感覚で楽しむことができます。
困難にぶちあたっても「このイベントをどうやってクリアしようか」とおもしろがることができます。

とはいえ、とんでもなくつらい状況では“エンターテイメント解釈”はむずかしいかもしれません(激痛、戦場など)
そのようなシチュエーションでは「人生は修行である」と解釈したほうがラクだと思います。

解釈は、状況・個性・魂レベルなどによって、臨機応変に変えていくことが大切です。



●パラレルワールドについて

多世界というと、パラレルワールドを連想するかもしれません。
しかし多世界とパラレルワールドはちがいます。

パラレルワールドでは、“ある時点で世界が分岐する”と考えます。
たとえば分かれ道にさしかかったとき
・右に進んだ自分
・左に進んだ自分
・直進した自分
というように、世界が分かれるということです。
分かれた世界は、それぞれ干渉することなく、並行して存在しつづけます。
そしてまた何かあるたびに、世界は無に分岐していきます。
つまりパラレルワールドは、C解釈と似たような発想です。
C解釈では、世界はひとつだけ残って、他の世界は消滅するという考えもあります。

多世界解釈では、世界は分岐も消滅もしません。
はじめからたくさんの世界が存在し、それらはたがいに干渉することなく、永遠に存在しつづけると考えます。

パラレルワールドはC解釈とおなじく、焦り・後悔・怒りなどに満ちた不安定な世界です。
住むなら多世界のほうをおすすめします。


※多世界をパラレルワールドのように“分岐する”と考えている人もいます。
 オリジナルの解釈は「多世界=分岐しない」「パラレルワールド(C解釈)=分岐する」です。


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今に生きるコツ

2013.06.02.14:04

以前、今に生きるということを
“今できることをやること”と書かせていただきました。
しかしこの説明だけでは少し足りないと思いますので、今回はもっと今に生きられるコツをご紹介させて頂きたいと思います。



●何もしていないときでも今に生きる方法

スポーツなどで体を激しく動かしているときや、勉強・仕事などで脳を激しく使っているときは、わりと簡単に今に生きられます。
そのことで脳がフル活動しているため、雑念の入る余地がないからです。
しかし、散歩、食事、日常の家事など、簡単なことをしているときほど、今に生きるのが難しくなってきます。
脳に余裕があるため、そのすきにネガティブ思考が入り込んでくるからです。
ボーっと歩いているときや、こなれた家事をしているとき、ふとユウウツな気分に襲われることがあると思います。
それは脳(魂)がそのようなしくみになっているからです(宇宙は真空を嫌う Ctrl+F検索)

だからネガティブ思考の入る余地がないように、つねに頭を忙しくしておくことが大切です。
かといって、ずっと脳を酷使しつづけるわけにはいきません。
一日中むずかしい勉強をしたり、慌ただしく仕事をするのは不可能です。
無理してがんばると、「つらい」「しんどい」など、悪い波動が出てきてしまい、かえって悪いカルマをつくってしまいます。
人間、ときには休むことも必要です。
しかし油断しているとネガティブ思考が入り込んできてしまいます。
ではいったいどうすればよいのでしょうか?



●すべての行為の目的は、“幸福感”である

あなたが何かをやっているとき、それは何のためにやっているのでしょうか?
必死になって勉強したり、仕事したりしているのはいったい何のためなのでしょうか?
ある人は夢のためだったり、またある人は家族のためだったりします。
人によってその目的はさまざまです。
しかし、すべての行為には共通した目的があります。

それは幸福感です。

勉強するのは、将来良い仕事をして幸福感をえたいからです。
仕事をするのは、お給料をもらって、より幸福感のある生活がしたいからです。
積極的に幸福感をえたいと思っていない人でも、「できるだけ嫌な思いはしたくない」「なるべく不幸な状況をさけたい」と思っているはずです。

積極的にせよ消極的にせよ、すべての行為には“幸福感”という目的があるのです。



●未来の幸福感にとりつかれない

以前の私はなかなか今に生きることができませんでした。
それは私が行動の目的を“未来”だけに置いていたからです。

「勉強して夢をかなえるぞ!」
「運動して体を丈夫にするぞ!」
「仕事をがんばって良い結果をだすぞ!」

これらはすべて、“未来”に目的があります。

夢がかなって幸福感がえられるのも、
体が丈夫になって幸福感がえられるのも、
仕事で良い結果を出して幸福感がえられるのも、
すべて“未来”のことです。
“今”ではありません。

私は今に生きているつもりが、いつのまにか未来の妄想に生きていたのです。
まんまと神のトリックゲームにハマっていました。

もちろん未来の目標にむかってがんばることは大事です。
しかしそのために“今”の波動が悪くなってしまっては本末転倒です。

目的を未来におくと、ついつい今の波動がなおざりになってしまいます。
つまり今、「しんどい」「やめたい」「地獄だ」と感じているのに、それを無視してがんばってしまうのです。
それは意識が未来に飛んでいて、“今”に集中できていないからです。

「夢がかなったらこの苦労もむくわれるんだ…」
「がんばって徳をつんで幸せになるんだ…」
などと、未来の幸せに心うばわれていると、“今”の波動がおろそかになってしまいます。
「自分はがんばってるんだ! 良いことをしているんだ!」という“おごり”も邪魔をして、今の「苦しい」という波動を無視してしまうのです。
がんばりすぎて心や体をこわしてしまう人は、このパターンだと思います。

がんばりすぎといえば聞こえはいいですが、私のばあいは単なる“強欲”でした。
以前の私は、鼻先にニンジンをぶらさげて、目を血走らせながら走るウマのような感じだったと思います。
本当は走りたくないのに、“未来の幸福感”というエサで自分をつって、無理やり走らせていたのです。
もちろん、人が何かをやるためには未来に目的を持つことは必要です。
それがなくては何もヤル気がおきません。
しかし、そのために“今”の波動が悪くなってしまっては本末転倒です。
波動の悪い状態でいくら一生懸命がんばっても、“今に生きている”とはいえません。
自分の出した苦しみの波動が、また苦しみのできごとを引き寄せてしまいます。

このようなことにならないためには、未来と同時に、“今”にも幸福感を求めることが必要です。
つまり、未来のためにがんばりながら、そのがんばるという行為そのものに幸せを感じるということです。
では、どうすればそのようなことができるのでしょうか?



●行為を目的にする

そのコツは“行為を目的にする”ことです。

以前、この世界はバーチャルゲームのようなものだということを書かせていただきました。
ゲームとは、いわば“遊び”です。
私たちは今、この瞬間も、バーチャルゲームという遊びをしている真っ最中です。

私たちは遊ぶことが大好きです。
私たちの最終目的はつねに“遊ぶこと”であり、すべての行為はそこにむかっています。
勉強しながら、仕事しながら、家事をしながら、
「これが終わったらマンガを読もう」
「ここまでやったらテレビを見よう」
「これを片付けたらゆっくり休もう」
などと潜在意識のなかで“遊ぶこと”を目的にしています。

休むことも遊びのひとつです。
私たちが遊ぶのは、もっぱら休み時間や休日です(当たり前ですが…)
休憩中にボーっとしたり、空想にふけたりすることも“心を遊ばせている”といえます。

では、私たちが“遊ぶ目的”とはなんでしょうか?

たとえばコンピューターゲームという遊びなら、“ボスをたおす”とか“ゲームをクリアする”といった目的があります。
しかし私たちはそのためにゲームをしているわけではありません。
「ボスをたおしたい!」とか「ゲームをクリアしたい!」などと思ってゲームを買う人はまずいないと思います。

私たちが高いお金をはらってゲームをやる目的は、ズバリ、“ゲームをやることそのもの” です。

私たちは、ゲームをやることそのものに幸せを感じるからゲームをしているはずです。
“ボスをたおす”とか“ゲームをクリアする”といった目的は、あくまでゲームを楽しむための手段でしかありません。
本当の目的は、ゲームをやる(遊ぶ)という行為そのものだと思います、

たとえばドラクエをしている人は、町を歩いたり、村人と会話したり、お店で買いものしたり…といった行為そのものから幸福感をえているはずです。
キャラクターが自分の代わりになって、いろいろな行動をすることじたいに楽しみや幸せを感じていると思います。
つまりゲームで遊んでいるときは、歩く、話す、買い物する…といった“行為そのものを目的にしている”ということです。

先ほど、“行為の目的は幸福感である”ということを書かせていただきました。
つまり、“行為そのものを目的にする”ということは“行為そのものに幸せを感じる”ということなのです。

行為とは、“今”しかできないものです。
歩くことも話すことも買い物することも“今”しかできません。
過去で歩いたり、未来で話すことはできません。

勉強する、仕事する、ボーっとする……など、ありとあらゆる行為は“今”しかできないものです。
つまり、“行為そのものに幸せを感じる”ということは、“今、幸せを感じる”ということなのです。

“今、幸せを感じる”ということは、すなわち“今に生きる”ということです。

いくら“今やるべきこと”をやっていても、その行為に幸せを感じていなければ、今に生きているとはいえません。
いくら必死になって頑張っても、心が苦しんでいれば今に生きているとはいえないのです。
苦しみがまったくない人生というのはありえませんが、できるかぎり“苦しむ”ことは避けるべきです。
自分が苦しむということは、他人を苦しめることになるからです(人は運命共同体公害人間になるな!



●“自分はゲームで遊んでいる”ということを自覚する

行為を目的にする…、つまり行為そのものに幸せを感じるためには、
「自分は今、バーチャルゲームで遊んでいるんだ」
ということを、つねに自覚することが大切です。

なぜなら人は遊ぶことで、今に生きられるようになるからです。
逆に、“遊んでいないと今に生きられない”ともいえます。

自分が遊んでいるという自覚のうすい人は、心に余裕がありません。
だからつい、必死になってものごとに取り組んでしまいます。
しかし、“必死”などという険しい波動は、天界の高いところ(天国)にはありません。

いわゆる“天国”をイメージしてみてください。
そこは、“おだやか”で“ゆったり”とした“楽しい”波動に満ちていると思います。
必死の形相で何かやっている人のいる天国は想像できないと思います。

必死は“必ず死ぬ”と書きます。
このような心境で“今に生きる”ことは不可能です。


ただ、遊んでいても、それに幸せを感じていないと、今に生きているとはいえません。
例えば、スポーツは遊びの一種ですが(スポーツすることをプレイする(=遊ぶ)といいますよね)、自分が遊んでいるという自覚の薄い人は、

・相手に勝って優越感をえる(ことで幸せを感じたい)
・すごいプレイをして名誉をえる(ことで幸せを感じたい)
・友だちをつくる(ことで幸せを感じたい)
・お金をもうける(ことで幸せを感じたい)

などと、“未来の目的”をムキになって追いかけてしまいます。
そのような心境では、プレイしていてもなかなか幸せは感じられないと思います。
それは裏を返せば、

・相手に負けて劣等感を味わうのが怖い
・下手なプレイをして劣等感を味わうのが怖い
・仲間はずれになるのが怖い
・お金を損するのが怖い

という恐怖心でもあるからです。
恐怖心にとりつかれるあまり、場外乱闘したり、体が壊れるほどどれーニングしたり、はては八百長などの犯罪まで犯してしまう人もいます。
ゲームが終わってからも、ウツになるほど落ち込んだり、悔しがったりしている人がいますが、これなども、自分が遊んでいるという自覚に乏しいためです。

なかには、「スポーツは遊びじゃない! 仕事だ!」という人もいると思います。
ですが、人生はそもそも遊びです。
仕事もスポーツも何もかも、すべては自分でつくったバーチャルゲームにすぎません。


この世のすべては、神の意識がつくりだしたバーチャル(仮想的)なものです。
お金もモノも、地位も名誉も、すべては波動でできていて、実態のないものです。
しかし私たちはあたかもそれらが実際にあるかのように思いこんでエキサイトしています。

キッザニアというテーマパークでは、銀行、消防署、ガソリンスタンドなど、いろいろな仕事をバーチャル体験として“遊び”にしていますが、人生はまさにこれと同じです。
私たちは職業体験テーマパークで遊んでいるようなものなのです。
バーチャルゲームなら、つらい仕事も遊びになってしまいます。


カルマの法則、波動の法則、進化の法則など、ありとあらゆる法則も、いわば神のつくった遊び(ゲーム)です。
法則のあつかいがうまくなればなるほど、幸せになれるようプログラムされています。

学校の勉強にしたって、国語は言葉あそびですし、算数は数あそびです。
音楽、美術、体育はもちろん、理科も社会も物理もなにもかも、見方を変えれば遊びになってしまいます。


私は心がネガティブになってきたら、すぐに
「自分はバーチャルゲームなかで遊んでいるんだ」ということを思い出すようにしています。
そうすると、ドラクエをプレイしているときと同じように、行為そのものに幸せを感じられるようになります。
ただ歩いたり、会話したり、買い物したりといった行為そのものを楽しめるようになります。
ひごろユウウツな気分でながめていた町並みにも、「なんてリアルなんだ!」と、ワクワクできるようになります。
なにげない道ばたの草花を見ても、「なんて素晴らしいできばえだ!」と感動できるようになります。
すれちがうサラリーマンも、暴走自転車のおばさんも、ワーキャーうるさい学生も、みな愛すべきキャラクターに見えてきます。

仕事も、家事も、人間関係も、「これはゲームなんだ」ということを思い出せば、つらさが半減してしまいます。
折りにふれ、“自分は今、ゲームで遊んでいるんだ”ということを、思い出してみてください。
行為そのものが目的になり、今に生きられるようになります。



●“ゲームの目的”と“本当の目的”はちがう

人生はロールプレイングゲームでもあります。
ロールは“役”
プレイは“遊ぶ”
訳すと“役を演じて遊ぶゲーム”ということになります。
つまりは“ごっこ遊び”のことです。

子どものころ、ヒーローごっこやお姫様ごっこをしたことのある人もいると思いますが、人生はこれと同じです。
私たちの本当の姿は神ですが、それが男とか女とか子どもとか大人とか、さまざまな役を演じて遊んでいます。
家ではママゴト、学校では学校ごっこ、会社では会社ごっこをして遊んでいます。

ドラクエやファイナルファンタジーなどのゲームも、いわゆるロールプレイングゲーム(RPG)です。
RPGをしているとき、私たちは勇者や魔法使いの役を演じています。
主人公になりきって、歩いたり、話したり、買い物したりしています。

そのとき、私たちは純粋に“今”を楽しんでいると思います。

歩きながら、「もしゲームをクリアできなかったらどうしよう……」などと未来を憂いたり、
話しながら、「もしかしたら嫌われたかもしれない……」などと過去を憂いたりすることはないと思います。

RPGをしている人は、歩く・話す・考える…といった、“今”している行為をそのものに幸せを感じています。
つまり、“今”に生きているのです。

ゲームの中のキャラクター(勇者など)には「魔王をたおしたい」とか「世界を平和にしたい」などといった“未来の目的”があります。
しかし、ゲームの外でキャラクターを操っている私たちには、そのような目的はありません。
私たちは純粋に、ゲームをするという行為(=今)が楽しいからゲームをしています。
「魔王をたおしたい」「世界を平和にしたい」などの目的は、ゲームを楽しむための“手段”でしかありません。


私たちは今、人生という名のRPGを遊んでいる真っ最中です。
RPGのキャラクターである自分には、「幸福感をえたい」という目的があります。
歩く、仕事をする、犯罪を犯すなど、ありとあらゆる行為は、「幸福感をえたい」という未来の目的にむかっているはずです。

しかし、RPGの外で自分をあやつっている自分(神)にそのような目的はありません。
神はただ、遊ぶという行為(=今)が楽しいから遊んでいるのです。
「幸福感をえたい」「人間的に成長したい」「世界を平和にしたい」などの目的は、遊ぶための“手段”でしかありません。
手段と目的をとりちがえると、大変なことになってしまいます。


かといって、“未来の目的”もってはいけないというわけではありません。
むしろ持つべきです。
なぜなら、この世はバーチャルゲームだからです、
ゲームには必ず“目的”が必要です。

サッカーなら“相手に勝つこと”
UFOキャッチャーなら“景品を取ること”
パチンコなら“お金をかせぐとこ”
など、ゲームと目的はワンセットになっています。

何の目的も持たずにサッカーやUFOキャッチャーやパチンコをしても、まったくおもしろくないと思います。
むしろ無意味な行為をしていることにウツになってくると思います。
かつてシベリアの刑罰に、ただ無意味に穴を掘っては埋めることをくりかえさせるというものがありました。
それを体験したドストエフスキーは「もっとも残酷な刑罰は、無意味な労働をさせることだ」というようなことを書いています。
同じ穴を掘るのでも、金を探すなどの目的があれば、まだやりがいがあります。
しかし何の目的もなく穴を掘らされるのは、苦痛以外のなにものでもないと思います。

それと同じで、なんの目的ももたずに人生というゲームをプレイしていても、それは苦痛以外のなにものでもなくなってしまいます。
苦痛すぎて、とちゅうでリセット(自殺)したくなるかもしれません。
そうならないためには、つねに“目的意識”をもつことが必要です。
それは大きな目的でなく、とりあえずの目的で充分です。

とはいえ、たいていの人は、「幸せになりたい」「人間力をアップしたい」など、なにかしら目的をもっていると思います。
しかしそれはあくまで、“人生ゲームのなかの目的”です。
ドラクエの「魔王をたおす」と同じです。
ゲームの中の目的は、ゲームを楽しむための手段でしかありません。
本当の目的ではないのです。

「いつまでたっても病気がなおらない! つらい! 苦しい! もう嫌だ!」
「こんなに努力してるのに、ぜんぜん人間的に成長しない! どうせ私はダメ人間だ!」
「こんなに頑張ってるのに、いつまでたっても幸せになれない! もうどうしていいか分からない!」

などと苦しんでいる人は、手段を目的にしてしまっている人です。
ゲームのなかの目的を現実の目的だとかんちがいして、必死になってしまっています。

この世はバーチャルゲームです。
単なる遊びにすぎません。
それを、おさない子どものようにムキになってしまうと、楽しむためのはずのゲームが楽しめなくなってしまいます。


私たちの本来の目的は、ただこの人生ゲームを楽しむことです。
いいかえると、行為そのものを楽しむことです。
見る、聞く、ふれる…といった行為そのものに幸せを感じることです。
悩む、恐れる、ガッカリする、といった行為そのもを味わい、おもしろがることです。

それ以外にはありません。

人間力を高める
幸せになる
夢を叶える
世界を平和にする
人類を救う

など、いかに崇高な目的でも、すべては人生ゲームを楽しむための手段でしかありません。
そのことをしっかり自覚することが大切です。



●リズムゲーム

かといって、24時間ずっと
「これは単なるゲームなんだ」
「本当の目的は今を楽しむことなんだ」
などと思い続けることは不可能です。
また、その必要もありません。

なぜならこの世はリズムゲームでもあるからです。

この世でリズムのないものはありません。
宇宙、銀河、天体などのマクロなものから、原子、電子、量子などのミクロなものまで、すべてがリズムを刻んでいます。
地球の回るリズムによって12ヶ月や一週間の暦がつくられ、私たちはそのリズムにノって生きています。
電子は原子の周りをまわっていますが、そこには地球が太陽の周りをまわるのと同じようなリズムがあります。

また、“波動”を絵にかくと、上がったり下がったりの波のような絵になりますよね。
リズムとは“周期的な反復”のことですから、この波の絵(波動)はまさにリズムそのものだといえます。
つまり、“波動=リズム”だということです。

物質から魂まで、この世のすべては波動でできています。
だから、すべてのものにはリズムがあるのです。


人体は、呼吸、脈拍、心臓の鼓動など、つねにリズムをきざんでいます。
それと同じで、“意識”もつねにリズムをきざんでいます。

私たちの意識は、

・バーチャル世界にのめりこんで我(神)を忘れる
   ↓
・「これは単なるバーチャルだった!」と我(神)に返る
   ↓
・バーチャル世界にのめりこんで我(神)を忘れる
   ↓
・「これは単なるバーチャルだった!」と我(神)に返る
   

…というリズムを無意識のうちにきざんでいます。
つまり、

・バーチャル世界(人間意識)
   ↓
・真実の世界(神意識)
   ↓
・バーチャル世界(人間意識)
   ↓
・真実の世界(神意識)

…と、バーチャルと真実のあいだでリズムをきざんでいるということです。

また、私達の意識は

・過去(未来)を憂う
   ↓
・今を楽しむ
   ↓
・過去(未来)を憂う
   ↓
・今を楽しむ
      :
と、過去(未来)と今のあいだでもリズムをきざんでいます。
過去や未来は人の頭のなかにしかないバーチャルなものです。
ここにも、バーチャルと真実のあいだでゆれうごくリズムをみることができます。

・この世(バーチャル世界)に産まれる
   ↓
・あの世(真実の世界)にかえる
   ↓
・この世(バーチャル世界)に産まれる
   ↓
・あの世(真実の世界)にかえる

という輪廻転生にも同じリズムをみることができます。

リズムは自然の法則です。
リズムは、神の作った遊びです。
だから、「なかなか今に生きられない!」「また未来のことを心配している!」という悩みは根本的におかしなことだと思います。
この世にリズムがある限り、意識を“今”にとどめることはできません。
意識は波動です。
バーチャル(=過去・未来)と、真実(=今)のあいだを反復して、つねにリズムをきざんでいます。
これこそが神の奏でるメロディーであり、音楽であり、芸術なのです。

だから、
「この世はバーチャルゲームにすぎないのに、どうしてもムキになってしまう」
「この世は実体のないものなのに、どうしてもお金やモノに執着してしまう」
という悩みも悩みとして成り立ちません。
そもそも宇宙はそういうふうにできているからです。

映画をみるとき、「どうせこれは実体のないつくりものなんだ」「ムキになって見てはいけない」なんて四六時中かんがえていたら、映画を楽むことができません。
映画を楽しむためには、夢の世界(バーチャル世界)に入り込むこと、つまり“夢中”になることが必要です。
しかし夢中になりすぎると、ストーリーや登場人物に感情移入しすぎて、かえってつらくなってしまいます。

わたしはかつて、マンガや小説に夢中になりすぎて、精神を病んでしまったことがあります。
そうならないためには、「これは単なるマンガ(小説・映画)なんだ」と、意識をバーチャル世界の“外”に出すことが大切です。

そうしてしばらくすると、またバーチャル世界に戻ってしまうのですが、それがリズムです。
バーチャル世界に落ち込んだと気づいたときに、また真実の世界にジャンプすればよいのです。
つまり、バーチャルと現実のあいだでリズムにノるということです。


神はこの人生という映画をとことん楽しみたいと思っています。
だから「これはバーチャルゲーム世界なんだ」と頭でわかっていても、勝手にハラハラドキドキしてしまいます。
熱くなったり、ムキになったり、どっぷり落ち込んだりして、どうしてもバーチャル世界に夢中になってしまいます。
しかし、心配しなくても、そのうちかならず正気にかえることができます。
この世はリズムでできているからです。


この世界を楽しむためには、リズムをゲームとして楽しむことが大切です。
それは、

・バーチャル世界にのめりこむ
   ↓
・我(神)にかえる
   ↓
・バーチャル世界にのめりこむ
   ↓
・我(神)にかえる
   
という心の動きを楽しむということです。


「自分は今、リズムゲームをしているんだ」ということを自覚すれば、とても楽しい人生をおくることができますよ♪



●今が天国  

一般的に、夢や目標をもつことは良いことだとされています。

「結婚するぞ!」
「お金もちになるぞ!」
「人間関係を良くするぞ!」

などのように前向きな夢や目標をもつことは、たしかに良いことです。
しかし“夢や目標をもつことは良いことだ”という固定観念がジャマをして、かえって今に生きれなくなることがあります。
それは、

「結婚すれば幸せになれる」
「お金があれば幸せになれる」
「人間関係を良くすれば幸せになれる」
「夢が叶えば幸せになれる」

…などのように、幸せに“条件”をつけてしまうときです。
このように「~れば幸せになれる」と考える人は、いざそのような状況になっても幸せにはなれません。
なぜなら今度は、

「子どもができたら幸せになれる」
「もっとたくさんお金があれば幸せになれる」
「もっと人気者になれたら幸せになれる」
「もっと大きな夢がかなえば幸せになれる」

…などと考えはじめるからです。
このような人は永遠に幸せの青い鳥をおいかけるハメになります。


この世はファジーにできています。
いつも不完全な状態です(ユダヤの法則)
完全な状態など永遠にきません。
それなのに人は無意識のうちに“完全”を求めてしまいます。
つまり、
「わたしが不幸なのは不完全だからだ。完全な状態になれば幸せになれる」
と思ってしまうのです。
具体的には、
「わたしは結婚してないから不完全な状態だ。結婚して完全な状態になれば幸せになれる」
「わたしはお金がないから不完全な状態だ。お金持ちになって完全な状態になれば幸せになれる」
「今は人間関係が悪いから不完全な状態だ。何のイザコザもない完全な状態になば幸せになれる」
「今は夢がかなっていないから不完全な状態だ。完全に夢がかなえば幸せになれる」
…などという感じです。

しかし前述のように、完全な状態など永遠にきません。
たとえ結婚しても、大金持ちになったとしても、今度は別の悩みがでてきます。

つまり、人は“今”幸せにならなければ、永遠に幸せにはなれないということです。

状況や環境は関係ありません。
どんな状態であろうと、“今”幸せにならなければ、未来永劫しあわせにはなれないのです。

それは逆にいえば、“私たちは今、この場で幸せになれる” ということです。

完全な状況が永遠にこないということは、言いかえると、“私たちはすでに完全な状況にある” ということになります。
孤独だろうが、貧乏だろうが、病気だろうが、なんの問題もありません。
どんな状況でも、すべてひっくるめて、私たちはいつも完全な状態にあります。
神様は私たちをいつも完璧でベストな状況においてくれています。

「とてもそうは思えない! 私の人生はぜんぜん完璧じゃない! 足りないことだらけだ!」
…という人は、なにをもって「足りない」と言うのでしょうか?
それは“まわりと比べて”だと思います。
宇宙は相対関係でできていますから、自分一人で“足りない”状態にはなれません。
“足りない”人は、まわりと比べて“足りない”と思っているのです。

しかし今の日本で“お金がたりない”と思っている人でも、貧困国に比べたら、ずいぶん“足りてる”人になります。
パソコン、テレビ、洗濯機、扇風機……
どんな人でも、生活保護や施設を利用すれば、徳川家康よりも便利な生活をおくることができます。
それなのに「足りない、足りない、もっと、もっと」と思うのは、あまりに強欲だと思います。

欲にはキリがありません。
欲は永遠に満たされません。
なぜならこの世は不完全にできているからです。
完全に欲が満たされる日は永遠にこないのです。

この世はゲームですから、欲をおいかけることは大切です。
欲とは、いいかえれば目標のことです。
目標がなければゲームを楽しめません。
目標(欲)とゲームはワンセットです。

しかしゲームを楽しむには、それだけでは不十分です。
ただ欲をおいかけるのだと、楽しさよりも苦しさのほうが勝ってしまいます。
そのことはみなさん身を持って経験していると思います。

ゲームを楽しむためには、欲を追うのと同時に、
「自分は今、完全に満たされている」
ということを自覚することが必要です。
この自覚のない人は、
「私は不完全だ。健康が足りない! お金が足りない! 愛が足りない!」
という思いで欲をおいかけます。
しかし欲は永遠に満たされないので、永遠に苦しみ続けます。

いっぽうで、
「自分はすでに完全な状態にある。足りないものは何もない」
という自覚のある人は、“足りない”から欲をおいかけるのではありません。
ただ“ゲームを楽しみたい”から、欲をおいかけるのです。
目的が違います。
欲をおいかけるのは自分の不足をおぎなうためではなく、ただ“ゲームを楽しむため”です。
だから「もっと!もっと!」とムキになって、ガリガリ亡者のように苦しむことがありません。
余裕を持って人生を楽しむことができます。

私たちは神です。
神は完全無欠の存在です。
足りないものはありません。

足りないものがない場所といえば“天国”です。
「お金が足りない!もっとお金があれば幸せになれるのに…」
「愛が足りない!彼がもっと私を愛してくれたら幸せになれるのに…」
「名誉がたりない! もっといい仕事につけたら幸せになれるのに…」
などと言う人のいる天国は想像できないと思います。

私は以前まで、天国はとても遠いところにあるイメージを持っていました。
長い修業の果てにたどりつける場所だと思っていました。
しかし今では毎日のように、「今が天国だ!」と思っています。

それは私が人間的に優れているからでも、徳が満タンになったからでもありません。
ただ、天国は“今ここ”にあるということに気づいただけです。

幸せの青い鳥の話はご存知でしょうか?
かんたんに言うと、“さんざん外を探しても見つからなかった幸せの青い鳥は家の中にいた”という話です。
天国もまさにこれと同じです。
天国はどこか遠くにあるのではなく、今ここにあります。
“灯台下暗し”で、あまりに近すぎてわからないだけです。
ちょっと視点をずらせば、すぐに見つかります。
ちよっと考え方を変えるだけで、たった今からでも天国に住めてしまうのです。
これは本当におもしろい神のトリックだと思います。



●今に生きるには、とにかく感謝!

なかなか「今が天国だ」と思えない人は、とにかく“感謝”を忘れています。

お坊さんは断食したり滝行したり、厳しい修行をしていますよね。
あれは潜在意識のなかで“普通がどのくらいありがたいか”を悟りたいと思っているからです。
ありがたいとは、“有り難い”と書きます。
有り難いとは、“有ることが難しいこと”
……つまり“奇跡”のことです。


今の日本では、だれもが毎日ごはんを食べられますが、これは普通ではありません。
奇跡です。
昔は食料がなかなかな手に入らず、多くの人が餓死していました。
今でも貧困国では大勢の人が餓死しています。
このことを思い出せば、
「私はデブだ。ダイエットしなきゃ…」
「貧乏だからこんなものしか食べられない…」
「病気だから、あれも食べられない、これも食べられない…」
などとウツになりそうになっても、
「いや、普通にごはんを食べられるだけでありがたいんだ」
と、すぐに感謝で今に生きられるようになります。


フォークダンスでおなじみの“マイムマイム”という曲がありますが、これはイスラエルで水を掘り当てた喜びを表したものです。
「マイム・マイム・マイム・マイム・マイム・マイム・ベッサンソン♪」とは、
「水・水・水・水・水・水(が出て)嬉しい♪」」という意味です。
日本は水がたくさんあるので、水に対してそれほど有り難みを感じませんが、乾燥地域ではとても有り難いものです。
水!水!水!と連呼するところからも、いかに“有り難い”かがわかります。
私たちは普通にガブガブ水を飲み、毎日お風呂に入れていますが、乾燥地域の人たちにとっては普通のことではありません。
マイムマイムを作った人たちから見れば、奇跡だと思います。
だから私は水を使うとき心のなかで「マイムマイム♪」を歌います。
そうすると当時の人々の心にシンクロして、感謝の心で今に生きられるようになります。

現代でも、毎日水くみに何時間も歩かなければならない地域もあります。
そんな地域に住む子どもたちは、1日の大半を水くみに費やさなくてはならないため、まともに勉強する時間がもてません。
そのため、貧困からぬけだせないという悪循環におちいっています。
しかし私たちは当たり前のように義務教育を受けられますし、大人になってからも図書館などを利用すれば無料でいくらでも学ぶことができます。
このような環境は決して普通ではありません。
“勉強できる”ということじたい、とても有り難いことなのです。
朝おきたとき「学校に行きたくない」と思ったら、このことを思い出してください。
そうすれば「学校に行けるだけでも有り難い」と、感謝の波動で今に生きられるようになります。


大人になると1日の大半を仕事についやすことになりますが、そもそも仕事があるということはとても有り難いことです。
途上国では、そもそも職場が圧倒的に少なく、働きたくても働けないのが実情です。
日本でも会社が倒産したりリストラされたり、仕事のない人はたくさんいます。
私は「仕事に行きたくない」「つらい」「こんな仕事…」と思いそうになったら、これらのことをすぐ思い出します。
すると「仕事があるだけ有り難い!」と感謝の波動で今に生きられるようになります。


誰でも病気になってしまったときは、痛みや不安などから今に生きれなくなることがあると思います。
そのようなとき、つい自分の心配ばかりしてしまい、感謝の気持ちを忘れがちです。
しかしたとえ病気になっても、感謝できることはたくさんあります。
例えば、日本では法外な最先端医療さえのぞまなければ、誰でも普通に医療行為が受けられます。
しかもお医者さんはみんな正式な資格をもった人ばかりです。
私たちはこのことを当たり前のように思いがちですが、これは当たり前のことではありません。
世界ではまともに治療をうけられない人のほうが多いくらいです。
アメリカですら貧困層はキチンとした医療行為を受けられていません。
日本も昔は寿命が今の半分程度しかなく、多くは若くして病死していました。
私は体調不良で不安になったとき、これらのことを思い出して、
「医者にみてもらえるだけ有り難い!」
「近くに病院があるだけ有り難い!」
と思っています。
また守護霊様はなるべく私たちがつらい思いをしないよう、病状が軽くなるよう、つねにに働いてくれています(人は運命共同体だからです)
そのことに対しても「守護霊様、有り難うございます!」と感謝しています。

このように、感謝で今に生きていると、痛みやつらさがだんだん減ってきます。
なぜなら、痛みやつらさの大半は、不安・怒りなどのネガティブな波動が原因だからです。
ガンの腫瘍や骨の変形など、物理的なことは直接の原因ではありません。
それらの異常も結局のところ、自分のネガティブな波動が原因だからです。
同じような腫瘍をもっていても、かたや元気に動きまわり、かたや激痛で苦しんでいる人がいます。
両者の違いは、その人の波動の違いが大きいといえます。
もちろんポジティブな波動の人でも、一時的に苦しむことはあります。
しかしそのような人の苦しみがえんえん長く続くことはありえません。

病気になったとき、つい薬に頼ろうとしますが、それはあまり意味がありません。
「神様はなぜ自分を病気にしたのだろう」と自問自答してみてください、
“薬や手術で治すため”
という答えが浮かんでくる人はまずいなはずです。
それに対するの答えはやはり
“もっと感謝ができるような人間力をやしなうため”
“もっと今に生きられるように人間力をアップするため”といったものだと思います。
なのに、それらの声に耳をかさず、医者や薬にたよろうとするのは、一時しのぎ以外のなにものでもありません。
根本原因(=自分の心)が治っていないのですから、しばらくすればまた再発してしまいます。
※もちろん、医学を全否定するつもりはありません。
 どうしても薬が必要なばあいもあります。
 ファジーに考えてくださいね。


病気はいわば、人間力をつけるためのトレーニングゲームです。
病トレゲームの目的は、人間力をつけて今に生きられるようになることです。
だからあるていど今に生きることができるようになれば、たいがいの病気は勝手に治ってしまいます。
目的が達成されたからです。
このことを悟ってから、私は薬や病院に頼ることがほとんどなくなりました。
「どうしよう、何の病気だろう…」
「治らなかったらどうしよう…」
などと不安になることはまったくありません。
どんな病気になろうとも、今に生きてさえいれば大丈夫だからです。
今に生きれなくてもかまいません。
今に生きようとするだけでOKです。
神様は無理なことはいいません。
自分にできる範囲で今に生きていれば、すべては良い方向へむかっていきます。

もし手術をする段階になっても、今に生きていれば恐るるにたりません。
手術をするとなると、不安や恐怖でなかなか今に生きられないと思います。
しかしよく考えてみれば、手術をされるがわよりも、手術をするがわのほうが大変な思いをしているはずです。
絶対にミスはゆるされませんし、ミスなどしようものなら取り返しの付かないことになってしまいます。
そもそも注射をしたりメスを入れたり、人の体を傷つけるのは精神的に大変なことだと思います。
「こっちは高い金はらって手術させてやってるんだから、当然のことだ」
「医者は切ったり縫ったりするのが好きな人がなってるんだ」
などと思う人の波動はネガティブです。
まったくもって今に生きていません。
今に生きるとは、ポジティブな波動を出すということです。
大変な思いをしているお医者さんたちの気持ちを思いやって、感謝するということです。
具体的に言えば、
「有難うございます、有難うございます……」
「私のために誠意を持って手術してくださって感謝します」
と、感謝の言葉で“今”を埋めるということです。
そのようにしていると、自分の出したポジティブな波動で不安や痛みが中和されます。
だからつらい手術もわりと楽に乗り越えられるようになります。

また霊視のできる人には、守護霊様が患部に手を当てて痛みをやわらげようとしているようすが見えるようです。
なので、その光景を想像して「守護霊様、有り難うございます」を連発していれば、たとえ手術中であろうとも感謝の心で今に生きることができます。


歩いているとき、座っているとき、ボーっとしているとき、私たちはいつでもどこでも今に生きることができます。
たとえば、私たちはつねに何か“モノ”を使っていますよね。
服というモノは、ふだんほとんど無意識に身につけていますが、もしとつぜん服が消えてしまったらとても困ると思います。
靴もほとんど無意識にはいていますが、靴がとつぜん消えてしまったら、ヤケドしたり凍傷になったりしてしまいます。
歯ブラシ一本にしても、もしなくなってしまったら、虫歯だらけでとても苦しむことになってしまいます。
紙、ペン、ハサミ、タオル、トイレ、家……など、どれもこれも、普段はたいして有り難いとは思いませんが、いざなくなれば困るものばかりです。

モノがあるのは普通のことではありません。
私たちの身の回りにあるものは、もともと宇宙のチリでした。
それがビッグバン・核融合などをへて、奇跡的な確率で、そのモノになっています。
つまりすべてのモノは奇跡の産物であり、文字どおり“有り難い”ものなのです。

なかには「俺は無欲だ! モノはいらない!」という人もいるかもしれません。
しかしそれは“人間が作ったモノ”がいらないのであって、“神の作ったモノ”はどうしたって必要です。
神の作ったモノとは、火、水、土、光、空気、地球、太陽など、この世のすべてです。
その人自身も神の作ったモノです。

私たちは今こうして普通にモニターを見て、普通に字を読んでいますが、これはひとえに“目”というモノがあるおかげです。
目があるということは当たり前すぎて、その有り難さを忘れがちです。
しかしたった今、目が見えなくなってしまったとしたら、その有り難さを痛感することになってしまいます。
歩くことも、食べることもままならず、今の仕事もできなくなってしまうかもしれません。
テレビもパソコンも見れず、本もブログも読めず、人間力を高める勉強をするのにも一苦労です。

名著“道は開ける”の中に、盲目から回復した女性の話があります。
彼女は目が見えたとたん、ただ“見える”ということにたいして、ただならぬ喜びを感じています。
私たちにとって目が見えることは“普通”のことですが、彼女にとっては“歓喜”です。
私たちには“普通”の景色も、彼女にとっては“圧倒的に美しい芸術”です。
彼女は食器を洗いながら、ちいさな泡のひとつにすら美しさを感じ、感動しています。

そしてこれこそまさに、“今に生きる”心のありかただと思います。
お坊さんが苦行をするのは、つねにこのような心境でいられるようになることを潜在的に望んでいるからだと思います。

私はネガティブになりそうになったとき、この盲目の女性にシンクロしています。
そうすると、なんのヘンテツもない景色が、一変して鮮やかな景色なります。
ただ目が見えるということに対してワクワクし、有り難い気持ちでいっぱいになります。

今に生きるとは、盲目から回復した直後のような、喜びにあふれた心を持続するということです。
つねにこのような歓喜の気持ちを忘れないということです。
今世で盲目になったことがなくても、私たちは過去世で必ずそのような体験をしています(魂は進化する
鉱物や植物は人間のようにものは見えていませんし、動物にも盲目状態で生きているものはたくさんいます。
つまり人間であれば、だれでもこの気持ちを再現することができるのです。

いつもこのような歓喜の気持ちでいるためには、“今がどれだけ有り難いか”を思い出すのがコツです。
一寸先は闇といいますが、私たちの“今”はとても危ういバランスのうえに成り立っています。
目玉ひとつ、携帯ひとつ、サイフひとつなくすだけで、たちまち平穏な日常がくずれてしまいます。
家族の健康、恋人の態度、地盤の状態、どれかひとつでも乱れれば、たちまちにして地獄のような世界になってしまいます。
つまり、今、こうして普通にブログが読めるのは、奇跡的にバランスのとれた、とても“有り難い”状態なのです。

私は、歩いているときウツな気分になったら、歩けなくなってしまったときことを想像します。
そうすると、「歩けることはなんてすばらしいんだ!」と、歩けることの有り難さを思い出し、歓喜することができます。
体調不良でウツな気分になったら、もっと酷い病状になってしまったときのことを想像します。
そうすると、今ていどの症状ですんでいることの奇跡を思い出し、感謝することができます。
上司にムカついたら、上司がヒトラーのような暴君になってしまったときのことを想像します。
そうすると、上司がそこまで暴君でないことの有り難さを思い出し、感謝することができます。
同僚にムカついたら、同僚が悪魔のようなイジメっ子になってしまったときのことを想像します。
そうすると、同僚がそこまで悪魔的な人間ではないことの有り難さを思い出し、感謝することができます。


もし誰かに
「100万円あげるから、あなたの耳をくれ」
「一千万円あげるから、あなたの腕をくれ」
「一億円あげるから、あなたの胃をくれ」
と言われたら、あなたはどうするでしょうか?
じゃああげる、という人はマレだと思います。
ほとんどの人が一億円つまれてもイヤだと思うのではないでしょうか?
つまり私たちは、一億円にも代えがたいモノを、今現在もっているということなのです。
今に生きられない人は、このことを忘れています。
「自分は足りないものだらけだ。自分には何もない」
という人も、
“もしも今、目がなくなったら”
“もしも今、舌がなくなったら”
と想像力をはたらかせれば、いかに自分がすごい宝をもっているかが実感できるはずです。


365日24時間、私たちはつねに有り難いモノに囲まれた、とても恵まれた存在です。
それなのに、不満や不安や心配ばかり感じていると、
「こんなに恵まれているのに、まだ足りないのか」
「それなら自分がどれだけ恵まれているか、思い知らせることにしよう」
と、自分の潜在意識(=神)が事故や災害をおこしかねません。
事故や災害でモノを失えば、今の自分がどれだけ恵まれていたかを再認識できるからです。
しかしできればそんな方法で再認識はしたくありません。
そうならないためには、“今”の自分がどれだけ有り難い状態におかれているのかを思い出し、感謝することが大切なのです。



●今の自分で完璧だ!

なかなか今に生きれない人は、

「今の自分は完璧ではない」
「今の自分は人として未完成だ」

という思いがどこかにあると思います。
だから、

「今の自分はまだ人間力がたりない。もっと人間力をつけなければダメだ!」
「今の自分はまだ徳がたりない。もっと徳をつめまなければダメだ!」

と自分を責めて、自己嫌悪におちいりがちです。
このような人はいつまでたっても自己嫌悪から逃れることはできれません。
なぜなら人が“完璧”になれる日など永遠にやってこないからです。
だから
「まだ人間力がたりない…徳がたりない…私はダメ人間だ…」
と、永遠に自己嫌悪することになってしまいます。

「今の自分はまだ完全に健康じゃない。もっと健康にならなければダメだ!」
「今の自分はまだ前世のカルマが残っている。もっとカルマをへらさないとダメだ!」

という人も、永遠にダメだダメだと自分を責めつづけることになります。

完全に健康になれる日など永遠にやってきません。
どんなに健康な人でも、肉体的、精神的に数%はおかしなところがあります。

完全にカルマがなくせる日も永遠にやってきません。
なぜなら私たちは今も、毎日のようにカルマを作り続けているからです。

徳が完璧になる日も永遠にやってきません。
なぜなら人は神にむかって永遠に成長しつづける存在だからです。


永遠に完璧にはなれないということは、逆に言えば“すでに完璧な状態にある”ということです。
永遠に完成されないということは、見かたをかえれば、すでにその状態が完成形だということです。

ウォルト・ディズニーは「ディズニーランドは永遠に完成しない」ということばを残しています。
これはディズニーランドは永遠に成長しつづけるという意味です。
かといって今のディズニーランドがダメな未完成品なのかといえば、そんなことはないと思います。
ディズニーランドは今の時点で、じゅうぶん完成していますよね。

人間もこれと同じです。
私たちは未完成でありながら、今の時点でじゅうぶん完成しています。

神はミスをしません。
神はつねに完璧です。
完璧な神が、ダメな失敗作をつくるはずがありません。
神の最高傑作である私たちは、すでに完璧な作品です。
“未完成品”という一個の芸術品だということです。



●霊主体従

「なかなか今に生きられない」
「今やるべきことに集中できない」
という人は、“物理的”なことだけが今に生きる道だとカン違いしていることがあります。
物理的なこととは、家事、勉強、仕事など、実際に何か行動することです。
しかし今に生きるとは、そのようなことばかりではりません。
むしろ物理的なことよりも、“思考的”に今に生きることのほうが優先です。
思考的に今に生きるとは、感謝したり、人の幸せを願ったり、ポジティブな言葉を思ったり、頭のなかで今に生きるということです。

いくら勉強や仕事をがんばっても、思いがネガティブでは今に生きているとはいえません。
今に生きるためには、まずはじめに“思いで今に生きる”ことが必要です。
物理的な行動はその後です。
まず思いを整えたあと、はじめて現実でも今に生きられるようになります。

人間はおよそ2つの要素にわけることができます。
ひとつめは、目に見えない波動的な要素(思い・魂・神など)
ふたつめは、目に見える物質的な要素(モノ・からだ・行動など)です。

順番としては、まず波動(神の思い)があって、そのあとに物質(モノ)がうまれます。
何かしようという“思い”が脳におこって、そのあとに体がうごき、行動になります。
逆はありません。

つまり宇宙には、
1、波動
2、物質(行動)
という“順序”があるのです。
この順序を“霊主体従(れいしゅたいじゅう)”と言ったりします。

今に生きるためには、この順序を間違えないことが大切です。



●愛が一番

今に生きられないとき、その人は心が“エゴ”な状態になっています。

つまり、
「心配だ」
「不安だ」
「ムカつく」
「恥ずかしい」
「変に思われたくない」
「わたしはダメ人間だ」
というように、自分のことばかり考えている状態になっているのです。
エゴは、真実とは真逆の方向です。
だから心が苦しくなります。

このような苦しみから抜け出すためには、逆位の波動で押し返すことが大切です。
エゴの反対は“愛”です。
つまり愛の波動(=ことば)で押し返せばよいということです。

たとえば恋人が死んでしばらくたっても今に生きられないというとき、その人はエゴな心になっています。

「つらい」
「悲しい」
「さびしい」
など、自分のことにばかり意識が集中している状態です。
当人はその気持ちを愛だとカン違いしていますが、それは本当の愛ではありません。
ニセモノの愛(エゴ)です。

しかしそこで、
「死んだ彼がこんな私を見てどう思うだろうか。
 きっと心配するに違いない。
 わたしのネガティブな思いにひっぱられて、天国にいけなくなるかもしれない。
 自分のことばかり考えるんじゃなくて、彼の幸せも考えよう。
 彼を安心させるために、ポジティブな思いを発信しよう!」
と、“本当の愛”に目覚めたらどうでしょうか?
とたんに苦しみから解放され、今に生きられるようになると思います。
愛の波動が、エゴな波動を吹きとばすからです。

私はネガティブな気分になったとき、
「ここで私が苦しむと、他の人たちにも同じ思いを味あわせることになる(人は運命共同体公害人間になるな
 みんなに苦しい思いはさせないぞ! 私はみんなへの愛に生きるんだ!」
と思っています。
そうすると、かんたんに心の苦しみから抜けだせます。
愛の波動は強力です。

愛がないまま「ありがとう」を連発したり、
「大丈夫、大丈夫…」
「勇気、勇気…」
などと思っても効果はうすいです。
それらは自分のために向けられた言葉だからです。

まずはじめに「愛」を思うことが大事です。
そうすると、そこから、感謝・勇気・思いやりなどの思いがうまれます。

愛からうまれた感謝は強いです。
愛からうまれた勇気は強いです。
愛からうまれた思いやりは強いです。

逆に、愛なき感謝は弱いです。
愛なき勇気は弱いです。
愛なき思いやりは弱いです。

苦しみを癒すには、“愛”という薬しかありません。
愛を切らせたとき、苦しみがうまれます。
苦しみは、愛が不足しているサインです。

愛は他から与えてもらうものではありません。
自分で創りだすものです。

お手本は神様です。
神様は一円ももらわず、光、空気、食物などを私たちに与えてくれています。
「わたしは愛されてないから、愛なんて湧いてこない」
などとケチくさいことは言いません。
神は愛そのものです。
だから神の愛は無限なのです。

そして私たちは神様です。
だから私たちの愛も無限のはずです。

愛はこの世でもっとも崇高な波動です。
愛のパワーにまさるものはありません。



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神様を信頼する

2013.04.20.20:51

不安、怒り、自己嫌悪など、ほとんどの苦しみは、“神様を信頼していない”ことが原因になっています。


●心配する人は神様を信頼していない

たとえば不安や心配は、
「神様は自分になにか悪いことをするかもしれない」
という疑いの気持ちからきています。
だって、もし「神様は絶対、自分を悪いようにはしない」と確信していたら、不安なんてないですよね。

「病気が心配だ」
「老後が不安だ」
「お金のことが心配だ」
「人から嫌われてないか不安だ」
「試験に受かるか心配だ」
…などなど不安や心配にはいろいろありますが、これらをつきつめれば、すべて“神様を信頼していない”ことの裏返しなのです。

確かに、病気が100%完全に治るとは限りません。
お金のトラブルがまったくないとも限りません。
試験に100%受かるとも限りません。

しかし試験に受からなかったからといって、それがすなわち“悪いこと”なのでしょうか?
そうではないと思います。
一時的にガッカリするかもしれませんが、長い目で見れば必ず自分にとってプラスに働くことになります。
病気も悪いことのように思えますが、長い目で見れば必ず自分の魂にとってプラスに働くことになります。


どんなに悪い状況に思えても、それは神様がしてくださったことです。
神様が私たちを悪いようにするはずがありません。
神様は私たちが最大限幸せになれるように、つねにベストをつくしてくれているのです。



●怒りっぽい人は神を信頼していない

怒りっぽい人も神様を信頼していません。
なぜなら怒りっぽい人は、
「相手に不快な思いをさせてでも怒ってやらなければ、なにか困ったことが起こるかもしれない」
という不安をもっているからです。

例えば子どもを怒る親は、
「子どもに嫌な思いをさせてでもガミガミ怒らなければ、将来ろくでもない子どもになるかもしれない」
という不安をもっています。

部下を怒る上司は、
「部下に嫌な思いをさせてでも怒って注意しなければ、管理不行き届きで自分の立場があやうくなるかもしれない」
という不安をもっています。

しかし、“怒って人に不快な思いをさせなければうまくいかない世界”などつくる神様がいるでしょうか?

この世界は私たちがつくった世界です。
100%私たちの納得のいくシステムになっています。

・怒って人に不快な思いをさせなければうまくいかない世界
・怒らず、愛と知恵で上手にさとせばうまくいく世界

どちらの世界に納得がいくでしょうか?
私は後者です。
だから実際に後者の世界で生きています。

私は日常生活で怒ることはまずありませんが、それで困るようなことはありません。
怒りたくなったら、神様を信頼して「別に怒らなくても困ったことにはならないんだ」ということを思い出しています。
そうすると、怒らずにすむ良いアイデアが浮かんできます。

もちろん、ときには怒ることが必要なばあいあります。
しかし実際は、怒るよりも他にもっと賢いやりかたがあるばあいがほとんどだと思います。



●焦る人は神を信頼していない

焦る人も神様を信頼していません。
ゲームなどで焦る感覚を楽しんでいるのは良いのですが、そうではなく、
「早く結婚しなきゃ!」
「流行に乗り遅れたくない!」
「ライバルに負けたくない!」
「ヤバイ! あの商品もう売り切れかも!」
などと、焦ることに苦しんでいる人です。
このような人は、
「焦って急がなければ、何か困ったことになるかもしれない」
という不安をもっています。

しかし、“焦って急がなければ困ったことになる世界”など、神様がつくるでしょうか?
そんな人を苦しめるような世界を神様がつくるはずはないと思います。

・焦って急がなければ困ったことになる世界
・焦らなくても、たんたんと今に生きていればうまくいく世界

どちらの世界に納得がいくでしょうか?
私は後者です。
だから後者の世界で生きています。

人生、ときには急ぐことも必要です。
しかし、“急ぐ”ことと“焦る”ことは違います。

急ぐとは、ただ作業のスピードを早めることです。
焦るとは、神様を信頼せず、“心配しながら急ぐ”ことです。
アタフタして、ムダに心を苦しめることです。

しかし神様を信頼していれば、どんなに急いでいるときでも、心はつねに余裕があります。
焦って苦しむことがありません。
むしろ急ぐことをゲームのように楽しむことができます。



●自己嫌悪、嫉妬、がんばりすぎる人は神様を信頼していない

自己嫌悪する人も神様を信頼していません。
なぜなら自己嫌悪する人は、
「自分は他人よりも特別におとっている。神は他人より自分のことをバカに作っている。神は不平等だ」
という怒りや不安をもっているからです。
だって、
「神様はすべての人間を平等につくってくれている。だからみんなも私と同じようにバカだし、同じように失敗する」
と思っていたら、自己嫌悪なんかしませんよね。


嫉妬する人も神様を信頼していません。
なぜなら、
「神は不平等だ。私よりアイツの方を優遇している」
「神はアイツに必要なものを与えているのに、私には必要なものを与えてくれていない」
と思っているからです。


無理してがんばる人も、神様を信頼していません。
なぜなら「無理してがんばらないと、神は自分をひどいめにあわせるかもしれない」と思っているからです。



●神様はミスしない

後悔する人も神様を信頼していません。
なぜなら、後悔とは、“ミスしたことを悔やむこと”だからです。

しかし神様はミスしません。
ミスをしないから神様なのです。
どんな失敗も、すべて神様の計画のうちです。
過去にどんな過ちをおかそうが、それはすべて神様の手のひらの上でおこったことです。
だからミスや失敗を後悔することは論理的におかしなことだと思います。

もちろんミスした原因を分析し、正しい反省をすることは大事です。
しかしそうではなく、ただ後悔することに苦しんでいる人は、
「自分(神)はミスをしてしまった…」「自分(神)は失敗してしまった…」と勘違いしてしまっています。
しかしそのようなことはありえません。
神様は完璧だから神様なのです。

「神様はミスしない。神様は完璧だ」
という視点で過去の失敗をふりかえると、すべてはさらなる成功のための失敗であることに気づくはずです。
自分を成長させ、より幸せな人生を歩むための失敗であったことが分かるはずです。

神は完璧ですから、つねにすべてを“ベスト”な状態にしてくれています。
どんなに悪い状況に思えても、それが今の自分にとってはベストな状態になっています。
だから心配したり、怒ったり、焦ったり、自己嫌悪したり、無理してがんばったりする必要はありません。
つねに神様を信頼して、ゆったり安心していてください。



●信頼度は徳の量に比例する

しかし、ふだんから積極的に徳をつんでいない人は、なかなか神を信頼することができません。
なぜなら、自分が神に好かれる根拠がないからです。
たいして徳もつんでいないのに、「自分はなにがあっても大丈夫だ」とはなかなか思えないものです。
そう思える根拠(=徳)がないからです。

むしろ、
「私はひごろの行いが悪いから、神様は罰をあたえるかも…」
「私は大して良いことをしていなから、神様も守ってくれないだろう…」
「この不幸はあのときの悪いカルマががかえってきたんだ…」
と、つねに不安や後悔にさいなまれてしまうことになります。

実際、徳をつんでいないから神様が罰を与えるということはありません。
ただ、自分で自分の行動に納得がいっていないので、どうしても自己矛盾に苦しんでしまうのです。

結局のところ、神様への信頼度は、徳の量に比例します。
なぜなら、徳をつめばつむほど、神様に好かれる根拠が増えていくからです。
徳をつめばつむほど「私は絶対に幸せになれる」「私は絶対大丈夫だ」と、自分に“自信”がもてるようになるからです。

自信とは、“自分を信頼する”ということです。

自分を信頼するということは、神様を信頼するということです(自分=神)

つまり、神様を信頼できるようになるためには、徳をつむことが大切だということですね。



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ヒャクゼロ思考をやめて「ファジー思考」になる

2013.04.10.20:24

鬱になったり
苦悩する大きな原因に
「ヒャクゼロ思考」
があります

これはものごとを
「ゼロか100か」
の二択で考えることです

「白か黒か」
「善か悪か」
「殺るか殺られるか」

こんなふうに
二択で考えるのが
ヒャクゼロ思考です

ゼロヒャク思考で
生きる限り
苦悩からは
抜け出せません

たとえば、以前の私は
ものすごく
自己肯定感が低くて
なかなか自己否定を
やめられませんでした

それは
「私は100%ダメ人間で
いいところはゼロだ!」

こんなふうに
ヒャクゼロ思考
だったからです

冷静に考えたら
100%ダメな人なんて
いません

どんな人にも
いい部分はあります

でもヒャクゼロ思考だと
「じぶんは100%ダメだ!
いいところはゼロだ!」

と極端な思考に
なってしまうんです
これが鬱の原因なんですね

わたしは
自己嫌悪だけじゃなくて
他者嫌悪もすごかったです

すぐに他人のことを
嫌いになっていました

その人がちょっとでも
イヤなことをすると

「あいつは100%悪人だ!」

とヒャクゼロ思考になって
完全にシャットアウト
していました

その人がちょっとでも
間違ったことを言うと

「あいつの言うことは
100%間違っている!
あいつは
完全なる嘘つきだ!」

と決めつけて
シャットアウト
していました

また、わたしは
行動力もありませんでした

なにか行動しようとしても
なかなか行動できませんでした

それも
「100%完ぺきにやるか」
または
「まったくやらないか」

こんなヒャクゼロ思考
だったからです

ヒャクゼロ思考は
完ぺき主義にも繋がります

はじめから完ぺきに
やろうとするから
ハードルが高すぎて
行動に移せなかったんです

この世に完ぺきな
人間はいません

どんなに偉い人でも
80点が最高で
20%くらいは
欠点があるものです

これを
「8:2の法則」
といいます

つまり完ぺき主義の
ヒャクゼロ思考を
やめないかぎり
永遠に苦悩するハメに
なってしまうんです

○ファジー思考

このゼロヒャク思考から
抜け出すためには
より進化した思考に
アップグレードする
必要があります

それは
「ファジー思考」です

これは、ものごとを
「あいまい」に「柔軟」に
考える思考ですね

ファジーには
「あいまい」とか
「ぼやけた」
といった意味があります

たとえば あなたが
明石家さんまさんを
ちびキャラに
デフォルメした
イラストを描いたと
しますよね

それを
パソコンに読み取らせても
おそらく さんまさんだと
認識できません

それはパソコンが
ファジー思考が
苦手だからです

すでに登録されてる
さんまさんの画像以外は
さんまさんだと
認識しずらいんですね

でもそのイラストを
友だちに見せたら
どうでしょうか?

それだったらたぶん
「明石家さんまでしょ」
って分かって
くれますよね

これはパソコンより
人間のほうが
ファジー思考が
得意だからです

パソコン、
つまりコンピューターは
ものごとを
「0」か「1」かで
考えています

「0」と「1」という
2つの数字だけで
ものを考えてるんですね

人間のように
あいまいにファジーに
考えるのが苦手なんです

とはいえ人間にも
「0」か「1」でしか
ものを考えない人が
います

たとえば
仕事のできない店員さんは
たいていロボットのような対応をします

どんな緊急事態でも
「ウチは
こういう決まりです
他の対応はできません」
とマニュアル以外の
対応がとれません

かたや
仕事のできる店員さんは
柔軟なファジー思考です

臨機応変に
マニュアル以外の対応も
とってくれます

生物は進化するにつれて
ファジー思考力が
高くなります

動物より人間のほうが
ファジー思考力が
高いですし

子どもより大人の方が
ファジー思考力が
高いです

たとえば動物は

「イヤなことをされる」
→「吠える」

「空腹になる」
→「食べる」

といった感じで
ほぼ決まった
行動しかとれません

これは、
「“0”という刺激がくれば、“1”という反応をする」
という
ロボット的な行動です

「イヤなことをされても
吠えちゃいけないな
他にもっと良い対応が
あるはずだ」

なんてファジー思考できる動物はほぼいません

それができるのは
動物から進化した
人間だけです

といっても
まだ幼い人間は
ファジー思考できません

たとえば人間の赤ちゃんは

「イヤなことがある」
→「泣く」

「おもしろいものを見る」→「笑う」

というように
ある刺激に対して
ほぼ決まった行動を
とります

「イヤなことがあっても
すぐに泣いちゃいけないな
まわりの迷惑になるし
他にもっと良い行動が
あるはずだ」

なんてファジー思考できる赤ちゃんは
ほぼいませんよね

でも成長して
大人になるにつれて
だんだんファジー思考
できるようになります

つまり
ファジー思考力を
高めることは
生き物として
成長することなんです

だからロボット的な
ヒャクゼロ思考から
抜け出すことが
大事なんですね

抜け出して
「ファジー思考」に
切りかえることが
大事なんです

ではファジー思考に
切りかえる方法を
お話します

○弁証法

まずは
「弁証法」
という方法です

これは ざっくり言うと
「第三のアイデアを出す」
という思考法です

ヒャクかゼロかの
二択思考から抜け出して
第三のアイデアを
出すんですね

たとえば
「運動したい…
でもできない…」
と悩んでいるとします

これは
「100%カンペキに
運動するか」
または
「まったくしないか」
のヒャクゼロ思考に
なってるから悩むんです

そんなときは
第三のアイデアを
出します

たとえば
「100%カンペキに
運動しなくてもいい
すきま時間に
1分くらい運動すればいい」
こんなふうに
第三のアイデアを
出すんです

たとえば
「仕事したい…
でもできない…」
なんて悩んでいるとします

これも
「100%カンペキに
仕事するか」
または
「まったくしないか」
のヒャクゼロ思考に
なっています

そんなときは弁証法で
第三のアイデアを
出します

たとえば
「100%カンペキに
仕事しなくてもいい
一日一時間から
仕事をはじめればいい」

こんなふうに
第三のアイデアを出せば
悩みから抜け出せます

この弁証法という
思考法を、ぜひ覚えて
おいて下さい

○中道

弁証法で
アイデアを出す方法に
「中道」
という方法がある

これはブッダの教えとして有名です

むかしブッダは
極端に苦しい修行を
していました

その結果わかったことは
「極端に苦しい
修行をしてもダメだ…
悟れない…(T_T)」
ということでした

かといって
極端に遊んでばかりでも
ダメですよね

つまり
「100%完ぺきに修行するか」もしくは
「まったく修行しないで
遊びまくるか」

このヒャクゼロ思考から
抜け出すことが
必要だったんです

遊びと修行の
ほどよいバランスを
とることが
大事だと悟ったんですね

この
「ほどよいバランスをとる」という考えが
「中道」です

「修行するのが正しいのかそれとも
遊ぶのが正しいのか…」

なんて二択で悩むのは
ヒャクゼロ思考です

そうじゃなくて
「ほどよく修行して
ほどよく遊ぶ」
とファジーに
中道で考えるのが
大事なんですね

たとえば前のわたしは

「孤独になりたくない
でも人と一緒に
いるのもいやだ…
どうしたらいいんだ…」

と悩んでいました
これも
「100%人と一緒にいるか」または
「100%孤独になるか」
の二択で考えるから
悩むんです

そうじゃなくて
「孤独になりすぎず
人と一緒にいすぎず、
間のほどよい
バランスをとろう」

このように
中道で考えれば
悩まないんですね

中道とは
「ちょうど真ん中」
という意味ではありません

たとえば
一個の丸いケーキを
赤ちゃんと大人で
分けるばあい
ちょうど真ん中で切るのは
バランスが悪いですよね

赤ちゃんはそんなに
食べられないので
大人の方を
多めに切るほうが
バランスがいいです

つまり中道とは
「ちょうど真ん中」
じゃなくて
「ちょうどよいバランス」
のことなんですね

たとえば
仕事と遊びの割合が
「1:1」
が中道とは限りません

「3:1」が
ちょうどいい人もいれば

「1:10」が
ちょうどいい人もいます

人によって中道の
バランスはちがうんです

だから
他人のバランスを見て
「自分もそうしなければ」
なんて思うのは
ナンセンスです

他人にまどわされず
自分軸で生きるのが
大事なんですね

じぶんが
最も心地いいバランスで
生きることが大事なんです

ぜひヒャクゼロ思考から
抜け出して
ファジーに柔軟に
考えてみてくださいね


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心から神様に感謝する方法

2013.03.16.18:34

というお話を
させていただきました

このとき、ただ形式的に
「アリガトウゴザイマス」
と思うよりも

本当に心から
「有難うございます
\(^o^)/!!」
と思った方が
いいですよね

その方がもちろん
癒やしの効果は高いです

以前の私は神様に
心から感謝できませんでた
それは神様のことを
「何かわからないもの」
だと思っていたからです

神様のことを漠然と
とらえていたからです

しかし神様は
そんな漠然としたものでは
ありません

わたしたちと
全く同じ意識をもった
普通の存在です

目に見えないだけで
リアルに存在しています

たとえば、この世にも
「この人は神様みたいな
人格者だな~」
という人がいますよね

そんな人が死んだら
神様になるイメージです

ただ肉体がないだけで
わたしたちと何ら
変わりません

同じように感情があって
喜怒哀楽があります

もちろん人格が高いので
うじうじ悩んだり
しませんが
ふつうに感情があって
ふつうに思考します

わたしたちと
何ら変わらないんです
ただ人格が超高いだけです

そのことを思い出すと
神様に心から感謝できます

「神様はじぶんと同じ
感情を持った普通の人だ」

と思えば
感謝しやすいですよね

わたしは
神様に感謝するとき
じぶんの顔を
イメージしています

自分自身を喜ばせるように
感謝の内語を言っています

神様というのは
要は自分です

じぶんの中の
高次元の意識が神様です

だから私は
じぶんの顔をイメージして
じぶんが喜ぶような
感謝をしています

そうすると
心をこめて
感謝できるんですね

心から
神様(自分)が喜ぶような感謝ができるんです


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神様に感謝すると、苦悩が消える

2013.02.16.22:03

悩み苦しみをなくす方法に
「神様に感謝する」
という方法があります

神様って聞くと
「なんか怪しい宗教みたいでイヤだ!」
と思うかもしれませんね

ここでいう神様とは、そんな危ない神様ではありません
じぶんの意識がつくった神様ですね

「この世は自分の意識がつくった仮想現実である」
というお話をしましたよね

その自分の意識がつくった神様のことです
この神様に感謝すると、苦悩が消えるしくみになっています

この神様は大きく3つに分けられます


○創造神

ひとつめは「創造神」です
これは、この仮想現実をつくっている神様ですね
つまり、じぶんの意識のことです

「この世界は、じぶんの意識がつくった仮想現実である」
という解釈をご紹介しましたね

つまりこの世界をつくった創造神は、じぶんなんです
「じぶんの意識=創造神」

とはいえ、人間としての意識は
創造神そのものではありません

私たちには人間としての意識がありますよね
モモエとか山田太郎とか、人間としての意識があります

それは創造神がつくったアバターの意識です
創造神という大きな意識の中に
モモエという小さな意識(アバター)があるイメージです

人間・動物・植物・鉱物などなど
すべては創造神のアバターです
創造神の意識の一部です

よく
「人は神によって生かされている」
「人生の苦しみは、神のあたえた試練だ」
「神からもらった命を粗末にしてはいけない」 

なんて言いますよね
以前の私は、そのような言葉に怒りを感じていました

「神に生かされている? だれが生かしてくれなんて頼んだの?」

「なんで神は、わたしをアホに作ったの? 
 はじめから賢く作ってくれたら、あれこれ苦悩せずにすむのに!」
 
「そもそも神がニンゲンをアホにつくったから
いろいろ失敗したり不幸なめにあってるんでしょ!
それを“試練”とかいって乗り越えさせようとするなんて
イジワルじゃない!?」

と、ひとりで怒って苦悩していました
でも今はそんな苦悩はありません
それは

「この世界の創造神は、じぶんである」
「この世は、じぶんの意識がつくっている」

と解釈しているからです

どこか、よその神様に生かされているんじゃなくて
じぶんの意識が、じぶんを生かしていると解釈してるんですね

じぶんがアホなのも、自作自演です

初めから自分を完ぺきにつくったら
初めかからレベルマックスの主人公でドラクエをやるようなものです
そんなの、おもしろくないですよね
だから自分で自分を未熟につくってるんですね

そう解釈すると
「なんで神は人間を愚かにつくったんだ!」
なんて神への苦悩はなくなります

「わたしはバカだ…」
「あの人に比べて劣っている…」
なんて自己嫌悪することもありません

「わざと自分でそう作ってるんだ」
と解釈したら自己嫌悪で苦しまないんですね

「神は、乗り越えられない試練をあたえない」
というのも、それはそうですよね

じぶんの意識がつくっている世界なので
じぶんがクリアできないイベントをつくるはずがありません
じぶんがクリアできる問題しか起こらないんですね

このように
「じぶんの意識=創造神」
だと解釈すると、いろんな苦悩が消えてしまうんです


○絶対神

2つ目の神は「絶対神」です

絶対神とは
「宇宙というシステムそのもの」
のことです

たとえば創造神が
「宇宙というバーチャルゲームの開発者」
だとしたら

絶対神は
「ゲームのシステムそのもの」です

創造神が「バーチャルゲームの開発者」で
絶対神が「バーチャルゲームのシステム」ですね

では、そもそも「システム」とはなんでしょうか?
それは
「いろんなプログラムが集まったもの」です

「いろんなプログラムが集まったもの」
が「システム」ですね

ゲームのなかには、いろんなプログラムがありますよね

「画面をタッチするとキャラクターがしゃべるプログラム」
とか
「Bボタンを押すとキャラクターがダッシュするプログラム」
とか、いろんなプログラムがあります

そんな色んなプログラムが集まって
ひとつのゲームシステムをつくっていますよね

同じように、この世界にもいろんなプロラムがあります

たとえば
「万有引力の法則」というプログラム
「エネルギー保存の法則」というプログラム
などなど、いろんなプログラムがあります

たとえば
「イヤなことをされたらイヤな気持ちになる」
これも、ひとつのプログラムです

「感謝したら、しあわせホルモンがでる」
これも、ひとつのプログラムのひとつです

このように色んなプログラムが集まって
宇宙というひとつのシステムをつくってるんですね

この宇宙というシステムを、わたしは「絶対神」と呼んでいます

システムとは
「いろんなプログラムが集まったもの」
ですよね

しかし、なんの目的もなくプログラムが集まっても、システムになりません
なにか「目的」がないとシステムにならないんです

たとえば
「ドラクエをつくる」
という目的があって
はじめてドラクエというゲームシステムができるんです

「物流を便利にする」
という目的があって、はじめて物流システムができるんです

「なにか目的あって
それを達成するためのプログラムが集まったもの」
が「システム」なんですね

では、この宇宙というシステムは、なんの目的でつくられのでしょうか?

それは「幸福感」です

「わたしたちの根本的な目的は幸福感である」
というお話を、前にしましたよね

お金がほしいのも
成功がほしいのも
家族がほしいのも
自由がほしいのも
要は幸福感がほしいんです

これらを手に入れても
まったく幸福を感じないんじゃしょうがないですよね

安心感とか
充実感とか
感動も、
一種の幸福感です

つまり
「色んな幸福感を味わう」
という目的のためにつくられたシステムが
「絶対神」
だと解釈できるんですね

ゼウスとかアポロンとか、ああいう人間的な感情のある神は
絶対神ではありません
怒って天罰あたえるような、感情的な神は絶対神ではありません

絶対神は「単なるシステム」です

「しあわせ意識になる→しあわせな現象を引き寄せる」
「過酸化水素水+二酸化マンガン→酸素ができる」

といった機械的なシステムが、絶対神です

絶対神という大きなシステムの中に
「人間」
「ミトコンドリア」
「花」

などなど、小さなプログラムが入っているイメージです
人間も動物も植物も、ひとつのプログラムなんですね

たとえるなら

創造神が「ゲームの開発者」
絶対神が「ゲームのシステム」
人間が「ゲームのプログラム」

こんなイメージですね

創造神が、絶対神というゲームシステムをつくって
そのなかの人間というプログラム(アバター)で遊んでいるイメージです


○人格神

3つ目の神様は「人格神」です

これは分かりやすく言うと
「高次元の意識」ですね

この世には、色んな意識体がいます
モモエとか山田太郎とか
犬とか猫とか
草とか花とか
無数の意識体がいますよね

この世だけではありません
あの世にも意識体がいます

「肉体が亡くなっても、意識は無くならない」
「肉体が死んでも、意識は生き続ける」

というお話をしましたよね

つまり あの世には、
「肉体がない意識だけの存在」
がいると解釈できるんです

その中には、低次元の意識体もいれば、高次元の意識体もいます
しあわせキャラ度が高いほど高次元になります

そのなかでも、神様みたいに超しあわせキャラ度が高い存在を
わたしは「人格神」と呼んでいます
宇宙の平和のために働くような存在ですね

「そんな存在いるの~?」
と思うかもしれませんが、いると考えたほうが「納得」いくんです

この世にも人格の高い人っていますよね
みんなを幸せにするような人格の高い人です

そんな人が死んだら、やっぱりあの世でも
みんなのために活動するのではないでしょうか?

死んだとたん悪霊になるとかないですよね(^_^;)
この世で人格の高い人(しあわせキャラ度が高い人)は
あの世でも、みんなの幸せのために色々活動するはずです

そんな神様みたいな人格者な意識体を
「人格神」と呼んでるんですね


○人格神が不幸を起こしているわけではない

「そんな人格神がいるなら、
なんで災害とか病気とかなくしてくれないの?
なんで私たちを助けてくれないの?」

って思うかもしれませんが
それは創造神と人格神をカンちがいしています

人格神は全知全能の神様じゃないんですね
何でもできるわけじゃないんです

死人をゼロにするとか病気をゼロにするとか
そんなことができるじわけじゃありません
それができるのは創造神ですね

創造神は全知全能です
創造神は何でもできます

人格神は、あくまで創造神につくられた存在です
創造神がつくった
絶対神というシステムののなかの
いちプログラムにすぎません

いちプログラムにすぎない人格神が
宇宙のシステムを曲げるようなことはできないんですね

エネルギー保存の法則を曲げるとか、因果の法則を曲げるとか
そんなことはできないんです

だから、この世から災害を一切なくすとか
すべての病気をなくすとか
死人をゼロにするとか
そこまでのことはできないんですね

不幸キャラのままで、その人を幸せにするとか
そんなことはできないんです
それは納得の法則から外れてますよね

人格神は、創造神のつくったシステムから外れることはできません
はずれない範囲で、助けてくれてるんですね

みなさんもそうですよね
災害を100%なくすことはできません
でも、できる範囲で被害を少なくすることはできます

病気を100%なくすことはできません
でも、できる範囲で病気を少なくすることはできます

それと同じですね
人格神もできる範囲で不幸を少なくしてくれています
だから

「なんで助けてくれないんだ!」
なんて怒らないことが大事です

それより
「神様いつも助けてくださって
ありがとうございます」
と感謝した方が、心が癒やされますよね

「神はイジワルだ!
病気とか災害とかで人間を苦しめてイジワルだ!」
と思うかもしれませんが、それも人格神と創造神をカンちがいしています

人格神は、幸せキャラ度の高い人です
だから、わざわざ他人を不幸にすることはありません

「愚民どもよ!天罰じゃ~!!」
なんて災害とか病気を起こすことはないんですね

すべての不幸は、じぶんの意識がやってることです
自作自演です

じぶん(創造神)が不幸なイベントを起こしてるんですね
それをクリアすることで、しあわせキャラ度をアップするために
じぶんで起こしてるんですね

そう解釈すると、だれを憎むこともありません
むしろ
「これを乗り越えれば幸せキャラ度があがる!
もっと幸せになれる!」
と前向きな気持になれますよね

だったらその解釈がいいということです


○高次元の意識に感謝する

わたしは毎日、神様にむかって
「ありがとうございます」
と感謝しています

基本的に創造神とか人格神とか、細かいことは考えていません
すべての高次元の意識に向かって
「ありがとうございます」
と感謝しています

わたしを幸せに導いてくれる、すべての高次元の意識に向かって
「ありがとうございます」
と感謝しています

そうすると、ものすごく心が癒やされるんですね
「ああ、わたしはいつも見守られているんだ!」
「わたしはいつも助けてもらってるんだ!」
ということを思い出して、心が安心するんです

木とか空気とかスマホとか
すべてのものに意識がやどっています

体の細胞一個一個に、意識が宿っています
すべてが、わたしの幸せにために作られた存在です

わたしがこの仮想現実で遊ぶためにつくられた存在です
わたしの幸せキャラ度を上げて、もっと幸せになるためにつくられた存在です

そのことを思い出して、私はすべての存在に感謝しています
宇宙のすべて(つまり神様)に感謝してるんですね

それは自分自身に感謝するということです
宇宙に感謝することは、自分に感謝することです
他者に感謝することも、自分に感謝することです

だから感謝すると、自分自身が癒やされるんですね

みなさんも心が苦しいときは、
「神様ありがとうございます」
と感謝してみてくださいね




これは創造神もしくは人格神に感謝してるんです

人格神には
「いつも、いろいろ助けてくださってありがとうございます!」
という意識で感謝しています

創造神
私を幸せに導いて」
と、何かにつけて感謝しています

わたしはそうやって、しっちゅう神様に感謝しています

そうすると、じぶんのなかで幸せキャラポイントが上がって、すごく幸福感がアップするからです

「神様に感謝する」
というの習慣にすると、人生に苦悩することがなくなるんですね


わたしは、しあわせキャラな意識体に感謝するとき、だいたい「神様」と呼びかけてるんですね

これは人その時々で、納得のいく呼びかけでよいと思います

いろんな意識体が助けてくれています

ここでは、そこまで専門的なお話はしませんので、ご了承ください

ただ私は呼びかけるとき、一律「神様」で呼びかけてるんですね
わたしたちを助けてくれている幸せキャラ
そのような存在が、いつも私たちのために色々してくれていると働いてくれていると
わたしたちにも、総理大臣がいたり農林水産大臣


その中でも、銀河系を担当している銀河系の人格神とか

そのなかでも地球を担当している地球の人格神とか、そういうイメージですね

そこまでスケールの大きいことをしなくても、もっと小さなスケールで活動している人もいると思います

たとえば日本という国を担当しているとか、そのなかでもモモエを担当しているとか、そういうケースもあると思うんですよね 

肉体は、せいぜい120歳くらいで亡くなりますが
意識体は亡くなりません

「肉体が亡くなっても、意識体は生き続ける」
と解釈したほうが、しあわせになれるというお話をしましたよね

だとすると、あの世には古来からたくさんの人格神がいることになります
この世の面積には限りがありますが
あの世の面積は無限です

意識の世界なので、いくらでも広がります
だから意識体で満杯になるということがないんですね

だから古来よりたくさんの人格神がいると解釈できます

わたしはそんなたくさんの人格神たちが
わたしたちを見守っていてくれていると思っています

そう思うと、ものすごく心が安心するんですね
孤独感がなくなるんです

しあわせになれr永遠です


意識が

そういう存在がいると思うと、ものすごく心が安心します



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ワンネス

2013.02.16.21:21

人間には
色んな苦悩があります

孤独
憎しみ
嫉妬
劣等感
不公平感

…などなど
色んな苦悩がありますよね

実は、ほぼ全ての苦悩は
「ワンネス」
という概念で生きると
消えてしまいます

ここでいうワンネスとは
「すべては一つ」
という考え方です

「バラバラに見えるものが
実はひとつのものである」
という考え方ですね

たとえば
石とか花とかスマホとか
一見するとバラバラの
ものに見えますよね

でもそれらは
ひとつのものだと
解釈できます

「じぶんの意識」
という、ひとつのものだと
解釈できるんです

前に
「この世は自分の意識が
つくった仮想現実である」
という解釈について
お話しましたよね
(☆この世はバーチャルゲーム

つまり
AさんとかBさんとか
バラバラの人に
見えますが
実はひとつの意識で
できていると
解釈できるんです

「じぶんの意識」
という一つもので
出来ていると
解釈できるんですね

たとえば
指の一本一本を見ると
親指とか小指とか
バラバラに見えますよね

でも
もっと大きな視点で見ると
それらは「手」という
ひとつのものだと
解釈できます

これが
ワンネスの考え方です

ワンネスで考えると
すべてのものが
ひとつになります

すべてが
「じぶんの意識」
という一つものに
なるんですね

そうすると
すべてのものに
「一体感」
を感じるようになります

「すべてが自分自身だ!」
と思うと
一体感を感じるんです

すべてが親密に思えてきて
すべてに愛着を
感じるようになります

そうすると
花とかスマホとか
AさんとかBさんとか
すべてのものに
愛情を贈りやすくなります
感謝の思いを
贈りやすくなります

他者に愛の思いを贈ると
じぶんの心に
愛のエネルギーが
入ってきます

他者は自分自身なので
当たり前ですね

他者を愛するということは
自分を愛すると
いうことです

ぜひ
ワンネスの意識になって
この世のすべてを
愛してみてください


○孤独感がなくなる

さて次は
「孤独感がなくなる」
というお話です

前の私は孤独感で
すごく苦しんでいました

いつも
「わたしは独りだ…」
「わたしが死んでも
だれも悲しまない…」

と孤独感で
苦しんでいました

でもワンネスの意識に
なってから
孤独を
感じなくなったんです

この世のすべてが
私を愛していることに
気づいたからですね

この世は、わたしが
じぶんを幸せにするために
つくった世界です

自分が幸せを感じるために
つくったバーチャルゲーム
です

つまりこの世のすべてが
じぶんの幸せのために
存在してるんですね

この世のすべてが
じぶんの幸せのために
働いてるんです

そのことに気づいてから
わたしは孤独を
感じなくなりました

すべてのものに
愛を感じるからです

すべてのものに
一体感を感じるからです

孤独は
「一人でいるから孤独」
というわけじゃ
ないんですね

独身で一人暮らしでも
全然孤独じゃない人も
いますよね

逆に、家族がいても
孤独な人っていますよね

恋人がいても
孤独を感じる人もいます

なぜ孤独を
感じるんでしょうか?

それは
心に愛が足らないからです

愛のエネルギーが
足らないから
孤独を感じるんですね

孤独感は
愛のエネルギー不足です

心が愛に満ちてたら
孤独は感じないんですね

「わたしって
愛されてるわ〜
みなさん
わたしを愛して下さって
ありがとうございます」

こんなこと思いながら
孤独を感じるって
不可能ですよね

孤独感とは言いかえたら
「不安感」です

安心感につつまれながら
孤独を感じるって
不可能なんですね

私が孤独を感じないのは
いつも心が
安心してるからです

「わたしは
この世のすべてに
愛されてるから大丈夫よ」

という安心感があるから
孤独を感じないんですね

「わたしは恋人を愛してる。なのに孤独だ…」

「わたしは家族を愛してる
なのに孤独だ…」

もしそう思ったら
それは
本当の愛じゃないんですね
たとえば

「これは、あんたのためにやってあげてるのよ!」

「これは、お前のために
やってるんだ!」

こんなふうに
押し付けるのは
愛じゃないですよね

これは怒りとか支配欲です

他にも
「こんなにやって
あげてるのに
ぜんぜん
感謝してくれない」

「なんで、もっと
愛してくれないの?
もっと私を愛して!」

なんて相手から
愛をもらおうとするのも
愛じゃないですよね

今の自分に愛がないから
愛をもらおうと
してるんです

これは俗にいう
エネルギーバンパイア
ですね

相手から愛のエネルギーを
奪おうとしています

じゃあ愛って
何でしょうか?

ここでいう愛とは
「無償の愛」です

みかえりをもとめず
無償の愛を贈ることですね

あくまで自分発信です

じぶんが
愛のエネルギーをだすと
それが自分の心に」かえってくるんです

じぶんの出した愛が
自分の心を満たすんですね

つまり孤独は
他人に埋めてもらう
ものじゃないんです

じぶんで埋めるもの
なんですね

じぶんが愛をだすことで
じぶんの孤独が
満たされるんです

じぶんが
愛のある言葉を言うことで
じぶんの心が
満たされるんです

「でも自分には
愛のことばを
言う相手がいない…」

と思うかもしれませんね
でも
そんなそんなことは
ありません

もし あなたが
すべての人から
嫌われたとしても
神様は
あなたを愛しています

この神様は怪しい宗教の
神様じゃないですよ

じぶんのなかにいる
高次元の意識のことです

愛と思いやりの塊のような
意識のことですね

この神様については
以前お話しましたので
こちらをご覧ください

神様は
つねにあなたの味方です

つねに
あなたの幸せにために
働いています

そのことを思い出せば
「神様、いつも
ありがとうございます」
と感謝の言葉が
言えますよね

これは内語で言っても
OKです

内語とは
「心のなかで言う言葉」
のことですね

わたしは
心が苦しくなったら

「神様、いつも
ありがとうございます」

「神様、愛しています」

など愛のある内語を言って
愛のエネルギーを
チャージしています

そうするうちに
だんだん苦悩が
消えていくんですね

わたしは
この世のすべてに向かって

「みな様
いつも私を愛して下さって
ありがとうございます
わたしも
みな様を愛してます」

と愛のある言葉を
贈っています

この世の森羅万象
すべてに愛のエネルギーを
贈ってるんですね

「みな様」という言葉なら
抵抗感なく言え人が
多いんじゃないでしょうか

こんなふうに
愛のことばを贈る相手は
いくらでもいるんですね

そうやって
愛のエネルギーを
贈ってると
孤独を感じなくなる

かえって自分の心が
愛のエネルギーで
満たされるからからですね

他者に
愛のエネルギーを贈ると
じぶんの心が
愛のエネルギーで
満たされるんです

なぜならこの世は
ワンネスだからですね

わたしは
「目の前のものに
愛のエネルギーを贈る」
というのを
よくやっています

今使っている
スマホとかパソコンとか

前を通りすぎる
通行人の人とか
ショップの店員さんとか

木とか空とか花とか

水とかトイレとか
お風呂とか

目の前のものに
「ありがとうございます」
と感謝(愛)の内語を
贈っています

そうすると、すごく心が
癒やされるんです

ぜひみなさんも
ワンネスの意識になって
いろんなものに
愛の内語を
贈ってみてください

だんだん苦悩から
抜け出していきますよ

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逆位の波動

2013.02.09.00:13

波には“逆向きの2つの波が重なると消滅する”性質があります。

      逆位の波動s   
   
この性質を利用して、悪い波動が起こったときには、それと正反対の波動ぶつけて、相殺するイメージを持つと効果的です。


  逆位の波動2s


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“より幸せになること”を真実にする

2013.02.08.20:54

「このブログに書いてあることって科学的なエビデンスがあるの?」

「科学で証明されてるの?」
と思われるかもしれません

では逆に質問です
科学で
「100%正しい!」
と証明できることが
あるでしょうか?

実はないんです

科学で100%正しいと
証明できることは
ないんですね

万有引力の法則も
相対性理論も
今のところ
わりと正しいと
されているだけで
絶対正しいわけでは
ないんです

私たちが
100年前の教科書を見たら
「間違いだらけじゃん!」
ってなりますよね

同じように未来の人が
今の教科書を見たら
「間違いだらけじゃん!」
ってなります

つまりこの世に
絶対の真実なんて
ないんですね

あるのは「解釈」だけです

ニーチェの有名な言葉に
「事実というものは
存在しない
存在するのは解釈だけだ」

という言葉があります

解釈とは
「人それぞれの考え方」
のことですね

では私たちは
どんな解釈で生きたら
いいんでしょうか?

それは
「より幸福感が
大きくなる解釈」
ですよね

わざわざ不幸になる
解釈を選ぶ意味が
ないですよね

このブログでは
「より幸福感が
大きくなる解釈」
をご紹介しています

科学で絶対の真実は
証明できません

だったら、より幸福感が
大きくなる解釈で
生きるのが賢いですよね

人それぞれ
何に幸福を感じるかは
違います

だから一般的な常識や
一般的な科学論に
とらわれるのは
ナンセンスです

じぶんの心をよく観察して
じぶんの幸福感が
より大きくなる解釈で
生きることが大切です

幸福感とは言いかえたら
「納得感」です

より「納得」できる
解釈で生きるほど
幸福感が大きくなります

これについては
でお話しましたね

みなさんが
より納得いく人生を
おくるために
このブログが
ご参考になれば幸いです

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この世に“偶然”はない

2012.12.17.19:55

こんにちは、モモエです
今回は
「鬱をなくす」
をテーマにお話いたします

わたしが劇的に
鬱がなくなった方法に
「この世に偶然はない!」
というのがあります

この世に
「たまたま」とか
「偶然」はない
と思うんですね

逆に言うと、この世には
「原因と結果の
法則がある!」
と思うんです

「たまたまとか
偶然はなくて
すべてのことに
原因がある」

「原因があるから
結果がある」
と解釈するんですね

そうすると鬱から
抜け出せたんです

「イヤなこととか
悪いことには原因がある
その原因を潰せば
イヤなこともなくなる」

と解釈したら
鬱にならなくなったんです


○「偶然」があると
解釈すると鬱になる

もしこの世に
「偶然」とか「たまたま」
があったら
ものすごく不安定な
世界になりますよね

たとえば
「どんなに努力しても
偶然 不幸になることが
ある世界」

「どんなに
清く正しく生きても
たまたま不幸になることが
ある世界」

こんな世界って
ものすごく不安定ですよね

前のわたしが
ウツになっていたのは
そんな世界に住んでた
からなんです

前のわたしは
「この世界には
偶然・たまたまがある」
と思ってたんですね

だから心が不安定で
鬱になっていたんです

今、鬱から抜け出せたのは
その考えをやめたからです

代わりに
「この世は完ぺきな
因果律でできている」

と思うようになってから
ウツにならなく
なったんですね

因果律っていうのは
「原因があるから
結果がある」
という考えです

「火のないところに
煙は立たない」
という考えですね

この考えで生きると
すごく心が安定します

偶然たまたまがないと
思うと、すごく心が
安心するんですね


○数学ほど
安心できるものはない

わたしの大好きな言葉に
「数学は哲学です
すべての物事は
数字で説明できます」
というのがあります

これは
北野武さんの言葉です

わたしはこの言葉を
思い出すたびに
すごく安心します

この世界の基礎には
数学がありますよね

ビルとか車とか宇宙船とか
あらゆる設計の基礎に
数学があります

物理学の基礎にも
数学があります

経済学の基礎にも
数学があります

この世界は数学で
成り立ってるんですね

数学は原因と結果の法則で
なりたっています

「1+1」という
原因があるから
「2」という結果に
なるんですね

1+1が
たまたま3になったり
偶然4になったり
しませんよね

「1+1」
という原因からは
「2」という結果しか
うまれないんです

この事実を思い出すと
すごく安心します

「この世界は数学で
成り立ってるんだ」

と思うと
偶然の不幸に
おびえなくて
済みますよね

不幸の原因をなくせば
不幸になる
心配がないからです

たまたま不幸になったり
運悪く不幸になる恐れが
ないからですね

わたしが
ウツにならなくなったのは
数学的な世界を
意識しているからです

「この世界は完ぺきに
原因と結果の法則が
あてはまる」

と解釈しているからですね

○すべての原因は
「じぶんの意識」
 
不幸の原因は
いろいろあります

病気だったり
失敗だったり
嫌がらせだったり
いろいろです

ではその根本的な
原因はなんでしょうか

病気とか失敗とか
あらゆる不幸の
根本的な原因は
なんでしょうか?

わたしは
「じぶんの意識」
だと解釈しています

不幸も幸福も
喜びも悲しみも
あらゆる事象の原因は
「じぶんの意識」
だと解釈しています

そう解釈すると
ウツにならなく
なるからです

逆に人生の幸福度が
最大化するからです

わたしは
「この世界そのものが
自分の意識でできている」
と思っています

「この世界は
じぶんの意識がつくった
仮想現実である」
と解釈してるんですね

仮想現実っていうのは
「夢」みたいなものです

夜寝てるときに見る
夢みたいなものです

夢って現実じゃなくて
仮想現実ですよね

この世界は仮想現実だと
いう学説があります

色んな大学の教授が
この世界は
仮想現実だという
仮説を唱えてるんですね

「この世はじぶんの
意識がつくっている
仮想現実だ」

「この世で起こる
すべてのことは
じぶんの意識が
原因になっている」

こう解釈すると
鬱から抜け出せます
なぜなら

「じぶんの意識を
変えれば
世界が変わるんだ」

「じぶんがイイ感じの
意識になったら
イイ感じの
世界になるんだ」

と思えるからです

この世界は
「自分の意識の投影」
だと考えるんですね

自分の意識が「映写機」で
この世界は映画のような
ものだと考えるんです

スタンフォード大学の
プリブラム教授も
「この世界はホログラムのようなものだ」
という説を説いています

そう思うと積極的に
いい意識になろうと
しますよね

「ぐるぐるウツなことを
考えるのはやめて
もっとイイことを考えよう」って思えますよね

だから私は鬱にならなく
なったんですね

積極的に
イイ意識になろうとしたら
鬱にならなくなったんです

イイ意識っていうのは
しあわせになる意識ですね

「しあわせな
気持ちになる意識」
または
「じぶんを
しあわせに導く意識」
のことです

わたしは
イヤな意識になったら
すぐに、幸せな意識で
上書きするように
したんです

たとえば
「どうせ私はダメだ…」
と思ったら、すぐに
「わたしは
何度でも立ち上がる!」
とか内語で言って
上書きします

内語とは
「心のなかで言う言葉」
のことですね

たとえば
「失敗した…最悪だ…」
と思ったら、逆に
「この世に
失敗は存在しない!
すべての失敗は
成長の種だ!
またひとつ成長できて
良かった!」
とか
ハッキリ内語でいいます

こんなふうに
幸せな意識で上書きする
クセをつけたんですね

そうすると鬱になるクセが
治っていったんです

だんだん鬱にならなく
なったんですね

それだけじゃなくて
現実の世界も
変わっていきました

実際に幸せな世界に
変わっていったんです

イヤな人とか
イヤな現象が
目に見えて
減っていったんですね

逆に幸せを感じる現象が
倍増しました

収入がすごく増えて
人間関係が
すごく良くなったんです

病気も良くなって
人生から悩みごとが
なくなってしまいました

「嘘だ~!」
と思うかもしれませんが
そう思ったら
ぜひ実験してください

ためしに
イヤな意識の時間を
できる限り減らして
幸せな意識の時間を
できる限り増やしてみて
ください

三ヶ月も実験したら
あきらかに世界が
変わります

確実に
今より幸せな世界に
変わるはずです

これは思い込みレベルの話じゃなくて
実際そうなるんですね

あきらかに
不幸な現象が減って
しあわせな現象が
増えるんです

なぜならこの世の基礎には
数学があるからですね

数字で考えると
わかりやすいです

つまりイヤな意識の時間が短くなるほど
イヤな現象が減る
ということですね

15分減らしたら
そのぶんイヤな現象が減るということです

人は一日に約6万回
思考すると言われています

だからみなさん
無意識のうちに
結構イヤな意識に
なっているはずです

ストップウォッチで
はかったら
かなり長時間
イヤな意識に
なってるのでは
ないでしょうか?

イヤな意識とは
イヤなことを考えたり
思い出したりする
ことですね

イヤな人のことを考えたり
あれこれ心配したり
イヤな気分になることです

そんな時間を短くするほど
嫌な現象が減っていきます

逆に幸せ意識の時間を
増やすほど
しあわせな現象が
増えていきます

この世に偶然はありません
すべては必然です
原因と結果の法則です

じぶんの意識が
すべての原因になっていると解釈してみてください

そうすると積極的に
イヤな意識をなくして
しあわせ意識を
増やせるようになります

そうすると当然
鬱になることが
減りますよね

それだけじゃなくて
現実の世界も
変わっていきます

意識の時間に比例して
現実の世界も
変わっていきます

ぜひ三ヶ月くらい
実験してみて下さい
世界が変わるはずです

「じぶんはかなり
マイナス思考で
イヤな意識がなくせない」

という方は下のリンクの
動画をご覧ください

だれでもカンタンに
イヤな意識を
なくせるようになりますよ



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「罪」という言葉は使わない

2012.12.15.21:06

こんにちは、モモエです
今回は
「自己嫌悪・自己肯定感」をテーマにお話いたします

「私は罪深い人間だ」
「罪をつぐなわなければ
ならない」

といった言葉を
耳にしますよね

「罪」という言葉は
「悪事」に対して使います

何か悪いことをしとき
それは「罪」だと
思いますよね

でも私は罪という言葉を
使わないようにしています

その言葉を使うと
心が重くなるからです
鬱な気分になるからですね

わたしは「罪」は
「人格を上げるイベント」
だと解釈しています

なにか悪いことをしたとき
「次から
やらないようにしよう」

「次はこうすれば
同じ失敗を
しなくてすむな」

と思えば
人格があがりますよね

つまり人間的に
成長しますよね

つまり「悪いこと」
っていうのは
人格をアップする
イベントなんですね

わたしは人生を
ひとつのゲームだと
解釈しています

だから人生で起こることは
ゲームのイベントだと
思ってるんですね

だから悪いことをしたとき
「自分は罪を犯した」
と思ったら、代わりに

「これは
人格を上げるイベントだ!」と思っています

そうやってハッキリ
内語で言うんですね

内語とは
「心のなかで言う言葉」
のことです

たとえば
「わたしは罪を犯した…」
「罪深い人間だ…」
とか自己嫌悪したと
しますよね

そのとき内語で
「これは人格をアップする
イベントだ!」
って言うんです

そうすると
自己嫌悪が止まって
人格が上がるようなことを
考えられるんです

たとえば
「過去を悔やんでも
しょうがない」

「前だけを見て
生きていこう」

とか人格が上がるような
ことを考えられます

そうすると逆に
自己肯定感が
上がるんですね

「じぶんは罪を犯した…」
「罪深い人間だ…」

とか思うと
自己肯定感が下がります

その意味で罪という言葉は
使わない方がいいんですね

これは
「人格を上げる
イベントだ!」
と解釈した方がいいんです

その方が
自己肯定感が上がります
結果的に人格が上がります

ぜひ今日から
「じぶんは罪を犯した」
と思ったら
「これは人格を上げる
イベントだ!」
と内語で言ってみて下さい

そうすると
だんだん自己肯定感が
上がっていきますよ

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性格を変える方法

2012.12.14.20:57

ご存じの方も多いと思いますが
以前のわたしは超性格の悪い人間でした

あまりに性格が悪すぎて
「じぶんはクズだ…」
「最低の人間だ…」
と自己嫌悪しない日がなかったです
毎日、死にたいと思っていました

でも今は違います
180度 性格が変わって、かなり性格が良くなっています
自分で言うのもなんですが^^;

実際、人間関係がかなり良くなって
人間関係のトラブルが、ほぼなくなりました

悩みやすい性格も治って
ぜんぜん悩まない性格になっています

「どうやってそこまで性格を変えたの?」
と思うでしょうか?

性格を変える方法は色々あると思います
わたしが主にやった方法は
「その場で脳を書きかえる」
という方法です

マイナス思考になったとき
その場でプラス思考に書きかえるんですね

たとえば
「じぶんは、ぜんぜんダメだ…」
とマイナス思考になった瞬間
「いや、充分よくやってる」
とプラス思考に書きかえるんです

これはハッキリ内語で言うのが効果的です
内語とは、心のなかで言う言葉のことです

ハッキリ内語で言ったほうが、ハッキリ書きかわります

性格っていうのは、いわば「脳のクセ」なんですね
脳の思いグセが、その人の性格になってるんです

マイナス思考が多い人が、マイナス思考の性格になるんですね
逆にプラス思考を多くすれば、プラス思考の性格になるんです

「いやいや、プラス思考を多くするなんてムリでしょ」
と思うかもしれませんが、そんなことはないんですね

ただ呪文みたいに唱えるのでもOKです
呪文みたいに、無心でプラスの内語を唱えるんです

「わたしは充分よくやってる」
「よく頑張ってるな~」
とか、無心でロボットみたいに唱えればいいんですね

わたしはこれを無心モードと呼んでいます
無心で唱えても効果はあるんですね

「いやいや、無心じゃダメでしょ!
心を込めなきゃダメでしょ」
と思うかもしれませんが、そんなことはありません

もちろん心を込めた方がいいですが
無心で言っても効果はあります

これはプライミング効果として
心理学的にあきらかになっています

無心でロボットみたいに、プラスの内語を唱えてもいいんですね
それでも、だんだんプラスな性格に変わっていきます

「いや、性格は生まれつき決まってるから
後から変えられないんじゃないの?」
と思うかもしれません

たしかに生まれつき決まっている部分もあります
でも変えられる部分もあるんです

性格はすべて100%決まっていて、まったく変えられない!
変える余地はゼロ!ということはないんですね
脳の思いグセを変えれば、性格も変わるんです

脳の思考回路が性格になっています
その思考回路を、いい感じに変えれば
いい感じの性格になるんですね

それには、マイナス思考が起こるたびに
上書きすることです

不安とか後悔とか憎しみとか自己嫌悪とか
そういうマイナス思考が起こるたびに
プラスの内語で上書きするんですね
そうするとプラスの性格に変わっていきます

もちろん一回じゃムリですよ
毎日コツコツ書きかえてください
そうすると、ちょっとづつ変わっていきます

むかしの私は、マイナス思考の塊のような性格でしたが
今はプラス思考の塊のような性格になっています

それはそういうクセをつけたからですね
マイナス思考が起こるたびに
条件反射でプラスの内語を言ってきたからです

だからプラス思考がクセになったんですね
その結果、プラスの性格のなったんです

よく
「どうしてもマイナス思考がなくせません」
「どうしてもマイナス思考してしまいます」
という人がいますが、それは当たり前ですね

マイナス思考はなくせません
マイナス思考は、自動的にわいてくるものです
マイナス思考を完全になくすことはできないんですね

じゃあどうすればいいのかというと
できるだけ短くすることです
タイムアタックの感覚で、できるだけ短くすることですね

これは練習すれば、ほとんど1秒以内になくせるようになります
たまに強い怒りとかは、もっとかかるときもありますが
ほとんどは1秒以内になくせます

もうマイナス思考が起きる前から
予感がしてなくせるようになります

これはスポーツと同じで、たんなる練習です
もぐらたたきと同じですね
練習でできるようになります

たとえば
「失敗した…最悪だ…」
とかマイナス思考がはじまったとしますよね
そしたらすぐ
「失敗しない人間なんかいない!」
「失敗を活かして成長するぞ!」
とかプラスの内語を言いまくります

そうするとマイナス思考できないんですね
人間の脳は
「一度にひとつのことしか考えられない仕組み」
になっています
だからプラスの内語を言ってるうちは
マイナス思考できないんですね

たとえば
「あれが心配だ…これが心配だ…」
ってムダにぐるぐる悩み始めたとしますよね
そしたらすぐに
「人事を尽くして天命を待つ!」とか
「頭のなかだけで、ぐるぐる考えるな!
紙に書きながら考えろ!」
とか、じぶんなりにプラスの内語を言いまくります

そうやってマイナス思考するヒマをなくすんですね
そうするうちに、だんだんマイナス思考が収まっていきます

「マイナス思考が起こったら、プラスの内語を言いまくる」
というのを条件反射にするんです

そうすると、だんだん脳が書きかえられていくんですね
プラスの思考回路に書きかわっていくんです

それでも
「なかなか性格が変わらない…」
という人がいたら、あんなり書きかえられてないからです

わたしたちは結構、無意識のうちにマイナス思考を垂れ流しています
もしストップウォッチで測ったら、かなりの時間マイナス思考しているはずです
マイナス思考の時間が多いほど、マイナス思考な性格になります

だから自分の思考に意識を向けてみてください
できるだけ意識して、すばやくプラスの内語で書きかえて見て下さい
それでマイナス思考の時間が短くなるほど、プラスの性格になっていきます

プラスの内語は、特に決まりはありません
「大丈夫だ!」とか
「ありがとうございます!」とか
プラスの性格になりそうなことを言えば何でもOKです

一年後に振り返ったら
「かなり性格が良くなったな~!」
と思えるはずですよ

「もっと速く性格を変えたい!」
「もっと劇的に性格を変えたい!」
という方は
人格は、たんなる技術にすぎない
もご覧ください

カンタンに性格を変えられますよ♪

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人格は、たんなる“技術”にすぎない

2012.12.12.23:00

●人格は、たんなる“技術”にすぎない

うつを治したい
不安症を直したい
もっとコミュ力をアップしたい…

などなど、人にはさまざまな悩みがあります
しかし、すべての悩みは、“人格”を高めることで解決できます
人格が高くなるほど、悩みにくくなるのは当然ですよね

「人格は生まれつきだから、努力じゃどうにもならないでしょ」
と思うかもしれませんが、そんなことはありません

人格はひとつの技術です
サッカーとか野球と同じで、たんなる技術です
だから誰でも向上させられます

実際、元々の私は、超底辺な人格です
自己コントロールがほとんどできなくて
他人も自分を傷つけまくっていました

あまりの低人格に嫌気がさして
「わたしなんか死んだほうがいい!」
と毎日のように思っていました

そんな私でも、今では自己肯定感MAXの人間になっています
自己コントロール力がかなり高くなって
仕事も人間関係もお金の面でも絶好調です

客観的に見ても、かなり人格が上がっています
実際、他人からも人格者のように言われることがあります
こんなブログを書いたりするくらい、人格が上がったわけです

それは私が人格を技術として磨いてきたからです
人格はたんなる技術なので、だれでもアップできるんですね

では、そもそも技術を高めるにはどうしたらいいでしょうか?
それは「インプットとアウトプットの積み重ね」です
インプットとアウトプットの積み重ねで、技術は向上します

インプットとは、外から知識を取り入れることです
たとえば、

・本を読む
・動画を見る
・オーディオブックを聞く
・ネットの記事を読む
・人の話を聴く

などなど、外から知識を学ぶことですね

ではアウトプットとは何でしょうか?
アウトプットとは、知識を外に表現することです
たとえば

・学んだことを日常で実践する
・人に教える
・ブログに書く
・動画で配信する
・ノートにまとめる

などの方法で、知識を表現することですね

このインプットとアウトプットを積み重ねることで
技術が向上していきます

たとえば人格の技術を高めたいなら
人格が高まるような知識を
本・動画・ネットの記事などから学ぶわけです
たとえば

○コミュニケーション・会話
○メンタルコントロール
○哲学・心理学
○今悩んでいることが解決できそうな知識

といったものを学べば、人格が高まりやすいですよね

とはいて知識をインプットしただけだと効果はいまいちです
アウトプットもしないと、なかなか人格は高まりません

たとえば、水泳の本を読んで、水泳の知識をインプットするだけで
水泳の技術が高くなるでしょうか?
ならないですよね

実際に泳がないと(アウトプットしないと)
水泳の技術は高くなりません

それと同じで、人格を高めるのもアウトプットが必要なんです
たとえば、このブログからインプットした知識を

・日常で実践する
・人に教える
・要約してツイッターでつぶやく

といったアウトプットをすることで
人格がジャンプアップするんですね

特に「人に教える」という方法は効果的です
たとえば、どっちの方が料理が上手くなりやすいでしょうか?

1:料理の先生として、生徒に教えるつもりで料理の勉強をする
2:ただ漫然と、料理の勉強をする

…いうまでもなく「1」ですよね

そうなんです
「はじめから教えるつもり」
でインプットすると、技術力がジャンプアップするんですね

これは「教えるつもり勉強法」といって
科学的に効果が明らかになっています

なので、このブログで学んだことを、ぜひ人に教えてあげてください
ツイッターでつぶやくなり、動画で配信するなりして
アウトプットしてみてください
そうすると飛躍的に人格がアップするはずです

もちろん、このブログじゃなくてもいいですよ^^;
他で学んだことでもかまいません

人格が上がるような知識
悩みが軽くなるような知識を
人に教えてあげてください

おおげさに考えなくてもかまいません
ツイッターで、一日一言つぶやくだけでもOKです
それだけでも、全然ちがいますよ

わたしの人格がジャンプアップしたのは
知恵袋やブログで教え始めてからです

ぜひみなさんも、やってみてくださいね(^o^)

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10倍の覚悟をもつ

2012.11.18.21:27

何ごとにおいても、想定より10倍くらい過酷な状況を覚悟しておくと、人生がとても楽になります。
例えば会社で採用された時、「聞いていた仕事内容と違う!」「残業なしのはずなのに残業を強要された!」などと、イライラしている人がいますが、このような人は人生に対する想定が甘いと言わざるを得ません。
もし仮に私が、事務職として雇われたのにも関わらず、営業職に回されたとしても、そのことにイラつくことはありません。
初めからそのくらいのことは覚悟しているからです。
「給料がまともに払われないこともあるだろう」
「イジメ人間がいることもあるだろう」
「採用された翌日に会社が倒産することもあるだろう」
と、常に想定より10倍くらい過酷な状況を覚悟しれば、いざそうなったところで「まあよくあることだよね」と思うくらいです。
これは、まだ起こってもいないことを想像して“恐怖”するのとは違います。
ただ、強い覚悟をもつだけです。

もちろん、イジメや給料未払いなどは社会的に許されることではありませんから、しかるべき行動を起こすことは大切です。
かといってわざわざイライラしたり不安になったりすることはありません。
ただ淡々と、取るべき行動を取ればよいだけです。
そこに“怒り”とか“不安”とか、余計な感情はいりません。
そんなことをしていると円形脱毛症になってしまいます。

前から鉄球が転がってきた時、“あれは10kgはあるかもしれない”という心構えでいると、10kgの鉄球でも受け止めることができます。
しかし、“あの鉄球、表面に1kgって書いてあるから1kgだろう”と、1kgの心構えしかしていないと、いざその鉄球が10kgあったとき、吹っ飛ばされて怪我をしてしまいます。

人生はこの鉄球と同じです。
想定通りのことなどまずありません。
だいたい、想定の5~6倍はとんでもないことが起こります。
そのことは今まで皆さんも、さんざん経験してきたはずです。
なのに未だに、
「役所で30分も待たされた!」
「電車が1時間も遅れた!」
「旦那が浮気した!」
などと、いちいちうろたえている人がいますが、もういいかげん目を覚ましましょう(^_^;)
人生とはそういうものです。

どんなことがあっても、
「よくあることだよね」
と思えば、心穏やかな人生をおくることができますよ(^^)v



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相対関係で考える

2012.11.17.21:43

この世界はすべて“相対関係”で成り立っています。
例えば、自分のことをこの上なく“不幸”だと思っても、世の中にはもっと不幸な人は大勢います。
そのような人たちから見れば、こちらはずいぶんと“幸せ”な人に見えるはずです。

また、自分は“貧乏”だと思っても、世の中にはもっともっと貧乏な人はたくさんいます。
世界に目を向ければ、日本に生まれたというだけでずいぶんと恵まれた状態にあることに気がつくはずです。
その人達から見れば、こちらはずいぶんと“裕福”な人になってしまいます。

つまり、なにか一つをとって「これは不幸だ」「これは幸せだ」「貧乏だ」「裕福だ」と断定することはできないのです。
それはこの宇宙が“相対関係”で成り立っているからです。

ものごとを“相対関係”でとらえると、人はその場で幸せになることができます。
例えば…
「私は口下手だ」
 →「相対的に見ると、もっと口下手な人はたくさんいる。だから私は幸せだ」

「ひどい職場だ」
 →「相対的に見ると、紛争地域や発展途上国はもっと劣悪な職場はたくさんある。だから私は職場に恵まれている」

「私はダメ人間だ」
 →「相対的に見ると、私よりダメな人間はいくらでもいる(連続強姦魔とか)。それに比べたら私はよくやっている方だ」

逆に言うと、相対関係で考えないうちは、人は永遠に幸せになることはできないということです。



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集団のコミュニケーション

2012.10.28.00:10

一対一のコミュニケーションと、集団のコミュニケーションでは少し勝手が違います。


●『エゴを捨てる』
集団のコミュニケーションでは、
「自分も輪の中に入りたい」
「自分も会話を楽しみたい」
「自分も相手をしてもらいたい」
「自分も皆の気を引きたい」
…などと“自分が自分が”という気持ちを持たないことが大切です。
この「自分が自分が」という気持ちは“エゴ”になります。
集団でいると、何となく自分だけ仲間はずれのようになってしまうことがありますが、そんなとき何とか話の輪に入ろうとして、相手の気持を考えずにむやみに話しかけたり、逆にイジケたような態度をとって、周りの気をひこうとしがちです。
しかしそんな“エゴ”なことをしていては、いつまでたっても集団コミュニケーションはうまくいきません。
なぜなら、そんな人の身体からは何となく不快なオーラが出ているからです。
だから、その人には何となく話しかけたくなくなってしまいます。
おそらく皆さんも、そのような人物に心当たりがあると思います。

エゴな人でも、一対一なら何とか相手をしてもらえます(相手がその人しかいませんからね)
しかし集団コミュニケーションではそうはいきません。
エゴで不快なオーラを出している人より、もっと心地よいオーラを出している人と話したいのが普通です。

集団コミュニケーションのコツは、何よりもまず「自分も輪の中に入りたい!」という気持ちをいったん捨てることが必要です。
そのうえで、“人間関係について”ご紹介したような心がけをおこなってみてください。



●『浮いている人を救う』
集団にいると、ついつい“目立つグループ”や“人気者”に取り入ろうとしがちです。
しかし、どんなに頑張っても仲間に入れてもらえず、寂しい思いをすることがあると思います。
そうならないためには、「自分が楽しくすごしたい」という気持ちを一旦捨てて、周りを思いやることが必要です。
そうすると、自分と同じように人の輪からはみ出ている人に気がつくと思います。
そのような人は、自分と似たようなエゴオーラを出していて、何となく話しかけたくないものです。
が、そこは“ギブギブ”の精神で思い切って話しかけてみてください。
そうすると、意外に会話が弾んで、楽しい時間を過ごせるようになります。
そしていつの間にか自分達の周囲に人が集まってきて、会話の中心になっていたりします。

※中には、どうやっても会話が弾まない人や、とんでもなくネガティブな危険人物もいるので、そんな時はターゲットを変えるようにしてください。



●『自分のキャラに徹する』
人には持って生まれたDNA(キャラクター)がありますから、自分のキャラじゃない人物になろうとしないことが肝心です。
例えば、出川哲朗さんが明石家さんまさんみたいになろうとしても絶対にうまくいきません。
“コイツなに出しゃばってんの”
“お前はそういうキャラじゃないだろ”
と、不快感を持たれるのがオチです。
他の誰かになろうとするのではなく、とことん自分のキャラになりきることが大切です。
“あの人みたいになりたい!”という気持ちはわかりますが、自分が持って生まれた素質を素直に受け入れましょう。

「自分のキャラがわからない」と悩む必要はありません。
相手に好感を与えること”や“ギブギブ”に意識を集中して、自然に出てくる行動が、その人のキャラクターです。
わざわざ意識してキャラを作る必要はありません。


また集団においては、その場にいるメンバーのキャラによって、あるていど自分の行動を変えていく必要があります。
自分よりリーダーシップのある人がいれば、自分は一歩引いて聞き役に回った方が良いですし、引っ込み思案な人ばかりなら、自分から進んで話しかけたほうが良い場合もあります。
どうすればその場にいる皆が心地よく過ごせるかを考えていれば、自然と自分のキャラが定まってきます。
だから“自分はどうしたらいいのだろう…”と考えこんではいけません。
考えている間に、話の輪から取り残されてしまいます。
“相手を思いやること、好感を与えること”に意識を集中し続けることが大事です。
そうすれば、自然と自分の取るべき行動が見えてきます。


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健康になる方法

2012.05.09.21:08

●『病気は“考え方”に原因があることが多い』

“病は気から”と言いますが、これは本当です。
昔は単なる気休めと思われていたかもしれませんが、今は医学的に
「嫌なことを考える→嫌な気分になる→アドレナリンなどのホルモンが過剰に分泌される→自律神経の働きが狂う→免疫が低下or過剰になる→アレルギーから癌まで様々な病気にかかる」というメカニズムが証明されています。
つまり、いくら食事に気をつけ、健康的な生活をしても、心が“嫌な気分”でいると、どうしても体の具合が悪くなってしまうということです。
(嫌な気分…心配、不安、恐れ、焦り、後悔、怒り、憎しみ、悲しみ、絶望、嫉妬、劣等感、自己嫌悪など)
明らかな病気の原因(食べ過ぎ、食べなさすぎ、栄養バランスの悪さ、頑張りすぎ、運動不足、睡眠不足など)も、上記のような“嫌な気分”が根底にある場合がほとんどだと思います。
このような“嫌な気分”をなくす方法については、このブログ全体を通してお伝えしていますので、ここでは割愛させて頂きます。

●『ポジティブ思考だけではダメ』
私は以前まで、
「若いうちは多少ムチャしても大丈夫。健康のことは年をとってから気を付ければいい」
「人間、必要な栄養は体が知っている。だから体が欲しているものを食べていればいい」
「人体は優秀だから、足らない栄養素は体内で勝手に合成されるだろう」
「いつもポジティブ思考していれば、こまかい栄養学など気にしなくても大丈夫だろう」

…などと思っていましたが、これはとんでもない間違いでした。確かに、ネガティブ思考をやめ、ポジティブ思考するようになってから、体調はとても良くなりましたが、まだ万全とは言えませんでした。
以前の私は、太りたくないあまり、少量で満腹になるように、甘いもの(お菓子)を多めに食べ、その他のものは腹八分目で済ますという、今思えば最悪の食生活をおくっていました。
それまで私は薬に頼ることなく、人体の自然治癒力に任せるように心がけてきたのですが、あるとき、突発的に蕁麻疹を発症してしまいました。
「いつものように自力で治してやる!」
と、薬を使わなかったのですが、それがいつになってもなかなか治らず、そのまま放置すると会社の人から「なんで病院に行かないんだ!?」と言われそうだったので、一応病院には行くだけ行ってみることにしました。
そして処方された薬を飲んだことで、すぐに蕁麻疹は引っ込んだのですが、私は自分の免疫力が、薬に頼らなくてはならないほどに落ちていることを痛感しました。
添加物の入った甘いお菓子を毎日1~2袋食べていた習慣をやめてからは、蕁麻疹が再び起こることはほとんどなくなりました(それでも、時に具合が悪くなったり、軽い蕁麻疹が出てくることはありました。それについてはのちほど…)

●『まちがった粗食は“骨”に悪い』
私は健康診断のときはいつもオールAをとるほど健康で、血液はいつも“サラサラ”のでした。それは暴飲暴食をせず、常に粗食腹を心がけているからだと自負していましたが、ひとつ大きな盲点になっていることがありました。
それは“骨”です。
私は「甘いお菓子+腹八分目ご飯」という食生活に加え、紫外線は肌に悪いからと、日光を避けた生活をしていました。
それではさすがにマズいだろう思い、煮干しを食べたり、ビタミンDのサプリを飲んだりはしていました。
しかし、20代半ばのあるとき、病院で骨密度検査をしてもらったときに、私は“骨粗鬆症の一歩手前です”と宣告されてしまったのです!
考えられる一番大きな原因は、「甘いお菓子+腹八分目ご飯」という“ダメな粗食”です。
確かに粗食は血をサラサラにしますが、食べる量が少なすぎると(しかもお菓子を食べていれば)、いくらカルシウムやビタミンDを取っていても骨は弱ってしまいます。


●『骨は若いうちに打て!』
骨は“ニ~三十代までしか栄養を貯蓄できない”と言われています。
つまり…
・歳を取ってから骨を丈夫にすることは難しい
・一定の年齢を越えると、骨密度を高めることはできず、減少する一方である
・だから若いうちに十分、骨に栄養を貯蓄しておかなければいけない
というのが、現在の医学では定説のようです。
※しかし骨の強化に努めたお年寄りの骨密度がアップしたという事例も多くあるようですので、ガッカリしてはいけません! ポジティブ思考がガン細胞を消すこともあるのですから、ちゃんと栄養を取っていれば骨密度くらいなんとかなると思っています

…とはいえ、若いうちから骨密度の強化に努め、歳をとってからは骨密度の減少を防ぐような生活をすることが大事なのは言うまでもありません。


●『骨は総合芸術』
骨は“骨密度さえ高ければいい”というものではありません。いくら骨密度が高くても、“骨の質”が悪ければ、それは“折れやすい骨”になってしまいます。
骨密度を高めようと思ってカルシウムとビタミンDばかりとっていても“ただ密度が濃いだけのモロイ骨”ができてしまいます(実際、高い骨密度をもつ人の骨がすぐに折れてしまう事例がNHKで紹介されていました)
質の良い骨を作るためには…
・色々な栄養をバランス良く取ること
・太り過ぎ、痩せ過ぎ、喫煙や過度の飲酒に気をつける(これらはすべて骨を弱くする行為です)
・糖分をとりすぎない
・適度な運動をする
などの心がけが必要です。
つまり骨は、人生をかけて創る“総合芸術品”といえるのです。


●『日光に当たるべきか否か』
ビタミンDは、カルシウムと並んで骨の生成に欠かせないものです。
昔は食糧事情などでビタミンDを充分に取ることが難しかったため、さかんに「日光を浴びよう」と言われていましたが(日光に当たると、体内でビタミンDが生成される)、今は食品やサプリから十分摂取できるためか、病院でもらった骨粗しょう症の冊子には、日光に対する記載が一切ありませんでした。
むしろ「紫外線は皮膚に悪いから日光には当たらなくても良い」という風潮すらあるようです。
たしかに、今はきくらげなどの食品から簡単にビタミンDを摂取することができます。
しかしビタミンDは、そのままでは骨に吸収されません。
体内で“活性型ビタミンD”に合成されて、初めて吸収されるようになります。
そして、この“活性型ビタミンD”は紫外線(日光)を浴びることでしが生成されないといわれています。
つまり、いくらビタミンDの豊富な食品を食べても、日光に当たらないと意味が無いということです。
しかし、市販されているサプリには“活性型ビタミンD”が含まれているものが多く出回っているので、サプリを飲んでいれば日光にあたらなくてもよさそうな気がします。
しかし「サプリからはちゃんとした“活性型ビタミンD”はとれない」というお医者さんもいますし、サプリの栄養が、実際にちゃんと機能しているのか、私たちには知るよしもありません。
やはり、自然に考えると「一切、日光には当たらない!」という生活は少し不自然な気がします。
一日に必要なビタミンDは、直射日光を両手のひらに浴びた場合、夏は15分、冬は30分程度だそうです。
サプリが実際に機能しているのかどうかわからないので、私は大事を取って、毎日日光を浴びるようにしています(もちろん浴び過ぎはダメですよ!)


●『“カロリー”と“栄養”だけではダメ。『酵素』のことも考える!』
今まで私たちは“カロリー”と“栄養”のことばかり教えられてきましたが、それらのことに気をつけていても、なぜか病気になってしまうことがあります。
それは“酵素”に関する知識が抜けていたからです。
酵素はわりと最近になってから言われ始めたことなので、まだ一般には広く認知されていないのですが、これは栄養学のコペルニクス的転回なので、人生の早い段階でぜひ知っておくべきことがらです。

動物実験で、マウスA群には加熱していない“生”の野菜を与え続け、マウスB群には加熱した野菜を与え続けると、A群は健康を維持するのに対し、B群は人間の成人病のようなさまざまな病気にかかってしまうというものがあります。
なぜ、そのようなことになってしまうのかといえば、加熱した食材には“酵素”がないからです。
生物は体内で、消化・代謝・免疫などの活動をしていますが、それらにはすべて“酵素”が使われています。
生物の体内には酵素があり、酵素がなければ一秒たりとも生きていられません。
酵素の欠乏=死亡 ということになります。

酵素には、もともと体内に備わっている“潜在酵素”と、食物から摂取する“食物酵素”があります。
潜在酵素は生まれた時から所要量が決まっており、使えば使うほど減ってしまうと言われています。
つまり、食物から積極的に取らなければ、どんどん潜在酵素を消費してしまい、あらゆる体内機能が低下していき、いつかは病気になってしまうということです(私が健康に気をつけていたにも関わらず、体に不調が出ていたのは“酵素不足”が大きな原因だと考えられます)

酵素は熱に弱く、48°以上になると壊れてしまうという特性があります。
だから加熱したものばかりを食べていたマウスB群は、酵素の欠乏により病気になってしまったというわけです。
つまり、長く健康を維持しようと思えば、“生の食物”を積極的に食べることがどうしても必要だということになります。


●『酵素を無駄遣いしないこと!』
またそれと同時に、“潜在酵素”を無駄遣いしないことがとても大切です。

酵素の無駄遣いとは…
・食べ過ぎ……“消化”に酵素を大量消費してしまうため、“代謝・免疫”のほうに酵素が回らなくなる
・古いもの、傷んだもの、添加物、多量の動物性食品、糖分の摂取……解毒作用に酵素を消費してしまう
・加熱したものばかりを食べる……限られた潜在酵素を消費してしまう
・喫煙、過度の飲酒、過度の運動、運動不足、低体温、体を冷やす、マイナス思考、ストレス、不規則な生活、栄養バランスの偏り、電磁波………
つまり何か“体に負担をかけること”をすると、体を正常に保つために、酵素は確実に消費されてしまっているということです。

多少変なものを食たり、体に悪いことをしても、確かに見た目は“大丈夫”です。
しかし、それが積み重なっていって、だんだんと“酵素不足”におちいり、アレルギーや様々な体の不具合(最後には癌など)が出るようになってしまいます。


●『0か100かで考えない』
 このブログを読んで、ちょっと健康に気をつけようかな、と思った人でも、いざ実践するとなると、
「でも、ちょっとくらい運動しても意味ないよね。毎日続けなけないと…」
「ちょっとくらい無農薬のものを食べたって意味ないよね。何もかも無農薬にしないと…」「自分はいままでさんざん添加物を食べてきた。今さら無添加のものを食べたって焼け石に水だ」
などと考えてしまい、
「自分にはそんな坊さんみたいな生活は無理だ! もう酵素とかどうでもいい!」と、
結局“何もやらなくなってしまう”人が多いのではないでしょうか?
 そのような人は、ものごとを“0か100か”で捉えてしまう、少し頭の硬い人かもしれません。
 「人はどんなに努力しても78%のことしかできない(ユダヤの法則)」というものがあります。
 人間は不完全な生き物ですから、なにごとも“完璧”にはできません。
 だから、ものごとを“やる・やらない”の両極端に考えず、
「1つでも2つでも、出来る範囲でやればいい」という発想を持つことが大切です。 

健康になるためには、どうしても“0か100か”“やるか・やらないか”の考えを捨てて、“やれる範囲でちょっとやる”という考え方にシフトすることが必要です。


●『自分は例外だという“おごり”を捨てる』
人が不健康なことをしてしまうとき
“タバコ吸ってても長生きの人もいる”
“肉ばっかり食べてても健康な人もいる”
“だから自分も大丈夫だろう”
という考え方が、心のどこかにあると思います。
しかし、そのように不健康な生活をしながら“ずっと健康”という人は0.001%の例外です。
むしろ正確に調べてみると、実はそれほど健康じゃなかったりします。
それに、そのような人たちは、不健康なことをしながらも、一方ではフルーツや生野菜などの“酵素たっぷり食材”を習慣的に食べていたりします。
そのような裏事情を知らずに、漠然と“あの人は大丈夫そうだし…”などと考えるのはとても危険です。
“自分だけは大丈夫だ”という科学的根拠のない“おごり”を捨てて、謙虚に生きることが大切だと思います。


●『酵素を“友達”だと考える』
人が不健康なことをしてしまうのは、心のどこかで
“自分の体だから何をしてもいいだろう”
と思っているからかもしれません。
しかし私たちの体は“自分”という1個の生命体で成り立っているわけではありません。
“細胞”や“微生物”など、無数の小さな“生命”から成り立っています。
私たちが体に悪いことをするということは、彼らを酷使し、痛めつけることにほかなりません。
もし友達がスモールライトで小さくなってあなたの身体の中に入りこみ、あなたの身体の健康をたもつために日夜働かされているとしたらどうでしょうか?
申し訳なくて、とても体に悪いことはできないと思います。
それと同じことで、自分のために必死になって働いてくれている酵素を始めとした細胞の気持ちになれば、自然と自分の体をいたわることができるようになると思います。


●『健康は“酵素と“骨”で考える』
いざ病気になってしまったとき、健康のバロメーターとして“体重・血圧・体温・血液”などに気をつける人が多いと思います。
しかしそのような数値はわりと簡単に良くなるので、いったん回復してしまえば、以前とは同じでないまでも、だんだんと悪い生活態度にもどってしまいがちです(そうして段々と取り返しの付かない状態になっていくわけです…)

そのような事態にならないためはコツがあります。
それは、健康を『“酵素”と“骨”』でイメージするという方法です。
“体重・血圧・体温・血液”などは、そのとき気合を入れて頑張れば、容易に改善できるものですが、人体には一時の頑張りではどうすることもできないものが2つあります。

その1つは“酵素”です。
酵素は生まれた時から保有量が決まっていて、“使えば使うほど減る”ものだとされています。
つまり、添加物を1g食べれば、それを無害化するために、貴重な酵素が1g分だけ確実に消費されてしまうということです。
喫煙、過食、過労、マイナス思考など、ひとつひとつを取れば大したことはありませんが、それら小さなことの積み重ねで、だんだんと酵素不足におちいってゆき、早い人では中年あたりで深刻な病気にかかるようになります。

2つ目は“骨”です。
骨の生成はは20~30代までになされ、それ以降は強化しにくいとされています(強化できないという説もあり)
厚生労働省は 1 日のカルシウム必要量700m(成長期の子供で 900~1100mg) と定めていますが、実際はそれほどれていない人が多いのではないでしょうか?
また、骨の生成には日光浴が欠かせませんが、現代人(特に女性)は一日に必要な日光量をコンスタントに浴びてはいないのが現状だと思います。
つまり、よほど意識して強化に努めないと、骨は“弱くなる一方”だということです。

この2つは“年をとってから気をつける”では遅すぎます。
若いうちから意識しておかないと、どんどん貯金が切り崩されてしまいます。

しかし、逆に言えば、この2つのことをいつも頭に置いておけば、
「1本タバコを減らせば、1本ぶん酵素を節約できる」
「野菜を一個、有機野菜に変えたら、一個ぶん酵素を節約できる」
「10分歩けば、10分ぶん骨を強化できる」
「砂糖菓子をフルーツに変えれば、そのぶん骨密度を貯蓄できる」
などのように健康を“貯金”感覚でとらえられるので、精神的努力もなく、わりと簡単に身体に良い生活ができてしまうようになります。


●『“極端”はダメ! “バランス”が大事』
健康になりたいあまり、人はつい極端なことをしてしまいがちです。
牛乳は背が伸びると聞けば、毎日牛乳を飲んでみたり、
水をたくさん飲めばいいと聞くと、一日何リットルも過剰に飲んでみたり、
温野菜が体にいいと聞くと、○○の一つ覚えのように温野菜ばっかり食べてみたり…

私もかなり極端な性格なため、“日光が肌に悪い”と思えば、一秒たりとも日光に当たらないようにしようとしたり、とにかく“不自然”で“偏った”ことをしがちなところがあります。

しかし、今や牛乳の飲み過ぎが、かえって骨に悪いことや、水の飲み過ぎが“水毒”を招くこと、温野菜ばかりでは“酵素”不足に陥って病気になってしまうことなどが、最新の研究により続々と明らかになってきています。
日光に当たらないのがどれだけ骨に悪いかは言わずもがな、絶対健康にいいと思っていた玄米も、食べ方に気をつけないとかえって害になることが知られるようになってきました。
その他、昔は良いとされていたことが、実は身体に悪かった…などという例はいくつも見受けられます。
科学も医学も日進月歩です。
極端に“そればっかり”やっていて「実は身体に悪かった!」と言われてしまったら目も当てられません。

“どんなに体にいいことでも、やりすぎは毒になる”
私は今までの経験で、何度もこのことを思い知らされました。
カルシウムは確かに骨の生成には欠かせませんが、取り過ぎるとかえって身体に害になります。
それは他のあらゆる食品や栄養素にも言えることです。
だから私は、どんなに体に良いとされていることでも極端にはやらないように心がけています。
食事のバランスも、今は“野菜:穀物:獣=5:4:1”にして、以前は避けていた肉も食べるようにしています。
“中道”でも書きましたが、なにごとも“あいだのバランスを取る”ことが宇宙の真理にかなっているようですね。


●『否定語ではなく肯定語を使う』
「人はどんなに努力しても78%のことしかできない(ユダヤの法則)」ということが昔から言われています。
d人は誰しも完璧ではありませんから、なにもかも完璧に健康な生活をするというのは不可能です。
だから、何か体に悪いことをしてしまっても“これは悪い”“あれはダメだ”といちいち思わないことが重要です。
特に健康意識の高い人ほど、
「甘いモノは体に悪い」
「添加物は体に悪い」
「農薬は体に悪い」
などと執拗に思ってしまうものです。
そうすると、

①“悪い”“ダメだ”という嫌な言葉をイメージする

②脳が反射的に“嫌な気分”になる
   ↓
③ホルモンが過剰分泌されて自律神経の働きがくるう
   ↓
④病気になる

…というメカニズムが体内で発生してしまっています。   
これではいくら健康に気をつけていても本末転倒です。

また、波動の法則<でも書きましたが、思考には“物質を動かす”力があります。
つまり“悪い、悪い”と思って思っていると、自分の身体の細胞が実際に“悪く”なってしまうのです。

そのようなことにならないためには、「悪い」という言葉の代わりに、
「楽しい」
「おいしい」
「ありがとう」
などの肯定的な言葉で、脳に上書きすることが大切です。
どうせ体に悪いことをしてしまうのだったら、“悪い悪い”と思いながらするよりも、肯定的な言葉をイメージしながらやるほうが、身体への負担は少なくて済みます。

しかし、そればっかりではなかなか悪い生活習慣からは抜けだせませんので、
「私は健康に生きる」
「自分の身体をいたわる」
「もっと良いものを食べる」
などのような言葉も同時に使うようにすることが大切です。
自分を責めたり「悪い」「ダメ」などの否定語で自分を正そうとしても、なかなかうまくいかないと思います。
しかし、上記のような肯定語を使えば、脳に悪影響を与えることなく、より良い方向に自分を導けるようになります。
もちろん少し思ったくらいでは効果はありませんが、肯定的な言葉を長期間にわたって脳に言い聞かせ続ければ、少しずつ脳の情報が書きかえられていき、いつの間にか言葉通りの行動が取れるようになっていきます。


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『そんな人間は存在しない』

2012.05.06.19:39

もしあなたが誰かに対して激しく怒りを覚えたときは、『そんな人間は存在しない』ということを思い出してください。
この世は私達の意識が創りだしたバーチャルゲームなようなものだということを書かせて頂きました(この世はバーチャルゲーム
物理学的に見ても、この世はまさしく“バーチャル”な世界です。
私たちの身体を作っている原子を分解すると、原子核と電子にわかれます。
この電子を分解していくと、それはもはや“物質”とは呼べず、“概念”のようなものなってしまいます。
アインシュタインの有名な方程式「E = mc2」は、「物質とエネルギーは同じものである」ということを意味していますが、“エネルギー”などという物質はこの世に存在しません。
“エネルギー”は人間の都合で考え出された、ただの“概念”です。
しかし現在の物理学では、そのただの“概念”が、イコール“物質”であるとされています。
つまり、私たち人間を含んだすべての物質は、まさに映画マトリックスの緑色の文字でできた“バーチャルな物質”だと言えるのです。
以前書かせて頂きましたが、この世界は私たちの集合意識が作ったプログラムのようなものです。
だから、あなたが誰かをたまらなく憎んでしまう時には、“彼はただのプログラムなんだ”ということを思い出してください。
私たちを怒らせるような人物は、私たちの感情を動かす(プログラムを修正する)ことで、より高度な存在にするために存在しています。
その証拠に、そのことを思い出したとたん、心の苦しみが薄らぐはずです(つまりプログラムの書き換えが終了したということですね)


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許す必要はない

2012.04.08.23:34

よく「人を許すことが大切だ」と言いますよね
でも、私は他人を許すということは全くやっていません
まったく許さなくても、怒りや憎しみは消せるからです

この「許す」という行為は、ちょっとトンチンカンなんですね

というお話をしましたよね
この解釈で生きると、あらゆる苦悩が消えてしまうというお話でした

この世のすべてを自分の意識がつくっているとすると
イヤな人をつくったのも自分ですよね
イヤなできごとを作ったのも自分です

つまり、ぜんぶ自作自演なんです

Aさんがイヤなことをしてきたのも
Bさんがイジワルしてきたのも
ぜんぶ自分の意識がやっていることです
すべて自作自演です

そう解釈すると
「Aさんを許してあげなければ…」
「Bさんを許してあげなければ…」
なんて考えは、ちょっとトンチンカンですよね

それは、ヤクザが自分からぶつかっておいて
「今日のところは許しといたるわ!」
って言ってるのと同じです

じぶんで仕掛けたことなんだから、許すも何もないですよね(^_^;)

そのことに気づいてから、わたしは
「だれかを許そう」
と思ったことがありません

すべて自作自演なので、許すも何もないからです

イヤな人とか、腹の立つことは
じぶんで仕組んだイベントです

じぶんがもっと幸せになるために仕組んだイベントなんですね

イヤな人とかイヤなできごとを乗り越えたら
人間的に成長しますよね
成長したら、そのぶん幸福度が上がりますよね

だからそういうことが起こるんですね
イヤな人とか出てくるんです

そういうふうに解釈すると
怒りや憎しみが収まります
むしろ自分を成長させることができます

もし
「あいつ許せない…許さなければ…」
なんて苦悩したときは、この解釈を思い出してください

「この世は自分の意識がつくった仮想現実である」
「イヤな人とか出来事は、じぶんが仕組んだイベントである」
「そのイベントをクリアすれば、人間的に成長してもっと幸せになれる」

この解釈を思い出せば、憎しみから抜け出せますよ


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プロフィール

モモエ

Author:モモエ
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リンクフリーです

強調したい内容が、ブログ内で繰り返し登場しますが、同じことを違う角度から説明することで、より理解が深まれば良いなと思っています。

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